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知らない話ばかりするあなたと、(レトクロ)

全体公開 レトクロ 4479文字
2026-03-09 21:32:23

無双軸(黄燎)。短い話が5篇。EP.10以降の互いに抱く不思議な予感と、少しずつ色づく日々の話。

Posted by @Bombwooo

1.

 卓上の地図を睨む男の横顔はひどく冷え切っている。ベレトはそれをまっすぐに見つめていた。見ていて気分のよいものではなかったが、どうしてか、目が離せなかった。
 仲間たちの前で見せる気さくな笑みはとうに消え失せている。誰にも真意を明かさず、ただ盤上の駒をどう動かすかだけを算段する、血の通わない為政者の顔。軍議が終わってからも、ベレトは黙ってその場に立ち尽くし、クロードを見つめた。
 腹の底に重く沈むような、根本的な齟齬。己の心すらもあざむき、閉じた世界で立ち尽くすその姿が、なぜだか不自然なものに思えたのだ。
 ――記憶にもない幻影が重なった。もっと警戒を解き、別の笑い方をしていたように思う。分からないけれど、そんな気がした。
 その正体の知れない違和感を、ベレトはひどく無造作に、他者の領域へ土足で踏み込むように口にした。
「君は、そんな男だっただろうか」
 静寂を切り裂いた無理解な問いに、地図をなぞっていた指先がぴたりと止まる。 ゆっくりと振り返った双眸には、明確な苛立ちが過っていた。
 無理もない。彼がどれほどの重圧を背負い、遙か遠い夢のために何を切り捨ててきたのか。ただ雇われただけの傭兵が知る由もないのだ。
 表面的な冷酷さだけを咎めるようなその言葉は、彼の払ってきた犠牲を塵芥のように扱う、ひどく浅薄で残酷な響きを持っていた。
 口に出してから、自分は言葉を知らなすぎると、ベレトは眉尻を下げた。
 何も分からないくせに、知ろうともしないくせに。知ったような口を利くな。理解されないことへの深い淋しさと、己の内にも燻るもどかしさ。そのすべてを鋭い拒絶の刃に変えて、男は低く吐き捨てた。
……あんたに、俺の何が分かるんだよ」
 それは傷ついた獣の呻きにも似て、冷たい夜の空気に虚しく吸い込まれていった。



2.

 布越しに鋼を撫でるベレトの手つきを、クロードは黙って見つめていた。傭兵という生き物を――正確には彼という存在を、少しでも知っておきたかった。契約ひとつで自分のもとを去ってゆく彼を、どうすれば手元に置いておけるのだろう。彼を雇い入れてから、そのことばかり考えている。
 しかし、留め置くだけでは満たされない。金と契約で切れてしまう関係ではなく、一個人としての心と心の結びつきがほしかった。そんな引力が、目の前の男にはあった。
 そんなみじめで幼稚な独占欲を、幾重にも皮肉でくるんで隠す。気づけば、足は自然とその背中へと近づいていた。
……あんた、雇い主に裏切られたことは?」
 背後から投げかけた問いに、ベレトの手がかすかに止まる。 振り返った静かな瞳に向かって、クロードはあえて口角を吊り上げてみせた。
「俺みたいな、腹の底で何を考えているか分からない雇い主の背中を守るのは、骨が折れるだろ? いつ切り捨てられるか分かったものじゃないからな」
 遠ざけるための言葉の裏に、どうかこちらを振り向いてくれという不器用な本音がへばりついている。
 だが、言葉を受け取ったはずのベレトは何も答えない。こちらの矛盾した弱さをとうの昔に見透かしているような眼差しを返してくるだけだ。
 嫌味のひとつも返ってこない居心地の悪さに耐えかねて、クロードは喉の奥で小さく息を吐いた。
……黙ってないで、何とか言えよ」
 急かすような声がこぼれ落ちた直後。ベレトは刃の具合を確かめるように手元へ視線を落とすと、起伏のない声で答えた。
「君がそうやって人を試すようなことを言うのは、今に始まったことではないから」
 咎める響きすらなく、ただ当たり前の事実を語るかのような声だった。まったく何の話をしているのか分からない。ずっと、彼の中で完結している。それが余計に気に入らなくて、クロードは眉をしかめた。
……俺が、こうやってあんたに話しかけるのは初めてだけどな」
 思わずこぼれ落ちた言葉に、ベレトは不思議そうに瞬きをした。クロードのほうがひどく理に合わないことを口にしたとでも言うような顔だった。過去に幾度もそうしたやり取りを重ねてきたのだと確信している、微塵の疑いもない態度。
 余計にこの男のことが分からなくなる。渇望してひび割れた心が、ずきずきと痛んだ。
 彼が見ている自分の、果てはその向こう側に何があるのかを知りたい。でも、知るのが怖い。そこに自分ではない人間が立っていたら、いよいよ立ち直れない気がした。
 言葉で探りを入れる気は、もうすっかり失せている。踵を返して寝床へ戻ろうかとも思ったが、どういうわけか、彼のそばを離れる気にはなれなかった。
 武具の油のにおいが漂う静寂の中、クロードは一歩二歩と震える足を踏み出したのち、そっとベレトの隣へと腰を下ろした。



3.

