無双軸(黄燎)で、EP.10のベレト加入後。モブクロ(モブ)を匂わせる表現があります。
作中の表現にもとづき、ベレトの一人称を「自分」(仮)、クロードのベレトに対する二人称を「お前」としています。
1頁目はクロード視点、2頁目はベレト視点です。
@Bombwooo
王冠を戴く身として、いかなる不測の事態にも備えよ――それが俺の信条であり、日頃から最悪の盤面を想定して思考を巡らせている自負はあった。
だが、朝の光とともに自室の寝台が異様に狭いという事実に直面し、かつて己を本気で仕留めようとした『灰色の悪魔』と一糸纏わぬ姿で並んで目覚めるなどという奇異なる結末を、果たしてフォドラの歴史上のいかなる賢者が予測できただろうか。
渋面を作りながら身じろぎし、思わず息を呑む。隣には、乱れたシーツから滑らかな肩を覗かせたベレトが、静かに眠りについていた。
状況を飲み込めず、思考が瞬時に白濁して為す術もなくさまよい始める。跳ね起きようとすれば、身体が軋むような痛みを訴えた。
嫌な予感はするものの、身体は不自然なほどに清潔で、かすかな不快感すら拭い去られている。うっすらと『実は何も起きていないのでは』なんて都合のいい希望的観測を抱きつつ、もう一度隣へ首を巡らせたところで、ぱっちりと目を開けたベレトと至近距離で視線が絡んだ。
「……おはよう」
ベレトは淡々とした声で言い、事もなげに恐るべき言葉を付け加えた。
「君から教わった通り、中もきれいにしておいた」
その一言が意味する生々しい事実に、俺の思考は完全に停止した。
『中をきれいにした』ということは、つまり、その、ええと。
この、感情の機微すら持たないと噂される『灰色の悪魔』が、昨夜、俺の最奥で雄としての熱を吐き出したという紛れもない事実を示しているということで。あんなひどく淡白な顔をしておきながら、その実、堪えきれずに俺の中で果てたのか。起きた出来事をひとつひとつ整理しようとしているだけなのに、背筋がぞくぞくとした。我ながら倒錯している。ああ、頭が痛い。
そこから、昨夜の情景が濁流となって押し寄せてきた。酒に酔った勢いに任せ、あろうことかこの傭兵を自室へと誘い込んだのは、間違いなく俺自身だった。
貴族社会の裏側で渦巻く、そうした割り切った遊戯にはある程度慣れていたから、その延長のような、そう、ほんの戯れのつもりだった。でもお互い火がついてしまったのはこの状況を見るに明らかで、戯れやじゃれ合いでは済まないどころか、しっかり一線を越えてしまったというわけだ。
だが、待て。つい先日まで、俺たちは明確な敵対関係にあったはずだ。ランドルフの仇を討つべくフレーチェに雇われたジェラルト傭兵団は、間違いなくこの俺の首を獲ろうとしていた。苛烈な刃を交え、文字通り死の淵を覗かされたというのに。俺も大概どうかしているが、こいつも大概どうかしていると思う。
「……お前、こういう真似には慣れてるのか?」
おそるおそるたずねると、ベレトは小さく首を振った。
「いや、はじめてだ」
酷い冗談だ。よりによって、俺が、彼の、最初の経験を奪い去ってしまっただなんて。俺は無意識のうちに肩をすくめ、深い頭痛に耐えるようにこめかみを押さえた。
「お前のその顔なら、言い寄られることも多いだろ」
「……あまり、そういったことに興味はなくて」
その短く淡白な響きの裏に、微かな諦観のようなものが張り付いているのを、俺はひどく正確に察知してしまった。
どこにいても馴染めない。絵の具の上に落とされた水滴のように弾かれる感覚。それは、出自を隠し、常に仮面を被ってこの世界を渡り歩いてきた俺自身が、誰よりも痛いほど理解できるものだった。
だからこそ、その分厚い拒絶の壁の向こう側に、他でもないこの俺だけが触れたのだという事実が、先ほど背筋を駆け抜けた痺れと混ざり合い、俺の内に潜む昏い欲望を確実に煽り立てた。
