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名前と悪戯〜キリシタンすり抜け主と刀剣男士〜

2026-02-12 08:18:07

ほのぼのから始まるどたばた
別名長谷部の受難

《名前と悪戯》

「あれ、このタオル、あるじのだね」
「あっれ、洗濯物を取り込んだ時に紛れ込んじゃったかな?」

至って平和な一幕だったのだ、途中までは。
穏やかな昼下がり。広々とした多目的執務室には、総務番長の長谷部の臨時デスクが置かれ、その前に大きなテーブルがある。そこで勘定番長の博多を筆頭に、他にも多くの粟田口の短刀たちが書類仕事に励んでいた。
彼女もまたその中心にいて、ささやかなお喋りをしながら、皆と丁寧に仕事を分け合っている。

そんな中、洗濯当番だった堀川と前田が、畳み終わった衣類を順番に届けていたのだが。
書類を届けるためにちょうど立ち寄って、その中の一つをついでに受け取った加州清光が、己の洗濯物の中に主人の物が紛れ込んでいたのに気付いたのだ。
「はい、あるじ。置いとくね」
「ありがとー、かしゅー」
「すみません、主君、加州さん。気付きませんでした」
「刀もずいぶん増えたからなー。これだけ洗濯もんあると水仕事も重労働だよなー」
生真面目に謝る前田に、気にしないしないと笑いながら、彼女と清光が同じ顔で労りの言葉をかける。
「あ、でも、俺らのもんならともかく、あるじのものがどっか行っちゃうのは困るよな。広い本丸だと探しもんもひと苦労だし」
「そうですよね……では主君、こちらを」
発端、といっても、始まりは本当にささやかな話だったのだ。
気の利く前田がサインペンを取り出して、また紛れ込んでは困るでしょうから、とタオルに名前を書くように促したのだ。
「大事なものには名前を書いておいてくださいね」
と前田が言うので、サインペンを手渡された主はきょとん、とした顔で少し考えて、前田をちょいちょい、と手招いた。
「?」という顔をして前田が側に寄ると、彼女は
前田の手の甲に、書き書き、とひらがなで『あるじ』と書いた。
ふへ、といたずらっ子の顔をして。

つい先月、皆で正月の羽付き大会をしたばかりだった。
だから、この本丸の多くの刀剣男士が墨で『あるじ』と書かれるとくすぐったそうに喜ぶことを理解している。そんな主によるちょっとしたいたずら書きだったのだ。

もちろん例に漏れず、前田もくすぐったい顔をした。
その横で加州清光と長谷部が、ものすごく、ものすごーく羨ましそうな顔をした。
「あー、あー、あー」
急に意味の無い声を出しながら、うろうろと主人の前で回り出す加州。
「ここにー? あるじのだぁ〜いじなだいじな? 俺がいるけどー????」
なんとも愛らしい清光の態度に、くすくすと微笑んだ彼女は、己の初期刀を手招いて、かわいいかわいい、と頭を撫で、その頬っぺたにもサインペンで書き書きとサインした。
頬に『あるじ』と書かれた清光は、勲章でも貰ったように自慢げで嬉しそうだ。

ごほん、ごほん、と長谷部がわざとらしく咳払いをした。

「主、お戯れもよろしいかと思いますが、皆欲しがって列を作って仕事にならなくなりますので、その辺りで」
「羨ましいなら羨ましいって言えばいーのに」
「うるさい! 正直に言えば羨ましい、物凄く羨ましい!! 羨ましいに決まっているだろう!! が! 総務番長の俺が率先しては皆続いて収集がつかんだろうが!!」

ふふ、ごめんね、と笑った、平等で優しい主人は
「じゃあ、代わりに、はい」
と言いながら長谷部にサインペンを手渡した。
反射的に「はい?」と受け取ってから、主人の意図を読み取りかねて、長谷部が疑問を視線に乗せる。
すると、彼女は目を閉じ、ずい、とデスクに身を乗り出して、「長谷部も書いていいよ」と言って頬を差し出した。

ぴしり、と音を立てて固まる長谷部。
そこにいる男士たちの誰もがぎょっとして、ヒエッと悲鳴を上げ、毛を逆立てた猫のように加州清光がぴゃっと高く飛び上がって、目の色を変えて慌てて間に入った。
目を開けた彼女はきょとんとした。

「だ、だめー! 初期刀NGー!!」
「え、え?? なんで?」
「なんででも!!!! だめー!!!!」

長谷部が石像のように固まったまま、ゆっくりと後ろに椅子ごとひっくり返った。

ばたーん!と倒れた長谷部に、「長谷部が卒倒したぞ!」「や、薬研しゃん呼ぶばい!」と騒ぎが広がる。

執務室の外で待機していた近侍の鶴丸と、ちょうどおやつの差し入れを持ってきたところだった燭台切が、揃ってすごい顔をしていた。
形容し難い顔で鯉口を切っている二人の殺気に当てられて、目撃してしまった短刀がうっわ、という顔をしていた。見るんじゃなかった。

