『先に』に、絶対的で多大な意味と確信と決意を込めて。
改稿2026/02/02
@fu_re_re_ra
《長曽祢虎徹と、蜂須賀虎徹と、浦島虎徹の話》
人は、なりたいものになれる。
刀は、なりたいものになれるのかな
その答えは、はっちーが決めて
◇ ◇ ◇
「そっかぁ、今残るたくさんの『虎徹』の物語は、虎徹に憧れる人々の想いが形作ったものなんだね」
そねちゃんを形作ってるのは
虎徹、ってとってもすごい刀に惹かれる人々の
『憧れ』そのものなんだ。
通りかかった蜂須賀が、彼女のその声を聞き、足を引きずって、止まった。
廊下のこの先の談話室で、長曽祢と共にお茶をしている彼女が口にした、そう嬉しそうに弾む声は、蜂須賀の耳に、長く残った。
「ああ、おれはそう思う」
長曽祢が、どっしりとした地に足の付いた声で、堂々とそれを肯定した。
「おれはそれに応えたい。それに相応しい働きを、きっとしてみせよう。この本丸で、必ずだ」
蜂須賀は、先へ進まず、踵を返して道を引き返した。
長曽祢は、先日、弟の浦島の希望で呼ばれた。
弟は先に蜂須賀を呼び、やがて長曽祢を呼びたいと主へ頼んだ。
浦島はそれについて「俺、先に蜂須賀兄ちゃんのこと、主さんに知って欲しかったんだ」と。そう笑った。
できた弟だった。蜂須賀は自分が、特に長曽祢と虎徹の真贋に関わる部分で、周囲から時にひどく頑固で高慢に見えることを正しく理解している。だから浦島は、長曽祢が来るその前に、必ず発生するその衝突の前に。
無垢で柔らかな自分の主に、先入観なく普段のありのままの蜂須賀の姿を見て欲しかったのだと。
そう声なく鼻の下を擦って笑う弟は、心から大切なもう一つの俺の宝だ。
新しい刀がこの本丸に馴染むまで、主は極力、新しい刀の側で過ごす。蜂須賀が呼ばれた時にも主はそうした。
彼女の鍛刀は、少し不思議だ。
本丸に既にいる縁者から、その刀のことを詳しく聞いて、目に浮かぶほどにイメージできるようなってから、鍛刀を試みる。
そして、その一度きりで、目当ての刀が来なかった試しがない。
蜂須賀自身も、まさに自分こそが強く強く呼び求められている感覚を縁に、この地に降り立って目を開けた。
浦島虎徹の自慢の兄に会いたいと、どこからか呼ぶ声がした気がして、我先にと前に出た。そればかりは決して、あれに遅れは取りたくなかった、その反発心も、今思えばあったかもしれない。
縁の大河を泳ぎ切って瞼を押し上げれば、激しいほどの顕現の桜吹雪の中、可愛い弟が嬉しそうに跳ねてバンザイしながら笑っていて
桃色の嵐が消えた先に、春風のように柔らかく笑う新しい主がいた。それが、蜂須賀がここに呼ばれた経緯。
だから、浦島の求めに応じて、彼女が次に長曽祢を呼ぶことを決めた時にも
彼女は蜂須賀に、奴のことを聞きに来た。
だが、俺は、喉に舌が張り付いたみたいに、何も語ることができなかった。
語れることはあったはずだ。
虎徹の名を語る偽物、贋作。時に真作である俺や浦島以上の知名度を誇る、あってはならない不届者。
写しと贋作はまるで違う。写しや模造刀と違い、贋作は必ず何らかの意図的な害意があって生まれる。多くは金銭、搾取、詐欺、それらの意図があって名を騙る。違法性の下で発生する刀。本来の刀工に対して悪意がなければ、贋作は決して作られない。
俺は虎徹の真作として、その不当性を主に説くべきだった。
なのに俺は、主へ何も語ることができなかった。どうしても。
彼女の不思議な鍛刀は、まるで、語られた通りに、刀剣男士を鍛刀する。紡がれた言の葉そのままの形を、手繰り寄せるみたいに。
浦島や他の新撰組の刀たちの物語るあいつ以上に、自分が語ったそれが鍛刀に影響するだろうと思うと、どうしても二の句が出てこなかったのだ。
言葉が出ず、木偶のように立ち尽くす、そんな俺に。
彼女はやがて、ひどく柔らかに、俺の手をそっと握って
やっぱりもう少しだけ、呼ぶのは後にするよ、と微笑んだ。
だから、彼女があいつを呼ぶ準備を始めてから、実際に呼ぶまでは、かなり間が空いている。
棒立ちのまま口を閉ざした俺を、彼女はいつまでも辛抱強く待ってくれていたが
それでも俺が貝のように口を閉ざしたまま、一向に口を開かないとみると、彼女はやがて、こう微笑んだ。
