リオセスリのステッカー帳から「本当に欲しいもの」を選ぶヌヴィレットの話
@otroom0v0
「それじゃあヌヴィレットさん、俺はもう帰るよ」
「ああ。シグウィンにもよろしく伝えておいてくれ」
リオセスリが少年のように明るく笑って、ひらりと手を振る。彼が背を向けて、執務室から去ろうとした時。ヌヴィレットはあることに気付いて立ち上がった。
「リオセスリ殿、待ってくれ」
「ん?」
立ち止まった彼にさっと歩み寄ると、コートの裾に貼りついたステッカーを剥がした。それを何気なく眺めたヌヴィレットは、驚いて目を瞬かせる。表面がキラキラと輝く、ルエトワールのステッカーだ。こんなものは見たことがない。
「ああ、また貼られてたのか」
リオセスリが慣れた様子で言って、懐を探った。厚みのある手帳を開くと、ステッカーを回収して帳面に貼る。
「ステッカーを集めているのか?」
「最近はな。メリュジーヌの間で流行っているのか、やけに凝ったステッカーが増えたんだ。捨てるのがもったいなくて、専用の手帳を作ったよ」
そう語るリオセスリの表情は柔らかい。つられてヌヴィレットも、ふっと目元を緩めた。
「見せてもらっても?」
「ああ。どうぞ」
手帳を受け取ると、既に開かれていたページを眺める。彼が言った通り、華やかなステッカーが几帳面に保管されていた。角度を変えると光るロマリタイムフラワーのステッカーや、様々なメリュジーヌの似顔絵、ぷっくりとした触り心地のステッカーなど、作り手のこだわりが感じられるものばかりだ。一体いつからこんな技術を身に着けたのだろう。感心しながらページをめくっていると、リオセスリが隣に立って、手元をのぞき込んできた。
「どれも凄いだろ。俺も初めて見た時は驚いたんだ。ほら、メロピデ要塞のエンブレムもよく出来てる」
とん、と肩が触れ合い、わずかに胸の鼓動が速まる。リオセスリが指で示したステッカーを眺めるが、気が散って上手く感想が出てこなかった。
「ああ……そうだな。光沢があって、威厳を感じさせる色合いだ」
苦し紛れのコメントだったが、リオセスリは気にした様子もなく「だろ」と笑った。
「この絵のタッチ、ナタのマンガからインスピレーションを得たのかもしれないな。ほら、この頃はナタからの観光客が増えただろ。旅行客と接して、新しい文化を育んでいるのかもしれない」
間近で聞こえる彼の声が、心地よく響いた。さらに散っていく集中力を、理性で繋ぎ合わせる。
「……なるほど。一理ある」
深く呼吸をして、心を鎮めようとした。しかし、リオセスリがヌヴィレットの腰に手を添えたことで、さらに揺さぶられる。
「旅行客と仲良くするのはいいが、トラブルの原因にもなる。ヌヴィレットさんも気にかけてやってくれ。俺の仕事が増えちまうからな」
「分かっている。メリュジーヌに関する法律を、観光客にも周知させる必要がありそうだ」
そう答えながらも、意識は完全にリオセスリの手に向いていた。わずかに伝わるぬくもりが、ヌヴィレットの理性を溶かしていく。そうとも知らず、彼は「アイデアに悩むようなら、俺も手伝うよ」と言った。ちらりと見れば、頼もしい笑顔を向けられる。だからこそ、ヌヴィレットは己を恥じた。
――彼が真剣に話しているというのに、私は。
目を伏せてステッカーを撫でると、リオセスリが「そう心配する必要はない。彼女たちにはちゃんと言い聞かせてある」と言って、ぽんと背中を叩いてくれた。どうやら憂いていると勘違いさせてしまったらしい。それがおかしくて、笑みがこぼれる。
「……ありがとう、リオセスリ殿」
「どういたしまして」
目を合わせれば、あたたかな時が流れる。彼も同じように、心地よく感じてくれているだろうか。じっと青い瞳をのぞき込めば、わずかに息を詰めた後、ふいっとそっぽを向かれた。
「……気に入ったステッカーがあれば、ヌヴィレットさんに譲るよ」
「いいのか?」
「もちろん。あんたはメリュジーヌの父親みたいなもんだろ。俺が独り占めしちゃ、かわいそうだからな」
リオセスリの口ぶりに、ふふっと笑ってしまう。そして、迷わずひとつのステッカーを示した。
「では、これを譲ってもらいたい」
確認したリオセスリが、怪訝そうに首を傾げた。
「本当にいいのかい? メリュジーヌやノンビリラッコのステッカーもあるぞ」
ヌヴィレットは首を振り「これがいいのだ」と答えた。示した先には、メロピデ要塞のエンブレムを描いたステッカーがある。
「分かった。あんたがいいっていうなら、譲ろう」
「君も気に入っていただろうか」
「まぁな。でも、あんたになら渡してもいい」
そう言ってステッカーを剥がすと、おもむろにヌヴィレットの頬へ貼ってくる。予想外の出来事に目を瞬かせていると、リオセスリが子供のように笑った。
「男前になったな」
指先で貼られたステッカーに触れる。彼の振る舞いが、あまりにも可愛らしくて。つい口元が緩んでしまう。
「……リオセスリ」
「ごめんって、気を悪くしないでくれよ」
リオセスリの言葉に、微笑みで応じる。ステッカーを剥がしながら、ヌヴィレットは触れられた余韻に浸っていた。
――ああ、触れられただけで、こんなにも満ちていく。
彼の居場所を示すステッカーを、目を細めて見つめた。大切に保管したいが、どこに貼るべきか。いっそリオセスリと同じように、手帳を用意して持ち歩こうか。あれこれ考えを巡らせる時間さえも愛おしい。そう思っていると、リオセスリがくすっと笑った。
「そんなに気に入ったのかい?」
「ああ、とても」
素直に発した言葉は、驚くほど柔らかで。ヌヴィレットはリオセスリに手帳を返すと、穏やかに表情を緩めた。