燭台切と彼を包む人々の物語。歌仙と燭台切の厨組や伊達組中心です。
《極が初に戻る呪いの話》https://privatter.net/p/11623930の後日談。
@fu_re_re_ra
「光坊…」
「だいじょうぶ、大丈夫だから。ちょっと目が眩んだだけ」
あまりにも顔色の悪い光坊が、一睡もできていない顔でふらふらと立ち眩むので、見るに見かねて手を出した鶴丸は、腕を掴んで立ち上がるのを手助けしてやりながら、光坊に向けて申し訳なさそうに表情を曇らせた。
「少し横になって休んだらどうだい」
「ありがとう鶴さん、ごめん、でも、その」
眠りに付くことを躊躇うように、光坊はふるふると首を振って視線を彷徨わせた。
「その、少し夢見が悪くて……でも、きっとそのうち収まるから。だから、心配しないで」
そうは言っても、
光坊の変調の切っ掛けは、誰から見てもはっきりしている。
先日の二の蔵での火災だ。
札や紙や硯など、資材と刀剣以外を保管した蔵に、油を撒いて火を放ったのは、敵の呪詛に侵されて正気を失っていた鶴丸自身だった、らしい。
申し訳ないことにほとんど記憶に無いが、いかにも『俺』がやりそうな手口だった。断片的な記憶を継ぎ合わせると、派手な火災を陽動にして、主や警護を目的の場所まで誘い出して目的を果たそうとしたようだ。
幸いだったのは、連結前の刀を保管した一の蔵に燃え移る前に鎮火できたこと。加えて、その隙を狙って清め用の裏井戸に、獣の死体と二の倉からくすねた農薬を放り込んで絶望的な本丸機能停止を図ったらしき俺を、先回りした三日月が止めてくれたらしいことだった。
「はっは、生憎だったなあ、鶴や。ここは易々と通すわけにはいかんなあ」
人手が火災現場や主人の周囲、敵の捜索に集中する中、そう笑った三日月だけが裏の裏を読み、真逆の位置で井戸を護ってくれたらしい。
おかげで俺は井戸の機能停止を素早く諦めて、見切りを付けて本命の主の方へと向かった。
そうでなければ、裏井戸は獣の死体で穢されて到底使えなくなり、呪詛への対抗手段がさらに限られる状態となっていたことはもちろん、現場近くに打ち捨てられていた農薬の種類を鑑みるに、盛られれば飲用利用どころか井戸そのものを放棄、埋めるしかなくなっていただろう。
本丸は一種の要塞、井戸をやられることはいつの時代も戦において致命的だ。三日月が気付いていてくれなかったらと思うとぞっとする。水場がやられてしまえば、下手をすると本丸そのものを数十年は放棄するしかなくなる。
止めてくれた加州や山姥切、三日月を含む仲間たちには、到底足を向けて眠れない。
こうして、心強い仲間たちのおかげで、オレがやらかした大失態は、致命的な部分を辛うじて回避して、最小限に抑えられたらしい。申し訳ないことに憶えている記憶はかなり断片的だった。
だが、その余波がここにも一つ。
蔵と納屋の延焼を目の当たりにした光坊が、直後からはっきりと体調を崩した。
燭台切光忠という刀は、1923年9月1日、関東大震災の最中、蔵にて被災し焼身の身となっている。
被災刀剣に価値は無いと言われていた時代のことだ。戦中の鉄不足による強制徴収の中でも家宝として国の取り上げを断固拒否し、水戸徳川家で大切に保管され続けたこの刀は、被災による真っ黒な黒鉄に溶けた黄金の鎺が癒着したその姿を、後の世で広く愛され、一度は『刀に非ず』とされた被災刀剣の身でありながら、なんと再び公的に日本刀として登録を果たしたこの国初の刀となる。
伊達政宗の時代に逸話と名を与えられ、一度焼けた灰の中から人の手で掘り返されて、まるで不死鳥がごとく炎を超えて現存し再び刀として認められた強き物語。
それら全てを愛され、今、刀剣男士としてここにいる。
火災の記憶の有し方には個体差があるようだが、どうやらこの本丸の光坊に限ってはかなり鮮明な様子だった。