「理由の無い沈黙は無いよね。どんな人も、どんな刀も」
そうして、俺の手を、柔らかい両手で優しく包んだ彼女は「ひとつだけ聞かせてね」と微笑んだ。
「はっちー、わたしね、彼を呼んでもいいかな」
「それは俺が決めていいことじゃない」
先程までの、喉に石が詰まったように出てこなかった言葉が嘘のように、それだけは迷わずはっきりと伝えることができた。
「それは、浦島ときみと、きみが信じる仲間たちで決めるべきことだ」
彼女はまるで花が綻ぶようにふわりと微笑んで、「うん、うん、そっか」と繰り返し繰り返し頷いた。
「うん、決めた。決めたよ」
でもね、はっちー。わたしね、はっちーのこともちゃんと信じてるよ。
そう笑った彼女に、俺は眉を落として苦く微笑みを返した。
知っている、知っているよと、俺は返した。
その日の晩、彼女は。
例に漏れず、やはり一度で望みの刀を鍛刀してみせた。
最終的にやってきた長曽祢虎徹という刀は、俺以外の刀に話を聞く時間がたっぷりあったからか
実に、実に、いかにも新撰組らしく、いかにも浦島が慕うような、無骨で義侠あふれる、そんな男だった。
「長曽祢にいちゃ〜〜〜〜〜ん!!」
顕現の桜吹雪の中、浦島のはしゃいだ声が響き渡った。
飛び付くような突進をやすやすと受け止めた長曽祢は、ぐるりと回りながら「はは!」と快活に笑ってみせた。
じゃれつく浦島にひとしきり付き合ってやると、膝を折って「待たせたか?」と愛する弟の髪をくしゃっと掻き回した。
「んーん! 主さんがすぐ呼んでくれたから!」
きしし、と天真爛漫に笑った浦島が、聞いて聞いてと言わんばかりに長曽祢の腕を引っ張って、興奮したみたいにぶんぶんと自分の腕を振り回した。
「俺も蜂須賀兄ちゃんも長曽祢兄ちゃんも、主さんがみーんな一発で呼んでくれたんだぜ!? この本丸の刀はみんなそーだって!」
「本当か? そりゃ凄いな」
それを聞き、長曽祢は己を呼んだ審神者を振り返った。
にこにこと微笑みながら、その場を空気を揺らさず、主張することなく、ただ微笑ましそうに浦島と長曽祢のやり取りを見ている、己の新たな主となる人を。
「失礼した。可愛い弟なもんでな、ついはしゃいでしまった」
向き直って堂々と胸を張ってみせ、長曽祢は遅れて名乗りを上げた。
「長曽祢虎徹という。贋作だが、本物以上に働くつもりだ。よろしく頼む」
鍛刀部屋の外で。
壁に背を預けて目を閉じて黙っていた蜂須賀は、その名乗りを確かめてからその場を去った。
離れていく足音を追うように、ちら、と長曽祢は外に視線を流した。
「あいつは相変わらずか」
「う〜ん、どうかな〜。また難しいこと考えてるみたい?」
「そうか」
長曽祢はそれだけ短く答えると、改めて主へと向き直った。
「何はともあれ、弟たち共々、よろしく頼む」
その日の騒動も、特段珍しい出来事ではなかった。
渡り廊下の片隅で勃発したのは、どこか悠然と構える長曽祢に対して、蜂須賀が何かを一方的にガーッと言い争って、最終的に「不愉快だ!」と言い捨て、ふんっと立ち去る光景。
だが、いつもと少し違ったのは、それが月に一度の主人の帰城の日だったこと。たまたまそれを目撃した彼女が、物陰からそっと出てきて、長曽祢の裾を心配そうに引いたことだった。
「ああ、すまない、変なところを見せてしまったな。まあ、珍しいことでもないんだが」
彼女はそっと言い添えた。
大丈夫かと、何か自分にできることはないだろうかと。
主人のそれを、長曽祢はおおらかな態度で受け止めてみせると、ゆったりと首を左右に振った。
「いや、それには及ばん」
そう言って、春うららかな昼下がりの空気の中、遠くを見晴かすようにして、一際、優しく微笑んだ。
「おれは、弟達にとっては他人かもしれない。だが、おれにとってはそうではない。それだけのことだ」
きょとん、と。彼女は目を丸くした。
「他人? たにん、たにん、たにん…???」
いかにも、よく分からない、といった顔をして。
頭上にハテナマークを浮かべた主が、考え込むみたいに腕を組みながら首を大きく傾げた。
「あのねあのね、そねちゃん」
「ん、なんだ?」
「大切なんだよね。大事にしたいから、そう呼びたいから、ただそれだけで、大切にすることに、理由は要らない、必要ない。そういうことだよね」
