無双軸(黄燎)で、短い話が2篇。『あなた以外いらない』よりも軽めですが、いずれもクロードがやり返される話になります。こちらもレト←クロ。2つ目の話はシェズもいます。
@Bombwooo
1.
賑やかな宴が終わり、クロードは足早に薄暗い天幕を訪れた。卓の前に座る男は、外套を脱ぎ捨ててひとり剣の手入れをしている。先ほどの喧騒が嘘のような、生活感の抜け落ちた静謐な空間だった。クロードは小さく息を吐き、その対面に腰を下ろした。
「さっきの席ではずいぶんと難しい顔をしていたな」
探るように声をかけると、男は布を動かす手を止めずに淡々と視線を上げた。酒が回り、男所帯ならではの下世話な話題に花が咲いたとき、この男はあからさまに不機嫌な顔を作って黙り込んでいた。
普段は感情の読めない瞳が、あの時ばかりはひどく居心地が悪そうに揺れていたのを、クロードは見逃さなかったのだ。
「……他人の閨の事情を聞くことに、意味を見出せなかっただけだ」
「それだけか? 傭兵なんて、それこそ色んな奴が集まる稼業だろ。ああいう話題には、とうに慣れているものかと思っていたが」
ベレトは短く息を吐き、手元の剣に再び視線を落としてしまう。それ以上語る気はないという露骨な拒絶。そのつれない態度に、クロードは胸の奥でざらついた苛立ちを覚える。
――ただの好奇心だったはずだ。しかし、はぐらかされればされるほど、得体の知れない熱に胃の腑を灼かれる。この男が他人にどう触れるのか。あるいは、どう組み敷かれるのか。
「隠されると余計に気になっちまうな。なあ、教えてくれよ。今までどんな相手と寝てきたんだ? 気立てのいい女か、それとも腕の立つ男か?」
「……」
「どっちにしたって、誰の手垢もついていないまっさらな存在ってわけじゃないだろ? だったらお前はどっちなんだ。抱く方か、それとも抱かれる方か。ちなみに俺は――」
言い終えるより早く、視界が大きく反転した。
「おわっ、」
胸ぐらを軽く引かれ、鮮やかな足払いを食らう。抵抗する間もなかった。クロードの身体は宙を浮き、そのまま天幕の床に向かって投げ出される。どん、と鈍い音がして、無様に尻もちをついた。
「いっ……てぇ……」
後頭部から床に打ち付けられるかと思ったが、ベレトの掌がしっかりと首筋から背中を支えてくれていたおかげで、痛んだのは床にぶつけた尻だけだった。だが、安堵して息を吐くより早く、クロードは思わず息を呑む。
首裏を支える腕はそのままに、もう片方の手がクロードの脇の床へと突かれている。逃げ道を塞ぐように至近距離で睨まれ、背筋がぶるりと震えた。長い睫毛が影を作り、彼の双眸をかえって恐ろしいものにしている。
「……他人の領域に土足で踏み込む癖は、直したほうがいいな」
低く這うような声。吐息が、近い。押し付けられた男の身体から、他者を完全に制圧することに熟知した本物の傭兵のにおいがかすかに漂ってくる。
「そんなに自分の『位置』を知りたいのなら、君自身の身体で確かめてみるか? ……最後まで音を上げずに耐えられるかは、保証しないが」
温度のない、冷たいささやきに、クロードは肺を握り潰されたような錯覚に陥る。呼吸を忘れ、硬直した身体は、指先ひとつ動かせない。余裕ぶって相手の素顔を暴こうとした浅ましい好奇心は、己の不用意な一歩によって、いとも容易く組み伏せられてしまった。見下ろしてくる男の瞳の奥にどれほど昏い熱が渦巻いているのかと、引き攣ったように喉を鳴らした、その時だった。
「……なんて。ただの冗談だ」
「……はぁ?」
男はすっと圧を退け、いつもの顔で立ち上がった。
「君があまりにしつこいから、先ほどの酒の席の真似事をしたまでだ。……だが、あまり調子に乗っていると、いつか本当に痛い目に遭うぞ。レスター王」
静かな忠告とともに差し伸べられた手と、人の気も知らないそっけない顔。からかっていたつもりが、完全に掌の上で遊ばれていたらしい。
恨み言のひとつでも言ってやりたかったが、今の無様な体たらくでは何を口にしても負け犬の遠吠えにしかならない。クロードは痛む尻をさすりながら開いた口を噤むと、せめてもの意趣返しとばかりに、差し出されたその手を思い切り強く握り返した。
もちろん、歴戦の傭兵にとっては痛くも痒くもない、抵抗にならない抵抗でしかないのだが。
2.
