本編(翠風)軸が3篇と、無双(黄燎)/ベレト加入ルート軸が1篇。
1、2頁目が士官学校時代、3頁目が第二部のどこか、4頁目はED後とかそれぐらい。
@Bombwooo
1.
大広間を歩いていると、遠くから耳障りな怒声が響いてくる。それに混じって、聞き慣れた、どこか余裕を含んだ声も聞こえてきた。騒ぎの出所を探りながら歩を進めると、見知らぬ男がクロードを相手に声を荒らげている姿が目に入った。
身なりや、己の血筋を声高に誇る口ぶりからして、同盟から訪れた小領主の類だろうか。あからさまな侮蔑の言葉に対し、クロードは表情ひとつ変えず、相手の焦りを的確に言葉の刃で突いてゆく。
「……辺境の領主様が、わざわざ大修道院までお出ましとはね。よほど女神様の裁きが恐ろしいとみえる。教団の目を誤魔化しつつ、俺がどこまで嗅ぎつけてるかを探りに来たんだろうが……そんなちっぽけな肝で、よくもまああんな大それた真似ができるもんだと感心するよ」
図星を突かれたのか、顔を朱に染めて激昂した男が、クロードの胸ぐらを乱暴に掴み上げた。
それ以上はさせるまいと間合いを詰め、その腕を引き剥がそうと力強く地を踏み出した瞬間――男に胸元を掴ませたままのクロードが、こちらを振り返る。彼は飄々とした態度を崩さないまま、こちらへ向けてわずかに手のひらを見せた。絶対に動くな。ただそれだけの動作に込められた強い意志に、足が床に縫い留められる。
直後、相手の拳がクロードの頬を容赦なく殴りつけた。彼は抵抗する素振りすら見せず、まともに衝撃を受けて床へと倒れ込む。
騒ぎを聞きつけた教団の兵たちが、慌ただしい足音を響かせて駆けつけてくる。あの男が捕縛されるのはもはや時間の問題だろう。自分は狼狽する男をよそにクロードを助け起こすと、周囲の混乱に乗じて足早にその場を離れた。
医務室の椅子に彼を座らせ、口の端に滲む血を布で拭ってから、消毒してやる。騒ぎが収まったあとも、腹の底だけが冷えていた。
「君ならあの程度の拳は容易く避けられたはずだ。……なぜ避けなかった」
静けさを保とうとする声は、ひどく沈んでいる。咎める言葉に対し、クロードは痛む頬を歪めながら、悪戯を成功させた子どものように得意げな笑みを浮かべた。
「あはは、そんな怖い顔すんなって。……ほら、これを見てもまだ俺を叱る気になるかな?」
そう言って彼が懐から出してみせたのは、無造作に折られた羊皮紙の束。賊との内通と、不正な取引を克明に示す密書の数々だった。
足もとに倒れ込んだあの一瞬で、相手の懐からすり取っていたのだと悟る。
「あの程度の拳一発で盤面をひっくり返せるなら、安いもんだろ? 我ながら見事な手管だったと思うんだが」
口の端を切って、頬も赤くなっている。そのくせクロードは、まるで褒められるのを待つように羊皮紙の束を差し出していた。
それを見ていたら、言葉で叱るだけでは足りなかった。
言葉を返す代わりに、彼の脳天へ拳を見舞う。
「いたっ! ちょっと先生、俺は怪我人……っ」
頭を抱えて抗議する声が室内に響く。けれど、自分にはそれに構う余裕すら残されていなかった。
倒れる彼を見た瞬間、胸の奥がたしかに軋んだ。ただの教え子が傷ついただけで、なぜ、これほどまでに我を忘れたのか。
彼へ見舞った拳は、まだかすかに震えていた。見透かされそうになる焦りをどうにか腹の底へ押さえ込もうと、拳をそのまま強く握りしめた。
2.
