無双(赤焔)軸で、EP.7が終わった直後ぐらいの話。まだEP.8も終わっていないので矛盾あったらすみません。
3頁目はおまけというか、帝国軍との戦いの最中のベレトの話です。
@Bombwooo
帝国軍との激しい衝突から撤退し、デアドラへと帰り着いた夜。同盟軍の陣営には、敗戦の重苦しい空気が横たわっていた。
しかし、城館の一室に設けられたクロードの寝室だけは、窓から吹き込む夜の潮風と、卓上に置かれた灯かりの橙が、敗戦の泥濘から切り離されたような穏やかさを保っている。
寝台に腰掛けたクロードが、自身の腕に巻かれた真新しい包帯を疎ましそうに見下ろしていると、控えめながら躊躇いのない戸を叩く音が響いた。
「……夜分にすまない」
返事を待たずに扉を開けて入ってきたのは、ベレトだった。
こんな夜更けに何の用だ。報酬への不満か、それとも契約を反故にするつもりか。はたまた、無様に傷を負った雇い主を笑いにでも来たのか。
特別親しいわけでもない彼がここまで足を運んだ理由が脳裏に浮かんでは、消える。クロードは内心で警戒の糸を張りながらも、努めて軽い調子で声をかけた。
「いや、構わないさ。俺もさっき手当てが終わったところでね。……あんたのほうは無事だったみたいだな」
しかし、ベレトはやわらかな光の落ちる扉の前に立ち尽くしたまま、動かない。
「……すまなかった」
唐突な謝罪に、クロードは怪訝に眉を寄せる。
「いきなりどうした。負け戦だったとはいえ、あんたが謝るようなことは何もないはずだが」
「自分は、君の期待に応えられなかった」
ベレトは顔を上げ、まっすぐにクロードの双眸を見据えた。
「自分たちは今後の身の振りを決めかねていた。そんな時に拾ってくれた君には、相応の働きで恩を返すつもりだった。『必ず結果は出す、期待していてくれ』と、そう約束したのに」
己の言葉を噛みしめるように、ベレトの声音がわずかに沈む。
「帝国の将を討つことができなかったどころか、雇い主である君に傷まで負わせた。とんでもない失態だ」
その言葉に、クロードは心底面食らったように目を瞬かせた。
傭兵といえば、もっと損得勘定に敏い生き物だと思っていた。戦局が劣勢と見るや否や、雇い主を見捨てる者もいる中で、軍全体の敗北や雇い主の負傷にまで自ら責を負おうとする輩など、聞いたことがない。
「……あんた、本気でそれを悔やんで、わざわざ俺のところまで来たのか」
「ああ。……だが、」
そこでベレトは言葉を切り、真顔のまま、クロードの包帯が巻かれた腕へと鋭い視線を落とした。
「君の立ち回りにも、大いに疑問がある」
「……は?」
「敗色が濃厚と悟りながら、君はなぜ自ら門を開け、あの傭兵を迎え入れた? ……まさかとは思うが、自らの命と引き換えに彼を道連れにするつもりだったのか」
「おいおい、さすがの俺もそんなつもりは、」
「いくらなんでも無謀すぎる。あのような真似をしなければ、その腕の傷は負わずに済んだはずだろう」
純粋な疑問と、淀みない正論を織り合わせての追及に、クロードは思わず背を丸めてしまう。
「待て待て、謝りに来たのか説教しに来たのか、どっちなんだよ」
「謝罪と、事実の確認だ。殿を任された以上、雇い主に自死のような真似をされるのは困る」
一歩も引かずに言い切るベレトの姿に、クロードは観念したように息を吐き出したのち、小さな笑い声を漏らした。
「そうだな、今考えるととんでもない無茶をした。……悪かったよ。後ろにあんたたちがいると思って、妙に気が大きくなっちまったのかもしれないな。いざとなれば、あんたがどうにかしてくれるってさ」
冗談めかした口調の裏に張り付いた本音。それを聞いたベレトは、小さく息を呑んだ。短い沈黙が落ちたのち、口を開いたベレトの顔には、かすかな戸惑いの色が浮かんでいた。
「……君は、ひどく矛盾しているな」
「どういう意味だ」
「交渉の場でも、ずっとこちらを警戒していただろう。……ジェラルトも言っていた。君は常に本心を隠して笑う、食えない男だと。だから自分たちのことも、いざとなれば容易に切り捨てる手駒としか見ていないのだろうと思っていた」
淡々と、しかし素直に明かされた腹の内に、クロードは再び苦笑を漏らす。
「疑り深いくせに、雇ったばかりの自分に殿を任せ、命を預ける。……少し、君への見方が変わったかもしれない」
「俺はずっと分かりやすい善良な雇い主のつもりだったんだがな」
いつもの飄々とした笑みを浮かべたクロードに、ベレトは表情を一切変えることなく、ただ淡々と告げた。
