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平行光(レトクロ)※現パロ

全体公開 レトクロ 6802文字
2026-03-17 20:11:56

エンジニアのベレトと、一緒に動いてる営業さんのクロード、みたいな設定です。
クロードが勝手に突っ走って、やけ酒やけ飯をする話。

Posted by @Bombwooo

 長年染み付いた油と煙草の煙が混ざり合ったような、ひどく淀んだ空気が漂っていた。
 壁掛けの古びた扇風機が鈍い音を立てて首を振るたび、卓上の紙ナプキンがわずかに揺れる。剥げかけた朱色の天板に両肘を突き、俺はやり場のないため息を深く、長く吐き出した。
 視界の端には、無惨に空になったビールの瓶が数本。目の前には半分以上残った炒飯と、手付かずの餃子、それに油の浮いた豚肉の炒め物が並んでいる。
 やり場のない虚しさとここ数日溜まりに溜まった疲労を酒と油で塗り潰そうとした結果、俺の胃袋が悲鳴を上げている。もうひと口たりとも、固形物を喉の奥へ押し込むことはできそうにない。
 どうして俺は、こんな場末の中華料理屋で自暴自棄に陥っているのか。
 理由は明白だった。己の身の丈に合わない執着を抱き、あえなく玉砕したからだ。

 始まりは、数日前の深夜のことだった。
 強すぎるエアコンの風と、鼓膜を圧迫する無数の排熱ファンの唸り声。社内の奥に位置するサーバールームは、人間が長居するにはあまりにも過酷な環境だった。
 客先から帰社した俺が、あたたかい執務室へ戻る前にわざわざこの冷蔵庫のような部屋へ足を運んだのは、ただひとつの理由からだ。段ボールが積み上げられた通路の先、無機質なサーバーラックが立ち並ぶ隙間に置かれた小さな机で、深緑の髪の男がひとり画面に向かっていた。
……なあ、ベレト」
 俺が声をかけると、彼は手元の作業を止めてこちらを振り向いた。ひどく整った顔には、隠しきれない疲労の色が濃く滲んでいる。
「なんだ、わざわざ戻ってきたのか」
「ああ。俺があんたを置いて帰れるわけがないだろ。……と言いつつ、頭が痛くなるような嫌な話をするんだが。さっき、客から連絡が来た。今、絶賛対応中のファイルサーバーの更改案件だが――移行元のデータのひとつひとつのサイズは大したことないんだが、とにかく量が多いらしくてな。現行機器のスペックが新しい機器についていけず、普通にデータを移してたんじゃあ、明日の朝までに処理が終わらないそうだ」
 俺がため息まじりに告げると、彼は目を瞬かせ、それからひどく真面目な顔で俺の持つ資料を覗き込んできた。
……この期に及んでか。今の構成ではどうにもならない。確実なのは、新しいストレージにキャッシュを積んで、処理速度を上げる方法だが……移行元の機器が古いのが困りものだな。焦って一度に大量の転送要求を投げると、処理が詰まってフリーズしかねない」
「そもそも、ケチらずに最初からいい機器を買えよって話だが、今さら客がそんな追加予算を承認するわけがない。納期だってあるしな。……なんとか今の構成のままで、客が納得するような妥協案をひねり出すしかないんだ」
 俺が投げやりに頭を掻くと、ベレトは小さく息を吐き、再び自身の画面へと向き直った。
「わかった、少し時間がほしい。中継用サーバーで動かすスクリプトを書き換えて、既存機器を落とさない負荷を見極めながら、細かなファイルを並列で流し込む方法に変えてみる。それなら、今の性能のままでも朝までに間に合うはずだ」
「助かる」
 俺が肩の荷を下ろして息を吐くと、彼は画面から視線を外さないまま、ひどく平坦な声で付け加えた。
……それでも間に合わなかった場合、移行元のデータをすべて消すのはだめだろうか」
「だめに決まってんだろ」
 俺が即座に却下すると、彼は少し不満そうに眉を寄せたが、それ以上は何も言わず再びキーボードへ指を滑らせ始めた。俺が理不尽に頭を下げる状況を、この不器用な男は好ましく思っていない。だから、本気か冗談か分からないような極端な解決策を真顔で提示してくるのだ。
……それにしても冷えるな、ここ。そんな薄着だと風邪ひくぞ。無理させといてなんだが、たまには早く帰れよ」
 俺が両腕をさすりながら声をかけると、彼は不思議そうに首を傾げた。
「自分は、気にならないが。……君こそ、そろそろ終電の時間だろう」
「まあな。だが俺はもうとっくにタクシー帰りを覚悟してるし、あんたの顔を見ないと、このまずい事態を乗り切る気力が湧かなくてね」
 俺が冗談めかして笑いかけると、ベレトは渋い顔をしながらも、不満を口にすることなく画面に向かい続けた。あまり人と関わりたがらないくせに、俺が持ち込む理不尽な要求には、こうして辛抱強く付き合ってくれる。
 それから数時間、俺たちはろくに言葉を交わすこともなく、ただひたすらに頭に入ってこない文字列を眺め続けた。