被災の物語すらも己の誇りだと、以前から光坊は力強く笑っていたらしいが、そんな中で、よりにもよって目の前で蔵を派手に炎上させ、あわや未顕現の刀剣を保管する一の蔵にまで延焼させかけたことで、光坊に多大な心労を与えてしまったらしい。
あれ以来、光坊はずっと、火災の悪夢に魘され続けている。
あまり憶えていないこととはいえ、己の手で引き起こしたことだ。オレが敵の手にああも容易く堕ちさえしなければ、光坊がトラウマを刺激されてこうも苦しむこともなかったはずで、もがき苦しんでいる姿を見るのは胸が痛かった。
だが、光坊は、オレを気に病ませまいと首を振って懸命に笑う。何がしてやれるだろう。
「あ、歌仙くん。ありがとう、追加の食材、持ってきてくれたんだね」
本人はいつも通りのつもりなのだろう、にこりと笑ってみせた燭台切だが、その顔色は誰が見ても悪かった。あまりに青褪めた横顔は酷くやつれて、眠れていないことは目の下の濃い隈で一目瞭然。
煮炊きする釜戸に吹子で息を入れていた燭台切の、隠しているつもりなのだろう、指先がかすかに震えている。
野菜籠を置き、はー、と深々と嘆息しながら額を押さえてかぶりを振った歌仙兼定が、次の瞬間、ぶん、と拳を振り上げた。
青い顔に、拳骨を一つ。
「イッッたぁ…!」
「いい加減におしよ。そんな真っ青な顔したフラフラな状態で厨に立たれて、できた料理を誰が喜ぶんだい」
眉を吊り上げて仁王立ちした歌仙が、目を白黒させる燭台切を、ぴしゃりと叱り付けた。
「少しでもきみの気分転換になるならと思って目を瞑っていたが、調理の火ですらその有り様なら厨に立たない方が余程ましだ。さっさと引っ込んで青空の下で畑仕事でもしている方がよっぽど健全というものだろう。ほら、さっさと行く」
「その、ごめんね歌仙くん、不甲斐なくて…」
「別にそんなふうには思わないさ。それもきみの物語なのだから」
叱り飛ばしたのと同じ眼で、愛情深く視線を和らげる。
青空色の瞳が、柔らかく、丁寧に言い聞かせるように優しくたわんだ。
「僕が言っているのはね、料理はそんな顔でするものじゃあない、ってことだけさ。きみの料理を愛し楽しみに待っている者はこの本丸に多くいるんだ。そんな彼らの笑顔に、いつだって誠実でなくてはいけないよ。料理を愛するきみだって、本当は分かっていることだろう?」
「……ごめん、歌仙くん」
「気が紛れたら戻っておいで。火を使わない下拵えには呼んであげるよ。ほら、さっさと行く」
「……うん、ごめん。ありがとう」
釜戸から離れた燭台切が、裏の畑の方に向かったのを確認すると、歌仙は腕を捲って「よし」と気合いを入れ直した。
「さて、好物の一つでも作ってあげるとしようか」
調理の工程はだいぶ遅れるだろうが、なに、倍働けば良いだけだ。
「って、歌仙くんに叱られちゃったや」
「歌仙な〜、みっちゃんのことも伽羅のことも大事にしてくれていい奴なんだよなあ」
太鼓鐘がそう言って、収穫期の夏大根を引き抜きながら、そうぼやいた。
身内以外には実のところドライで辛口な面もある太鼓鐘だが、その自分から見ても歌仙は良い奴だった。
番長補佐という形で厨をサポートしてくれている関係上、みっちゃんのことをよく支え、見えないところで伽羅が無茶をしていれば派手に叱り飛ばしてくれる。
そんな歌仙は、太鼓鐘の眼から見ても、信用に値する一振りだった。
「実はさ、さっきチラッと畑に顔出した時もみっちゃんのこと、さりげなーく聞かれたんだよな」
「ああ……そっか、だから畑に出ろって」
気持ちの良い快晴の下、黙々と畑仕事をしていると気も紛れる。
光忠を畑へ送り出した歌仙の行動が、気心知れた太鼓鐘のもとに送り出す配慮である、という事実に気付いて、光忠はありがたそうに目を細めて、張り詰めた表情を少しだけ和らげた。
とはいえ、そもそもが、普段ならほとんどの時間遠征に出ずっぱりの第二部隊隊長の太鼓鐘が、真昼間からこうしてのんびりと畑仕事に勤しんでいるのだって、実は総務番長の長谷部たちによる配慮というやつだった。