わたしがみんなを大好きなのに、理由が要らないみたいに。
そう、ただ当たり前のように
空気より軽やかに言の葉に乗せた主が
「でもね」と不思議そうに首を傾げる。
「どうしても目が離せなくて、目を奪われて、目を背けることもできなくて、反発もあって、なのにやっぱり目を惹かれて、そこにいてもいなくてもいつも気になって、人生に大きく影響を与え続ける、自分をただ一人弟と呼ぶ、そんな人を、」
彼女はほんとうに、ただ不思議そうに訊ねた。
「そねちゃんは、他人って名前で呼ぶの?」
長曽祢はそれを聞いて、はっきりと目尻を和らげた。
和らいだ視線が、温かな温度にほどける。
「そうか、あんたの目にはあいつが、そう見えてるのか。そうか」
「え? 俺にとっての虎徹?」
浦島虎徹が、そう尋ねられて
迷うことなくニカッと笑った。
「カッコイイ兄ちゃん達と、いつかぜってーなるカッコイイ俺のこと!」
「やー、やっぱ蜂須賀が来てくれて良かったなー」
頭の後ろで大きく両手を組んだ加州清光が、歩きながらしみじみとそう呟いた。
「なんてゆーか、空気が。蜂須賀が居るのと居ないのとじゃ、違うんだよね。ちょっとだけあったかくなるってゆーか、さ。上手く言えねーけど」
ほら、この前もさ
なんて言いながら清光は、指をくるりと振った。
「中傷で撤退した秋田と平野が落ち込んでた時、一晩中話聞いてくれてたじゃん? 俺が励まそうとすると、余計に気負わせちゃうっていうかさ。やっぱ蜂須賀がいるとちげーや」
「買いかぶりだよ」
笑み崩れるみたいに、蜂須賀がやんわりと優しく微笑みを返した。
「俺なりにできることをしてるだけさ。特別なことじゃない」
「さんきゅ、普段主が留守な分、どーしても死角が多いからさ。頼りにしてる」
「そう言ってもらえるのはありがたいことだけど、俺も、少し意外だったかな」
「意外?」
頷いた蜂須賀が、少し苦く眉を落とした。
「どちらかといえば、きみたち新撰組の刀からすれば。和を乱す存在として、多少は距離を置かれるものと思っていたから」
「んー、なんも思わねーわけじゃねーけどさ。俺たちやっぱ、長曽祢さんのこと大好きだし」
廊下を歩きながら、加州は視線を縁側の外へやった。
明るい陽射しの中、中庭で短刀たちが楽しげに遊んでいる。まるで泰平のように穏やかに流れる本丸の空気は、主人の心根を映したようにあたたかだ。
「けど、俺らが口出すことでもねーしさ。何より、あるじが」
加州は、庭を見つめたまま、そっと目を細めた。
その優しげな瞳の温度の中に、今はここにいない主がいるのだと。
ただ横で見ているだけで、はっきりとわかった。
「あるじが信じて見守るって決めたもんを、俺も一緒に信じて待つ。そーするって、俺、決めてるから」
「……きみは、いや、きみたちは強いね」
蜂須賀は晴れやかに澄み渡った青空を見上げ、小さく呟いた。
「信じて待つ強さ、か…」
「がはは、良い飲みっぷりじゃあ! こっちも飲みとーせ!」
陸奥守がカラッと楽しげに笑い、空になった蜂須賀のグラスに酒を注ぎ足した。
今宵は新参古参の垣根なく集まる気楽な飲み会だった。
参加した面々は、加州清光を始めとした五振り。いわゆる、始まりの五振りでの小さな集まりだった。
この本丸では加州が初期刀、次に呼ばれたのが歌仙、山姥切。
そして四番手が陸奥守。蜂須賀は、初期刀の資質を持つ五振りの中で、最後にこの本丸に合流した。
「待っとったぜよ〜! やっぱわしらぁは、こうじゃにゃーとなぁ!」
陸奥守が豪快に笑いながら、蜂須賀の背中を力強く二度叩いた。その無遠慮な近しさと親しさが、蜂須賀にとっても好ましいものだった。
元は縁もゆかりもない刀同士の集まりだが、数多くの本丸で初期刀を務め上げるこの五振りは、本丸に生きる上で互いに共感できることも数多い。
特にこの本丸では、主人の不思議な鍛刀の影響か、まっさらな状態で顕現する刀は非常に少なく、他の本丸での古い経験を、本霊を通して多く共有している者の方が圧倒的に多いそうだ。
他に少し珍しいことと言えば、蜂須賀が来た時期であろうか。
初期刀の加州清光はもちろん、歌仙兼定、山姥切国広も、とうに極めて長いらしい。
