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Until the day I return

全体公開 ff14 温度差兄弟/🔥×💧 2 8 16131文字
2026-02-19 16:34:25

※死ネタ、転生描写あり
※アルカディアクリア後、数年後の想定です

Posted by @yohima33

 兄弟が死んだ。事故だった。オレたちは、ふたりでひとつで死ぬ時は一緒で。リングの上での誓いは、ビジネスなんかじゃなかった。シャトナとヒューネ、寿命の差は歴然。それでも共に楽しいことやって、ギリギリのところで生き抜いて、そうして最期は。そう、信じていた。そのはず、だったのに。

 どうして先に死ぬはずのオレより、長寿の兄者が死んでるんだ?


   ◇◇◇


 朝、ギターの音が鳴り響く。派手で大きなアラーム音。エクストリームズの試合でも流れているこの音楽が、オレは好きだ。何もせずただひたすらに、一曲終わるまで聞き届ける。うるせェよ! と怒りのままに叩き止める兄は、もういない。曲がループする直前で端末に触れる。この曲は、明日の朝までお預けだ。

 ペタペタひとり分の足音。鏡の前で、歯を磨く。何も無いくせに左に寄って、鏡は妙な空間を映し出す。……寝癖、髭、クマ、充血した目。ヒデェ顔だと笑う兄は、もういない。中をすすいで、口の端に付いた白い泡を雑に拭った。

 モニターの電源を入れて、何か見たいわけでもなくただ映像を垂れ流しにする。ニュース、エンタメ、スポーツ、またニュース。つまんねェ、と勝手にチャンネルをコロコロ変える兄は、もういない。食べたいものもなかったので、冷蔵庫に入っていたいつ開けたかも分からない炭酸を流し込んだ。
……不味い」
 ……弾ける泡は残っておらず、無駄に冷えた甘い液体というだけ。思わず、言葉が漏れた。

 兄がいなくなってからは、泳ぐこともなくなった。だから水着である必要はないし、服を着た方が誰にも気付かれなくていい。前髪で既に隠れた顔を、フードで更に覆い隠す。そんなにいらねえだろ、と頭の中で声がする。オレは、まだ兄者の声を覚えている。

 靴を履いて、部屋から一歩踏み出して。眩いエレクトロープの景色は、何も変わり映えしない。ゆっくりと一歩ずつ、確実に。踵まで地面にしっかり付けて、少しずつ前へ進んだ。
 兄者がいなくなってから、オレは明らかに行動が遅くなった。元々そう早い方でもなかったところ、せっかちな兄者につつかれて慌ただしく動いていただけだったらしい。自分のペースで動けるからか、視界がやけに広くなった気がする。……遠くの噴水で、子供が遊んでいるのが見えた。

「おい、レッドホット」
 聞き覚えのある、威厳のある声。わざわざオレに声をかけるやつなんて、そういない。足を止めて、体を後ろへ回転する。
……お前、何の用だ」
 絞り出した声は、あまりに酷いものだった。ガサガサ掠れ、小さく滑舌も悪い。それでも聞き取れたのか、他よりも一際背の高いエレダイト……ザ・タイラントが、顔を顰めた。
「酷い有様だな。用件だが、私が……というより、貴様宛に花を預かっている」
……花?」
「そうだ。……それから、少々話がある」
 差し出された手に握られていたのは、白っぽい花。オレは花に興味がないから、何の花かなんて全く知らない。それでも一応受け取って、そっと息を吸い込む。……知っている、香りだ。でも、どこで。なんで。答えてくれるヒトはいない。分かっている、つもりなのに。何度も確認して、その度落ち込むオレが嫌になる。頭を振って、気を取り直す。オレの返事も聞かず歩き出していたザ・タイラントの後を追うため、足を踏み出した。歩く度、花の香りが鼻腔を擽る。……どうして。
 どうして、オレはこんなに歩くのが遅いんだ。


   ◇◇◇


「気休め程度に、心して聞け」
 どっちなんだ、という言葉が浮かんだが、それを発することができるほどオレに余裕はなかった。僅かに、頷いてみせる。
「これは、生身の統一王者から聞いた話だ。……その花の贈り主も。ドームの向こう……エオルゼアでは、弔いの花として定番らしい」
 いつもの大仰な身振り手振りはなく、落ち着いた様子でぽつりぽつりと語り出す。……それは、死後の世界の話。統一王者が旅して見てきた、星海と呼ばれる場所の話だった。

 美しい、場所なのだという。周囲は煌めいていて、それでいて……寒いように感じるのだと。空気は冷え冷えとしている気がするのに、実際の温度は暑くも寒くもない。手を伸ばせば光に届きそうなのに、触れることは決してなく。水の中に潜った時のような籠った音と、星屑が零れ落ちるような音がする、のだとか。

……エオルゼアでは、死することを『星へ還る』と表現するそうだ」
……星へ、還る」
 噛み締めるように、ゆっくり反芻する。正直、あまりピンと来ない。オレたちにとっては、死んだら空の上というイメージしかなかったから。今ここで踏みしめている大地の、さらに奥深く。底のそこへ、還るというのは……。一体、どんな感覚なのだろうか。
「重要なのは、ここではない。転生……という言葉は分かるか」
……転生?」
「生まれ変わり、という意味だ」

