春風に誘われて、穏やかな散歩デートに出かけるヌヴィリオのお話
@otroom0v0
暖かな日差しを浴びていると、水の下での生活を忘れそうになる。リオセスリはパレ・メルモニアの裏側、その通路でぼんやりと海を眺めていた。
――最高審判官とお散歩、か。
仕事に関することで、いつものように連絡をとりに来ただけのはずが、どういうわけか外出の待ち合わせをしている。つかの間の余暇、ヌヴィレットに誘われて散歩に出ることになるとは。真面目で公平な彼の、少し不思議な行動力には、いつも驚かされる。
――時間があるなら、共に水辺を歩かないか?
いつもの凛々しい表情でそう言うものだから、一瞬、何を言われたのか分からなかった。思い出しただけで笑いがこみ上げ、ふふっと口元を緩める。
そんな時だった。すぐそばで、コツンと軽やかな靴音が聞こえて、何気なく振り返ったリオセスリは、驚いて目を丸くする。
「すまない、私の都合で待たせてしまったな」
「いや……それよりその格好」
リオセスリの指摘に、ヌヴィレットが表情を緩める。彼はメリュジーヌからの贈り物に身を包んでいた。普段の法衣と違って、軽やかなスーツを纏ったヌヴィレットは、爽やかな清流のような雰囲気である。
「せっかくの贈り物を、クローゼットの中に収めたままでいるのはよくないと思ってな。この頃は外出の際、好んで着るようになった」
「法衣と違って、歩きやすそうだからな」
そう言って笑いかけると、ヌヴィレットも柔らかな笑みを浮かべてくれた。
「では、共に歩こうか」
「ああ」
ヌヴィレットに従って、ゆったりと歩き始める。普段と異なる装いの彼は、周囲の視線を一身に浴びていた。髪型もそうだが、厳格な雰囲気が崩れた彼は、親しみやすさを感じさせる。それを好ましく思う反面、何とも言えない気持ちになるのはなぜだろう。
「今日は風が心地いいな」
「ん? ああ……もうじき春だからな」
枯れ木に緑が芽生え、空の色もくっきりと色鮮やかだ。次に水の上へ来る頃には、さらに季節が進んでいるだろう。
「春になれば、温かい雨が降る。空気も潤い、とても過ごしやすくなりそうだ」
彼らしい感性に、思わず笑ってしまった。
「雨が降るかどうかは、水龍の機嫌次第だろうな」
視線を感じてヌヴィレットを見れば、薄紫の瞳でじっとリオセスリを見ていた。それも、何か言いたげに。
「君も水龍が泣けば雨が降る、と……そう思っているのか?」
「信じているわけじゃないが、テイワットの水を支配する龍なら、そんな伝説があってもおかしくないと思うぞ」
意見をそのまま伝えると、ヌヴィレットはただ一言「そうか」と呟いた。それきり会話が途絶えて、互いに黙って歩き続ける。けれどそこに気まずさはなく、ただ隣にいることが心地よくもあった。
そうして歩き続けるうち、フォンテーヌ廷の外へ出た。瑞々しい草地は柔らかく、水辺に咲くロマリタイムフラワーが、さらさらと風に揺れている。遠くの浜辺にはプクプク獣が寝転んで、日向ぼっこをしていた。どこを見てものどかな風景が広がっていて、心が和む。水辺までやってくると、ヌヴィレットが足を止め、しばし遠くを眺めた。その隣で、リオセスリもひと息つく。
「……こうしていると、時間が経つのを忘れそうだな」
うーんと伸びをすると、草地に腰を下ろした。そんなリオセスリを見下ろすヌヴィレットに軽く手招きをすれば、彼も隣に座ってくれる。しかし、その端正な横顔がわずかに歪んだ。
「髪が……」
そう呟くので視線を下に向ければ、ヌヴィレットが長い髪を盛大に踏んでいた。強引に引き抜こうとするので、慌てて「こらこら」とたしなめる。
「せっかくの髪を乱暴に扱うなよ。俺が取るから、ちょっと腰を浮かせてくれ」
「すまない」
ヌヴィレットが体を傾けて、腰を浮かせる。その隙に髪を優しく掬うと、背中へ払った。
「もういいぞ」
ようやく落ち着いたのか、座りなおしたヌヴィレットがほっと息を吐き出した。片膝を立てて彼を眺めると、ははっと笑いがこぼれる。
「あんたも大変だな。短くしようとは思わないのかい?」
「これは身分を示す装いの一つだ。そう簡単に変えられるものではない」
「なるほど、あんたは形から入るタイプなんだな」
「……? どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ」
うまく理解できなかったのか、ヌヴィレットが難しい顔をして黙り込む。あまりにも生真面目すぎて、また笑みがこぼれた。そして、穏やかに語りかける。
「最高審判官として、常に気を張るのは立派な心掛けだが……今は俺とあんたしかいないんだ。少しくらい気を緩めたっていいんじゃないか?」
「気を緩める、とは」
「たとえば、こんな風に」
リオセスリは草地に寝転ぶと、ゆったりと足を組んで空を見上げた。気持ちのいい青空が、視界一杯に広がっている。伸び伸びとした風景に、目を細めて微笑んだ。
「何もしないで、のんびりするのも悪くない」
ちらりとヌヴィレットを見上げれば、戸惑うように目を伏せていた。
――まぁ、流石にやらないだろうな。
そう思った時、ヌヴィレットがリオセスリの隣に寝転んだ。きっちりと仰向けになって、腹の上で手を組んでいる。リラックスとはほど遠い雰囲気だが、彼なりにくつろごうとしているのかもしれない。すると、ヌヴィレットが空を見上げながら言った。
「……なるほど。確かにこれは、心が凪いでいくような気がする」
率直な感想に、リオセスリは声を上げて笑った。するとヌヴィレットが横を向いて、リオセスリの頬を指で撫でる。しなやかな指の感触と、交差する甘い眼差しが、リオセスリの胸の鼓動を静かに速めていった。触れたままの指先が、なぜか熱く感じられて。リオセスリはたまらず「なぁ」と呼びかけていた。
「……まだ、ここにいたい」
ヌヴィレットのまぶたが微かに震えた後、彼が「ああ」と答えて、甘く微笑んだ。どちらからともなく身を寄せて、肩が触れ合う。
リオセスリの頬に添えられた手が、包み込むように撫でてくれた。ちいさく笑えば、ヌヴィレットの瞳が柔らかく緩む。
余計な言葉はいらない。ただ傍にいるだけで、満ちていく。
リオセスリは目を細めて、ヌヴィレットのことを見つめていた。