本編軸(翠風)。『文体練習03』で書いたフレーズが気に入りすぎて、それをベースにした、ラッキースケベ体質になってしまったベレトの話を書きました。
@Bombwooo
最近、どうもおかしい気がする。体調は問題ないし、剣の腕も鈍ってはいない。だがクロードとのあいだに、見過ごせない不慮の事故が多すぎるように思う。
発端は数日前。彼が遠征先で腕に傷を負ったときのことだった。
自分はすぐさま彼を手当てしようとしたのだが、異国の意匠が取り入れられた彼の衣服は、ひどく複雑な構造をしていた。傷口を確認しようと留め具や紐を辿って解いてゆくうちに、気づけば彼の上半身をすっかり剥き出しにしてしまっていた。
「先生。心配してくれるのは嬉しいが、さすがにこの格好は冷えるぞ」
肩をすくめて苦笑する彼を見て、己の業にはっとする。いくら治療のためとはいえ、これではあんまりだ。平謝りして慌てて衣服を直そうとする自分に対し、彼はどこか愉快そうに喉を揺らしていた。
それから、さらに翌日のこと。野営の片づけで水仕事をしていた際、隣へ手伝いに来た彼に、誤って勢いよく跳ね上げた水を浴びせてしまった。
彼が着ていた薄手の衣がたっぷりと水を含んで肌に張り付き、鍛え上げられた青年の身体の輪郭がはっきりと透けて見えた。彼の肌は、こちらが目をそらしたくなるほど健やかで眩しくて、後頭部を殴られたような衝撃を受ける。
「……すまない、すぐに拭くものを」
「ははっ、手伝いに来たはずが、とんだ水浴びになっちまったな。先生は案外、不器用なところがあるらしい」
濡れた前髪をかき上げる姿に申し訳なさがこみ上げる一方で、目の前の生々しい光景に、妙な居心地の悪さを覚える。視線のやり場に迷っていると、彼は悪びれる様子もなく笑い声をあげた。
そして決定的な出来事が、自室での茶会に彼を招いたときのことだ。淹れたての茶を運ぼうとした際、足元の敷物に引っかかって体勢を崩した。
「危ない!」
彼が咄嗟に腕を伸ばして自分を受け止めてくれたのだが、勢いを殺しきれず、ふたりもつれ合うようにしてすぐ後ろの寝台へと転がり込んでしまった。
背中を打つ痛みはなかった。代わりに、自分を見下ろすようなかたちで彼が上に跨っている。
窓から差し込む光が彼の顔に濃い影を落とし、くっきりと彫りの深い目鼻立ちを強調させていた。五年という歳月を経て、いつの間にか少年らしさを脱ぎ捨てた彼の顔を間近で見たのはこれがはじめてかもしれない。彼はよく自分の顔を褒めてくれるが、彼のほうこそよくできた容貌をしているように思う。
「……助かった、ありがとう。君のおかげで怪我をせずに済んだ」
慌てて身を起こそうとしたが、彼はなぜかすぐには退いてくれなかった。それどころか、わざと距離を詰めて、押し殺したような低い声で囁いた。
「先生から寝台に誘い込んでくるなんて、ずいぶんと思い切った真似をするじゃないか」
「違う。これはただの不慮の事故で、」
「はははっ、冗談さ。……でも、こういう災難ならいつでも大歓迎だ」
からかうように弧を描く口元を前に、自分は返す言葉を見失って、ただ固まることしかできなかった。
彼はかつての教え子であり、肩を並べて戦う唯一無二の存在だ。
それなのに、こうも立て続けに肌が触れ合い、彼が男としての側面を見せてくる状況は、自分の思考を少しずつかき乱してゆく。自分が不注意なだけなのか、それとも何か見えない落とし穴があるのか。
彼のほうはと言えば、自分が狼狽する姿を見て楽しんでいる節がある。その底知れないまなざしの奥で、彼が一体何を考えているのか。付き合いはそれなりに長いと思っているが、いまだに彼の意図は読めそうにない。
突き抜けるような青空の下、自分は干場に広げた大きな布と格闘していた。野営で使った天幕代わりの布地は重く、風に煽られてうまく畳めない。そこへ「手伝おうか」と声を掛けてくれたのが彼だった。
「助かるよ。自分ひとりでできると思ったんだが、なかなかうまくいかなくて」
「こういうのはふたりでやったほうが早く終わるだろ。とっとと終わらせようぜ」
彼は申し訳なさを吹き飛ばすように笑って、布の反対側を掴んでくれた。息を合わせてふたつに折りたたもうとした、まさにその瞬間だった。
山あいを抜ける一陣の風が、布地を大きく膨らませた。強い力で引っ張られ、彼が体勢を崩す。
咄嗟に布を手放して彼を引き留めようとした自分の判断は、結果として最悪の災難を招いた。視界を覆い尽くす布ごと足をもつれさせ、自分たちは地面へと激しく転がり落ちた。
日差しを遮る分厚い布の下は妙に薄暗く、そして息苦しいほど狭かった。
「……怪我はないか」
「ああ。ただ、どうにも身動きが取れないな」
彼のため息が、自分の前髪を揺らす。暗がりの中で布が複雑に絡まり合い、どこから手を付ければいいのかわからない。
「自分が少しずつ腕を引いてみよう」
「頼む。ふたりで暴れても余計にこんがらがるだけだからな」
彼の言葉に従い、自分は布の隙間を探って慎重に腕を動かした。手首に絡みついていた布がふっとゆるみ、拘束が解けたことにより、自分は前へのめり込むように倒れかけた。