極めていないのは最後に来た自分と、自分の少し前に呼ばれたという陸奥守だけ。始まりの一振りに選ばれずとも、入手が比較的容易い自分達は、少なくともその本丸の初期刀が極める前に、五振り揃うことの方が圧倒的に多いのだが。
「まー、うちの体制はちょっと特殊だからなー」
日本酒のワンカップを遠慮なくかっくらいながら、加州清光がそう相槌を打った。
主人の前では甘い酒をちびちび飲む加州は、こういう集まりに限っては大概この飲み方だ。主の居ないところで気軽に腹を割って話そうということだった。
特殊な鍛刀体制や現世警護の必要性の影響もあって、ここは徹底的な少数精鋭の体制を早くから取っている珍しい本丸だった。
どちらかといえば普通は、戦の定石通り、最初は兵の頭数を増やすことに終始するものだ。そういった一般的な本丸の成り立ちとは真逆の、効率を重視した新しい世代の本丸ということらしい。蜂須賀の中にある本丸のイメージとは、いささか異なる部分も多かった。
「色々あってさ、俺が最初に極めた時期もめちゃくちゃ早かったし」
「ああ、オレもだ。顕現時期から考えると、異例と言えるほど早く極めている」
「きみたちほどではないが、僕もだいぶ早かったかな。まあ、あまり迷う必要もなかったしね」
「わしぁー、見ての通りじゃ。のんびりさせてもらっとるぜよ」
「そうか、色々なんだね」
それを蜂須賀は、いたって穏やかな面持ちで聞くことができた。
こんな穏やかな場で肩意地を張っても仕方ない。肩に力を入れたところで、それは、差し出された明るく柔らかい空気にそぐわないから。
「極めてから現世、って仕組み上、どーしても自然と急かされちまう面はあると思うけどさ。本丸ができた最初の頃ならともかく、今はそんなに慌てて極めなくてもちゃんと大丈夫だから」
加州がビールの瓶を手に取ると、ゆったりと蜂須賀のグラスに注いだ。
「自分のことだけ考えて、じっくり決めて。あるじもそれを望んでる」
「ああ、ありがとう」
歓迎の盃を受け取って、蜂須賀は飲み干した。
良い味がした。大した値段の酒じゃない、安酒の部類だろう。それでも、美味い、と感じた。
この本丸に流れる空気が、そうさせている。
「はっちー!」
そう無邪気に笑う彼女が、嬉しそうにぱっと飛び出して、蜂須賀の遠征からの帰還を、手放しの喜びで出迎えた。
「おかえりっ!」
「ただいま、主」
花のように笑う無垢な彼女に、蜂須賀もまた柔らかく微笑みを返した。
ちなみに、彼女のこの呼び方は、可愛い弟によるちょっとした悪戯心といったところだった。
天衣無縫で飾り気のない彼女は、自分の刀に様々にちゃん付けの可愛らしい愛称を与えて呼んでいるが
たとえば「ちゃん付けだと男らしくなか」と主張する博多藤四郎や、「長谷部とお呼びください」と主張したへし切長谷部など
自分から申告すればおおむねその通りにも呼んでくれるらしい。
なら俺も、虎徹の真作としての威厳も踏まえ、きっと『蜂須賀、と呼んでくれないか』と最初に主へ告げたことだろうと思う。
が、自分の場合は、この本丸に真っ先にと呼んでくれた可愛い弟が
蜂須賀をここへ呼ぶ前、兄の為人を主へ語って聞かせた際に
「俺、蜂須賀兄ちゃんが、いろんなあるじさんたちにそう呼ばれてんの、けっこー好きなんだよね」と笑ったことにより、最初から「はっちー」と呼ばれている。
嫌ではない。可愛い弟の悪戯の名残と相まって
天真爛漫な彼女がそう呼ぶ声は、弟の無邪気さを思い起こさせて、愛らしいと思う。
「あのねあのね、はっちー、遠征先のお土産話、聞きたいな。聞かせて」
「ああ。そうだね、何か、茶菓子でも用意してゆっくり話そうか。先に埃を落としてきてからね」
「うんっ! 待ってるね!」
ぱたぱたと元気に走っていく彼女とは逆に、蜂須賀は丁寧に身を整えるべく湯殿へ向かった。
彼女は特にこうして、頻繁に蜂須賀の話を聞きたがった。蜂須賀に限らず、彼女はどの刀に対してもそうだった。
月一でしか本丸に帰って来れない制約を持つ彼女は、月の大半を極めた刀に交代で護られて現世で過ごす。だから蜂須賀のようにまだ極めていない刀剣男士は、月に一度、短い時間しか主と逢瀬できない。