 死んで星へ還った後、そこで魂の洗浄が行われる。記憶の部分をまっさらに、綺麗に澱みを無くし、そうしてまた新たな命としてこの世に生まれ落ちる。それが、エオルゼアの死生観。ごく一般的な、生と死の話。その旅の無事を祈り、願うために、ニメーヤリリーと呼ばれるこの花を献花としているそうだ。
 そこまで聞いて、ひとつずつ考える。レギュレーターを付けていた時には、オレたちの魂は最期には空の上へと行ってしまう。……が、とっくにオレたちは外していて、だからこそ兄者は死んだ。ならば。
 魂は空に行かず、星海へ。転生、というものが本当にあるのなら。新たな命として、この世にまた生まれ落ちるというのなら。
……また、兄者に会えるかもしれない?」
「会えたとて、記憶は失われているが……
「それでも、いい!」
 思わず叫んで、自分で酷く驚いた。まだ、こんなに声が出せたのか。
「行きたい、星海に。どうやって行く」
 いつも以上に口が回らなくて、ただ願望だけを垂れ流す。ザ・タイラントは冷静で、どこに隠し持っていたのか小さな紙を取り出した。
……もし、探しに行くというのならこれを」
「なんだ、これ」
「これも、統一王者からの贈り物だ。これだけは無くさないように、と」
 開いてみるが、小難しい言葉が並びよく分からなかった。かろうじて、自分のリングネームが書かれていることだけが分かる。
「シャーレアンを目指せ、と言っていた。そこに至るまでの路は、自分で決めろと。……貴様の、旅の無事を祈る」
 顔の前で緩く拳を握り、ザ・タイラントが目を瞑った。そのままスっと立ち上がり、スタスタどこかへ行ってしまう。また取り残されて、手元の花を改めて嗅いでみることにした。甘くて、少し喉に引っかかるような、そんな匂い。植物の少ないこの場所で生きてきて、一体どこでこの香りを知ったのか。記憶を遡り、宙を見上げ…………あ、思い出した。
「オーナーの、葬式の匂い、だ」


   ◇◇◇


 動きこそ遅いが、オレは決断は早い方だと思う。兄者は逆だった。早速部屋に戻って最低限の荷物をまとめ、身支度を整える。……貰った花は、机の上に。旅の道行きを祈るのなら、始まりの場所はここがいいから。無くさないようにと言われた紙は、上着の内側のポケットに入れた。
……いってくる」
 返事はない。誰もいない。静かな部屋に、オレの声だけが響いている。シャーレアンまで、星海までどれだけかかるか知らないが、しばらくこの部屋とはお別れだ。
 使い込まれたサーフボード、兄者の分のエアスピナーの起動キー、派手なシャツの群れに、髪飾り。揃いのコップ、ふたり分の枕、デカイモニター。全部、全部捨てられなかったもの。ここに全部置いていって、いつか帰る場所として取っておく。
 無機質な、鍵の閉まる音がした。



「無理なのか」
「無理だよ兄ちゃん! そいつで海を渡るなんてさあ!」
 オレのエアスピナーを見て、駅員は目の前で大きく腕をクロスする。オレよりも外に詳しいやつが言うのなら、おそらくそうなのだろう。少し、肩を落とした。
「どこまで行くか知らんが、まず燃料が足りない! 列車やら船やら使ったって、エレクトロープなんてもんはここら辺にしかないんだよ」
「なるほど……
 確かにそうだ。以前兄者と行ったトライヨラを思い出す。灯りは火で、エレクトロープより魔法が使われていて。あとは、自然と共に生きていた。
……じゃあ、一回帰る」
 列車に乗ろうにも、これが向こうで使えないならどこかに置いておくしかない。ここで乗り捨て……という訳にも行かないし、持っていっても邪魔なだけ。ひとまず駅まで飛ばして来たが、どうもすぐに帰ることになってしまったらしい。兄者はあれで計画性があったのだ、とひとりになって気付かされる。駅員に軽く手を上げ、エアスピナーに跨った。
……兄ちゃん、どれぐらい旅する気だ」
「分からない。帰ってはくる、つもりだ」
 駅員はガシガシ頭を掻きむしって、大きく息を吐く。……その動作、よく見るやつだ。兄者が、オレの話聞いたあとにやるやつ。よし! と声を上げ、拳を掌に打ち付ける。何か決めたかのような動きだ、とりあえず首を傾げてみせた。
「俺がここで働いてるうちは、そいつの面倒見てやる!」
……え」
「出自はトラルのトナワータだが、これでもエレクトロープの勉強もしててね。エアスピナーだろ? 一般のもんなら面倒見れる」
 心配なら金でも取っといてやろうか、と提示された金額は、無期限として見るにはあまりにも安すぎる金額。ヒトが好すぎる駅員に、これはツイてるなんて思える感性をオレは持っていなかった。
「なんで……
……まあ、そうなるわな。一種の罪滅ぼし……っていうの?」
 気を悪くしたらすまんなどと前置きして、駅員はポツポツと語り出す。視線は線路の向こう側。トライヨラと呼ばれる場所の、さらに向こうを見ている気がした。
「兄ちゃん、死にそうな面してるから。……一度、兄ちゃんみたいに死にそうな面の客見送ったことあってよ。服とか、明らかにアレクサンドリアのやつだったのに、帰ってこなかった。たまたま会わなかったか、トライヨラ辺りで楽しく暮らしてるんだろって言い聞かせて……数日後に聞いた話じゃそいつ、その見送った列車から飛び降りて死んだらしい」
 視線が、こちらを向く。オレを見ているようで、見ていない。何とも言えない表情に、思わずふいっと顔を逸らした。
「今でも考えるんだよ。何かひとつ、そいつが帰ってくるきっかけになるようなことを作ってやれてたら……ってな」
 一歩、また一歩とオレのエアスピナーに近付いて、駅員はそっと表面を撫でる。それからドンと胸を叩き、パッと朗らかに歯を見せた。
「生きて帰ってきて、旅の感想でも聞かせてくれや。俺の身勝手、罪滅ぼしに付き合っちゃくれねえかい?」
 トラル大陸の、ドームの向こうの人間というのは、どいつもこいつもこんな感じなのだろうか。兄の教えに従って、最初に提示された金額に少し色を付けて金を渡して、念のため紙に残して。
『うまい話に適当に食らいついたら、あとから痛い目にあうぞ』
 目先の欲に溺れ、ボロボロになって帰ってくる兄がよく言っていた言葉だ。そういうことは、割としょっちゅうあった。


