カルみと 浮気の話
シナリオネタバレあり
@popo_trpg_ss
恋人の浮気現場を目撃した時は、きっと漫画のように怒りの感情が湧き上がって爆発するものだと思っていた。
さすがにナイフを持って振り回すまでは行かずとも、その場ですぐに恋人に駆け寄って胸ぐらを掴むくらいはするかもしれないと神無は自身の血の気の多さを認めていたのだ。
しかし実際にその光景を目にした神無が抱いたのは、頭をガンと思い切り殴られたようなショックと、心のどこかで芽生えた納得だった。
「……今日、用事ができたって言ってたじゃん…………」
だって、美しい女性と共に街を歩く縞斑の姿を『お似合い』だと思ってしまったから。
ひとつに髪を結んだ彼女が彼の本当の恋人だとしたら、自分はどうあっても敵わない。そんな敗北感を覚えてしまったから。
「仕方ない」
自分はきっと縞斑からして見ればまだまだ子供で、そんな自分の恋愛ごっこに付き合っているだけだったのかもしれない。
そんな縞斑とのこれまでの時間や思い出を全て壊してしまうもしもの話が浮かんでしまう自分が嫌だった。
「仕方ない、だろ」
何度もそう言い聞かせて、泣きそうになるのを必死に堪える。
震える唇を噛み締めてその場から踵を返した神無は、人のいない道を選んで帰路を急ぐことにした。
「……先輩のばーか」
どうせ自分は後を追って問い詰めることすらできない意気地なしだ。
悔し紛れに漏らした罵倒は震えていて、そんな子供っぽさにますます惨めになった神無は涙を拭いその場を駆け出すのだった。
ーーー……。
予定通り今から会えるだろうかと縞斑から連絡が届いたのは、その日の夜のことだった。
帰宅してすぐにふて寝をした神無はベッドの上で眩しい画面に表示される文字を目で追うと、ぐるぐると頭を回して考え込む。
このまま無視して眠っていたと連絡することは簡単だ。けれどそれは問題を先送りにするだけで、何の解決にもならない。
「……はやく、先輩のこと解放しなきゃ」
子供っぽい悪あがきに付き合わせるのも申し訳ないし、嘘をついたことがバレて嫌われたら立ち直れない。
この期に及んで嫌われることを恐れている自分に気がついた神無は思わず自嘲すると、震える指先で返事を返した。
まってる、と打ち込むとまもなくメッセージに既読がつく。移動を始めたのか返信の途絶えた画面を眺めると、神無は端末をベッドに投げ出して天井を見上げた。
「仕事入らないかなー……なんて」
いつもなら連絡が来ないことを願って見守る仕事用の端末を、まさか待ち侘びる時が来るとは思わないだろう。
小さく笑った神無は体を起こすと、もそもそと縞斑を迎え入れる支度をするためにリビングへ向かった。
※
「お邪魔します、神無ちゃん」
「いらっしゃい先輩、上がってよ」
連絡が来て十数分で到着した縞斑は、いつものようにそう挨拶をすると手土産をぶら下げて笑った。
これから別れてただの協力者になるのだろうに律儀だなと他人事のように感心した神無は、そんな彼のことを掃除を済ませたリビングのソファへと招く。
「遅くにごめんね」
「んーん、コーヒーでいいよな?」
「あぁうん、わざわざありがとう」
何を話せばいいのか分からなくなった神無は、そう言い残して逃げるようにキッチンへ向かった。
リビングとキッチンは併設しているけれど距離が少し離れているため、ひとまずそれ以降の言葉は聞こえなかった振りができるかもしれない。
そんな小賢しいことを考える自分に嫌気が差した神無は、せめて真面目にコーヒーを淹れようと食器棚のマグカップに手を伸ばした。
片付けられなかった三人分の皿やカップが並ぶその隅に設けた神無の生活スペースに並ぶ、緑と紫のマグカップ。きっともう、このマグカップの片方も捨てられずに他の棚に移すことになるのだろう。