「きみたち誰も教えてなかったのかい」
何事かと騒ぎを聞きつけた歌仙が、周囲から事情を聞いて、激しい頭痛をこらえるように眉間を押さえた。

古参たちが雁首を揃え、あるものは自主的に正座し、軒並み頭を抱えるのを、歌仙がため息と共に眺め回した。
「まったく、真っ先に教えるべき常識の一つだろうに。こんな形で女性に恥をかかせるものではないよ」
「面目無い
「さすがにちょっと教えにくくて」
「すみません、誰かが教えてるだろうとばっかり」
「はあ……わかった。後は僕が教えておくから」

そうして、おいで、と手招いた歌仙に、彼女は意味が分からず混乱した顔をしたままついていった。
静かな茶室で正座で差し向かいに座った歌仙と彼女。
普段この場所では、歌仙から所作や作法について習っているので、歌仙がこういう態度を取るのは、主人と臣下ではなく、先生役として役目を引き受けている場面だというサインだった。

「あのね主。こんなこと言いたくはないんだが、非常に大事なことだから重々聞いておくれ」

きみが僕らに名前を書くのと、僕ら付喪神が人に名前を刻むのとは訳が違うんだ。
僕ら付喪神は神座の一角。神が神として人の子に名を書くということは、単にいたずら書きをすることじゃない。魂に消えない印を刃で刻むということなんだ。
きみたち審神者の霊格は、刀剣男士と比べてしまえば圧倒的に低い。そんな力の差のある者が、魂に一方的に名前を刻むということはね、その魂を完全に所有してしまうということなんだ。隷属させてしまうといってもいい。
命をどう弄ぶことも、無理やり言うことを聞かせることも、生涯閉じ込めてしまうことも簡単だ。

名を書かれてしまうとね、普通の死に方はできないよ。神は一度所有した物に著しく執着する。輪廻の輪に還ることはおろか、その神の目の届く場所から一歩外に出ることすら叶わなくなるだろう。きみの意思など尊重されない。名を書くのを許すということは、そんなあらゆる暴挙できみの魂を蹂躙するのを許すということなんだ。
僕らはきみの持ち物だからね、きみの真名が無ければ早々そんなことを一方的に行うことはできないけれど、許しがある、ということは恐ろしいことだよ。どう悪用するのも簡単だからね。

いいかい、悪意だけがきみを危うくするわけではない。きみにずっと仕えていたい、ずっとそばにいたい、そんな当たり前の感情すら、毒だ。
神にそう望まれれば、真っ当に歳を取ることすらできなくなるよ。永遠に逃れられないようにして、どこかに隠してしまう者も、こう言ってはなんだが、珍しい話ではないんだ。僕らは人に近すぎるから。

あとね、雅でないからこんな形で教えたくはないんだが、名前を刻んで欲しい、と女人から申し出ることは、異種婚姻譚における『花を捧げる』意味合いがあってね。
まあつまり、おいそれと口にするのは憚られるということは理解できるね?

と、このようにして、そう歌仙から懇切丁寧に教わり、危険性と多大な語弊をきちんと理解した主は、歌仙にも長谷部にもすぐに「ごめんなさい」と深々と頭を下げて真剣に謝罪し、先ほどあげた言質をきちんと解除する形式を取ることとなる。
卒倒したままだった長谷部が、よろ、と床から出てきた。
「主、言質の破棄を……
そう長谷部が申し出て、彼女はとても申し訳なさそうな顔をした。ちなみにその両サイドには、鯉口を切った鶴丸と燭台切が殺気立った目をして無言で立っている。少しでもおかしな真似をしたら即首を刎ねると言わんばかりだった。
「ごめんね長谷部、どうすればいいの?」
「そのまま俺に続いて復唱ください」
長谷部の言う通りに、言質の破棄の祝詞をあげて、その破棄を長谷部が「お受けします」と言った瞬間、ぱんっ、と弾けるみたいに解除された。そして速攻で再び寝込んだ。

「同情するばい、長谷部しゃん」
「まあ、さすがに同情するぜ」
ありとあらゆる責務を放棄して珍しく全力で寝込んだ長谷部が、博多と日本号の看病を受けながら憐憫の目を向けられている。魘されるみたいに長谷部が呻いた。
「俺に鉄の理性があったことを褒めて欲しい。さすがに」
「長谷部しゃんほんとーに男前ばい。金一封たい」
「まああれだ。後でとっときの酒とつまみを奢ってやるよ」

なお長谷部はその後、毎晩魘されて一週間ほどきっちり寝込んだ。


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