   ◇◇◇


 ガタン、ガタン。腹の奥まで響く音と共に、体が揺れる。窓から駅の方を眺めていれば、いつまでもいつまでも手を振り続けるさっきの駅員がいた。隣には、真っ赤なオレのエアスピナー。またひとつ、帰る理由ができてしまった。……いや、元から帰るつもりではあるが。

『列車って退屈なんだな。マジでやること何もねえ……

 いつかの記憶が、頭の中で流れる。目を瞑れば、窓の外を見て小さくため息をつく兄者がいる。窓の隙間から吹く風が、明るい青色を靡かせて。オレの視線に気付いたのか、兄者は面倒くさそうにゆっくりとこっちを向いて、口を開いた。……あれ、そういえば。あの時、なんて言ったんだったか。なんて、返事をしたんだか。
 目を、開ける。前の座席は、空白だ。他に客はいないらしく、オレの荷物が時折ゴトリと音を立てるだけ。首にかかったネックレスを、ぎゅっと握り締める。
 日に日に兄者の匂いが、音が、記憶が、遠ざかっている。それを、ヒトは優しさと呼ぶ。救いと呼ぶ。当然と呼ぶ。そんな言葉をかけられる度、暴れてやろうかと思った。忘れることが当たり前だなんて、思いたくない。全部全部、この記憶は、思い出は、オレの、オレと兄者のものだ。ただの他人が、それに言葉を当て嵌めるなと。……そう身構える度に、胸元まで下がった飾りが揺れた。御守り、なんて生温い表現のものじゃない。どちらかといえば呪い、縛りのようなもの。これがある限り、オレは兄者のことを忘れることはない。そう、何度も思わせてくれるものだった。
 ガタン、ガタン。体が揺れる。気付けば雷鳴が遠ざかり、いつか嗅いだ土や岩の匂いが強くなった。覗き込むように、窓の外を見る。
……青い」
 どうやら、天候には恵まれたらしい。見慣れたブルーよりは燻んでいるが、空には白い雲が揺蕩う青色が広がっていた。



 駅から歩いて、ロネークと呼ばれた動物に乗って。日が暮れる前に、トライヨラへ辿り着いた。雨風を凌げる程度の狭い宿泊施設の一室を借り、荷物を放って外へ飛び出す。向かう先はシャバーブチェ。久しぶりの遠出だから、だろうか。何日かぶりに、腹が減っていた。

 シャバーブチェといえばタコスだ。オレが持っても大きく見える立派なタコスを前に、口の中に涎が溢れる。ゴクリと喉を鳴らし、思い切りかぶりついた。シャクシャク耳触りのいい音を立てる野菜と、ジュワッと広がる肉汁。ピリッとした辛さ。ここ最近の食生活からは考えられないほど『ちゃんとした食事』に、胃が驚いているような気がする。腹壊すなよ、と兄者の声がした。うるさい。
……一週間、長いな」
 部屋を借りる前、トライヨラに着いて一番最初に向かったのは船着場。本当なら、すぐにでもシャーレアンに行きたかった。
『ツイてるね、お兄さん。次の出港は一週間後だよ!』
 本当にツイてるのか。ツイていてこれなら、普段どれだけシャーレアン行きの船が出てないんだ。色々聞きたいこともあったが、トライヨラに入国してからずっと鼻を擽るスパイスの香りがオレの余裕を奪っていた。ずっと腹も鳴っていた。
「退屈、だ」
 兄者と違い、オレは暇を潰すのが下手だ。兄者は楽しいことをすぐに思い付く。兄者といれば、退屈なんてしなかった。
 することもないから、周囲の話を盗み聞きしてみることにする。腰が痛くて荷物が、子供がはぐれた、魚が売れない。こんなに活気溢れる場所でも、ヒトの悩みは尽きないものらしい。……そういえば、以前統一王者サマに聞いた話を思い出す。空いた時間は、小遣い稼ぎをしていると。小さな依頼をこなすと飯が貰えたり、普段やれないことができたりしてイイ経験になるだとか。
……退屈しのぎには、なるか?」
 残り一口になったタコスを口に放り込み、適当に咀嚼して飲み込む。ゴキッと固まった首を動かして、荷物がどうのと話していた声の主を探すことにした。オレができること、力仕事が一番向いている。トライヨラの空気にあてられたか、うまい飯を食ったからか。オレの体に、久しぶりに熱が巡っているのを感じた。