「……ぅ、」
まずいと思った時にはもう遅かった。じわりと視界が滲み、磨いたシンクにぽたぽたと雫の落ちる音が響く。
早く戻らなきゃならないのに、溢れ出した涙を止める術を神無は知らない。それどころか、コーヒーを二人分淹れるのも最後になるかもだなんて女々しいことを考える思考は、よりいっそう神無の弱った涙腺を刺激する。
「神無ちゃん?なにかあった?」
そうこうしているうちにリビングから足音がして、縞斑が不思議そうにキッチンを覗き込んだ。
いつまで経っても戻ってこない神無のこと心配したのであろう彼は、シンクの前でマグカップを手に泣いている神無を見つけるとぎょっと目を開く。
「ど……どうしたの?」
「ゔー……」
「泣かないで、体を冷やすからリビングに戻ろう」
神無の頭を撫でた縞斑は、どうして泣いているのか分からないなりにその手を引いてリビングに戻ろうとする。
そんな彼にいつもなら甘える神無だが、その日は足を突っぱねてその場に止まった。握られた手のひらをぎゅうと握り返して俯けば、驚いて足を止めた縞斑が振り返る。
「神無ちゃん?」
「……やっぱり、わかれたくないぃ…………」
「え、」
気がつけばそう呟いて神無は泣いていた。
縋り付く惨めな自分が情けなくて堪らないけれど、リビングで話し合いが始まったらもうこの手が触れることは二度とない。そんなの嫌だと駄々をこねることしかできない子供の自分が彼に釣り合うはずもないのに。
「わがままいわないし……おとなになる、あしひっぱらない、おこらせないから、だから」
「……、」
「いかないでよ……」
思いつく限りの彼を怒らせたきっかけを連ねて謝ることしかできない神無が俯いていれば、それまで唖然と立ち尽くしていた縞斑が手を引いて顔を覗き込んだ。
「えっと……ちょっとまだ、話が見えてこないんだけど」
「へ……?」
「別れるってどういうこと?」
「だって、だってせんぱいが、せんぱいの、このまえ、」
「ちょ、ちょっと待って神無ちゃん、一回座って話を聞かせてくれないかな」
しゃくり上げてまともな言葉を紡ぐことができそうにない神無を見た縞斑は、困惑した様子で神無のことを宥めると今度こそリビングへと促す。
その優しい誘導に渋々従うしかなくなった神無が頷けば、ひとまず安堵の息を吐いた縞斑は彼をソファへと座らせた。
「飲み物作ってくるから、少しだけ待ってて」
泣き止むどころかよりいっそう泣き出してしまった神無を置いて離れるのは心配だが、それより今は落ち着くためにも何か飲んだほうがいいと縞斑はキッチンへ戻る。
いつもの戸棚に置かれたスティックのココアを手に取り、電子レンジで温めた牛乳に素早く溶かして慌てて戻れば、神無は不安そうにキッチンに向かった自分のことを目で追っているようだった。
「はい。熱いからゆっくり飲んでね」
「ん、」
頷いておずおずとマグカップを受け取った神無は、小さく息を吹きかけて中身をそっと傾ける。
飲み慣れた甘さとちょうど良い温もりにほっと息を吐いた神無の涙が少しだけ収まったタイミングを見計らって、縞斑は慎重に口を開いた。
「それで……どうして俺が別れようとしてるって思ったの?」
「…………先輩、今日は用事があるって言ったよな」
「うん、そうだね。そう言った」
元々今日は神無の週休日であり、縞斑が合わせて時間を作ると言っていた日だったが、その数日後に「急用が入ってしまったから会えない」と謝られたのだ。
それ自体は神無にとってよくあることなので、特に気にすることなく一人の休日を楽しもうと買い物に出掛けていたのである。