その隔たりを埋めるように、彼女はいつも刀の話を聞きたがったし、逆に、極めた刀の方も現世から戻り次第、わっと本丸待機組の刀剣男士に取り囲まれて、その日一日の主人の様子を根掘り葉掘り聞かれるのが定例化している。あるいは文や歌を綴って現世の主人へ届けてみたり、交換日記の形で日々を伝えている様子もよく見かける。
この本丸では、懸命に言葉を尽くそうとする主人の気性の影響を自然と受けてか、離れた時間を対話で埋めようとする者が多い傾向なように思う。
刀剣男士のあり方も色々だ。
主が帰ってきたその日、話をしたがる刀もいれば、一緒に遊びたがる刀もいるし、世話を焼きたがる刀もいれば、普段のように名代を立てて間接的でなく直接、戦指揮を振るって欲しがる刀もいる。
そして蜂須賀は、どちらかといえば、共に茶を飲み、語らうことを好んでいた。彼女が現世で健やかに過ごせていることを、その時間を通して確かめること。その時間をこそ、得難いものだと蜂須賀は考えている。
土埃を湯で落とし、軽装に着替え、茶菓子と疲れの取れるハーブティを持参して改めて彼女のもとを訪ねれば、粟田口の短刀にわちゃっと囲まれて談笑しながら、溜まった書類をさばいていたところだった。
勘定番長の博多藤四郎が、「ちょうどよかね、蜂須賀しゃんと休憩してくるとよか」と快く送り出してくれた。我先に主人と過ごしたい気持ちは皆同じだろうに、温かく譲り合い、喜びを分け合う精神が通底した本丸だと感じる。古参ほど、彼女の気性を映してそう振る舞う。風通しの良い、穏やかな本丸だった。
「でねでね、うらちゃんがね」
蜂須賀の土産話に嬉しそうに相槌を打っていた彼女が、今度は蜂須賀が不在の間の可愛い弟の様子を教えてくれた。
誰とでも仲良くなれる浦島は、天真爛漫なこの主人とも良い関係性を築けているようで何よりだった。
「だからね、うらちゃん言ってたよ。自慢のにいちゃんなんだって。素敵だね」
彼女がそう言っていかにも無邪気に嬉しそうに笑った。
だが、蜂須賀は急にピタリと手を止めて、少し目を見張った。
「……? はっちー?」
「ああ、いや、なんと言ったら、いいかな」
蜂須賀は、ガラスのティーポットを持つ手を束の間止めて、首を左右に振ると、ゆっくりとそれを注いだ。
綺麗な色のハーブティが、適温でゆっくりと、彼女のグラスに注がれて、盃を満たしていく。
「あなたは、実はとても。とても言葉を選ぶ人なんだな、と。少し意外に思っただけなんだ」
彼女はゆっくりと目を見開いて、こてん、と小首を傾げて蜂須賀を見上げた。
それだけで彼女は、蜂須賀が含んだ意味合いを正確に察したようだった。
「余計なこと、だったかな」
「いや」
ゆっくりと撹拌したハーブティを、蜂須賀は彼女へ差し出した。
まるで、何も考えていない無邪気な子供のような、天真爛漫な振る舞いは、彼女の一側面でしかないのだと、蜂須賀は遅ばせながら理解する。
蜂須賀はすぐにわかったのだ。
きっと今の文脈であれば、大事な可愛い弟は
自慢の兄ちゃん、ではなく、自慢の兄ちゃんたち、と間違いなく主に言っただろう、ということに。
「すまない、責める意図は無かったんだ。ただ、少し、驚いただけで」
まだまだ自分は、彼女のことを知らないのだな、と蜂須賀は痛感した。
そして同時に、天真爛漫で幼いほどな振る舞いを見せる彼女は、蜂須賀が思っていたよりずっと、ずっと。
自分や浦島、そして長曽祢の在り方を見つめて、心を砕いてくれていたのだと。蜂須賀は、実感を伴って気付いたのだった。
この本丸に蜂須賀が呼ばれてから、気付けばだいぶ経つ。
なのに、今思えば。
こんなにも無邪気に、たびたび蜂須賀の話を聞きたがっていた主人だというのに
こうして今まで気付かなかったほど、ただ自然に、長曽祢との関係に触れる話題をただの一度も振られなかった。
だから蜂須賀もようやく気付いた。彼女の前で、長曽祢を必要以上に貶したことがほとんどなかったことに。
言葉は、心を映す鏡だ。
少なくとも、自分よりは、ずっと。
「……」
蜂須賀は、その沈黙と透明な在り方に背を押されるように、
慎重に、ゆっくりと口を開いた。
「きみは、どう思う」
蜂須賀の瞳を、静かな水面を覗き込むみたいにじっと見つめていた彼女は、きょとんと目を丸くした。
「わたし?」
「ああ」
彼女の澄んだ目を見つめて、蜂須賀はゆっくりと頷いた。