   ◇◇◇


「兄ちゃんもう行くのかい、またうちの荷物運び手伝ってくれな!」
「もう腹壊すんじゃねえぞー」
「商売下手のお兄さん! 店番の仕事は二度と受けるなよ!」
「あっ、お兄ちゃん! もう迷子になっちゃダメだよー!」
 なんだ、これ。どうなってるんだ。たかが一週間、細々した依頼をこなしていただけなのに。こんなに顔を覚えられるなんて、思っていなかった。
「はい、次に乗るのはー……お、素潜り名人! あんたシャーレアンに行きたかったのか!」
 まさか船乗りにまで覚えられるなんて、誰が想像した。なんだか体中がムズムズして、顔に熱が集まってくる。少しでも隠したくて、フードをさらに深く被った。
「また来なよ、あんた。いつでも帰っておいで」
 通りすがり、そんな言葉を投げかけられた。思わず振り向くと、船乗りは爽やかな笑顔でこちらに手を振っている。なんて返していいか分からずに、とりあえず頭を下げた。



 特に波が荒れることもなく、船は無事シャーレアンと呼ばれる都市に辿り着いた。せっかくの船旅だったのに、疲れかずっと寝ていたため何がなんやら、だが……。あの揺れの中爆睡してたの、あんただけだよ! と背中をバシバシ叩かれたから、もしかしたら何かあったのかもしれない。まあ、生きてここに辿り着けて良かった。
「では次、入国手続きを。身分を証明できる書類は?」
 内ポケットにしまっていた紙を取り出し、受付らしき机に置いて見せた。真面目そうなミララ族。じろりとオレを一瞥し、怪訝な表情になる。しっかりした場所だと聞いていたから、水着では来なかったのに何を疑われているのか。
……ふむ、ご職業は?」
 ここで、統一王者サマとの雑談を思い出した。……もしシャーレアンに行くことになったら職業はこう答えると面白い、ケラケラ試すように笑っていた。ふたりして、首を傾げたのを覚えている。
…………冒険者、だ」
「冒険者……冒険者ねぇ……
 ミララ族は復唱し、さらに怪訝な顔になった。どこか呆れたような、バカにされたような顔。……おい。
「まあ、エオルゼアでは正式な職業になっているようですし。書類とも相違ありません。いいでしょう」
 おい、話が違う。面白い、というよりさらに目をつけられた感じがする。なんだあいつ、そういう嘘つくのか。嘘つかなくたっていい所だっただろ。