「殿でも先陣でも、自分のことは好きに使うといい。その代わり、次の戦いでは決してあのような無茶はしないでくれ。……今度こそ、結果を出してみせる」
抑揚のない声。けれど、その坦々とした響きの中には、夜の静寂に溶けるような、やさしさが確かに滲んでいた。思いがけない不器用な気遣いに直面し、クロードは少し戸惑ったように目を瞬かせる。
「……ああ。頼りにしてるぜ、『凄腕の傭兵さん』よ」
静かに扉を閉めて出てゆく背中を見送ったあと、クロードはふと、まっすぐに案じられた腕の傷に触れた。
王国領を追われた彼らが同盟領に流れ着いたと聞いた時、いの一番に接触を図り、雇い入れたのは正解だった。
もしも帝国に先を越されていたら。あるいは、あの灰色の悪魔と再び真正面から戦うことになっていたら――想像するだけで、傷の痛みなど消し飛ぶほどの悪寒が背筋を這い上がる。
しかしいざこうして言葉を交わしてみれば、戦神のような武を誇る得体の知れない存在が、たかが一度拾われた程度の恩義を律儀に返し、挙句、雇い主の命を案じて説教まで垂れる始末である。
「……腹の探り合いをするだけ無駄か。ほんと、どうにもならない生き物だよ」
その独り言には、敗戦の夜には似つかわしくない、どこか穏やかな響きが混じっていた。
帝国軍の主力が王国へと矛先を転じたことで、同盟領にはひとときの平穏が訪れていた。張り詰めていた空気がわずかにゆるんだ、ある日の昼下がり。中庭で軽く肩を回していたクロードの前に、ふらりとベレトが姿を現した。
「怪我の具合はどうだ」
「ん? ああ、ベレトか。おかげさまで、もうすっかり――」
笑顔で振り向こうとしたクロードは、ぴたりと動きを止めた。ベレトの双眸は、普段の無機質なそれとは明らかに違う、眉間にうっすらと皺を寄せた不機嫌な色を帯びている。
「な、なんだよ、その顔」
「……自分でも分からない」
クロードの怯んだような反応に、ベレトは少しだけ視線を逸らし、ぽつりとこぼした。
「ただ、どうにも釈然としない」
その言葉と態度で、クロードはようやく合点がいった。この男は、あの敗戦の夜からずっと、雇い主に傷を負わせてしまったことやクロードの無謀な立ち回りに対して、いまだひとりでわだかまりを引きずっているのだ。
「あんた、割と根に持つ性格なんだなあ」
「……そんなことはない」
「いやいや、明らかに不機嫌そうにしてるじゃないか」
からかうように指摘すると、ベレトはさらにむっとした顔で唇を引き結んだ。感情の乏しさゆえに畏怖されていた灰色の悪魔が、今は分かりやすく機嫌を損ねている。その不均衡が面白くて、クロードは思わず吹き出しそうになるのを堪えた。
「まあ、安心してくれ。おかげさまで傷は大したことはない。むしろ休んでいたせいで身体が鈍っちまってな、午後からはこの寝ぼけた身体を叩き起こすつもりさ。よかったら、手合わせに付き合ってくれないか」
「……構わない」
すんなりとうなずいてみせたものの、ベレトの視線はあきらかに躊躇いを見せている。そのあからさまな気遣いに、クロードは大仰に肩をすくめてみせる。
「なんだその目は。さては俺のことを、戦いもろくにできない『ひ弱な盟主』だとでも思ってるな?」
「そういうわけでは……いや、少し思っているかもしれない」
「おい、そこは否定しろよ」
どこまでも素直なベレトに、クロードは呆れるばかりだった。彼の懸念も分からなくはないが、これでも盟主なのだ。戦えなくてどうする。
「手加減なんかしたら承知しないからな」
「……了解した」
挑戦的な眼差しを向けられたベレトの顔からは、不機嫌さがすっかり消え去り、静かな闘志が宿っていた。
クロードは手元の弓を引き絞り、向かい合う灰色の悪魔の挙動をじっと見据える。
空気を裂く鋭い音とともに、放った矢が次々とベレトの足元や肩口を掠めた。単なる攻撃ではない。相手の動きを予測し尽くし、巧みな牽制でその機動力を封じ込めるための矢だ。
雨のように降り注ぐ矢の中、ベレトは一瞬だけ足を止めた。そして、何かを悟ったように、クロードを見据える。次の瞬間、その動きが変わった。
こちらの目論見を察したのか、闇雲に間合いを詰めることをやめ、あえて付かず離れずの距離を保ちながら円を描くように動く。そして、剣を振るうと見せかけた次の瞬間、空いている左手をクロードへと翳した。
その意図を考える猶予も与えられぬまま、視界が突如、真っ赤な炎に包まれた。
ベレトが放った火球が目の前で爆ぜ、爆炎と煙が視界を遮る。ただやみくもに放たれた魔道ではない。
「へえ、真正面からぶつかってくると思ってたが、案外知恵が回るじゃないか!」
視界を奪われた中で、クロードは嬉しそうに吠えた。
