@otohitoe_
(あの綺麗な人が)
と、店先に屈んで植え替えをしているクロウリーの何度となく見た横姿に今も見惚れる。
赤い髪、丸まった薄い背、土を纏う掌。それを柔らかく包む春の陽光にすら嫉妬してしまいそうだ。彼の体に触れ温められるのは、今朝まではアジラフェルにだけ許されていた特別な役割だったのに。
この綺麗な人が。
アジラフェルはもう一度噛み締めた。これほど綺麗な人が、自分のようなただの凡夫の下にその美しい肢体を隅々まで晒し、明け渡し、委ねてくれる夜のこと。
「…ぁ…、…」
葉を裂くようなか細い声に、顔を上げて表情を窺ったときだった。今店先で丁寧に土を作っているあの大きな両手が、アジラフェルの視線に応えるように両頬に添う。
薄暗い部屋のベッドの上でぼんやりと輝く、陽の下にあるときとは全く違う、妖しいほど艶かしい姿。
「アジラフェル…」
少年の頃から憧れていた相手が、自分の名前を呼んで、自分のことだけを見つめてくれる。ひたと頬を撫でる手のひらに堪らず口づけ、顔を擦り寄せた。この人のためなら何でもしたい。自分にこんな奉仕的気質があるなんて知らなかった。
ゆっくり体を揺すると、クロウリーからまた鼻に掛かったような甘い声が漏れるのと同時に唇で触れている手のひらからもぴくりと震えが伝わった。
アジラフェルに口づけを許しているのとは逆の手がゆらりと持ち上がる。
「伸びたな…」
しっとりと汗ばんだ手のひらが、額に掛かるアジラフェルの短い前髪を大きく後ろへ撫で付けた。
「こうすると、いつもより大人っぽく見える…」
いつのどの場面と比べてなのかはわからないが、比べられるほどクロウリーの記憶に自分がいることにうれしくなった。導かれるように唇を重ねて、背を抱いて、体の隙間を埋めて、それから…
…思い出すのはここまでにしておこう。
蕩けた眼差しも熱い吐息も鮮明に覚えているが、思い返せば返すほど全てがまるで映画のワンシーンのようで、或いは夢の中の出来事だったかのように現実感がない。もしかしたら本当に夢なのかも。昨夜のことも、今この瞬間、あの美しいの横顔ごと全部。それで納得できてしまうほど、アジラフェルにとってあまりに都合の良すぎるストーリーだ。
ぱん。
という乾いた音でアジラフェルははっと我に返る。
「よし終わり。待たせたな、アジラフェル」
アジラフェルを現実に引き戻したのはクロウリーが手の土を払った音だった。ずっと見つめていたはずなのに、本当に夢を見ていたような気分だ。
腰を伸ばしたクロウリーは店の入り口の端にある蛇口で手を洗ってから、掛けていた薄い色のサングラスを頭の上に持ち上げた。逆光で象られた指先から手首までが水滴できらきらと光っている。
「どこに行くか決まったか?」
深い緑色のエプロンに掌の裏と表の水滴を軽く吸わせながら正面に立つクロウリーに、アジラフェルは急に面映ゆい気持ちになり、レジ台の上で置き物と化していたスマートフォンに慌てて目線を落とした。クロウリーがひと仕事している間、このあとのデートプランを任されていたのだ。アジラフェルは取り繕うように画面を上へスワイプした。
「隣町に大きな公園あるだろ、あそこで今日フードフェスやってるって」
「へえ、いいな」
「フードもドリンクも色々あるみたいだけど、特にフルーツのエリアがすごそうだよ。苺の種類が、」
「アジラフェル」
クロウリーが不意に名前を呼ぶ。それから、額にそっと指先が触れた。クロウリーにこんなふうに呼ばれるとき、触れられるとき、どうしてもまだ少し緊張してしまう。
そろりと顔を上げるアジラフェルの前髪を後ろへ撫でつける、特に最近、覚えのある仕草。
「ほら」
アジラフェルに注がれる、優しくて、親しげで、ほんの半年前まで知ることのなかった金色の眼差し。
ふわふわと癖のある白い髪を梳くように撫で整えたクロウリーが、頬をやわらかく解いてアジラフェルを見下ろしている。
「やっぱり似合うよ」
たった一言、クロウリーのそのたった一言が昨夜の睦言と今を繋げ、肌や手のひらにまざまざと体温が蘇る。
アジラフェルの顔はにわかに熱を集め、そのまま動けなくなってしまった。
「何照れてんだ」
ふっと可笑しそうに笑うクロウリーの声。今もまだ夢の中にいるのかもしれなかった。
髪を撫でる指先が、ただ優しい。