 夜明け前、ベレトが投入したスクリプトのおかげで、どうにか絶望的な状況を乗り切ることができた。互いによれよれになりながら会社のエントランスまで下りて、近くのコンビニで手を振って別れた。
 家に帰って仮眠をとって、また会社に出る。文明の発展に貢献している割に、俺たちの生活はずっと非文明的だった。数時間前に見た顔は変わらず眠そうで、いつも以上に不愛想だった。しかし文句を言ったところでどうにもならない。俺はベレトが作った納品用の運用手順書に目を通す。
……おい。なんだこの、障害時対応の項目にある記述は」
「何か間違っていたか」
「間違っているどころの騒ぎじゃない。どうしてトラブルシューティングの欄に『rm -rf /』なんてコマンドが書いてあるんだ。客のサーバーごと俺を消し炭にする気か」
 いつかのサーバールームでの提案が冗談ではなかったのだと悟り、俺が問い詰めると、彼は悪びれる様子もなく、ただ静かに客先への不満を瞳の奥に滲ませた。
……それを実行すれば処理の遅延が根本から解決されるだろう。君がこれ以上、頭を下げる必要もなくなる」
「ふたり仲良くクビになるぞ。いや、クビだけで済めばまだいいんだが」
 怒るに怒れず、俺は呆れ果てて額を押さえた。顧客の度重なる横暴な振る舞いに対し、彼なりに静かな憤りを抱いてくれていたらしい。
 そんな突拍子もない庇い方と、俺にだけ向けられる確かな信頼。
 過酷な状況を共有し、共に夜を明かすたびに、俺の中の独占欲は静かに、けれど確実に膨れ上がっていった。俺だけが彼の手綱を握れる。俺だけが彼の不器用な誠実さを知っている。この心地よい関係を、仕事という枠組みが外れたあとも手放したくなかった。

 だからこそ、今日の別れ際。客先への納品と説明も終わり、ふたり並んで冷たい夜風の中を歩いていたとき、俺は精一杯の勇気を振り絞ったのだ。
……これでようやくひと段落だな」
「ああ」
 駅へ向かう足取りは、ひどく重かった。明日からはもう、遅くまで顔を合わせる明確な口実がなくなってしまう。その焦りが、俺の口を動かした。
……明日からまた無茶ぶり対応、がんばりますか」
 これからもずっと、俺の隣にいてほしいという下心を隠した、冗談めかした打診だった。少しでも自分に特別な情があるのなら、この言葉に笑ってうなずいてくれるはずだ。そう信じていた。
 しかし、足を止めたベレトから返ってきたのは、身も蓋もないほど冷酷な事実だった。
……三ヶ月、まともな睡眠をとれていない。これ以上、君の顔を見ながら厄介事に対応するのは御免だ。しばらくは自分の部屋で、ひとりで静かに寝ていたい」
 夜風に溶けたその平坦な声には、一片の駆け引きも、照れもなかった。
 彼にとって、俺はただの便利な防波堤に過ぎなかったのだ。仕事という縛りがなくなれば、わざわざ時間を共有する義理などない。むしろ、散々厄介事を持ち込んでくる俺の顔など、もう二度と見たくないと言われたに等しかった。
「あっそ、つれないやつ。……まあお互い馬車馬のように働いたもんな。今日ぐらい、ゆっくり休めよ」
 ひきつった笑みを顔に貼り付け、俺は背を向けた。その瞬間の、腹の底が抜け落ちるような喪失感を、どうして忘れられようか。