「きみは、どう受け止めているんだい? あいつと俺と浦島の物語を」
彼女が驚いたみたいに、大きく目を見開いた。
長曽祢と蜂須賀と浦島のことをどう思うか、ではない。
俺たちの物語を、どう受け止めているか、と。俺は訊ねた。
その意味を正しく理解してくれる主人だった。だから彼女は、普段のように、「そねちゃんもはっちーもうらちゃんも大好き」といったような、そういう類いの返答はしなかった。
「わたしがどう思ったか、言ってもいいの?」
「ああ。それが聞いてみたいんだ」
彼女はやがて、ほんの少しだけ小首を傾げて、伺うように蜂須賀を見上げた。
「んと、ね。わたしは人だから。刀っていうより、すごく、人間的なイメージになっちゃうけど、それでもいい?」
「ああ。聞かせて欲しい」
彼女の瞳の中には、少しの驚きだけ。迷いは無かった。
既に彼女の中には、ずっと前から彼女だけの答えがあるのだと、それだけで分かった。
少しの間だけ、言葉を丁寧に選ぶように、口の中で言葉を転がしていた彼女は
やがてパッと蜂須賀を振り返って、炬燵の向かい側ではなく、すとん、と隣に腰を下ろすと、澄んだ瞳でこう語った。
「あのね、たとえば、たとえばね」
とってもすごい名家のお家があってね
そこのすごーい当主さんが、はっちーとうらちゃんを打った人なの
でね、はっちーがその人の息子さんで、うらちゃんが弟なんだ
そこにね、『あなたの子です』って、赤ん坊が捨てられてたんだ
それが、そねちゃん
最初は周囲も本人も、自分は当主さんの実子だって思ってたんだけど
ずっと後からDNA鑑定したら、当主さんの子供じゃなかったってわかったんだ
でもね、その人は、今でも当主さんの子だって、これからもそう生きていきたいんだって。
本当の子じゃなくてもいい、とても素晴らしい人だった当主さんの子らしく、すごいすごい人を目指して、生きていきたいんだって。
その気持ちの甲斐あってか、その人は誰もが誇るような、すごく立派で素晴らしい人に育ったんだ。事情を知らない人たちが、さすがあの当主さんの息子だ、って褒め称えるぐらいに。
その家の名前を持った養子を
本当の家族として受け入れる家もあれば、偽物だって排斥する家もあるね
それを決めるのって、多分、当主さんなことが多いと思う。
でも、当主さんがどう思ってたかわからないまま、当主さんは天国に行っちゃったんだ
じゃあ、養子はこの家の子かどうか
決めるのって、誰かな
はっちーは、どう思う?
「……多くの場合は、周囲と本人、そしてその家の兄弟だろうね」
うん
弟くんは、ほんとの息子じゃなくても、ほんとの家族でいい、そっちの方が嬉しいって思ってるみたい
でも、お兄ちゃんの方は、その家の嫡男だからなのかな、弟くんみたいに、ただ自分の気持ち一つでは、決められないと思ってるみたいなんだ。
お兄ちゃんが決めたことが、きっとそのお家の最終決定になってしまうから。
当主さんの意思はもう確かめられないから。
もしかしたら、お兄ちゃんが決めたことが、当主さんの遺志を無視したことになってしまうかもしれないから。
でも、当主さんの遺志はもう確かめられない。
それに、生前の当主さんの意見と、天国に行ってからの当主さんの気持ちは、真逆かもしれないもん
「真、逆?」
うん。
もしかしたら、生きてた頃は自分の子じゃないって思ってたかもしれない。
でも、そのお家が類まれな名家であることを世間に知らしめるような
当主さんがすごい人だったと世界に知らしめるような
そんなすごい人に育った養子の子を
今天国で見てたら、さすが自分の名前を継いだ子だって誇らしく思ったかもしれないもん
だから、それはもう確かめられない。誰にもわからない。
刻を渡ってなお、確かめられないことなんだ。
「刻を渡ってなお、確かめられないこと、か……」
ならきっと、今生きている人が決めていい。周囲がなんて言うかも、ほんとは関係ない。
その人と、お兄ちゃんと、弟くんだけが決めることだから。
その時わたしね、きっと
ただ、その人とお兄ちゃんと弟くんと、みんなと仲良しな友達じゃないかな。
だから、その人の味方だし、お兄ちゃんの味方だし、弟くんの味方。
三人とも幸せになってほしいなって、ただ願うだけの、友達
