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青く在れ、青で在れ

全体公開 2 18 5550文字
2026-01-26 20:20:49

旅に出たレザラがアルカディアに戻ってくるまでのお話。ヒールが輝くには絶対的なベビーフェイスが必要。

 青という色が好きだった。

 厚い雲に覆われ、常に雷光が走り落ちる暗紫の空しか知らなかった。そうではなくて、ドームの外の空は「青い」のだと、ドームの外から来た年寄りは皆口をそろえて同じ事を言う。空だけではない、海もだと。海も空もどこまでも広く遠く、誰もその果てを見たことがないのだと。
 ならば、叶うことなら自分が最初にその「果て」の景色を見た人間になりたい。つくりものではない、澄んだ美しい青のその果ての景色を、いつかこの目に焼き付けたい。
 だから、旅立つことにした。「誰もこちらを見ていない」うちに。


「一緒に来ないかい」
 大きな背中を丸め、小さな匙で猫たちの餌を分けていたヘクトールに、レザラは問いかけた。
「行かない。」
 予想はしていたが清々しいほどの即答であった。こちらを見さえしない。
 外から来た“生身の挑戦者”が統一王者となり、オーナーがいなくなり、アルカディアは大きな変革を迎えた。魔物の魂を使用せず、挑戦者よろしく生身のぶつかり合いを見せる興行に最初は抵抗も戸惑いも大きかった客たちに、最初にその楽しさを教えたのは外ならぬこのヘクトールであると言っても過言ではない。レザラは本気でそう思っている。あの時、新統一王者のセレモニーに乱入してヒールらしさを全開にし、ブラックキャットと真っ向から組み合った彼の事を心から尊敬する。
 長い付き合いの相棒、とレザラは思っているが、自分は既に引退を宣言した身。もう立っている場所は違うのだ。
「そういうのはよ、彼女と行けよ」
「ヤーナが許さないよ」
 レザラは苦笑する。
 間違い続けた、という自覚はある。ヘクトールに対しても、彼女に対しても、きっとアルカディアに対しても。唯一の真実は、生身の挑戦者と真っ向から戦って敗れたということだけだ。レザラにとってはそれで充分だった。
 生身の挑戦者は、自分の知らない青い空や海を知っている。そして今や、自分もそれを、本当の青を見る術がある。
……戻らねぇのか」
 皿に顔を突っ込んで餌を食べる猫たちから目を離さずにヘクトールは言う。
「戻らない。」
 今度はレザラがきっぱりと即答する番だった。約束をして、負けた。それを覆すつもりは毛頭なかった。そうかよ、とヘクトールは言い、猫たちが皿を舐める音だけが部屋に響く。
「三日後には発つよ。手紙を書いてもいいかい」
「好きにしろ」
 戻らないのかという問いかけには、再び並び立つことを許してくれるような響きがあった。彼はメテムやザ・タイラントが守ろうとしているこれからのアルカディアにとって必要不可欠な人間だし、なにより長いこと寂しい思いをさせた猫たちをまた置いて行くような真似は絶対にしない。
 そしてヘクトールは多分、レザラの選択を否定していない。ずっと青い空に強い憧れを持っていたことも知っている。作り物のバトルフィールドも、好んで身に着けているジャケットも、本当の青ではないんだと何度も口にしたのを聞いていた。
 だから、二人の歩む道はここで分かたれる。
 もう、立っている場所は違うのだ。


 
 列車がドームの外に出た瞬間、レザラは言葉を失った。
 広い荒野、茶色い土、乾いた空気の匂い。そして大きくて広い広い青い空。つくりものではない本当の空は、想像するよりずっと美しい「青」だった。
 ああ。
 すごい。すごいな。見せたかった。ヘクトールにも、ユトロープにも、仲間である闘士たちにも、オーナーにも。
 自分を応援してくれた全ての客にも、この空の下でライバルたちと戦うところを見てほしかった。
 そう考えてレザラは心の中で苦笑する。闘士を辞めた自分に、そんな機会はもう訪れないというのに。
 ドームの外は、青だけではない様々な色に満ちていた。すべてが管理され極めて快適だったソリューション・ナインは確かにもっと色鮮やかだったが、荒野のくすんだような色たちのおかげで空の青さがもっと透き通って見えた。
 当てのある旅ではない。だが生身の挑戦者は言っていた。腕さえあれば生きていく術はいくらでもあると。まずはトライヨラを目指して海を見て、なんとかいう店でタコスを食べて、腰を落ち着けられる場所を探して仕事を見つけて――
「よう、兄ちゃんはドームの中から来たのかい」
 突然話しかけられてピンとしっぽが伸びた。振り返るとライオンのような顔をした人間がにこにこと笑っている。ドームの中には居なかったが知識では知っていた、シュバラール族という人種だろう。一瞬驚いたが、そうです、と笑顔で答えた。
「トライヨラに行くならぜひ新鮮な魚を食いなよ、ドームの中にはあんまりいないんだろ?香草焼きはうまいぞ!」
 そうか。
 ソリューションナインの外では、レザラの事を知る人などいない。ただの旅人に過ぎないのだ。
「それは楽しみです」
 シュバラール族の男はうんうんと満足そうに頷いた。
 