 モヤモヤしたまま前に進んで、白く整った建物を見上げる。ここが、シャーレアン。トライヨラとも、ソリューション・ナインとも全く違う。静かで肌寒い、何もかも洗練されている場所。劇の世界、みたいだと思った。オーナーが好きそうだ。
……君が、レッドホットだな」
 リングネームを呼ばれ、視線を下へ戻す。白髪のエレダイト。細長くて、貧弱そうで、姿勢が正しい。頭が良さそうなやつ。……兄者と、相性悪そうだ。
「ああ。お前は」
「私はフルシュノ・ルヴェユール。英雄殿に頼まれて、君を星海の近くまで送り届ける者だ」
 差し出された手に、内ポケットの紙を置く。上から下まで目を通して、そいつはぎゅっと眉間に皺を寄せた。……何か、まずかったのか。確かにちょっとしわくちゃにはなったが、文字が消えたりはしてない、はず。そもそも書いてあること自体、めちゃくちゃだったりするのだろうか。さっきの一件で、かなり不安になってきた。
「全く……こういう書面上ではせめて本名を使うべきだと言うのに……
……ダメそうか?」
……いや、もう構わない。これは準備した側の責任だ。君は何も……少しだけ、気に留めておく程度でいい。私の方から、伝えておく」
 ちょっとダメだったらしい。……英雄なんて大層な渾名を持つくせに、大したことないやつだったんだな。オレが渡したくしゃくしゃの紙を丁寧に広げ、畳んで、そっとポケットへ仕舞う。そのまま付いてくるように促され、足を進めた。
「今から向かう場所……アイティオン星晶鏡は、部外者がそう易々と入れるような場所ではない」
 振り向くことなく、フルシュノとやらが話し出す。アイティオン星晶鏡。そこに、星海があるのだろうか。
「君が何を求め、何を願いそこへ行くのか、我々は知らない」
 幾つもの階段を登り、散りばめられた本の山を横目に進む。紙の本、ソリューション・ナインではほとんど見なかったし、トライヨラでもここまでたくさんは無かった。様々な場所で、シャーレアンの文字の横に知の都と書かれていたのを思い出す。なるほど、確かに知の都。オーナーなんかは、喜びそうだ。
……英雄殿に、感謝するといい」
「え」
「あの英雄が、我々に頼み込んでのことなのだ。……君を、星晶鏡へ招くのは」
 気付けばフルシュノは振り向いていて、青い目がやわらかく弧を描いていた。だんだん歩幅が合っていって、隣を歩きながらくつくつ喉を鳴らす。
「哲学者議会の前で、英雄殿がなんて言ったか。……その者の目的も、本名だって話せない。それでもたったひとつ、願いを叶えてやりたいのだ……と」
 それで過半数の賛成をもぎ取ったのだから侮れない、とフルシュノが困ったように笑った。……あの統一王者サマは、どこまで読んでいたのだろうか。オレが、星海に行かないと言ったらどうするつもりだったんだろう。それもイイ、と頷くだけかもしれない。なんでそんなにオレたちを、オレを、気にかけてくれるんだ。
「あの英雄は、一度……少しでも関わった者は皆友人だとでも思っているのだろう。友人のため、誰かのために動くのが好きなのだ。……ならば、頼りにしてしまえばいい」
 さあ、と足を止めた先には、巨大な昇降機。ワープするものでなく、部屋ごと移動するタイプのようだ。ゴウンゴウンと大きな音を立て、目の前の扉が重たく開く。……すごい、どんな技術だ。エレクトロープも無しにこんな、デカイ物が。ドクドク心臓が脈打って、上がる口角を抑えられない。フルシュノが、隣で小さく笑った。
……ようやく、血の気が戻ったな」



 そこからは、特に会話もなかった。物珍しさにあちこち見るオレを三歩先でフルシュノは待っていて、慌てて追いつけばまた歩き出す。そんなことを何十回と繰り返しているうちに、タウマイゼンと呼ばれた場所に着いた。長い階段を降りて、また重厚な扉を抜けた先。……巨大な舟が、待ち受けていた。
「おお……!」
 思わず、声が漏れる。オレじゃなくたって、多分誰でも驚くと思う。滑らかな表面、シンプルなデザイン。一直線へ進むことを想定しているのだろうか。先端は鋭く、後ろに大きな排出口。白い機体に、赤のラインがカッコイイ。乗りたい、すごい、なんだこれ!
……嬉しそうなところすまないが、目的地はこの裏側。魔導船ラグナロクには、今は乗れない」
 フルシュノの咳払いに、ハッと意識が戻る。そうだった、目的地はここじゃない。フルフル頭を振って後を追うが、視界の端にチラつく舟が気になって仕方ない。なんであいつ、これの話はしてくれなかったんだ。

 ぐるりと反対まで回り、再び昇降機を目にする。フルシュノが来る途中で話してくれたことだが、アイティオン星晶鏡は星海の観測機構、らしい。かつて英雄サマが仲間たちと深層へ潜航してくれたおかげで、通信の届く範囲内はかなり安全になっているのだとか。舟を見る前に話してくれて助かった。今話されても、何も覚えられないところだ。
「さて、私はここまでだ。再び昇降機を動かす時には、このリンクパールで伝えてくれればいい」
 コロリと手の上に転がされた、小さいもの。これが、エオルゼアの通信機らしい。耳の奥にグッと嵌めて、ブルブル頭を振る。……結構動いても取れないようだ。
「これは、英雄殿からの伝言だが……あまり深くまで潜らないように、だそうだ」
……なんで」
 そう聞けば、フルシュノが小さく息を吐いた。
「全く、どこまで……
……?」
「こちらの話だ。……何故かと問われたら、こう答えてくれとも言われている」
 大きな音、昇降機が起動したらしい。ガタンと周囲が振動して、扉が開いた。……先程乗ってきたものよりも、ずっと手狭だ。
「深海は、寒くて辛いから……と」
 一歩前に踏み出して、フルシュノの顔を改めて見る。顰め面、だけど怒っている感じはない。統一王者サマの伝言とやらは、正直意味が分からなかった。星海はエーテルの海みたいなものらしいし、寒いはずがないのに。

 扉が、閉まる。フルシュノは、最後の最後までオレのことを見続けていた。あの深い青色が、目に焼き付いている。
「気を付けて。……君の帰りを、待っている」


   ◇◇◇


 静かな、ところだった。昇降機の扉の音がやけに響いて、完全に閉まると耳の奥でずっと振動し続けていた。それ以外、何も音が無かったから。
……青」
 鮮やかで、キラキラしてて、どこか冥い。水の中に潜った時のよう、という言葉を思い出す。見慣れていて、懐かしいのに、寂しい。
 進む毎に、反射する光の箇所が変わる。光の泡が周囲を漂い、床を踏めばカラカラと耳触りのいい音がした。あちこちに何かを見る為の装置があって、ここにもまた本が置かれている。ひとつ手に取って、パラパラページを捲ってみた、が……
……全然分からない。面白いのか、これ」
 よく見ればタイトルも何だか堅苦しいものばかりで、全く興味が出ない。机にも何冊か置かれてたから、とりあえずそこに放って奥に進むことにした。

