さめしし。2026/02/23【COMIC CITY 福岡63】一賭千金F2602にて無配にしていたお話です。会場ではA6 8pの折本でした。通販にもお付けする予定です(無くなり次第終了)。
@5_bluedaisy
手に提げたボストンバッグを握りしめ、急ぎ足で新幹線の車内に入る。通路を進み、座席の番号を確かめて腰を下ろすと、すぐに車体が動き出した。
何とか間に合った、と胸を撫で下ろす。後ろの座席に乗客がいないことを確かめてから、背もたれを少し倒して、頭を預けた。軽く目を閉じて、息を吐く。
新規の投資先に招かれての、二泊三日での小旅行。もう少し余裕を持って家を出るはずだったが、何となく離れがたくて、ついギリギリまで出発を遅らせてしまった。村雨が無言でまだ行くな、と我儘を放っていたのも一因だが、それに応えてしまったオレも勿論悪い。結果として間に合ったから良かったものの、これで乗り損ねてしまって遅刻でもしていたら、何とも情けない大人になってしまうところだった。
ビジネスの場で、隙を見せるような事はしたくない。なのに、こんな危うい真似をしてしまって、それでも楽しかったと思ってしまうなんて。
浮かれているのは、確かだった。
村雨と恋人同士になって、またひと月足らず。二人で居ることに少しずつ慣れてきて、そういう意味での接触も増えてきた。何事にも自信満々で強気な村雨だけれど、意外にもこの手のことには慎重で、オレの反応と意思をひとつひとつ確かめながら、触れ合いを深めていっている。正直、もどかしいと思うことも無いではなかったけれど、自分が大切にされているのだと実感させられるのは、ちょっとこそばゆくて、でも嬉しいことだった。ふかふかの布団でくるまれて、芯から温められているような気分になれる。
だから、今日ももっと一緒にいたかった。
でも、これは仕事だから。仕方がない。
「村雨のヤツ、いつもこんな感じなのか」
窓の外を流れていく景色に目を遣りながら、つぶやいた。もう行かなければ、と言って仕事に向かう時の、村雨の顔が脳裏に浮かぶ。
冷静に見えていたその表情にも、残念に思う気持ちがしっかりと潜んでいて。
静かな声音は、自分にちゃんと言い聞かせるためのものだったのだと、今ならわかる。
それでも村雨はきちんと気持ちを切り替えて、オレの家から仕事に向かっていく。軽く抱擁を交わし、優しいキスをしてから、当然のこととして一歩を踏み出していく。
強くて、立派な村雨。
「オレも……頑張らないとな」
まずは、目の前の仕事をきっちり片付けることから、だ。
若造だからと、ナメられないように。その先に繋げられる何かを、持ち帰れるように。
左手を拳に握って、ぱん、と右の手のひらに打ちつける。新幹線の中だから控えめにしたけれど、気合を入れるには十分だった。
「……よし」
気持ちを切り替えて、ボストンバッグから本を取り出した。最近読んでいる、IT関係の新書だ。昨夜読み終えられなかったから、今日の取引先に着くまでには読んでおきたい。
挟んでいた栞を取り出して、その章の先頭まで戻ろうとして。
ふと、何か別のものが挟まっていることに気がついた。
「何だ……?」
ぱらぱらとページを送って、その場所を開く。一〇六ページ。
リビングに置いているメモ帳の紙が一枚、裏向きに挟み込まれていた。引っぱり出して、表に返してみる。
ボールペンで書かれた村雨の字が、踊っていた。
「え……」
牛タン、笹かまぼこ、ずんだ餅、萩の月。オレでも知っている土産の名前が、ずらっと並んでいる。モノによってはさらに何味が良いだの、どこの店のが美味しそうだのと細かい指定までついていた。しかも半分以上は、牛タンに関する記述だ。
「アイツ……これ、全部買ってこいってことか? 牛タン食いたいだけじゃねーのかよ……まったく、もう……」
細かい部分は後で確認することにして、リストの下までざっと眺めていく。と、最後に隅の方に、小さく書かれた文があった。
『早く、無事に帰ってくるように。
あなたの笑顔が、もう恋しい。』
「……っ」
かあぁっ、と頬が熱くなっていくのがわかった。隣が空席で良かったと思う。
「あーもう……村雨のヤツ……」
いつの間に、とか、何考えてんだよ、とか。
ぶつぶつと文句を垂れてみたけれど、どうにも口元が緩んでしまう。
「……オレもだよ、村雨」
出発したばかりなのに、もう逢いたいって思うから。
早く帰ってきて、お前を抱きしめたいって思うから。
「待ってろよな」
しっかり仕事を終えて、いっぱい土産を持って帰ってやる。
そう思うと、容易にその時の様子が想像できた。
オレを迎えてくれる村雨は、きっとうっすらと、でも嬉しそうに微笑みを浮かべて、オレが持ち帰った大きな紙袋を受け取るだろう。牛タンの包みから順に開けて、ひとつひとつ確かめながら、リクエスト通りのもの、予想外のもの(当然幾つかは入れてやるつもりだ。オレだって村雨の意表を突きたいし、それで喜ばせてやりたい)、どちらも楽しそうに眺めていく。そうして並べた全てを見渡して、アイツはいかにも得意げに、満足そうにこう言うのだ。
『上出来だ、獅子神』
深紅の瞳が甘やかにオレを見つめ、しなやかな指がそっとオレの頬を撫でる。その光景と感触をまざまざと思い浮かべながら、オレは村雨のメモをジャケットの内ポケットにしまって、読みかけの新書のページを開き直した。