その先で見てしまった光景を思い出した神無が俯いて口を噤んでいれば、その様子から何かを察したらしい縞斑が苦い表情を浮かべた。
「ひょっとして……見た?」
「っ、やっぱり……」
縞斑の反応を見て、昼間の彼が見間違いではなかったことを再確認してしまった神無の目に再びじわりと涙が滲む。
その様子を見た縞斑は慌てて神無の目尻を撫でると、彼を傷つけないように言葉を選んで口を開いた。
「先に言うけれど、今からするのは別れ話じゃないから」
「……、」
「紛らわしいことしてごめん。でも少しだけ、俺の話聞いてくれる?」
「…………わかった」
こくりと首を縦に振った神無はまだ泣いているが、縞斑の言い分を聞いてくれるらしい。
引き続き言い争いの喧嘩にならないように、縞斑は神無が安心できる要素を順番に説明していく。
「神無ちゃんが見たのは髪を一つに結んだ女の人だよね?」
「……うん」
「その人はスパローに所属してる子だよ。たぶん普段はボイドのメンタルケアを担当してる子だから、神無ちゃんもまだ会ったことがないと思う」
「……スパローの…………?」
神無が話す前に女性の特徴を上げた縞斑は、そう言って端末を操作するとスパローの写真を表示して見せた。
画面にはニトと女性とアンドロイドが写っており、白衣に袖を通したその姿は確かに昼間に目にした彼女の背格好によく似ている。
「一緒に映ってるアンドロイドの子が彼女の恋人だよ。スパローへ一緒に逃げてきたんだ」
「え、」
驚いて端末を食い入るように見ていた神無は、それならどうして恋人が居る同士で楽しげに出掛けていたのかとますます分からなくなって首を捻った。
そんな彼の様子を見て、ここからは俺が紛らわしいことしたせいなんだけど、と前振りをして頭を掻いた縞斑は話を続ける。
「ところでさ、神無ちゃんが前に食べたいって言ってた限定のケーキ覚えてる?」
「う、うん?うん」
縞斑が唐突に切り出したのは、神無が以前から目をつけていた期間限定のケーキだった。
予約は不可のため店に並ばなければ手に入らず、整理券を手に入れても受け取りは午後になることがほとんどであるという人気を聞いて、手に入れるのは難しいだろうと半ば諦めていたものである。
それがいきなりどうしたのだろうと首を傾げれば、縞斑はどこから話したものかと頬を掻きながら言葉を続けた。
「あれをね、手土産に買っていったら神無ちゃん喜ぶかなーって思ったんだけど」
「……え?!」
思わず身を乗り出した神無は、そういえば縞斑が持っていた手土産の持ち帰り袋はその店のものだったことを思い出す。
ちらりとテーブルの上に置かれたそれに視線を注げば、こちらの照査はあとで……と縞斑が箱を手元に引っ込めた。
さすがにここまでの話で食欲に負けることはないと神無が大人しく頷けば、縞斑は少しだけ恥ずかしそうに苦笑いを浮かべて話し出す。
「店の名前もうろ覚えだったんだけど「それでもまぁ、駅前のケーキ屋さんなんてそんなに数もないだろうし、探せばすぐ見つかるよねー」ってスパローの女性陣に話したところ……」
「…………そんなわけないじゃん」
「と、女性陣から大ブーイングを受けまして」
店の名前も商品の名前も知らないまま人気の限定商品を探すなんて無謀過ぎる。間違えたものを買って神無をガッカリさせる姿が目に浮かぶ。総出でそうこき下ろされた縞斑は、そのまま彼女たちの協力を受けて店と商品の特定に取り掛かったのだ。
結局店を見つけ出すところまでは至ったが、その時期の期間限定がいくつもあったため商品の特定に至れなかった。
そもそも無事に限定商品を選ぶことにすら不安のあるスイーツへの認識が甘い縞斑の様子を心配して、女性陣を代表した一人が買い物に付き添う運びとなったのである。