ほんとは口出す権利なんてないんだ
だから、わたしは、お祈りするだけ
はっちーもうらちゃんもそねちゃんも、心から笑ってくれますようにって。
天国にいるはっちーとうらちゃんの刀工さん、あなたの大事なはっちーとうらちゃんが心から笑えるように見守ってください、って。
「……」
はっちーが本当の笑顔になれる答えが見つかりますように。
はっちーが苦しまないで済む未来にいけますように、って。
はっちーが大事なわたしの願いは、それだけだよ。
武士よりも武士らしく。自分たちが農民で、武士じゃないって分かってるから
だから、新撰組の人たちは、憧れた武士になりたくて、憧れの武士を目指して、自分を叩き上げて磨いていったんだって。堀ちゃんと兼さんがそう教えてくれたの。
新撰組の人たちが、もしも最初から武士階級に生まれていたら。
こんなに強い物語には、ならなかったんじゃないかな。
だから、そねちゃんが贋作なことにこそ、意味がある。そう感じたの。
「贋作に、意味…」
うん。
そねちゃんが贋作じゃなかったら、きっと
強くてまぶしい、今のそねちゃんには会えなかったから。
武士よりも武士らしく。農民だからこそ、武士を目指す。
自分を贋作だって知ってるそねちゃんとおんなじなんだ、って思ったんだ
そねちゃんは自分が贋作だって知ってるから、そねちゃんの中にある『虎徹』になりたいんだって。
人は、なりたいものになれる。
刀は、なりたいものになれるのかな
その答えは、はっちーが決めて
「……!」
大きく息を呑んだ。
「俺、が…?」
微笑んで頷いた彼女は、蜂須賀の手を握ると、そっと包み込んだ。
柔らかい手のひらだった。
初めて蜂須賀に奴のことを聞いたその日から、何度も何度も、繰り返した仕草だった。
「どんな答えでもいいの。一緒に悩んで、一緒に苦しんで、一緒に泣いて、一緒に笑うよ」
でもね、わたしね
はっちーが本当の笑顔で笑える答えがいいな
だって、はっちーは優しいひとだから
いつもちょっとだけ苦しそうだから
誰かの憧れを否定したままじゃ、はっちーが笑ってくれないもん
《蜂須賀、修行の旅へ》
俺はどこか
真作として贋作を否定する立場を取ることを
否定し続けて、否定し続けて、その狭間で言葉にできない何かに苦しむことを
真作として生み落とされた義務のように思っていた。
大事な浦島や、他の虎徹の真作たちにそれを負わせないためにも
俺が背負わなければならないと、そうどこかで思っていたように思う
けれど、彼女は
俺と一緒に悩み、苦しむと言ったんだ。
俺と一緒に泣いて、俺と一緒に笑いたいと。
その時、初めて思った。俺の苦しみは、誰かの苦しみを引き受けることじゃない。誰かを苦しめ続けることにもなり得るんだと。
そうしてまで大切な人を苦しめて
他ならぬ大事な今の主を苦しめて
俺は、虎徹の真作として、本当に誇れるだろうかと
彼女は、俺が笑ってくれる答えがいいと笑ってくれた。
けれど本当は、逆だ。俺が笑う答えじゃない、彼女が笑う答えこそが俺には必要だったんだ。
だから、俺は旅に出なければと思った。
俺はならなきゃいけない。彼女が心から笑って誇れる虎徹の真作に。
その答えを、探しに行かなければならないと。
だから、ずっと迷っていた旅立つ先は、すとんと胸に落ちるみたいに決まった。
阿波、蜂須賀家には向かわなかった。
あの家での日々が大切でないから、ではない。むしろその逆だった。
思い出が決して揺らがないから、改めて行く必要が無かった。それだけだった。
目を閉じるだけで、いつでもあの日々に帰れるからだった。
だから、彼女が送り出してくれたこの俺は
時代や場所を超えて、何度も、何度も、何度も、途方もなく数多くの時間を渡っては、可能な限りたくさんの人の話を聞いて回った。
そう、俺は
虎徹の物語を信じる数多くの人々のもとへ向かった。
そうして、あらゆる人々の心の中から
誰もが『これぞ虎徹』と誇る刀の姿を探し出そうとした。
迷い迷いに迷った果てに、この修行の形をついに選び取った時は、これ以外に無いと確信した。
けれども、これがなかなかに難航した。
その人一人一人にとって、まさにこれこそが虎徹という刀の姿は違ったからだ。俺は壁にぶつかった。
虎徹の名は、この国に最も広く知られた刀の一つだった。