 こんなにも一人で生きていくのは、一体いつぶりだろうか。これから先、新しい景色を見たり美味しい物を食べたり、何度も何度も見せたかった、一緒に食べたかったと友を思うことになるだろう。宣言した通り手紙を書こう。きっと返事が来ることはないだろうけれども。
 時間はいくらでもある。青が導いてくれる限り、どこにでも行けるとレザラは思った。



 季節が一巡し、レザラはソリューション・ナインの入り口に立っていた。
 外の世界を見た今、レザラはこの作り物の街を少し懐かしいと思えるようになっていた。旅はあまりにも楽しくて刺激的で、このまま風来坊になる道もあった。だがドームと外との行き来が活発になるにつれ、自然と耳に入ってくるアルカディアの評判はやはり気にかかる。一度戻ってみようとやってきたものの、ヘクトールや仲間たちが自分を見てどう思うか、少し気が引ける面もあった。
 ヘクトールへはまめに手紙を送っていた。
 初めて見る景色のこと。
 人に害なすモンスターを退治して日銭を稼ぎ暮らしていること。
 変わった果物のこと、出会った人々のこと。
 返事は一度も来なかった。それでいいとレザラは思っていたが、がらりと変わったアルカディアを盛り上げるのは生半可なことでは難しいだろう。引退したことを傘に、大切な古巣の変革期に背を向けて逃げたと思われても仕方がない。さてどうしたものかと空なき空を見上げていると、遠くから、あーー!!と大きな声が飛んできた。
「ハウリングブレードだ!帰ってきたんだ!」
 きらきらと輝く瞳の子供が自分を見上げている。しまった、と思ってももう遅かった。外では誰も自分を気にしないのが当たり前になっており、まだソリューション・ナインではかつてのクルーザー級王者として知られていることをすっかり失念していたのである。
 しかしここで違うと言うのも、子供の心を踏みにじるのも、「ハウリングブレード」としての矜持が許さなかった。レザラは腰を落とし、子供と視線を合わせた。
「久しぶりだね、帰ってきたよ」
「いままでどこ行ってたんだよ!アルカディアが大変なのに!」
 子供は必至で訴えてくる。
「大変だって?」
「そうだよ!
 ねえ、ハウリングブレードがあいつを、ブルートボンバーの奴をやっつけてくれるんでしょ!?悪さばっかりして、誰も止められないんだ!」

 レザラとしては真剣だが仲間が見たら怒られそうな程度の変装をして、隠れるようにショップに並ぶマガジンをぱらぱらとめくる。アルカディアは盛り上がっているようでなによりだったが、どの記事もブルートボンバーの悪行について記されたものばかりであった。
 レザラはそれが演出されたものであることも知っている。こうして話題になるということは、それが上手くいっているということも分かる。しかし評判は五分五分といったところで、オーナー直伝の悪役の美学を貫くことが、一部の客に不快感を与えているのも事実のようだった。
(ザ・タイラントは何をしているんだ……?)
 ヒールの裏にはベビーフェイスが必要だ。極限まで悪の限りを尽くしたヒールをベビーフェイスが真っ向から倒すことで生まれるカタルシスがなければ、ただ悪役をのさばらせていることに不満が募るのは必定。レザラは壁に貼ってあったポスターに目を向ける。
 そうか。
 今のアルカディアには絶対的ベビーフェイスが存在しない。ほかの闘志にはブルートボンバーを倒す理由がないのだ。おそらくザ・タイラントとのカードは最後の一手であり、それを切ってしまえば後がない。興行を盛り上げるため今のブルートボンバーに相対するべき、ライバルの席が空いている。
 ざわつく胸をぎゅっと押さえてレザラはアルカディアへと足を向けた。
 既に興行は始まっていたが、当日券が余っていてすんなり購入することができた。以前では考えられなかったことだ。
 ――客が、飽き始めている。
 複雑な思いでスタジアムに足を踏み入れる。リングではちょうど本日のメインイベントとして、まだ売り出し中の若者とブルートボンバーとのシングルマッチが行われていた。
 生身で戦うヘクトールを見るのは初めてだ。大きな体躯を活かした投げ技やエルボー、ラリアットといった力を誇示する技に加え、場外乱闘に凶器攻撃と、レフェリーが止めても高笑いで相手をいたぶる姿はかつての彼と変わっていない。だが実力差がありすぎて一方的な虐待のように見えないよう、手加減しすぎれば試合が冷めていくというジレンマの中で、伸び伸び戦うことができていないように見えた。

 拳に力が籠る。
 何故、何故あいつの力を活かした試合が組めない?あいつのやりたかったことをやらせてやれない?