 さらに奥へ、深くへ進むと、遠くに光の渦が見えてきた。周囲をゆったりと回る結晶は、深海から昇っているように見える。そういえば、デカイ波に呑まれて溺れた時……あんな風に、上へと昇る泡を見た。鼻も目も喉も全身痛すぎて、あの時はそれどころじゃなかったが。……遠くから見たら、あんな感じだったのかもしれない。ぎゅっと、ネックレスを握る。何となく、あの辺を目指すべきだと思った。

 進めば進むほど黒い光の泡が増えてきて、嫌にまとわりついてくる。シッシッと手で振り払いながら歩いていくと、硝子張りの広場に辿り着いた。どうやら、この道はここまで……いや、待て。中心で、何か渦巻いているものがある。
 一際輝く光の渦。引き寄せられるように空気の流れができていて、そこだけ風が吹いていた。通信機が、ガサガサと嫌な音を立てる。あまり深くまで潜らないように、という警告が頭の中で鳴り響く。……が、それでも。
……この先になら、いるのか……?」
 ここまで来て、兄者に会わずに帰れない。光の渦に手を伸ばし、奔流に身を任せる。深く、深く、さらに深く。地面が、どんどん遠ざかる。ブツン、と完全に通信が遮断された音がした。



……結晶の、道」
 先程までの整った道と違い、ゴツゴツ固まったまま何も手をつけられていないような結晶の道に足が着いた。その道全部が青く淡く光っていて、目の奥がズキズキ痛む。黒い光の泡が、増えてきた。
 さっきと違って、ここには結晶以外何も無い。周りの景色に飽きて、足が早くなる。そのまま勢いに任せて走り出し、光の泡のひとつひとつに目を留める。兄者、どこだ。いるのか。オレは、ここにいる。……どこだ。
 漂う空気が、肌を刺す。全身が強ばっていく感覚に、違和感を覚える。……深海は寒いって、本当だったのか。指の先から、冷えていく。星海、なんて聞こえはいいが……つまり死後の世界と言うやつなんだ、とここでようやく分かった。だから、深く潜るなと。
……それでも、後戻りは、したくない」
 坂を下る、ずっと下る。整備されていない道は、走り辛くてすぐに疲れる。それでも、兄者が見つかってない。なら、足を止められない。なんで、なんで見つからないんだ。オレと兄者、ふたりでひとつだろ。なんで、なんで、なんで!

「なんで、先に死んだんだ……


   ◆◆◆


 ふと、目を開ける。なんだ、目を開けるって。もう瞼も、指も、髪の一本すら残ってねえ。全部全部波に揺られて、海になって、微温湯で揺蕩うだけになっちまってるのに。

……声が、聞こえる)

 だれの、とか。なんの、とか。そんなの今となっちゃ分かりゃしねェ。でも、なんか。なんか、そいつが。そいつの声が、震えてて。泣いてるんじゃねえかな、とか思ったら。

 腕を、伸ばす。指先が、光に触れる。微睡みから、揺さぶられて起こされる。乱暴だ、もっとゆっくり寝かせろよ。お前のアラーム、毎日音デケェんだよ。

(なあ、泣くな。泣くなよ、お前。お前が泣いてちゃ、オレが泣けねえだろ)

 泳ぐように、その声へ近づいていく。本当に、触れられるわけじゃない。なんとなく、それは分かる。それでも、そいつの頬に手を伸ばす。目元を拭って、前髪をズラした……つもりだったが、まあ、そりゃ無理か。


   ◆◆◆


 頬に、何かが触れた。バッと顔を上げ、辺りを見渡す。滲んだ視界では、ものを見るのが難しい。光すら、近くにあるのか遠いのか。……でも、ああ。分かった、気付けた。多分、きっと、目の前には光の泡があって。
「兄者……?」
 目元を雑に拭って、前髪を横にズラす。オレが泣いたら、兄者はいつもそうしてた。だから、きっと今も、そうなんだろう。

 せっかく拭ってくれたのに、ボロボロ涙が止まらない。言いたいことが、たくさんあった。部屋が広く感じるようになったとか、物が壊れることが減ったとか、何をしても、楽しくないとか。言いたかった、そう言いたかったのに。口から漏れることといえば、ただひたすらに嗚咽だけ。全部言葉にならなくて、喉が痛くなるだけだった。
「あっ、あに、兄者ッ……あ゙あ、兄者……ッなん、なんでぇ……ッ!」
 ガキかよ、と頭の中で声がする。兄者が、本当にそう言ってるのかは知らない。でも、オレが泣いた時によく兄者はそう言っていた。だから、その声を覚えている。
 光は、ずっと目の前をフヨフヨ浮いている。ずっと、いてくれている。だからオレも立ち上がれないし、歩けないし、戻れない。……いやだ、ずっとここにいたい。兄者と一緒にいられたら、オレは、それで。