木剣がぶつかり合うくぐもった音が、よく晴れた空の下、修練場に響いていた。数合の打ち合いののち、シェズが木剣を肩に担いで一旦の休息を告げる。手首で乱暴に汗を拭いながら、彼はふと、唐突な問いを投げかけてきた。
「なあ。あんたって、クロードに好かれてるよな」
「……そうだろうか」
傍らに置いてあった水袋で喉を潤しながら、心当たりを探してみる。あれこれ考えているうちに、中身はあっという間に空になってしまった。
「ああ。下手したら、俺よりも好かれてるんじゃないか?」
「それはさすがにないだろう。自分と君とでは、彼との付き合いの長さが違う。……ましてや自分は、かつて彼の命を狙った身だ。好かれる要素などない」
「そうかなあ。いつもあんたに熱心に話しかけてるように見えるけど」
首を傾げながらシェズがそう言うものだから、もう一度だけ心当たりを探ってみる。けれどもやっぱり、見つからなかった。
たしかに、彼は自分に気を遣ってよく声を掛けてくれる。しかしそれはあくまで雇い主としての振る舞いであり、人として心を通わせるようなやりとりではなかったと記憶している。彼の善性を否定するようで心苦しかったが、事実は事実としてはっきりさせておくべきだろう。言葉がまとまったあたりで口を開く。
「それは、戦力が欠けると困るからだろう。新たな雇い主になびかないよう、監視しているだけだと思う」
「うーん……機微に疎いのはクロードなのか、あんたなのか」
シェズは深々とため息をつき、木剣の柄に顎を乗せた。何の話かまるで見当がつかず、ただ見つめ返していると、彼は苦笑を漏らす。
「いや、なんでもない。こういうのは俺みたいなよそ者が口を出すもんじゃないしな」
「よそ者? 君が? 君は仲間だろう」
「ああ、いや、そういう意味じゃなくて。あんたとクロードにしか分からないことがあるよな、って言いたかったんだ。……あいつがお前をどう思っているか気になるなら、直接聞いてみたらどうだ?」
「そうだな」
たしかに、彼の言う通りだ。同じ陣営で背中を預け合うのだから、互いの感情にしこりがないかは重要な問題だろう。推測を重ねるよりも本人に問いただすのが一番早いと、自分は深く納得して頷いた。
その日の夕刻。自分は執務用の幕屋を訪れ、羊皮紙と向き合っている雇い主に声をかけた。
「お、どうした? 用事なら俺から出向いたのに」
余裕めいた笑みを浮かべる彼に対し、自分は昼間の疑問をそのまま口にした。
「君は、自分を――ただの雇われの傭兵ではなく、ここにいる自分自身を、どう思っているのだろうか」
「……は?」
不意打ちを受けたように、彼が間の抜けた声を漏らす。自分は表情を変えず、さらに言葉を重ねた。
「聞き方が悪かったか。君は、自分を好いているのかとたずねている」
手元の羽根筆が、鈍い音を立てて無惨に折れ曲がった。
「な、何を……」
「今日、訓練の合間にシェズから言われた。君が熱心に話しかけてくるのは、自分に好意があるからではないかと。自分はただの監視だろうと言ったのだが、直接本人に聞いてみろと勧められてな」
ひとりの人間としての好ましさがあるのかどうか。事実だけを淡々と並べると、彼の飄々とした顔つきがみるみるうちに引き攣っていった。
「あー……そうか、そういう……あははっ! シェズの奴、面白い冗談を言うな。なるほど、傍から見ると俺はお前に熱を上げているように見えるわけか。たしかにお前の力を欲してはいたが、決して、その……私的な感情だとか、そういう類のものじゃなくてだな……そ、そう! お前の言う通り――」
身振り手振りを交えながら、己の振る舞いがいかに他意のないものであったかを彼は説明し続ける。時折口をもごもごさせたり、ああ、だとか、うう、だとかこぼしている。彼が何かを言おうとしていることは分かるが、何が言いたいのかはさっぱり分からなかった。
