温度差兄弟
※アルカディアクリア後
何かしらの齟齬が生じた場合修正します
@yohima33
「ッだぁ〜〜クソ! やってらんねェ」
ガシャン! 大きな音を立て、工具の入ったカゴが転がっていく。滑り出たスパナの先に座っていたレッドホットは、あからさまに不機嫌な兄にうんざりとした態度を見せた。
「おい、こっちに飛ばすな」
「あ、ワリィ。でもよォ、分かるだろ?」
大して悪びれもせず、ディープブルーはドスンとその場に座り込む。転がったままのペンチやらドライバーやら、気にもしない兄の態度に弟は顔を顰めた。……レッドホットは前髪で目から上が隠れているため、ディープブルーにそれは伝わらないのだが。
「そもそも、お前がバカ正直に統一王者サマに言うから!」
「あ、やっぱ嘘ついた方がよかったのか」
ハッとしたようなレッドホットに、ディープブルーはがっくりと項垂れた。……これでも成長した方、散々『ここは嘘ついてでも誤魔化せ』とディープブルーが言い続けたおかげで、レッドホットも後から気付けるようになった。彼が上手に誤魔化せるようになるには、まだ少し時間がかかる。
「あーあ、あそこで邪魔が入んなきゃなァ……」
警報音鳴り響く街の中、警備の目を掻い潜りガンガンスピードを出していく。途中ちょっとしたトリックなんかもキメたりして、時折追いかけてくるやつをおちょくって。それが彼らの日常。何かやらかして捕まることも多々あったが、今日は特に調子が良かった。どれだけ追いかけられても、追い詰められそうになっても、捕まる気がしなかった。……アルカディアの新たな統一王者が、目の前に現れるまでは。
「あいつ『本当にやってた……』とか抜かしやがって!」
「止め方、上手かった。ほとんど傷付いてない」
「だからなんだよ……」
何故か感心しているレッドホットを横目に、ディープブルーは小さく息を吐く。ディープブルーが予測もしていない角度からの視点、これにより幾度も毒気を抜かれてきた。今回もそう。現に、次は上手くやると気持ちが切り替わりつつある。
「……ま、しばらくは目付けられてるから公道レースは中止だな。プールでも行くかァ? でもなァ……」
「海には、行かないのか」
「は? 海?」
片割れの思いもよらぬ発言に、ぽかんと大きく口を開けた。まさか、そんな言葉があのレッドホットから出るとは思わなくて。彼の言葉に裏があるなんて思っちゃいないが、真意を探るようにじっと前髪の奥へ視線を向ける。
「なんだよ、壁の向こうに興味あったなら言えよな」
「いや、そうじゃ……そう、なるのか? でも、兄者」
「国中で話題だもんなァ。ホンモノの青空、ホンモノの海ってやつ? 珍しいお前からの提案だ、付き合ってやっても……」
「兄者、聞いてくれ」
ペラペラとよく回るディープブルーの言葉を遮る。レッドホットは、会話が得意な方ではない。対戦相手との煽り合いも基本兄が行うし、レッドホットも特に否定する部分が無ければ何も話さない。が、当然意見はある。意思がある。自身が納得できたならディープブルーの口車にも乗ってやるが、納得できていないとなれば話は別だ。なおも軽い言葉でかき乱そうとするディープブルーの目の前に立ち、真っ直ぐに見下ろした。
……ところで、レッドホットは非常にガタイがいい。身長はもちろん、筋肉量など体格もなかなかのもの。たとえ身内であれ、そんな彼に目の前を立たれてもみろ。何を考えているかもよく分からない、何をされるかも分からずに固まることしか出来なくなるはずだ。少なくとも、ディープブルーはそういう性質であった。
「不思議だった。オレは、兄者の方から海に行ってみようって誘われると思ってた。なんでだ? 海も、ライディングも、泳ぐのも好きだろ」