太鼓鐘や伽羅を始めとした古馴染みの伊達刀たち。
そして同じく被災刀剣ではあるが、事件当時は敵の捜索隊の方に回っていて火災を目の当たりにはしていないという福島光忠。
九曜と竹雀の縁ある番長補佐の歌仙といった、いずれもみっちゃんに縁が深く支えてくれそうな面々は、聞くところによればこのところ揃ってさりげなく忙しい輪番や書類の内務から外されて時間の自由が効くようにしてくれているらしい。
普段ならそういうことには真っ先に気付くみっちゃんが、それに気付く気配が無いということは、見かけよりもぎりぎりなのだろう。精神的にかなり消耗しているみたいだ。
もちろん力になってやりたいけれど、こういうのは刻が解決するのを待つ他ない側面もある。
強さも脆さもみっちゃんだ。
だから、どちらも信じ、どちらも案じながら、支えて待つ。
側にいるぜと絶えず伝えながら、いつか絶対に立ち直る黒く頼もしい背中を信じるだけだった。
は、あ
息が上がる。
光忠は、悪夢の中であえいだ。
息苦しいほどの熱の中
空が、赤く灼けて
この身が、焼け落ちていく
体が上手く動かない
数百年が経っても、火災には到底力が及ばない
肉体を得て、両腕を得て、様々なものに手が届くようになった今でさえ
炎がちろちろと舐めて呑み込んでいく。
大切な人たちの笑顔を、大事な居場所を。
命より大事なものが、焼けていく。灰になっていく。
僕は、どうしようもなく絶望しながら
まだ熱い灰を必死に掻いて、焼けてしまったものを探していた
灰の中に、折れてしまった刀の残骸
誰の物かも分からなくなってしまった、黒く焼けた戦装束
すっかり焼け落ちてしまった本丸の大広間の柱と柱の間に
みんながくれたBARの暖簾が、無惨に焼けている
灰を必死に掻き抱きながら、僕は炎に巻かれて灼けていた。
声を枯らして叫んだ。それすらも炎に飲み込まれていく。
手が届かない
はっと汗だくのまま飛び起きた光忠は
ばくばくばくと、胸の中心で早鐘を打つ心臓を過呼吸で宥めながら、手の甲で、どっとあふれた額の脂汗を拭って、到底もう一度眠れそうにないと、襖を開けて部屋を出た。
すると、廊下の向こう、縁側に独り、光降り注ぐ月を見上げたまま、気配も無く座って酒を飲む、白い背中。
ゆるり、と白い面差しが、優しく振り返った。
「一杯やるかい、光坊」
とくとくとく、と注がれた美しい清酒が、月光を吸って仄かに光を放っている。
「なあ、光坊。そいつは、どうしても独りで抱えないとだめかい」
猪口をくいっと傾けた鶴丸が、夜に溶けるような優しい声でそう口にした。
「刀剣男士として在る以上、歴史の護り手として、時に他には決して肩代わりできないものは多くあるよな。だが、きみの傷は、必ずしもそうとは限らないんじゃないか、光坊」
愛おしそうな声だった。
語って聞かせるのは、あたたかく抱きしめるような柔らかな声音だった。
「焼けたきみの傷すらも愛したものが多くいて、だからこそきみはここにいる。そのことは、きみがいちばん良く知ってるだろう?」
ぐっと喉を詰まらせて、光忠は目を固く瞑って、ぐいっと勢いを付けて盃を飲み干した。
そうして、深く項垂れると、消え入りそうに口にした。
「……手が届かないんだ」
震えるほどかすかな声で、消え入りそうに光忠は口にした。
「こうして体を得て、掴める両手を、自分の意思で進める脚を貰ったのに」
ただ無力に焼かれるばかりだった炎を、料理を通して誰かの笑顔にだって変えられるようになったって、そう思ってた。けど
けど、どうしても、届かないんだ
僕じゃ守れないって、思ってしまった
火災だけじゃない。燃え上がる激しい炎を前に、あまりに無力な己のちっぽけさが、どうしようもなく恐ろしくて
己の恐怖へ果敢に刃を向けられなければ、刀剣男士としては戦えない。
炎を前にすると、心が絶望で満たされて
抗えない、逆らえない。自分にはどうしようもないと絶望的な諦観が満たす
たとえ両の手を得たとしても、鋼の身では火災に太刀打ちできないと