故に千差万別。人の数だけの虎徹らしさがあり、星の数だけの真作らしさがあった。
そうして、壁にぶつかり続けた果てに
俺は少しずつ、少しずつ、気付いたことがあった。
そんなふうに多くの人々に語られる真作虎徹像の中でも特に、何かを掴めたと思えた姿もあれば、逆にこれは違うとハッキリ思えた姿もあったことだ。
他人の語る虎徹を集めるほどに
「これは違う」と感じる自分が浮き彫りになっていった。
そう、つまり俺は、本当は。
最初から、こうという『答え』を無意識に自分の中に持っていたんだ。その輪郭を自分で掴めていなかっただけで。
いくら彷徨っても見つからないわけだ。俺が探していたのは、本当は、誰かの中の真作虎徹の姿じゃない。
俺の中の、俺が望む『真作虎徹』、それに応えてくれる人をこそ、探していたんだ。
長い長い時間をかけて、俺は俺が探していたものの正体を知った。
修行の旅を通して、ようやく気付いたことがある。
俺もまた、なりたいのだ。
俺の中にこそある、真作虎徹、という存在に。
ずっと探していた。俺の中にある『真作虎徹』とは何か。
そして、それを『これぞ虎徹』と迷わず信じてくれる人は誰かを。
俺の最後の探し物は、長らく書けないでいた三枚目の手紙に向き合った時、ようやく見つかった。
刀工源清麿の元に行くのはやめようと決めた日のことを、手紙にしたためたその時に。
『作り手の顔を見てみようと思ったが、やめた。
俺の、俺の中の真作というものはそういうものじゃない。
力、そして、できれば優しさがあればいいと思っている』
この手紙を読んでくれているはずの
主の顔を想ってこの文をしたためた瞬間、ようやく気付けた。
俺の思う真作虎徹という存在を。
力、そしてできれば優しさを兼ね備えた刀を。
『これぞ虎徹』と
必ず彼女なら呼んでくれるはずだと
そう確信できた自分に。
ここまでくれば、俺の探し物の答えは明らかだった。
青い鳥は一番近くにあるというのは、いつの時代も変わらないことらしい。
誰の言葉が、虎徹を形作るのか
誰の想いが、虎徹を形作るのか
大切なのは、そう
なりたい存在になる覚悟を、誰と分かち合えるか。
それを選びに行く旅だったんだ。
俺は、筆の続きを大切に走らせた。
『優しさは、手紙なら簡単に書けるのに、実際やると難しい。
これは、日々の生活から身につけなければいけないのだろう』
俺は、優しい刀になりたかった。今よりもずっと、ずっと、強く美しく優しい刀に。
そして、俺の思う優しさと強さとは、彼女のような人だった。誰かと共に笑い、泣き、信じて待つことができる人のことだった。
俺は、彼女の優しさを映した刀になりたい。
『それには主が必要だ。少なくとも俺には。
修行は終わり。これから本丸に帰るとしよう』
俺はもう知っている。
彼女にとって『虎徹』とは
あいつが目指す強く美しくまばゆいものであり
浦島が自慢する兄そのものであり
そして、俺のことだった。
俺の答えは、ようやく決まった。
帰ろう、彼女のもとへ
人は、なりたいものになれる。
刀は、なりたいものになれるのか、否か。
虎徹の真作として
その答えを身をもって彼女へ先に示すのは
あいつではなく
俺でなくてはいけないのだ。
「俺さー、主さんのことちゃんと大好きだよー。いい人だなー、って思うし!」
にしし、と無邪気に笑った浦島は、首の後ろで両手を組んだ。
「だってさ、俺が『敵さんとも仲良くなれたらいいのになー』って言っても、無理じゃない? って目、しなかったんだぜ」
肩に乗せた亀吉の顎を指先でくすぐりながら、浦島の方がよほどくすぐったそうに笑った。
「望む未来を目指すって、他になんか方法あるよな、きっと。そう言ったらさ、ほんとにほんとの目で『そう思う』って笑ってくれるんだ」
だから、早く兄ちゃん達のこと、紹介したいなって思ったんだ、と。そう言って笑った。
「蜂須賀兄ちゃんとも、長曽祢兄ちゃんともちょっと違う。けど、負けないくらいちゃんと俺のこと信じてくれる。なりたい俺になれるって」
俺、そーゆーのはちゃんと分かるし!
だって、俺、兄ちゃん達の弟だからね!
信じるってどういうことか
兄ちゃん達からちゃーんと教わったもんね〜。
《虎徹三兄弟となりたい虎徹》