直線的で、純粋な疑問。真正面からの質問に、ディープブルーはうろうろと視線を漂わせる。答えなど、宙に浮いているはずもないのに。レッドホットのその素直なところは好ましく思っている……と同時に、苦手でもあった。
「……ま、まあ、壁の向こうのやつらから見たらどうかは知らねえけどさ。オレらにとっての海って、ここにあるわけじゃん。だから、まあ、別にわざわざ遠くまで行かなくてもな〜みたいな……」
ふわふわとして、芯のない主張。ディープブルーは冷や汗が止まらない。別に、深い理由なんてなかった。ただ単に、何となく海へ行く提案をしていなかっただけ。でも、少しでも良い回答をしたいと思ってしまったのは、兄心というやつなのだろうか。そんなもの、ろくでもねえからとっとと捨てろ! とディープブルーは自分自身へ悪態をつく。
「……なるほど。つまり、怖いのか」
ひくついていた口角が、ピタリと止まった。スウッと頭が冷えていく。立ち上がり、さらに一歩前に出て。レッドホットの鼻先に触れてしまいそうな程に顔を近づけ、きゅっと目を細めた。
「おいおい、どうした。お前もあいつに腹立ってたってワケ? 八つ当たりなんてかわいーじゃん」
「八つ当たりじゃない。向こうの海は、もっとずっとデカくて荒れてるらしい。知らない波に乗るのが、怖いのか」
「……ヘェ、言うじゃん。誰に聞いた?」
「……統一王者サマ、だ」
「またあいつかよ!」
ダンッと思い切り地面を蹴り、ディープブルーは大きなため息をついた。やあ、と片手を上げて挨拶してくるあの挑戦者が目に浮かぶ。せっかく忘れかけてたのに、結局あいつに振り回されるのか。ピリついた空気はパッと消え去り、ただ時間だけが過ぎていく。先に口を開いたのは、レッドホットだった。
「本当に行きたくないなら、別にいい。でも、兄者はここの波にもう慣れたって言ってたから。知らない場所、知らない波なら、もっと楽しい……と、思った」
顔の半分が隠れているのに、どこかしょんぼりしているのが伝わってくる。……何を、しているんだか。ディープブルーは、レッドホットとケンカしたかったわけではない。レッドホットだって、ディープブルーとケンカしたかったわけではない。いつものようにレッドホットは思ったことを言っただけで、それがディープブルーにうっかり刺さってしまっただけのこと。
「……そうだな。遠くに行くのなんてかったりィと思ってたけど……オレ達、ようやく時間が出来たんだもんな」
魂蝕症から解放され、アルカディアでの闘いはまだ続くものの自由な時間はかなり増えた。……とはいえ、何かあった時に治療を満足に受けられるかも分からない未知の場所へ行くのは、まだ不安が大きく残る。それを、レッドホットに勘付かれていたのかもしれない。
かわいい弟の願い、気遣い。それらを兄として無視するわけにはいかない。不安があろうがなんだろうが、乗りこなしてみせるだけ。それに、少々不本意ではあるが……壁の向こうに詳しい冒険者には、ツテがある。何より、ディープブルーは大きく荒れた波に興味が湧いてきた。
「こんな長旅、初めてだな。問題はどうやって行くか……」
「トライヨラの海、暑くて綺麗だって聞いた。よければ案内するって」
「ヘェ、誰から聞いた?」
「統一王者サマ、だ」
「またあいつかよ!」
再び、地面を蹴る音が響き渡る。何なんだあいつはとグチグチよく回る口に、レッドホットは小さく笑いをこぼした。
青い空も、水平線とやらも、知らないことばかり。未知への挑戦は、どうしてこうも心が躍るのか。案内してくれるというのなら、とことん無茶でも言ってやろう。飯を奢ってもらうもいいし、共に波に乗り少しイタズラしてやってもいい。波の上なら、誰であろうと『エクストリームズ』に敵うはずもないのだから。
「ま、楽しもうぜ兄弟」
「ああ、兄者」