やわらかな陽光が降り注ぐ大修道院の空気は、どこまでも平穏で心地よかった。吹き抜けの回廊を歩く生徒たちの他愛のないざわめきに耳を傾けながら通り掛かった折、ふと、柱の陰からひそやかな声がこぼれ落ちてきた。
「あの新しい先生、なんだか気味が悪くないか。何考えてるかわからないしさあ。傭兵上がりとは聞いてるが、それにしたって得体が知れないよな」
無防備に放たれた非難の声に、思わず歩みが止まる。陽の差す石畳の上に落ちた己の影を見下ろすと、そこだけが薄暗い。足もとが、急に覚束なくなる。
傭兵として血生臭い戦場に身を置いていたころを思い出す。感情の起伏に乏しい自分は、周囲から常に畏怖と警戒の目を向けられていた。いまもなお、その事実は形を変えてまとわりついてくる。この狭い世界において、自分だけが不釣り合いな存在であることを、冷たい疎外感とともに突きつけられた。
「先生? こんなところで立ち止まって、いったいどうした? 腹でも痛いのか?」
ふいに横から声が掛かる。振り返ると、人を食ったような笑みを浮かべたクロードが、その奥でどこか探るような視線をこちらへ向けていた。
「……何もない。少し考え事をしていただけだ」
足早に立ち去ろうとするも、彼はさっと行く手を遮るように回り込む。
「何もないって顔じゃないだろ。ほら、眉間に皺が寄ってる」
軽く身を乗り出し、しつこく食い下がってくる。仮にここで誤魔化して逃げおおせたとしても、この抜け目ない教え子のことだ。日をあらためて、手を変え品を変えながら執拗に追及してくるに違いない。先の見えた面倒な未来に小さく息を吐き、自分は視線を逸らした。
「……話が、聞こえてきて。得体の知れない男だと、そう言われていた」
口にしてみると、悲しい響きが耳を打った。らしくない感傷だと分かっているのに、水面に落とされた一滴が、自分の奥底を揺らし続けている。
クロードの面差しから、いつもの飄々とした光がふっと消え落ちる。ひどく淋しげな、古傷に触れたような昏い色がそこによぎった。
しかし、それはほんの瞬きほどのあいだにかき消える。
「どうしようもない噂話をする奴ってのは、どこにでもいるもんだなあ」
あっけらかんとした調子で、彼はいつものように笑ってみせる。
「あんたはベレトで、俺の担任! それでじゅうぶんだろ。……だいたい、得体が知れないって話なら、俺だって同じようなもんじゃないか」
自分を慰めるための、彼なりの気遣いなのだろう。けれど、悪びれずに肩をすくめる彼の姿は、不思議と輪郭を濃くして目に映る。それが少し、眩しくて。
彼の存在を確かめるように、自分は静かに口を開いた。
「君はクロードで、自分の教え子だ」
言葉でその輪郭をなぞってやると、クロードはわずかに目を見張る。やがて、張り詰めていた肩の力を抜くように、彼は静かに目を細めた。
「……そうだよ」
ふいに落ちたそれは、ひどく満たされた響きを含んでいた。
寄り添うように立ち止まった彼の足もとにも、自分と同じように影が落ちている。並んで落ちるふたつの暗がりを、吹き抜ける風が静かに撫でていった。
3.
