両片想い了遊。ほんわか平和。本編後。
@d9_bond
遊作が初めて買った楽曲は、クラシックの一曲だった。
誰もが名前を知っているような有名な作曲家のその曲は、派手な盛り上がりもなく、オーケストラのような様々な楽器が協奏しているものでもない。それなのに店内のざわめきの中からスッと耳に届いた。
遊作はこれまで音楽に一切の興味を抱いてこなかったのだが、たまたま耳にしただけの音色になぜか強烈に惹かれた。こんな事は初めてだ。
Aiの協力もあり、曲名を探し当て購入することができたのは幸運だった。
音楽そのものに全く興味がなく、ましてやクラシックなど学校の授業で聞いた程度の記憶しかない。
しかし知識などなくとも音楽を聴くのに支障はない。そしてプロの演奏だからだろうか、ただ聴いているだけでも心を満たしてくれるものがある。
磨き抜かれたアンティークの家具を撫でるような心地よさのある曲だ。しっとりとした品があると同時にしなやかな芯の強さを感じさせる音色の弦楽器の旋律が印象的で、そっと寄り添ってくれるようだった。
暖かいベッドを抜けるのが億劫な朝や静か過ぎる夜、海辺の道を歩きながら茫漠とした空を流れる雲を眺め白波を追いながら、小さく流す。
柔らかな音色は何時だろうと何処だろうと変わらず響いてそこにある。それだけで呼吸が楽になる。
ことに寝付きの良くない日にはよく効いた。心地よい音と穏やかな旋律をたどるうちにとろりと眠気がやってきて、まどろみに身をまかせるといつの間にか朝になっている。よく眠れているのか寝覚めも良い。
「最近、顔色が良いな」
了見の言葉が意外で、遊作は思わずソーセージを転がす手を止めた。
遊作が3ヶ月の彷徨よりAiを伴い帰還して後、カフェナギのバイトに復帰した頃から了見は店に顔を出すようになっていた。遊作としては今も了見と近づきたいと思っているので、これ自体はとても嬉しい。
最初はただ商品を買いに来ただけだからとさっさと帰ってしまっていたのだが、遊作が話しかけ続けた結果が功を奏して最近は調理中や商品を渡した後も他に客がいなければ雑談くらいはするようになっている。
「以前に寝つきが悪いと言っていたが、解消したのか」
付け加えられて、そういえばそんな話をしたと思い出す。今日のようなカウンター越しの雑談で話したことではあるが、何かのついでの一言でその場では特に何を言われたわけでもなかったので言ったことすら忘れていた。そんな一言を気にかけていてくれたとは。
「そうだな、近頃はよく眠れている」
手を動かすのを再開しながら頷けば、了見はささやかな笑みをみせた。
「何かあったのか」
「たまたま見つけた音楽が性に合ったというのか、良い睡眠導入剤になっている」
「音楽?」
「クラシックの──」
と、言いかけて遊作は気が付いた。
「──ああ、おまえの声、あの楽器に似ているな」
柔らかで滑るような音の波の中に揺ぎ無いものを感じさせ、心地よく耳に響き、どこかへ連れて行くというより寄り添う、低く艶のある美しい音。
パンに具材を挟みながら考える。あの楽器はなんという名前だったか。
「名前は……思い出せないが、良い音なんだ」
「随分と気に入ったのだな」
「ああ、好きだ」
了見が淡い色の目をわずかに見開く。
こんな風に何かをはっきりと好ましく思うのも、それを口にするのも珍しいからだろう。そう思いながら何か言おうとする形の良い口元を目にした時、遊作は遅まきながら自分の誤りに気が付いた。
(逆だ)
(了見の声に似ているから、だ)
気づいた瞬間、猛烈な羞恥に似たものがこみ上げてくる。
「なんという曲だ?」
問われて、包もうとしていたパンを取り落としそうになりながらも口を開く。が、
「いや、その、クラシックで組曲のやつなんだが」
曲を買ったとき見ていたはずだが馴染みが薄いせいか動揺のせいか、とっさに思い出せない。
「弦楽器で、穏やかで、きれいで」
言いながらもこちらに向けられる了見のあの切れ長の目が全力で突っ込んでくるのが感じられる。突っ込まれるまでもなく分かる、情報の精度が低すぎる。だが一応仕事中なので携帯端末を見に行くのも気が引ける。
とにかく努めて仕事を全うしようと、注文のコーヒーとホットドッグを紙袋へ詰め込み差し出す。
「悪い、思い出せない。今度でも良いか? 今週はずっと出ている」
「構わない」
了見は今度ははっきりと笑みを見せた。
出来上がった商品を受け渡そうと、差し出した手が触れる、それにまた動揺する。
「ではまた明日」
「あ、ああ」
遊作は半ば茫然と去っていく後姿を見送った。
明日、いつもの顔ができるか見当がつかなかった。