 ――そして現在。
 俺は油で黄ばんだ壁紙を睨みつけながら、グラスの底に残っていたビールを呷った。
 自分の不甲斐なさと、奴との致命的な温度差に嫌気がさす。そんなみじめな反省会をひとりで繰り広げていると、不意に、卓の上の光が遮られた。
……こんなところで、何をしているんだ」
 喧騒の中でもはっきりと聞き取れる、濃淡の薄い声。
 顔を上げると、そこには俺をこんなみじめな状態に追いやった張本人が立っていた。
……あんたのほうこそ、どうしてここにいるんだよ」
「明日の午前中に提出する修正版の構成図に、君から承認をもらい損ねていたのを思い出した。社用端末の位置情報を頼りに来てみれば……ずいぶんと頼もしい食欲だな」
 呆れたような言葉とは裏腹に、ベレトは一切の躊躇なく俺の向かいの丸椅子を引き、腰を下ろした。そして通りかかった店員を呼び止め、「烏龍茶をひとつ」と短く告げる。
 俺が呆然としている間に運ばれてきた冷たい茶をひとくち飲むと、彼は卓上の割り箸を割り、俺が食べきれずに放置していた大皿の炒飯へと無造作に手を伸ばした。
「おい、何して……
「さすがの君でも、この量は食べきれないだろう」
 淡々と事実だけを口にし、彼は俺の頼んだ大量の食事を次々と己の口へ運び始めた。
 俺の心がどれだけ千々に乱れていようが、この男には関係ない。ただそこにある食べ物を処理しているだけだ。そのマイペースすぎる振る舞いに、俺は完全に毒気を抜かれ、背もたれに深く体重を預けた。
……よく食うな。もう俺の顔なんて見たくないって言ったくせに、俺の残り物は食えるのかよ」
 行き場のない苛立ちと情けなさが混じった声が出た。
すると、彼は箸を止め、不思議そうにこちらを見つめ返してきた。
「そんなことは言っていない」
「言っただろ。これ以上、俺の顔を見ながら厄介事に対応するのは御免だって。ひとりで寝ていたいって。……要するに、俺の顔なんざ二度と見たくないって意味だろ」
 半分以上八つ当たりだとわかっていたが、口をついて出た言葉は止められなかった。だが、彼は眉間に皺を寄せ、ひどく真面目な顔で反論してきた。
「厄介事に対応するのが嫌だと言ったんだ。三ヶ月もまともな休みがなかったんだから、ぐっすり寝たいと考えるのは当然だろう」
……はあ?」
「君の顔を見たくないとはひと言も言っていない。ただ、君と一緒にいるともれなく厄介事がついてくるから、今は御免だと言っただけだ」
 俺は絶句した。
 俺の一世一代の愛の告白を――誰より俺自身が、いちばん分かりづらいと自覚しているとはいえ――純粋な『業務継続の打診』として受け取り、ただ己の睡眠時間を削られることに難色を示しただけだったのだ。そこには他意も人間関係の拒絶もなく、ただ純粋な生存本能に基づく主張だった。
……じゃあ、たっぷり寝たあとで、厄介事抜きなら、俺といるのは嫌じゃないってことか」
「嫌なわけがないだろう。厄介事がないなら、君といるのは悪くない」
 何のてらいもなく紡がれた言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
 どこまでもまっさらで、打算のない瞳。それが彼なりの最大の歩み寄りなのだと、今の俺には嫌でもわかる。ひどく不格好で、色気の欠片もない言葉の羅列だというのに、どうしてこうも胸の奥が満たされてゆくのか。
……あんた、ほんとうに都合のいいことばっかり言うよな」
 安堵と呆れがないまぜになった息を吐き出し、俺は乱れた前髪を掻き上げた。
「自分には、君しかいないから」
 烏龍茶の入ったグラスを傾けながら、ベレトがぽつりとこぼす。
 ほんとうに、うんざりするほど好きなのだと思う。不器用な好意をふいにこぼされただけで、俺の心臓はばかみたいにうるさくなる。含みなんてない、ただの親愛の情なのに。
 油の匂いと喧騒、そして行き違いから生まれたどうしようもない平行線。それでも、俺が頼むだけ頼んでとうに冷めてしまった飯を平らげてゆく男の姿を見ていると、腹の底に溜まっていた泥のような感情が嘘のように消え去るのを感じていた。
 結局、卓の上に並んでいた大量の食事は、彼がすべて腹の底へ収めてしまった。
 自分が引き留めたようなものだという、どこか釈然としない責任感から、当然のように俺がふたり分の会計を済ませる。店主の威勢のいい声に見送られ、俺たちは夜の街へと足を踏み出した。