石造りの壁にぶつかる夜風を遠く聞きながら、向かいの杯の中で揺れる琥珀を見つめる。
正面に座るクロードの頬は、かすかに朱を帯びていた。すでに幾度も杯を干している彼に対し、自分は素面のまま、とりとめのない言葉に耳を傾けている。
「……この戦いが終わったら、同盟をまとめるために、どこぞの有力貴族と縁談でも組まされるかもな」
ふいに落とされた言葉に、自分は静かにうなずいた。
「同盟を背負う立場なら、当然の責務だろうな。相手が誰であれ、君ならうまくやっていけるだろう」
「……うまくやっていけるって、なんだよそれ」
「さあ。自分は貴族ではないから、よくわからない」
「酒が入ってるからって、適当言うなよ」
「自分は飲んでいない。酔っているのは君だけだ」
淡々と事実を返すと、クロードはひどく不満げに唇を尖らせる。
「相変わらずつれないね。……もしあんたに縁談なんて舞い込んだら、俺は血相を変えて乗り込むかもしれないのに。手伝ってくれそうな奴をかき集めた、即席の軍を率いてさ」
「物騒な真似はやめろ」
「冗談に聞こえるか? 俺はいつだって大真面目だ」
呆れて息を吐き出す。酔いに任せた絡み酒の類だろうか。
「……わかった。では、もし君が式を挙げるとなれば、その時は自分も同じように乗り込んでやる。それでいいか」
子どもの機嫌を取るように告げると、彼はさらに眉根を寄せる。
「式だったらもう手遅れだろ。そもそも、乗り込むんじゃなくて、相手と顔を合わせる前に俺を連れ出してくれ」
「……君は乗り込むと言っていたはずだが」
「俺が乗り込むのはいいんだよ」
わずかに視線を泳がせ、彼は気まずそうに杯の縁を指でなぞる。
「……俺にすり寄ってくる奴らを片っ端からあしらうより、俺があんたに連れ去られる名目をつくるほうが、いくらか角が立たないだろ。だから、あんたは事前に俺を攫う。で、そのまま夜が明けるまで俺と飲み明かす。そういう約束にしてくれ」
いつの間にか結ばれた約束と、勝手な言いぶんに頭が痛くなった。彼が言いたいことは、いつだって自分の思考の真裏にある。
「連れ出したあとに、わざわざ飲み明かす必要があるのか。いまだってこうして飲んでいるだろう」
「いまとそれじゃあ、酒の味がまるで違うだろうが。だいたい、あんたって人は」
ぶつぶつと文句を並べていたクロードが、ふいに言葉を切る。
視線を上げると、先ほどまでの酔いが嘘のように晴れた翠の瞳がこちらを向いていた。
「……まあ、要するにさ」
手元の杯を飲み干したのち、彼は悪戯っぽく、けれどどこか自嘲めいた笑みを浮かべる。
「あんた以外に俺の時間をくれてやるのが、惜しいんだよ」
さらりとこぼれ落ちた言葉の響きに、ようやく、彼がどこへ話を運ぼうとしていたのかがわかった。
たったひと言で済む本音を隠し、わざわざ遠回りをしてこちらの退路を塞ぐ。途方もなく、どこか勝手で、それでも決して悪い気はしない約束を、まるで風が吹くようにさらりと引き出してゆく手口は、士官学校のころから何ひとつ変わっていない。やられた、と気づくころにはもう遅い。
その相変わらずのひねくれた性質と、見事に転がされた己の迂闊さに呆れるも、突き放す気は起きなかった。だからいつまで経っても、こうして弄ばれるのだけれど。
やり場のない心地をどこへもぶつけられないまま、自分は空になった彼の杯へ静かに酒瓶を傾けた。
4.
