アジクロ
@otohitoe_
古書買取のために赴いた遠い街、古い書物も扱う骨董品店でとある素敵な小箱を見つけたアジラフェルは、それを目にした途端とても良いことを思いつき、本の吟味よりもまずそれらを手中に収めた。
ひんやりと冷たく少し重い。天然石だろうか。濡れたようなしっとりとした肌触り、シンプルな造りだが上品なフォルム。ただの小物入れにしておくには贅沢に感じてしまうその小箱は白色と黒色で対になっており、ソーホーに戻ったアジラフェルは真っ先にクロウリーに黒いほうを手渡した。
「なんだ? 土産か?」
「うん」
「ただの箱に見えるが」
「クロウリー、今年のクリスマスはプレゼント交換をしようよ」
「似たようなことはいつもしてるだろ」
「ターキーやケーキの持ち寄りみたいなことじゃなくて、本当に、ちゃんとした贈り物」
「…で、プレゼント交換とこの箱に何の関係が?」
「これを容れ物にしたプレゼントの交換をしようと思って」
「よくわからんが、これに中身を入れて渡せばいいってことか?」
「そういうこと」
クロウリーは渡された小箱をしげしげ眺め、それから長い指でそっと蓋を開けた。サングラスを目上に押し遣り、空っぽの中身は勿論、蓋の裏までしっかりとチェックしている。
「蝶番も中の台座も無いが、こいつはリングケースってやつだろ。こんな小さいものに何が入るってんだ」
「そこなんだよ」
アジラフェルはぴっと人差し指を立てて声を弾ませた。
「今まで誰も贈ったり贈られたりしたことがない、わたしたちにとってだけ贈り物になるような、そんなものを交換しよう」
「…なんだそりゃ」
クロウリーのサングラスがずるりと滑り落ち、また元の高い鼻筋に掛かった。
未だ誰も贈ったことも贈られたこともない、二人にとってだけの贈り物。アジラフェルは箱を見た瞬間そんなアイディアが降りてきて、既に思い描いている贈り物がある。贈るのがアジラフェルだから、そして受け取るのがクロウリーだからこそ贈り物になる特別なもの。
抽象的とも言えるアジラフェルの提案だが、クロウリーは箱を見つめながら何やら思案を始めたようだった。
「おれがおまえに贈ることで、初めて贈り物に成るものか」
予想していたより受け入れられるまで時間がかからなかったのは何よりだったが、すんなり受け入れすぎな気もするクロウリーのその様子は少し意外過ぎた。
「もしかして、もう何を入れるか決めたの?」
「さあ。どうだろうな。クリスマスまでは秘密なんだろ?」
「ああ」
「じゃ、これに関しては当日までもう触れない」
「そうしよう。お互いに」
プレゼントの交換はクリスマス当日の朝。
二人は会ったり会わなかったりしながらいつも通りに過ごし、イブもまた例年通り、人間達に倣った実にクリスマスらしいパーティーで夜を明かした。
「…さて」
雪が降ったこともありまだ薄暗い早朝、切り出したのはやはりアジラフェルからだった。
「贈り物は用意できている?」
「当然」
「どちらから開ける?」
「どちらでも」
「それじゃあ…わたしから先に貰ってもいいかな?」
「どうぞ」
まだお互いにほんのりとアルコールの気配を漂わせながら、恭しく差し出された黒色の小箱を、アジラフェルもまた厳かな心持ちで受け取った。
「開けるね」
そっと開いた途端、ぱちぱちと顔を打つ飛沫に驚き思わず一度蓋を閉じる。
「わっ」
「ふふふ…」
「…あれ? 濡れてない」
「驚いたか?」
アジラフェルは恐る恐る、もう一度蓋を開けた。やはり同じように顔に冷たい感触が跳ねる。この香り、音、冷たさ。よく知っているものだ。
「これは…雨?」
「世界で最初の雨を再現して閉じ込めてみた」
箱の中身は空っぽだ。物質的には。けれどアジラフェルには確かに雨が降っている。濡れさえしていないが全てそっくりそのままあのときのものだ。土や草が湧き立つようなにおい。乾いた砂を弾く水滴の音。
「すごい、どうやったんだ? 肌に雨粒の感触を感じる。出していない翼にまで」