この世の享楽など一切介さないような顔で、俺の内で熱を吐き出した『灰色の悪魔』。誰にもなびかなかったその無垢な身体の初めてを奪い、己の痕跡を刻み付けたのだと思うと、王としての理性的な自制の奥底で、ひどく身勝手な優越感が静かに鎌首をもたげる。よくない衝動を抱いていると、本能で分かった。
これ以上踏み込んで自爆を招くのは愚策でしかないし、何より、この底意地の悪い優越感を見られたくなかった。俺は努めて平静を装い、問いを重ねる。
「じゃあ、どうして俺と寝たんだよ。ついこの間まで俺の首を刎ねようとしていた傭兵殿が、なんで酔っ払いの戯言なんぞに付き合ったんだ」
「君があまりにしつこく誘うから」
「うっ」
見事な正論で急所を突かれ、言葉に詰まる。すると、ベレトは少し困惑したように眉をひそめた。
「いや、ただの意地悪になってしまったな。……アロイスのように振る舞いたかっただけなんだ、すまない」
あの感情の機微から最も遠い場所にいるはずの男が、不器用な冗談で場を取り繕おうとしたのか。至近距離で見つめると、改めてその造形の美しさに毒づきたくなる。透けるように白い肌には生々しい傷痕がいくつか刻まれ、損なわれた彫刻のような危うい美しさを引き立てていた。
そんなベレトは静かに、どこか己の行動すら持て余しているような、ひどく曖昧な口調で紡いだ。
「自分でも分からないんだ。どうしてあんなことをしたのか……ただ、君が、さみしそうだったから。自分を求めているように見えたから、つい」
まるで他人事のように小首を傾げるその姿に、俺の胸の奥の、ひどく脆く、やわらかい部分を鷲掴みにされた。先ほどまで腹の底で渦巻いていた甘い優越感すら、いとも容易く吹き飛ばされてゆく。
つい最近まで命を奪いに来たはずの相手が見せた、理屈や打算の一切存在しない、純粋な歩み寄り。相手を支配したつもりでいた浅はかな思い上がりは、言葉よりも雄弁な引力によってことごとくしぼんでゆく。
だが、ベレトはわずかに視線を逸らし、耳の端をかすかに朱に染めた。
「でも、これは自分の思い違いかもしれない、から……真に受けないでくれ」
酷く稀少な、羞恥に染まる輪郭。――ああ、と。必死に組み上げようとしていた理屈が、呆気なく白紙に戻されてゆく。行かないでくれ、と腕を伸ばしてその体温に縋り付きたくなる衝動が全身を駆け巡る。
しかし、俺が理性を投げ打つよりも早く、ベレトはそそくさと身支度を始めた。
「レスターの王の……しかも雇い主の部屋から出てくるところを見られたら、さすがにまずい。ジェラルトにも何を言われるか」
手早く外套を羽織り、ベレトは振り返った。少しだけ困ったように、長い睫毛が伏せられる。
「それに。こういうことはやはり、心を通わせた者同士がするものだろう。君もあまり自分を安売りしないほうがいい。……誘いに乗ってしまった、自分が言える立場でもないが」
諭すような、そして自戒するような言葉。それに続くのは、思いがけずやわらかな響きだった。
「でも、話をするぐらいならいつでも……君の話はとても面白い。いくらでも聞いていられる」
ふ、と。ベレトの口元が小さくほころぶ。
その圧倒的なまでの破壊力に見惚れた直後。踵を返したベレトは、固く閉ざされていた重厚な扉を開け放ち――その直後、開いたばかりの扉の縁に思い切り足を打ち付けた。
堅牢な木枠を激しく震わせるほどの重く鈍い音を響かせ、半ば逃げるように足早に部屋から去ってゆく。髪を気遣う余裕もなかったのか、頭の後ろはぼさぼさのままだった。
取り残された俺は、呆然と開いたままの扉を見つめたあと、足の激痛に必死に耐えながら歩みを早めているであろう不器用な傭兵の後ろ姿を想像し――ひとり、寝台の上で堪えきれずに吹き出した。
あの恐るべき男が、今日まで誰の手にも触れられず、手付かずのままでいたこと。その事実に、ひどく単純でこそばゆい悦びを感じてしまっている自分がいる。我ながら浮かれているなと自嘲の息を吐く。