ごつ、と互いの額がぶつかる鈍い音。同時に、のしかかるまいと咄嗟に伸ばした自分の右手が、彼の中央、シャツ越しの胸元を力強く押さえつけてしまっていた。
手のひらに伝わってくるのは、士官学校時代にはなかった、大人の男としてのぶ厚い骨格と筋肉の弾力だった。やわらかい感触の最中、ひどく力強く、規則的な心音がどくどくと打ち据えているのが伝わってくる。触れてはいけない熱に触れてしまったような心地になり、自分は思わず息を詰めた。
額を擦りながらこちらを見た深緑の瞳が、自分の手の位置と、隠しきれない狼狽の色に気づいて、すっと細められる。
「……ほんと、考えてることがすぐ顔に出るな」
胸の奥から響くような低い笑い声。彼はわざとらしく顔を寄せ、悪びれもなく囁いた。
「俺が男でよかったな、先生?」
完全にからかわれている。彼はこちらの反応を観察して楽しんでいるのだ。
しかしからかうにしたって、どうにも距離が近すぎる。冗談と言いながらあえて際どい罠を張り、こちらの出方を窺ってくる。
息が触れ合うほどの距離にいても、彼の考えはさっぱり分からなかった。
思い切ってその意図をたずねようとしたその時、不意に頭上の布がするりと滑り落ち、眩しい日差しが射し込んできた。
「うわ、」
先に気の抜けた声を出したのは彼のほうだった。
光の下で互いの姿を確認し、自分たちは言葉を失った。洗い立てだったはずの布も、彼の着ている真新しいシャツも、土にまみれて見る影もない。おまけに、すぐそばにある端正な頬にも、泥がべったりと付着していた。おそらく自分の顔も同じ有様だろう。
気まずい時間も、彼の意地悪も、この惨状の前では長続きしなかった。
「うは、あんたの顔、泥だらけだぞ」
「君もだ」
どちらからともなく、吹き出してしまう。
「仕方ない、洗い直すか」
汚れたシャツの袖をまくりながら、彼が苦笑する。
すっかり毒の抜けた空気の中、ふたりで再び布を抱え上げた。先ほどまでの艶っぽさはすっかりなりを潜め、彼は無邪気な笑顔を浮かべている。
結局、ふたりがかりで布とシャツを洗い直す頃には、すっかり日が傾きかけていた。
人目のつかない裏庭の片隅で、乾いた風を浴びながら休憩を取る。隣に座る彼は、まだ少し湿った髪を無造作に掻き上げていた。
「それにしても、最近のあんたはどうもついてないなあ」
不意に、彼が愉快そうな声を上げた。
「俺の怪我の手当てをした時といい、今日のことといい。普段は隙のないあんたがいったいどうしちまったんだ? 巻き込まれる俺の身にもなってほしいもんだよ、まったく」
「あれは、自分でも不注意だったと思う。悪かった」
「ははっ、そんな真面目に謝るなって。ま、俺としては、悪くない巡り合わせだと思ってるぜ」
そう言って、彼が少しだけ身を乗り出してきた。壁際へと追いやられる形になり、彼が自分の耳元へと顔を寄せる。
「俺はもともとその気はなかったが……あんたが相手なら、ありかもな」
ひどく甘い声で囁かれた直後、睫毛の先で彼と視線が絡んだ。その口元には、いかにも悪童といった様子の、意地の悪い笑みが浮かんでいる。
どう見たって、彼は明らかに自分を試している。自分が赤面し、慌てふためいて逃げ出すのを期待しているのだ。
だが、その余裕ぶった態度が、自分の中にある闘争本能のような何かを刺激した。からかわれたまま、大人しく引き下がるつもりはない。
「……そうか」
「え?」
自分は身を引くのをやめ、逆に彼へとぐっと顔を近づけた。鼻先が触れそうな距離で、わざと退路を塞ぐように体重を預ける。思いがけない反撃に、彼が短く息を呑んだ。
「おいおい、冗談だって。むきになるのはよくないぞ」
軽口でごまかそうと身をよじる彼を逃がさないよう、壁に手をついて物理的に退路を断つ。
「君が思うほど、自分は何も知らないわけじゃない」
想定外の接近に、かすかに見開かれた双眸をまっすぐに見据えた。正直、自分にはまだまだ知らないことのほうが多いが、かまをかけるならこれぐらい大きく出たほうがいい。
「嫌なら、やめる。いまならまだ間に合うが、どうする?」
落ち着いた声でそう猶予を与えると、彼は逃げ場を探すように視線を泳がせ、悔しそうに顔を歪めた。
「……そういう聞き方はずるいだろ」
悪態をつきながらも、彼は自分を突き飛ばそうとはしなかった。それだけの力があることを、自分は知っている。
そのまま彼の腕にそっと手を滑らせると、その大きな手をしっかりと掴んだ。
やはり抵抗はない。それどころか、乱れた前髪が目を覆うのも気にとめない様子で顔を伏せ、ひどく緊張したように身体をこわばらせていた。掴んだ手から、彼の体温が急速に上がってゆくのが伝わってくる。
その不器用で初々しい反応に、自分はとうとう気づいてしまう。
「……クロード」
「…………」
「黙ったままだと何も分からない」
意趣返しのように耳元で囁き返す。びくり、と彼の肩が大きく跳ねた。何か言い返そうとした彼と目が合った瞬間――そのわずかに開いた唇を塞ぐように、少ない知恵と拙い知識を振り絞った自分は顔をそばに寄せた。