 理由は簡単だ。レザラにもすぐに分かった。
(ボクが、いないからだ……

 響く3カウント、試合終了を告げるゴング。客からの大きなブーイング。ブルートボンバーは動けなくなった若手をリングの外に蹴り出し、やれやれと大げさに肩を竦め、投げ込まれたマイクを手に取った。
『こ~~~~んな手ごたえのない奴と俺様を戦わせて、アルカディアよ、本当にそれでいいのかァ?』
「卑怯な手を使うなー!」
「正々堂々勝負しろー!」
 巻き起こるブーイングをそよ風のように浴び、ブルートボンバーは客席をぐるりと見まわした。
『もう俺に敵うやつなんて残ってねぇよな!そろそろ出てきてもいいんじゃねぇのか、大御所さんがよォ』
「そうだそうだ!タイラントを出せ!」
「やっつけろー!」
『と、思ったんだがな……
 少し芝居がかったように言葉を切る。客席が次の言葉を待つのと同時に、もう聞きたくないとばかりに席を立ち始める客もちらほらと見える。

『なぁ、まだ居るよな?
 これまでも散々、散々!!俺様の邪魔をしやがった奴がよォ!
 見えてんだよ、こっから。なぁ?』

 ヘクトールの目がまっすぐに、通路に立ったままのレザラを貫いていた。客席から何?え?誰?まさか??とざわめきが起こり始める。
 ブルートボンバーがゆっくりと右手を上げ、こちらを指差すのが見えた。
 
 待ってくれ。
 まだ誰の許可も得ていない、勝手にこんなことできないだろ。
 だいたいボクは引退した身で、そこに立つ資格なんて――

 ヘクトールの口が動いた。“来い”と。

 その瞬間、レザラは歩き出していた。リングに向かって真っすぐに。歩きながら変装用に着ていたジャケットを脱いで青いTシャツ姿になり、顔を隠していたキャップを投げ捨てた瞬間、悲鳴と怒号の混じった歓声が轟いた。
 
 ハウリングブレード!
 ハウリングブレード!
 ハウリングブレード!
 ハウリングブレード!
 
 鳴りやまぬ拍手とコール。口の端に笑みを浮かべて待っているブルートボンバー。それをじっと見据えながら、ハウリングブレードはリングにひらりと身を躍らせた。
 じっと天を仰いで大歓声を浴びる。
『よォ~……久しぶりだな、ベビーフェイス』
 レフェリーがマイクを手にふわふわと飛んできた。ハウリングブレードはそれを受け取り、ふう、と一つ息を吐いた。客席が静まり返り、彼の言葉を待つ。
……待たせたね』
 うおおおおお!と湧き上がる客席。泣き出す女性ファン。もう席を立つ者は誰もいなかった。
『アルカディアが大変だってときに、ずいぶんと余裕でフラフラしてたみたいじゃねぇか……生身での戦いが怖くなったのかァ~?』
 ハウリングブレードは答えず、客席をぐるりと見まわした。
『ボクは』
 再び静まり返る客席に、思いを込めて言葉を紡ぐ。
『世界を――見てきました。
 ここにはない本物の空と海と土と風。そのすべてが新鮮で、美しくてたまらなかった。
 皆にも見せたかった。もちろんキミにも、ブルートボンバー』
 ケッ、と視線を逸らす姿に笑みが零れる。
『だからボクは、その全てを力にして、君にぶつけようと思う』
 真っ向から指を差し、あらんかぎりの声でハウリングブレードは叫んだ。

『勝負だ、ブルートボンバー!!』
『おうよ!ギッタギタにしてやんぜ!!』

 あぁ。
 青が見える。ここに見える青はすべて作り物。
 けれど、本物を知った今でもレザラは自信をもって言える。
 この青こそが自分自身であり、これからも、この友と並び立つアルカディアしか見られない景色こそが自分にとっての愛しい「青」なのだと。
 だからこそ、この「青」であり続けよう。
 皆の望むままに。
 己の望むままに。

 (終)


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