「じゃあ急用って……」
「朝、神無ちゃんの家に行く前にお店に行って、ケーキを買ってそのまま向かえば昼から予定通り会えるんじゃない?って女性陣に話したんだけど」
「…………無理に決まってるだろ」
「と、再び大ブーイングの嵐になり」
朝店に並んで整理券を受け取り、ようやく午後からの販売に並ぶことが許されるような代物を相手に何を言ってるんだ。リーダーはスイーツのことを何も分かっていないと再びこき下ろされたときは、流石の縞斑も心が折れそうになった。
彼女たちはそんな頼りないリーダーに、神無と会う予定を夜に切り替えろと指示を出し、ケーキを確保するべく朝から付き合ったらしい。
「……めちゃくちゃ迷惑掛けてんじゃん…………」
「さすがにスイーツのことを舐めてたなと反省したし、朝から付き添ってくれた彼女をそのままアジトに帰すのも申し訳なくなった」
午後も半ばになった頃にようやく目当てのケーキを確保した縞斑は、そこまで無償で協力してくれた女性に感謝を込めてお茶をご馳走したのだ。
スパロー所属の彼女は地下から出る機会が殆どなく、外の空気だけで十分だと最初は遠慮していたが、年頃らしくカフェで過ごすひとときの誘惑に負けて首を縦に振った。
そのまま縞斑はケーキ屋のカフェスペースで彼女の希望したケーキと紅茶を奢り、アジトで待つ女性陣への土産を待たせて見送ったらしい。
「じゃあ俺が見たのって……」
「時間帯にもよるけど、たぶんケーキを買ってからスパローに彼女を見送るところだったんじゃないかな」
「…………あー……」
つまりそれは、神無の勘違いということだろう。
早とちりして大泣きしてしまった神無が伏せた顔を上げられずにいると、縞斑はテーブルの上の箱をそっと開いて中身を見せた。
「多分この時期の限定ならこれだろうって言われて、あとは念のために神無ちゃんがいつも食べてるやつも買ってきたんだけど……合ってた?」
そこには縞斑の言う通り、限定商品だけでなくいつも神無が選んでいる種類もあり、綺麗に化粧をした色とりどりのケーキが行儀良く並んでいる。
唖然と箱の中を眺めていた神無は、やがてぶわりと目に涙を浮かべて再び俯いた。
「ゔー……」
「あ、あれ、ごめん、お目当て入ってなかった?」
べそべそと嗚咽を漏らして泣き出してしまった神無を前に、縞斑は再びぎょっと目を剥いて眉を下げる。
困ったように肩を撫でるその手のひらからは間違いなく自分への愛情が感じられて、疑って騒ぎ立ててしまった自分が恥ずかしくて堪らなくなった。
「ごめん……先輩に捨てられるって、思って、」
「……いや、俺こそごめん。紛らわしいことした」
驚かせようと内緒にしたことが、かえって神無を不安にさせてしまったらしい。最初から一緒に買いに行こうと誘うべきだったかもしれないと縞斑も反省して謝る。
そんな彼の言葉をこくこくと首を縦に振って受け入れた神無は、ようやく涙に濡れた顔を上げると笑って見せた。
「ありがと先輩、すっごくうれしい」
「それならよかった……さっそく食べる?」
「いいの?」
「さすがに全部食べたらディーノちゃんに怒られるだろうから、半分は明日にしようか」
「うん!じゃあ……限定のやつ食べたい!」
ようやく笑顔を取り戻した神無がケーキを選ぶ横顔を眺めた縞斑は、今度こそほっと安堵の息を吐いて胸を撫で下ろす。
きっとこのひと騒動を聞いたら、ディーノとアサギリは縞斑の注意不足だと大いに呆れることだろう。むしろ懺悔の意味を込めて報告して、彼らのお叱りも受けるべきかもしれない。
まだ待ち構えている二回戦を思い浮かべた縞斑は苦笑いを浮かべると、嬉しそうににケーキを頬張る神無の赤い目元をそっと撫でるのだった。
終