@tirichann
「ああ、ノドとっておかないと読みづらいですもんね」
きっかけはその一言だった。夢野が原稿作業を終え、製本する際の他愛無い話で名前が言ったのだ。夢野は目を丸くする。「ノド」は専門用語で一般的には知られていない。思い返せば、他にもページ数は書き終わるまでわからないとか、点々マークが三点リーダーじゃないともやもやするとか、それらしいことを言っていた気がする。
名前は夢野に気付かれたことに気付いていないようで、普通に話を続けている。会話の最中に漏れ出てしまった、という感じだ。おそらく名前は物書きであることを隠していたのだろう。隠すようなジャンルとなれば、アレしかない。
「貴女、官能小説家でしょう。ジャンルがジャンルだから言いづらかったのでは?」
夢野は言い当ててやったというような顔をしている。名前は明らかに焦っていた。図星だからではない。名前はただの、同人作家だ。本物の小説家の夢野は同人作家の存在を認知していなかったのだろう。官能小説以外ありえない、という顔をしている。名前が素直に趣味で小説を書いているのだとカミングアウトしていればこうはならなかった。夢野は探偵気取りで名前を追い詰めている。精神的にも、物理的にも。
「どんな小説を書いているか、小生に教えてください」
同人作家だと言っていれば、同人誌の存在を夢野に教えていれば、こうはならなかった。今更同人作家だと明かしても、夢野から恥辱を受けたくないゆえに嘘をついていると思われてしまう。結果、さらに夢野は名前を追い詰めるだろう。もう壁まで追い詰めているのだから、後はベッドしか思いつかない。名前は夢野に自分が書いてもいない官能小説のシチュエーションを説明しながら同じことをされるしかないのだ。今日ほどオタク趣味を隠していたことを呪ったことはない。