草花を編むというのは、初めてのことだった。ヒルダとマリアンヌは簡単そうにやってみせたが、いざ自分の手に渡ると、青い茎はすぐに折れたり、ほどけたりした。輪にしたいだけなのに、どうにも思ったようなかたちにならない。
「なんだ、珍しいことやってるな」
ふいに頭上から声が落ちてくる。見上げると、飛竜の世話を終えたらしいクロードが立っていた。彼の飛竜は花畑を踏み荒らさぬよう、少し離れた場所に身を横たえている。
「ヒルダと、マリアンヌから作り方を教わった」
「ははっ、そうか」
似つかわしくないとでも言いたげな、からかうような笑みを浮かべ、彼は向かいの草むらに腰を下ろした。雇い主と傭兵という、決して近くはない距離感。それでも彼は、折に触れてこうして自分のそばへやって来る。得体の知れない自分に対し、どこか不思議な予感を探り当てようとするかのように。
手もとの花冠に視線を落とし、彼が苦笑を漏らす。
「しかし……見事なもんだ」
言葉の濁し方に、自分の編んだものがひどく不格好なのだと察せられた。むっとした心地を隠さず、手もとから顔を上げる。
「そう言う君は、手先が器用なのか」
「いいや、薬を作るのはお手の物だが、こういうのはからっきしだな」
呆れまじりに肩をすくめた彼を横目に、ふたたび手もとへ視線を戻す。
ようやくひとつの輪のかたちになったところで、突如として強い風が吹き抜けた。膝の上から花冠がさらわれ、宙を舞う。
できそこないの輪だった。追うほどのものではないと思った。風に運ばれるなら、そのまま土に還ればいい。そう考えた自分は立ち上がることもせず、ただ花冠が遠ざかるのを見送ろうとしていた。それなのに、弾かれたように立ち上がったクロードが、青い軌跡を追って駆け出してゆく。
やがて戻ってきた彼は、少し息を乱しながらも、得意げにそれを差し出してみせた。
「ほら、捕まえたぞ」
差し出されたそれを、自分は静かに見つめた。いびつだった輪は風に揉まれ、いよいよ不格好な草の塊に成り果てている。
「わざわざすまない。だが、それは君が持っていてくれ」
「は?」
「自分には、もう必要ないから」
淡々と告げてかぶりを振ると、彼は呆れたように大げさなため息をついた。
「あんたなあ。自分がいらなくなったからって適当に押し付けるような真似はよくないぞ。……いや、まあ、俺はべつにいいんだけどさ」
矛盾した軽口を叩きながらも、彼は左手に持ったままの花冠をまじまじと見つめている。その横顔に、ほんの一瞬だけひどくさびしげな翳りが落ちた。
「……連邦国の王なんてたいそうな冠よりも、俺にはこっちのほうがいいんだろうな」
独り言のようにこぼれ落ちたつぶやき。その真意は測りかねたが、彼は手もとの代物を前にひどく複雑な顔をしている。
「もし君の邪魔になるようなら、自分が処分するが」
提案すると、彼はすぐにいつもの飄々とした笑みを取り戻した。
「いいや。物は何であれ、あんたからの贈り物はうれしいよ。ありがとう」
しかし、大切そうに指先で触れた瞬間、自分が編んだ脆い花冠は、ほどけた糸のようにぼろぼろと崩れ落ちてしまった。
彼の手のひらに残った無惨な残骸と、間の抜けた顔。どうにもばつが悪くなり、思わず口を閉ざす。
「……あー、悪い」
「構わない」
淡々と返したものの、気まずそうに笑う彼の顔を見ていると、下手な慰めを受けているようでどうにも釈然としない。無言のまま、差し出された彼の手をとる。驚きに目を見張る彼をよそに、わずかに残った無事な花を拾い上げ、適当な指を軸にして編み直してゆく。
「おい、いったい何をして、」
戸惑う声には構わず、黙々と茎を絡ませる。やがて指の根元に収まったそれを見下ろした。思った通り、今度はいびつに歪むこともなく、見事な円を描いている。その出来栄えに満足し、自分は彼の顔を見上げた。
「軸があれば、自分でもきれいな輪を作れる。これなら文句はないだろう」
対するクロードは、なぜか耳まで朱に染め、狼狽しながら視線を泳がせていた。
「よりにもよって、この指かよ」
「これも気に入らないのか」
顔をしかめると、彼は深く息を吐き出し、観念したように顔を伏せる。
「……これは、気に入った」
そうつぶやいた彼には、いつもの飄々とした余裕はどこにも見当たらない。ただひどく途方に暮れたような様子で、小さな花をこちらの視線から逃すように、もう片方の手で深く覆い隠した。