 帰りたくない、そんな言葉が思い浮かんだ瞬間、脳裏に記憶が流れ出した。フルシュノが、待ってる。トライヨラの奴らが、また来いって言ってた。あと、オレのエアスピナー。旅の話も、してやらなくちゃ。それから、あとは。
 部屋。オレたちの部屋に、花がある。兄者が、生きてた証がたくさんある。だから、オレは。オレだけは、あの部屋に帰らなきゃいけない。
……帰る」
 光は、消えない。先を促すこともないし、引き留めることもしない。頬に手を当て、名残惜しんで……立ち上がろうとして、足がもつれた。……あ? なんだ、これ。
 足先が、指先が震え出す。みるみる血の気が引いて、くらりと目眩がした。深海は、寒くて辛い。あの時聞いた言葉だけが、響いている。そう、なのか? ここで、死ぬのか? 光は、消えてない。呼吸が浅くなって、視界の端が黒ずんで。座ってることすら出来なくなって、その場に倒れ込む。それに合わせて、光がフワフワ落ちてきた。オレの手のひらに、乗っている。
……っ、ゥ……
 絞り出せたのは、呻き声だけだった。瞼が、重い。体が、沈んでいく。だれか、だれか。オレは、帰らなきゃいけないんだ。だから。

 暗転。何も、見えなくなった。


   ◇◇◇


 星海深淵域に、足音がひとつ。バタバタと慌ただしく、何かを探すように走っている。道の途中、大きな足がチラリと見えて、ハッとしたように息を飲んだ。さらに速度を上げ、その足に駆け寄る。焼けた肌色、水色の髪、隠れた目元。間違いない、レッドホットだ。
 肩で息をしながら、そっとその口元に手を置く。……呼吸を、している。そのまま首元に手を当てて、温度を測る。……かなり冷えてはいるが、熱が失われているわけじゃない。生きている、生きている。ホッと息を吐き、胸を撫で下ろした。

 レッドホットの通信が途絶えた。ザ・タイラントから旅に出たと連絡を受け、フルシュノからも先程見送ったと聞いて慌ててやってきたその人物……統一王者、英雄などと呼ばれる冒険者が、一番初めに聞いた報告がそれだった。僅かに眉を顰めたが、心のどこかで分かっていた。……忠告してもらったところで、聞くようなやつではないと。
 急いで着替え、中で魔導リーパーに乗る許可を得る(得る、というより強行突破に近いが)。ハイランダーは重いのだ、何もなしに引き上げるなんて無策にも程がある。

 そんなこんなで深淵域。通信機からは、雑音だけが聞こえている。やはり、浅瀬まで戻らなければ報告もできない。レッドホットを抱き上げ、魔導リーパーの背に放った。
 顔色が、かなり悪い。以前会った時より痩せている気がするため、恐らくまともに食事を取っていなかったのだろう。そこでさらに、無理な長旅。栄養失調、という言葉が浮かんだ。
 何気なく頬に触れ、冒険者は目を見開く。……やけに、温かい。他の箇所は冷え切っているのに、なぜここだけが。前髪を少しズラすと、手元にひとつの光が寄ってきた。……青い、気がする。星海を揺蕩う魂の色は、白っぽいか黒っぽいかぐらいしか冒険者には認識できない。そのはずなのに、今ここでレッドホットの周りを浮かぶ光は、青く見える。思わず、息を飲んだ。
 何か、言おうかと思ったが。何を言っても蛇足な気がして、冒険者は押し黙った。代わりに、静かに微笑む。そのまま、魔導リーパーを走らせた。

 冒険は終わり。最後の言葉は、おかえりなさいがきっとイイ。だから、帰らなくては。ここにはきっと、またいつか。エーテルの奔流に、手を伸ばした。


   ◇◇◇


 ふと、目を開ける。アラームもなしにオレが起きれるなんて、奇跡だ。むくりと体を起こして、思い切り伸びをする。……なんだか、全身がダルい。
……よくぞまあ、目を覚ましたものだ。本当に、危ないところだったんだぞ」
 ガチャリと扉が開いて、息を飲む音が聞こえた。聞き覚えのある声に、体ごとそちらに向ける。深い、青色。よく覚えてる。
「フルシュノ」
「食事を持ってきた。食べられるのなら、食べた方がいい」
 ベッドの近くにあった小さな机に、茶色いパンが置かれた。……そういえば、腹が減ってる。早速手に、取っ……
……これ、本当にパンか?」
「間違いなく、パンだが」
 か、固い。パンってこんなに固いのか? トライヨラでも変な飯があったし、もしかしたらシャーレアンだとパンも全然違うのかもしれない。恐る恐る口に持っていって、少し齧る。
……かたい、まずい、なんだこれ。食べ物じゃない」
「散々な言いようだな……!」
 シャーレアンって飯まずいのか。もう二度と食べない。フルシュノがギリ、と拳を握っているのが見えたが、そんなヒョロヒョロの体じゃオレには勝てない。気にせず、飲み物だけを貰った。
「どこまで記憶があったのか知らないが……アイティオン星晶鏡で倒れた君を助けたのは、英雄殿だ。当の本人は、また慌ただしくどこかへ旅立ってしまったがね」
 あいつが、ここに。思い返そうと記憶を辿るが……ダメだ、立てなくなったあたりまでしか思い出せない。完全に気絶していたらしい。
……目的は、果たせたのか?」
 深い青色が、静かにオレを射抜く。頬に手を伸ばして、前髪に触れた。もう、オレの温度しかここにはない。ぎゅっと、ネックレスを握る。
……ああ、もう、オレひとりで、十分」
 瞼は腫れててヒリヒリするし、全身重いし、走り疲れて足も痛い。それでも、脳裏に焼き付いたあの星の海が、星屑が零れるような床の音が、体の底から冷えていくような冥さが。
 頬を撫でた、温もりが。早く帰りたいと、思わせてくれた。
「そうか」
 フルシュノはそれだけ言って、オレが残したパンを持って部屋を出る。……直前、ピタリと足を止めた。
……ひとつ、言い忘れていたな」
 顔だけをこちらに向けて、ふとやわらかく笑う。フルシュノは、多分笑うのが下手だ。ぎこちない表情に、口元がムズムズした。
「おかえり。……無事で何よりだ」
 扉が閉まる。風が吹いて、窓際に置かれた花の匂いがした。