「おまえもだいぶ想像力が鍛えられてきているみたいだな」
「本当にわたしの想像でだけ? 少しはきみの奇跡が混じっているんじゃないか」
「違う、と一応否定しておくが、あんまり種を明かしすぎないほうが良い気もするがな」
「ふむ…そうだな。きみの言う通りだ」
「昔を懐かしみたいとき、いつでもそれを開けるといい」
蓋を閉じ、両手で小箱を包み込む。この手の中に、あの嵐がある。アジラフェルは子供のように純粋なうれしさを胸の内に感じながら、クロウリーに微笑みかけた。
「ありがとう。確かにきみからわたしへだけの、とっても素敵な贈り物だ」
「ん」
「それじゃあ今度は、わたしからきみに」
俯いたクロウリーの顔がふっと上がる。アジラフェルは両手でクロウリーの大きな手のひらを取り、その上に真っ白の小箱を乗せて包ませた。
「どうぞ開けて」
「遠慮なく」
クロウリーが蓋を持ち上げた小箱の中には、箱よりも真っ白な羽が一枚入っていた。
「ふわふわの白い羽」
「そう」
「おまえの?」
「一等綺麗な羽から取ったんだ」
「ふうん…?」
クロウリーは箱を乗せた手のひらを持ち上げ、首を傾けながらまじまじと羽を観察している。ただの羽ではないということは勿論わかっているはずだ。
「…ん」
「気付いた?」
「何か香りがする。これは?」
「当てて」
アジラフェルのうきうきした声色にクロウリーは一瞬面倒くさそうに眉を寄せたが、すぐにふむ…と羽へと視線を戻した。それから鼻先を少し寄せ、丁寧にその香りを吸い込む。
「甘いような雰囲気もあるが、砂糖や蜂蜜の甘ったるさは無い。例えるなら花の蜜か? そう思えば花っぽいような…けど、サボンみたいな清潔な香りもする。洗い立てのシーツみたいな…森…水? なのに乾いた砂にも似てる」
「ふふ」
「晴れた日の陽差しのにおい? いや逆だ、雨の降る直前の…んん、わかんねえ。答えは?」
「もう少し考えて」
「そんなこと言われたってわかんねえもんはわかんねえよ。嗅いだことないにおいだ。でも知ってる気もする。一体なんなんだ? 海…いや、雲? マシュマロ…ミルク…?」
「すごいすごい。結構当たってる」
「当たってる? 全然違うものばかりだぞ」
「でも本当に当たってるよ」
「もういい、降参だ。これは何なんだ?」
「もう降参しちゃうの?」
「おれへの贈り物だろ? 意地の悪いことしてないで早く教えてくれ」
焦れたように箱を差し出してくるクロウリーにアジラフェルは笑顔を見せ、それから手渡したときと同じようにクロウリーの手のひらごと白い箱を包んだ。
「クロウリーこれはね、わたしなりに考えた愛の香りなんだ」
「…はあ?」
「きみはわたしと違ってこれを感じることができないだろう」
「………」
「でも、これがどんなに心地よくて、香しくて、幸福感あふれるものなのかを少しでも教えたくて。きみから感じる、わたしへの愛のお返しに。きみにも、少しでもわたしの愛が伝わりますように」
指先にそっと口づけ、黙ってされるがままになっているクロウリーをそっと見上げる。夜のうちにどこかへ置かれたままのサングラスに黄色い瞳を遮られることはなく、その微かな揺らぎもじわりと滲むあたたかい愛も、アジラフェルに真っすぐに伝わった。
この気持ちを、少しでもいいからきみにも知ってほしかった。
「伝わった?」
「…そういえば」
アジラフェルをじっと伏し目がちに見つめたまま、クロウリーは声を置くように低く言う。
「昨日の晩おまえがあっという間に平らげたターキーとローストビーフ、それからシャンパンのにおいもする気がする」
「昨晩はとっても楽しい夜だったから」
「おれを愛していた?」
「そうだよ」
「ふん」
「今もね」
顔を寄せてもクロウリーは少しもたじろがなかった。そのことに口の端が緩むのを抑えながら、アジラフェルはそっと唇を重ねた。
「素敵な贈り物をありがとう。クロウリー」
「こちらこそ、どうも」
蓋を乗せられた白い小箱はクロウリーの手の中であたたかく包まれていた。