しかし、あんな無防備な顔で寄りかかられ、理屈に合わないふわふわとした理由で懐に入り込まれては、いかなる盤上であっても俺の完全な敗北だ。次にあの腹立たしいほどきれいな顔と軍議の場で対峙したとき、王としての平常心を保てる自信は、今の俺には微塵も残っていなかった。
自室に戻るなり、腕組みをして待ち構えていたジェラルトと目が合った。
「お前、昨日の夜はどこにいたんだ」
低い声には、明らかな剣呑さが混じっている。自分は無意識に視線を逸らし、なるべく平坦な声を取り繕った。
「……少し夜風にあたりに行って、そのあとは」
「『雇い主』の部屋にいたのか」
「……」
これ以上は誤魔化しきれないと悟り、観念して小さくうなずく。少し目が泳いでしまったのがまずかった。すべてを察したらしいジェラルトは深く、重いため息を吐いた。
「あのなあ、相手はレスターの王だぞ。分かっているのか」
「分かっている。だから目が覚めたらすぐに服を着て、部屋に戻ってきた」
「服を着て、って……やっぱりお前……!」
しまった。
かまをかけられていたことに今更気づき、自分は思わず苦い顔を作った。戦場での駆け引きならともかく、歴戦の傭兵団長である父親の尋問を躱すには、自分はまだ圧倒的に経験が足りないらしい。
頭を抱えたジェラルトは、頭痛を堪えるような面持ちで説教を始めた。
「いいか、女で駄目になった奴を俺はごまんと見てきた。色恋で身を滅ぼすってのはよくある話だ。お前の身の振り方に、親が今更あれこれ口を出す年でもないかもしれないがな、せめて相手は選べ。雇い主に手を出すバカがどこにいる」
「彼は男だが」
「そういう話をしてるんじゃない!」
父親の怒鳴り声が部屋に響く。怒らせてしまったことは理解できたが、自分としてはジェラルトがそこまで頭を抱える理由がいまいちよくわからなかった。
「心配はいらない。彼には『こういうことは心を通わせた者同士でするべきだ』と明確に伝えてきた。これ以上あのような関係を持つことはないし、彼に雇われている傭兵として適切に一線を引いてきたつもりだ」
自分なりに傭兵として正しく振る舞い、伝えるべきことは伝えた。問題はすべて片付いたはずなのだが。
「……お前、本気でそれで丸く収まったと思ってるのか」
「違うのか?」
「……いや、もういい。戦い以外のそういう経験が、圧倒的に足りてないんだと諦めることにする。……頭が痛くなってきた」
深くため息をつき、ひどく疲れた顔をするジェラルトを前にしても、自分の判断が間違っていたとは思えなかった。ただの話し相手に戻るだけだというのに。
それからの数日間、自分はジェラルトの懸念を払拭するべく、完璧に”線を引く”ことを徹底した。
食堂で彼の姿を見かければ、踵を返して時間をずらした。兵たちが寝静まるような深夜を見計らって湯浴みに赴き、決して彼と鉢合わせないよう徹底的な時間管理を行った。すべては、雇い主との間に適切な境界線を設けるためだ。
軍議の場においても、その方針を貫いた。巨大な卓を囲む諸将の中で、自分だけが壁際にぴたりと張り付き、彼から数歩分の距離を絶対に崩さないように直立するようにした。諸将が訝しげな顔をしてこちらを見ていたけれど、自分は決して壁際から動かなかった。
ジェラルトは小さくうなるだけで何も言わなかったから、てっきり、これが正解なのだと思っていたのに。
軍議の終わり、なぜかレスター王から名指しで呼び出しを受けてしまう。ジェラルトに視線を送ったが、「そりゃそうだろ」と言うだけで、そのままとっととどこかへ行ってしまった。
卓の前に立つ彼が、ひどく疲れたような声を上げる。
「……なあ。いくらなんでも、遠すぎないか」
「問題ない。ここからでも地図は見えた」
「見えりゃいいってもんじゃないだろう。だいたいお前、ここ数日俺の顔を見るなり逃げてるよな。食堂でも、風呂場でも」
「逃げてはいない。ただ、時間をずらしただけだ」