 炎のまたたきに合わせて、隣に座る男の頭が振り子のように揺れている。
 幾度も深く沈み込んでは、はっとしたように持ち上がる。その静かな攻防を、自分はただ黙って見守っていた。次はいったいどうなるのだろうかという、他愛のない好奇心だった。
 やがて限界まで張り詰めていた糸が、とうとう切れたらしい。
 大きく傾いた身体はそのまま均衡を崩し、無防備な重みとなって、こちらの肩へ唐突に落ちてきた。
 伝わってくるのは、規則正しい寝息と、やわらかな体温。常に周囲を警戒し続けている雇い主が、これほどまでに沼底へ沈み込むように眠る姿を見るのは初めてだった。
 夜風に当てたままにしておくよりも、揺り起こして寝床へ連れて行ってやるのが、雇われの身としての筋だろう。そう考えて伸ばしかけた手を、空中でふと止める。
 肩に顔を埋めたまま、彼がひどく安らかな吐息を漏らしたからだ。寝心地が特別よいわけでもないだろうに、彼は穏やかに眠っている。その横顔は戦場にいる者のそれではなく、静かなまどろみに満ちていた。
 今ここで現実に引き戻すのは、少しだけ惜しい気がした。伸ばしかけた手を静かに下ろし、自分は再び燃え盛る火へと視線を戻す。
 しばらくの時間が過ぎ、薪が崩れる微かな音が響いた直後だった。
 肩の重みが跳ね上がるように消え、次いで、大きな物音が夜の静寂を打ち破った。状況を理解した彼が、反射的に飛び退こうとして足をもつれさせ、腰掛けごと背後へ無様に転げ落ちたのだ。
「なっ、何で起こしてくれなかったんだよ!」
 したたかに身体を打ち付けた痛みよりも、己の失態への動揺が勝っているのだろう。常の余裕など見る影もなく、顔を朱に染めて狼狽える姿は、ひどく人間らしくて目を引いた。
 これほどの無防備を他者に晒すことなど、彼のこれまでの生涯で一度としてなかったに違いない。必死に弁明を並べ立てる彼を見下ろしているうち、自然と口元がほころんでゆく。
「よく眠っている君を起こすのは申し訳なくて」
「ほんとうかよ」
「ああ」
 乱れた前髪越しに恨みがましい視線を投げかけられても素知らぬふりで、薪をひとつ、火に足した。



4.

 ひときわ大きな一撃を払いのけると、クロードは大きく息を吐き出して手元の木剣を下ろした。とめどなく流れる汗を拭きながら、目の前に立つ相手を見やる。激しく動いたというのに、灰色の悪魔と呼ばれる傭兵は、息ひとつ乱さずに木剣の切先を下げていた。
「君は、頭で先を考えすぎている」
 静かな声が、道場に落ちる。
「次をどう躱すか、どう立ち回るか。それに気を取られて、肝心の足元がおろそかになっている。……目の前の相手をよく見て、素直に踏み込めばいい」
 淡々と指摘される内容は、ひどく簡潔で、けれど的確だった。戦場育ちの傭兵なのだから、もっと荒々しい言葉が返ってくるものだとばかり思っていた。
 予想外に穏やかな、迷いを払って導くような響きに、クロードは感心したように小さく笑い声をこぼす。
「なんだか、先生みたいだな」
「そうだろうか」
「ああ。もしあんたみたいな先生がいたら、楽しかっただろうな。フォドラの常識に疎いうえに、何を考えてるか分からない。でも剣を持たせるとめっぽう強くて……俺の士官学校での生活も、また違ったものになったかもしれない」
 他愛のない、ありもしない空想だった。士官学校の教壇に、この得体の知れない傭兵が立っている──そんな突飛な想像をして愉快そうに笑うクロードに対し、ベレトは少しだけ考え込むように視線を落とした。
 そして、至極真面目な顔つきのまま口を開く。
……君のような生徒がいたら、ひどく手がかかりそうだ。いたずらばかりしそうで」
 心底からの実感がこもったような、呆れを含んだ響き。そのあまりにも率直な返しに、クロードは肩を震わせ、やがて堪えきれないような大きな笑い声を上げた。



5.

 陣所の空はどこまでも高く、澄み渡っていた。鳥たちのさえずりが、戦の最中とは思えぬほど平穏だった。
 見上げれば、純白の飛竜が風を切り、滑らかな軌道を描いて舞い降りてくるところだった。手綱を握るクロードは、いつになく晴れやかな顔つきで、相棒の首筋を慈しむように何度も撫でている。
 日ごろの陰りはなく、ただ伸びやかに空を駆けるその姿を見つめながら、ベレトは胸の奥で静かな安堵を覚えていた。
 ――なぜ安心しているのか、自分でも理由は分からない。ただ、彼にはあの明るい空がよく似合うと、そう思っただけだ。
 大地へ降り立ち、大きく身体を伸ばすクロードへ向けて、ベレトは唐突な問いを投げる。
「君は、空が好きなのか」
 不意を突かれたように目を瞬かせたのち、彼は不思議そうに空を仰いだ。
「空が好き、というか……どうだろうな。ただ、風のように自由に空を駆ける感覚が好きなのかもしれない」
 風に髪を揺らしながら眩しそうに笑う横顔には、確かな希望が宿っていた。その眩さを前にして、一介の傭兵の脳裏に、決してここには存在しないはずの遠くあたたかな幻が過ぎる。
「俺には、野望があるんだ」
 独り言のように彼がこぼす。遙か先を見据えるような声色だった。
「そうか」
 短いあいづちを返すと、彼は少しだけ不満げに肩をすくめた。
「なんだよ、つれないな。雇い主の壮大な目標なんだから、もう少し興味を持てよ」
 冗談めかして笑う声に、ベレトは静かに首を振った。奇妙な直感をそっと、胸の奥底へ仕舞い込む。
「いや……たぶん自分は、君の野望も、夢も、知っている気がする。だから、いいんだ」
「は?」
 ベレトは自身の言葉にうなずいたのち、クロードに背を向けた。背後から困惑した声で幾度も呼び止められるも、己の気は済んだと振り返りもしない。
 なぜそう口走ったのかは分からない。ただ、あの希望に満ちた目が、懐かしい気持ちにさせるのだ。


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