 店を一歩出た瞬間、深夜の冷たい風が容赦なく火照った頬を撫でた。
 その急激な温度変化と、安堵によって張り詰めていた糸がぶつりと切れたせいだろう。胃の腑で蠢いていたアルコールが一気に牙を剥いた。
……っ、」
 急激に足元がおぼつかなくなり、俺は路地裏のコンクリートの壁に手をついて、深く、ひどく重い息を吐き出した。視界が揺れ、まっすぐに立つことすら難しい。隣を歩いていたベレトが足を止め、静かにこちらを覗き込んできた。
「大丈夫か」
……見りゃわかるだろ。最悪だ」
 壁に寄りかかったまま強がる俺を見て、彼は眉をぎゅうと寄せた。きれいな形をした唇がいつも以上に愛想がなくて、ああ、こいつは今ほんとうに怒ってるんだなあと思った。
「出されたものを粗末にしない姿勢はいいと思うが、どうしてあんな量をひとりで頼んだんだ」
「腹が減ってたんだよ」
……そういうことにしておく。ここで待っていてくれ」
 ベレトがすぐ先の角にあるコンビニへと姿を消し、数分後。戻ってきた彼の手には、小さな紙の箱と、常温のミネラルウォーターのボトルが握られていた。
「これを飲め。気休め程度にしかならないかもしれないが」
 差し出されたのは、一回分が個包装された胃薬だった。俺は無言でそれを受け取ると、手のひらに出した錠剤を水と一緒に喉の奥へ流し込んだ。
「歩けるか」
……ああ。なんとか」
 俺の腕を自身の肩へと引き寄せる。彼の支えは驚くほど安定していて力強い。
……あんたがいなきゃ、俺は今ごろ、あの路地裏で孤独に息絶えてたな」
 静寂を埋めるように、俺はわざとらしく口の端を吊り上げた。
「おおげさだな。……けれど自分も、君にはいつも助けられているから。お互い様だ」
 淡々と告げる響きの中に、確かな熱が混じっていた。
 大通りに出たものの、深夜の静寂を切り裂いて走る辻待ちの車はなかなか見当たらない。冷たい夜風がふたりの間を吹き抜ける中、俺はゆっくりと口を開いた。
……なあ。明日からも、俺と一緒にいてくれるか」
 もう二度と、あんな勘違いで絶望したくない。俺のそばにいてほしい。そんな情けない本音を、かすかに震える声の底に隠して問いかけた。
 少しの沈黙のあと。俺の体重を支える彼の腕の力が、ほんのわずかに強くなった。
「それは自分の台詞だ。自分は君のように、うまく立ち回ることはできないから……君がそばにいてくれるだけで、救われている場面がたくさんある」
 頭上から降ってきたのは、いつになく真剣で、どこか祈るような響きすら孕んだ言葉だった。
 彼にとって、俺がどれほど代えのきかない存在であるかを、これ以上ないほどまっすぐに伝えてくれている。だというのに、濁りきった思考を持つ俺は、それをあくまで有能な交渉役への賛辞なのだと、自分に都合よく解釈してしまう。俺はただ、彼の静寂を守るための盾に過ぎないのだと。
……はっ。そりゃあ、あんたを世に放ったら、何をしでかすか分からないからな。防波堤の役目は、最後まで俺が果たしてやるよ」
 自嘲気味に笑い飛ばしたが、ほんのわずかに淋しさが混ざってしまったかもしれない。役割だとか、誰かに言い訳するための理由なんていらないのに。
 遠くの交差点で、空車の表示を掲げたタクシーが、闇の底を滑るようにこちらへ向かってくるのが見えた。普段の俺なら、迷わず右手を上げてこの厄介な疲労から逃げ出すはずだった。だが、肩にかかる不器用な掌の温度が、今はどうしても手放しがたかった。
……いや、やっぱもうちょい歩くことにするわ。まだ酒が残ってる」
 近づいてくる光を見送り、俺はあえて大通りを外れて、暗がりの続く歩道へと足を向けた。
「自分は構わないが、君はさっきからふらふらだろう。素直に乗ったほうがいい」
「いいんだよ。あんたに肩を貸してもらう感触を、もう少し堪能させてくれ」
 驚くほどすんなりと、心が口から転がり落ちた。どうせ通じないんだったら、ちょっとぐらいは。
 呆れたように首を振る気配を感じながらも、ベレトは文句を言うことなく、俺のふらつく足取りに合わせてゆっくりと歩を進めてくれた。
 夜のとばりが降りた街路。等間隔に並んだ街灯が、俺たちの長く伸びた影を、重なり合うようにして地面に映し出している。


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