「鶴さん、僕は、どうしたらいいんだろう」
酒の力を借りながら、震え上がるような心細さで口にする。
残暑の夜露に、指先が痙攣して、凍り付くような寒さで唇の血の気が引く。
静かに、静かに、淡雪のような優しい声が降る。
「なあ光坊」
満月に負けないほど美しい金眼が、優しくたわむ。
「────知ってるか。消防車ってな、上手くすると10万円ぐらいでぽんっと買えちまうらしい」
「……は?」
「驚きだよな? なんでも、万に一にも現場で故障しないようにってんで、ろくに走ってもいないのに五年ぽっちで新車に交換して払い下げることも珍しくないんだそうだ。小さな消防団に譲られたり、映画の撮影なんかにも使われるらしい。で、そういうのを上手いことタイミングを見計らって競り落とせないかと」
「え、え??」
「中古だと70万から500万ぐらいだそうだ。ちょいと頑張れば即金で買えなくもないと、彼女、この前、勘定番長と現物を見に、」
「ちょ、ちょっと待って鶴さん」
笑いながら軽快に喋ってみせた鶴丸が、混乱したように目を回す光忠へと、ふっと穏やかに目を細めた。
「そうだなあ、光坊。確かにオレたち鋼の身には、到底抗えない限界ってもんがある」
深く、深く、沁み入るような優しい声で、ゆったりと鶴丸はそう言葉をなぞった。
「けどな、彼女は平気でぶち抜くつもりだぜ。次に火事が起きたら、そうやって力技で止めるんだそうだ」
そうすればきっとみんな不安にならずに済むからと
今も心を砕き、知恵を絞って考えてくれている。
絶望に風穴を空けるのは、いつだって人の子だ。
「オレが万一また敵の手に落ちたって、初期刀殿たちが総出でぶん殴って絶対に止めてくれるそうだぜ。……なあ光坊」
まるで、優しい焚き火の側で身を寄せ合うみたいに。
鶴丸は、光忠の肩に腕を回して、ぐっと顔を寄せて笑った。
「オレたちは、仲間や主人に恵まれたよなあ」
じわ、と
目尻に浮かぶ雫を、誤魔化すように
光忠は盃で顔を隠して「はは」と震え声で
ぐっと喉を鳴らした。
「うん、そうだよね。……僕ら、本当に、幸せ者の燭台切光忠と鶴丸国永だ」
その夜、良い酒にほろ酔いのまま、泥のような眠りについた。
酷い炎に巻かれる夢は、やはり見た。身は灼かれ、大事な本丸は灰に帰していく。
けれど、そこに颯爽と現れたのは、真っ赤な消防車を何台も引き連れて、なぜか意味もなく消防車の両脇に捕まったまま駆け付けた、消防隊の格好の彼女と鶴さんだった。
サイレンの代わりにとんちんかんなテーマソングを歌いながら、まるで映画のセットのように格好を付けてみせた二人の姿に。
僕は先ほどまで焼かれていたことも忘れて、涙が出るほど笑ってしまった。
それ以来、炎の夢は見なかった。
絶望の意味と希望の意味を、僕は両方知っている。
「おはよう、歌仙くん」
暖簾をくぐった燭台切の面差しが、朝の陽射しの中で晴れやかで
歌仙は振り返って、ふっと双眸を柔らかく細めてみせた。
「吹っ切れたようだね」
「うん。ありがとう。復帰していいかな」
「構わないさ。さて、ちょうどいいところに来たね」
こと、とテーブルに置かれたのは。
潰した枝豆でみずみずしく鮮やかな翠色に輝く餡を掛けた、甘い餅。
あ、と燭台切は目を見開いた。
「ずんだ餅…?」
「シンプルに同じ手順で作っているはずなのにね。やっぱりきみと同じ味は出せないんだ」
彼女ときたら、どう作ってもすぐ気付くんだよ。
やっぱりいちばん好きなのは『みっちゃんのずんだ』だそうだよ。まったく妬けるね。
味見を頼むよ、と笑いながら言う歌仙に
燭台切は添えられた木べらを手に取り、そっと口にした。
枝豆餡の控えめな甘さが舌いっぱいに広がり
甘く拵えた餅がもちもちと柔らかく歯を押し返して
優しい味が、口いっぱいに広がって、胸を満たした。
光忠は、笑み崩れるようにして
その優しい味を、心に仕舞い込んだ。
「うん……美味しい。すごく」
《月下、盃、時々消防車》