   ◇◇◇


 ようやく、ようやく帰ってこれた……。ヨロヨロとベッドに顔から突っ込んで、ズムンと沈み込む。全身から、土や岩や風の、自然の匂いがする。机に置いたニメーヤリリーは、とっくに枯れていた。

 あれから、本当に色々あった。目が覚めてからすぐ船着場に向かったのに、次の出航は三週間後だと。こんなまずい飯の都市にいられない、とリムサ・ロミンサに行きたかったがそれも出航は十日後。本当に、生きた心地がしなかった。
 都市内部じゃまともな手伝いも難しかったため、統一王者サマの名前を使ってラヴィリンソスで依頼をこなした。そっちは力仕事が多く、どうにか時間を潰すことができた。
 大いに時間をかけてようやくトライヨラまで……戻る船も、嵐に見舞われなかなかの旅だった。兄者がいなくなってから落ちた筋肉が、少し取り戻せた気がする。
 トライヨラではオレのことを覚えてた奴らが絡んできたり、飯でも持ってけと弁当を持たされたりした。腹壊すなよ、とも言われた。うるさい。渡された弁当は、世界一うまいと思った。
 そこからもタイミングが合わずにロネークに乗れなかったり、列車が不調で駅でも足踏みしたり……。どうにか戻ってきて、赤いエアスピナーの手入れをしていた駅員に「生きてたのか……!」と酷く驚かれた。こいつ、失礼じゃないか。
 少しだけ旅の話をして、また金を渡した。いいって、と強く返されそうになったが、オレは兄者をよく見ていたから知ってる。こういう時に、ちゃんと払っておかないと後々大変なことになる。
「おかえり」
 なんて泣きそうな顔で、笑ってた。……こいつの罪滅ぼし、少しでも力になれたのだろうか。

 そんなこんなで、自宅。散らかった服も、菓子のゴミも、全部が落ち着く。……ようやく、帰ってこれたんだ。
……ただいま」
 何度もおかえりと言われて、返せなかった言葉を口にする。静かな部屋に、オレの声だけが残る。使い込まれたサーフボード、兄者の分のエアスピナーの起動キー、派手なシャツの群れに、髪飾り。揃いのコップ、ふたり分の枕、デカイモニター。オレの、帰る場所。
 まだ、兄者のいる星海にオレは還りたくないけど。でもいつか、一緒にかえりたいと思う。今は、オレひとりで十分だけど。オレと兄者はふたりでひとつだ。今度はオレが、後からリングインする。だから、だからまた。ヒラヒラ適当に手を振って、こっちを見もせずに、雑に、適当に。……おかえり、と言ってくれ。



 ソリューション・ナインの人工海洋プール。建物の外の片隅に、ニメーヤリリーの花を置く。無理を承知で頼み込んで、ここで毎年兄者を弔わせてもらってる。
……ここで、誰か死んだのかよ?」
 ザリ、と小さな足音がひとつ。生意気そうな子供の声が、頭上から降ってくる。オレは、目を瞑ったまま返事をした。
「ここでは、死んでない。……でも、ここが好きだった」
「ふうん」
 聞いてきたくせに大して興味も無かったのか、ぶらぶらと片足を揺らす。なんなんだ、こいつ。プールに用があるんじゃないのか。
 目を瞑って、祈り続けて、しばらく経って。……それでもまだそこに、気配がある。なんだか、妙だ。いつまで経ってもそこで立ち尽くす子供に違和感を覚え、ふと顔を上げた。

 いつか見た、海の色。鮮やかなその瞳の色に、息を飲む。そんな、まさか。また、嘘じゃないのか。完全に硬直してしまったオレを見下ろして、そいつはキュウっと目を細めた。
「気付くの遅ェよ、バカ」
 オレの頬に手を伸ばし、目を雑に拭って、前髪をズラす。
……お前、もう幾つだよ。まだまだガキだな」
 胸元のネックレスが、カチャリと音を立てて揺れた。


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