「それを逃げてるって言うんだよ。あからさまに避けやがって……生娘じゃあるまいし、過剰に意識しすぎだろうが」
彼が額を押さえてぼやくのを、自分は首を傾げて聞いていた。意識などしていない。ただ、合理的な線引きを行っているだけだ。ジェラルトもレスター王も、理不尽なことばかり言う。
そうして完璧に仕事をこなしたその夜。自分は、明かりの漏れる彼の自室の扉を叩いていた。
「……こんな夜更けに誰だと思えば」
扉を開けたレスター王は、少し目を丸くしたあと、すぐにいつもの食えない笑みを浮かべた。身長は自分と変わらなさそうだが、堂々とした振る舞いのせいか、扉の枠に寄りかかるとそれだけで妙な存在感がある。
「なんだ? 夜這いか?」
「……ちがう」
からかうような響きに、自分は思わずむっとして短く返した。完全に線を引いたはずの相手から、そのような冗談を言われる筋合いはない。
「じゃあ何だ。昼間は生娘みたいに俺から逃げ回って、軍議の場でも見事な物理的距離をとってみせたお前が、わざわざこんな時間になんの用だ」
「……君と、話がしたくて」
そう告げると、彼は言葉に詰まったように瞬きを繰り返した。
「……は?」
「あの日、話をするぐらいならいつでも、と言っただろう。君の話はとても面白いから、また聞きたいと思ってたずねたんだが……迷惑だっただろうか」
話がしたい、だけだと伝わらないようなので、自分がここへ赴いた理由を丁寧に語って聞かせる。彼はしばらく呆然とこちらを見つめたのち、顔を覆って大きく天を仰いだ。
「……お前なあ。昼間はあんなに頑なに避けておいて、夜になったら『話がしたい』って無防備に押しかけてくるの、自分がどれだけ理不尽なことしてるか分かってるか?」
「理不尽なことなどしていない。昼間は仕事の時間で、今は休息の時間だ。線引きは正しく行われている」
自分なりに論理的な説明をしたつもりだったが、彼は深いため息を吐き出すだけだった。
「……なあんだ。てっきり”その気”なのかと期待して損したぜ。今度は俺が、お前を、たっぷりかわいがってやったのにな」
「だから、そういう用件ではないと言っているだろう」
彼の軽口をぴしゃりと跳ね除けると、彼は少しだけ気まずそうに視線をさまよわせた。声も、こころなしか小さくなっている。
「ずっと気になってたんだが、あの日部屋に戻ったあと、親父さんに叱られなかったか?」
「……まあ、それなりに」
自分はわずかに目を逸らして言葉を濁した。それを見て察したものがあったのか、彼は苦笑を漏らす。
「あー、さすがのお前も叱られるよな。俺もそのうち『うちの大事な息子をたぶらかしやがって』ぐらいは言われるかもしれないな」
「……自分は、たぶらかされてなどいない」
事実とは異なる物言いに、思わず噛みついてしまった。たしかに、彼に誘われたのは事実だが、最終的に合意して、彼を抱いたのは自分の意志だ。たぶらかされた覚えはない。
昔からジェラルトが事あるごとに「雇い主には手を出すな」「あまり深入りするな」と忠告していたことなど、あの夜、彼の誘いを受けた自分からは都合よく抜け落ちていたのだ。
「はいはい、わかってるって」
宥めるようにひらひらと手を振りながら、彼は体をずらし、部屋の中へと自分を招き入れるように道を空けた。
「ま、せっかく話を聞きに来てくれたんだ。お望み通り、『夜の友』としてとびきり面白い話を聞かせてやるよ」
「……変な意味ではないだろうな」
「夜の語らいの友、って意味に決まってるだろ。お前、ほんと俺をなんだと思ってるんだよ」
呆れたように笑いながら、さあどうぞ、と手で案内される。その大げさで、芝居がかったしぐさが不思議と似合っていた。
やはり、自分は彼に対して完璧に線を引くことができている。昼間は物理的に距離を置き、こうしてただの『よき隣人』あるいは『夜の友』として、夜更けに彼の声を聞くだけなのだから。何ひとつ、間違ったことはしていない。