自分が何も言わずにじっと立ち尽くしていると、彼は誤魔化すように肩をすくめた。
「……なんだよ、その目は。疑ってるのか? 傷つくなあ、俺のこの真摯な眼差しを見てくれよ」
真意を煙に巻こうとするその姿に対し、自分は表情を変えないまま、ぽつりとこぼした。
「……つまり、戦力として重宝しているだけで、好意があるわけではない、と?」
「だ、か、ら。重宝はしてるが、あくまでレスター連邦国の王としての評価であってだな。お前への高い評価を――」
言葉を継ごうとした彼を遮るように、自分は静かに、けれどはっきりと告げる。
「戦力としてではなく、ただ好かれているほうが自分は嬉しい」
彼の喉から息が抜けるような音がして、そのまま言葉にならない何かが、床へと転がり落ちた。それまで淀みなく回っていた彼の思考が、完全に停止したのが見て取れる。
「嫌われているより、好かれているほうがいい。だから、もしそうなら自分は嬉しい」
「…………」
静寂が落ちた。クロードの顔の奥からじわじわと朱が差し始め、耳の端まで赤く染まっていく。彼はひどく居心地の悪そうな顔つきになり、やがて大きなため息とともに両手で顔を覆ってしまった。
「あー……っ、もう。お前ってやつは、本当に……」
指の隙間から見える肌は、隠しようもなく赤い。同じ人間としての友愛の有無を尋ねていただけだというのに、どうして彼がこれほどまでに打ちのめされているのか、自分にはまるでわからなかった。
「わかった、降参だ。俺の負けだよ。……もう、好きってことにしといてくれ。それでいいだろ」
勝負をしているわけでもないのに、彼はいったい何に負けたのだろう。自棄気味に絞り出された声に、自分は不思議に思いながら小さく目を瞬かせた。
「……そうか。それなら良かった。自分も、君を好ましく思っている」
素直にそう伝えると、顔を覆っていた彼の肩が大きく跳ねた。
「……っ、そりゃあ、どうも……」
指の隙間から漏れた声は、ひどくかすれていて聞き取りづらい。だが、雇い主と傭兵という関係を超えて、互いにひとりの人間として好意を確かめ合えた事実が、するりと胸の奥に落ちてきた。じんわりとした温かなものが広がっていくのを感じる。悪い気はしない。むしろ、頬の筋肉が自然と緩みそうになる。
「あっ、おい、変な顔で見るな!」
変な顔などしているつもりはない。ただほんの少し、口元がほころんでしまっただけだというのに、ずいぶんな言い草だ。自分がわずかに表情を和らげたのを咎めるように、彼は顔を真っ赤にしたまま立ち上がった。
「分かった、分かったから! これで話は終わりだ! 俺はこのあと大事な話の予定があるんだ、お前はもう出て行ってくれ!」
「そうか。邪魔をして悪かったな」
背中を乱暴に押され、自分は半ば強引に幕屋の外へと押し出されてしまった。ばさりと厚い布が下ろされ、内側からは荒い息遣いだけが聞こえてくる。
だが、大事な話があると言うわりには、誰かを招き入れるような気配はない。ならば、その話が終わるまで外で待機していようかと考えていた、その時だった。
不意に布が捲り上げられ、顔を出した彼と目が合った。彼はひどく悔しそうな顔をしたのち、うう、とうめいた。
「……こんなところで突っ立ってないで、明日に備えて早く休め! 風邪でも引かれたら俺が困るんだよ!」
そう言うだけ言って、彼は再び乱暴に布を下ろしてしまった。
本当に不思議だった。自分が外で待っていようと考えたことを、彼はなぜ見抜いたのだろうか。やはり、レスターの王たる者は恐ろしく洞察力に長けている。
帰るふりをして、わざとらしく足音を鳴らしてみようか。そうしたら、彼は油断して、この布を上げるだろうか。そのとき彼はいったいどんな顔をしているのだろう。