ただ剣を振り回すだけの歩兵ではない。盤面を読み、柔軟に手札を切れる凄腕の傭兵。この男を確保できたことへの底知れぬ安堵感を、あらためて噛み締める。
しかし、戦術眼ならばこちらのほうが一枚上手だ。爆炎が晴れた瞬間、目の前にはすでに剣を振り上げようとしているベレトの姿があった。
「……勝負あり、だな」
低く沈み込んだクロードの声に、ベレトの剣が肩先まであと数寸というところでぴたりと止まった。いつの間にか姿勢を低くして剣の軌道を躱していたクロードは、下から覗き込むような体勢で、番えた矢の鏃をベレトの頬へと寸分違わず突きつけていた。実戦であれば、剣が振り下ろされるより一瞬早く、頬から頭部を深々と貫いている距離だ。
「……ああ。自分の負けだ」
ベレトは静かに剣を下ろし、ふう、と小さく息を吐いた。
接近戦に持ち込めば仕留められると踏んでいたのだろう。しかし、クロードはそれを逆手に取り、あえて懐に飛び込ませることにした。接近戦では弓兵は無力だという、無意識下の思い込みの虚を突いたのだ。
素直な感嘆を込めてベレトがつぶやいた。
「君への認識を、また少し改めないといけないな」
その言葉に、クロードは弓を下ろして人懐っこい笑みを浮かべる。
「だろ? ただ策を練るだけの男じゃない。強くてかっこいい、頼りになる雇い主なんだぞ」
冗談めかして胸を張ってみせる。潮風に溶けるような、呆れたため息が返ってくるのを待っていたのだが――ベレトはすぐには答えなかった。あたたかな光に照らされた、あの夜の寝室でのやり取りの時のようにクロードの顔をちら、と見つめたあと、なぜか少しだけ黙り込む。
「……なんだよ、その間は」
クロードが思わず胡乱な目を向けると、ベレトは無表情のまま、こくりとうなずいた。
「……そうだな」
あまりにも平坦で、抑揚に欠けたあいづちだった。神妙な顔つきではあるが、きっと内心では大して何も考えていないか、はたまた面倒になって適当に話を合わせているだけだろう。まだ付き合いの浅いクロードには、その真意がどこにあるのかを推し量る術などない。
「それ、適当にうなずいてるだろ」
「そんなことはない」
間髪入れずに返ってきた淀みのない声に、クロードはさらに調子を狂わされる。
「……あんたのそういうところ、ほんとやりづらいなあ」
さしもの策士も形無しだとばかりに、クロードは苦笑をこぼし、頭の後ろで腕を組んだ。
≪リーガン領突破戦≫
刃と刃が凄惨に軋み合う、耳を劈くような轟音。
帝国最強の武将たるベルグリーズ軍務卿の放つ一撃は、剣で受けてもなお、骨を軋ませるほどに重い。息をつく暇もない死闘の最中、視界の端では、ジェラルトやアロイスをはじめとする歴戦の仲間たちすらも、帝国の激しい猛攻の前に防戦を強いられていた。
その時、背後の砦から地響きがあがる。固く閉ざされていたはずの門から、飛竜を駆って前線に躍り出てきたのは、他でもない、レスターの若き盟主だった。そして、その視線の先には帝国軍の先陣を切る紫髪の傭兵がいる。
あの不可解な力を持つ傭兵の異質さは、ベレト自身が肌で知っている。対して、若き雇い主の武力はまったくの未知数だ。真正面から衝突すれば、彼が討ち取られる可能性のほうが遥かに高い。
盤面を見渡せば、味方が押し込まれているのは明白だった。もはや勝機は潰えている。戦場の現実は、いつだって非情だ。
撤退を選ぶべき局面であるにもかかわらず、あの男の纏う空気は明らかに異様だった。飛竜の背で手綱を握る横顔からは、諦観などではなく、静かで底知れぬ殺意がはっきりと読み取れる。
ベレトの胸の内に、これまでの傭兵生活では感じたことのない焦燥が渦巻いた。
これ以上の失態を重ねて、傭兵団の評判を落とすわけにはいかない。主を、ここで死なせるわけにはいかない。一刻も早く、彼のそばへ行かなければ。彼を、守らなければ。
思考が焦燥に染まり、無意識のうちに足が飛竜の方向へ踏み出そうとした、その時。
「よそ見とは、余裕だな!」
猛獣の咆哮を思わせる声とともに、その剛腕が振り下ろされる。空気を叩き割るような一撃を咄嗟に身を捻って躱すも、崩れた体勢に生まれた隙を見逃す相手ではない。容赦のない追撃の刃が降り注ぎ、ベレトは完全にその場へ縫い留められた。
焦燥が、じわりと胸の内を灼く。いかなる死地にあっても冷静に立ち回ってきた灰色の悪魔の呼吸が、わずかに乱れる。剣の柄を握り直す掌には、じっとりと冷たい汗が滲んでいた。
――どうか、無事で。声にならない祈りを奥歯で噛み潰し、ベレトは目の前に立ち塞がる巨大な壁へと、再び渾身の刃を振りかぶった。