@psychic_eclipse
バートランド一族は、元より慈善事業の一環とした孤児院運営の裏で、新薬治験のための人体実験体の提供や臓器売買などの非人道的な取引を生業とした過去があった。
それを『使い捨てが利く兵隊』の育成、売買へと進化させたのがブルーノ・バートランドだ。
養成施設では依存性の高い薬物で思考力を奪い逃亡を防ぐと共に、『バートランド』への服従心を深層心理に植え付ける。
事実、あの頃の自分とてブルーノに死ねと命じられたら、恐らくそれに従っただろう。
それがどれほど異常なことだったのかに気付いたのは――皮肉なことに世界が終わってからだった。
「まさかこんな穏やかな余生になるとはなぁ」
本州第三ドーム。西地区の片隅に居を構えたことに大した意味はなかった。
ドームは閉鎖空間のため、上流階級の住む第一、入居に特殊条件がつく第二では足がつきやすい。
第四ドームは西の全ての住民を収容できるほどの余裕はなく、単純にこのドームが最も楽に身を隠しやすかった。
気まぐれに始めた医者の真似事も、物資も人員も足りないこの場所ではそれなりに需要があるようだった。
因縁のある教え子の尻拭いという形の離反ではあったが、隠居のような今の生活には満足していた。
このまま日銭を稼いで目的もなく日々を過ごして、そのうち野垂れ死ぬのだろうと――そんな風に思っていた、ある日のことだった。
「……お前な。もう二度と俺には関わらないんじゃなかったのか?」
「高坂、殿――」
少々荒く開かれた扉に、俺は思わず肩を竦める。
読みかけていた本を閉じて目線を上げれば、懐かしい顔が縋るようにこちらを見つめていた。
(まあ、あえて見逃されているとは思っていたが)
本来であれば、多くの機密情報を持った俺をバートランドが逃がす道理はない。
世界がこうなったことでそれどころではなくなっただけで、しっかり隠れ場所は特定されていたようだ。
もしくは、この元教え子が俺の情報を操作し秘匿していたのかもしれない。
レベル6の能力者である俺の存在は、こいつやその主にとってのカードになり得るとの判断か。
そう思うと、あの直情型だった未熟者が随分駆け引きの手段を覚えたものだと感心する。
何を命じられるのかと一瞬身構えたが、すぐに様子がおかしいことに気付いた。
「申し訳、ありません、……他に、頼れる者がおらず……」
「……ミカゲ?」
数年ぶりに見るその顔は見るからに疲労困憊で、整ったその眼下には深い隈が刻まれている。
震えるその腕に宝物のように抱えられた少年に、意識はないようだった。
血の気の失せた顔のあちこちにあの憎らしい男の面影がちらつき、胸糞が悪くなる。
また毒でも盛られたかと数年前の出来事が脳裏を過ぎったが、あの経験を経たミカゲがヘマをするとは考えづらい。
憔悴し虚ろになった目を揺らして言葉を探す頼りない姿に、警戒よりも心配が勝った。
「落ち着いて状況を説明しろ。何があった?」
「坊、ちゃ、……リヒト、様が……熱が高くて、ずっと魘されているんです。く、薬も、すぐに吐いてしまって……」
「皮膚の変色は? 蝕人化の兆候はないか?」
「そ、それは、ありません……。ですが、咳も酷くて――」
「第一にも医者はいるだろうが。俺が治せるのは傷だけだぞ」
この第三ドームには、何もかもが不足している。
設備も薬もろくにないこんな場所よりも、第一はよほど恵まれた環境があるはずだ。
ぼやきながらも末梢補液の準備を始めると、ミカゲが俯いたまま低く呻いた。
「あんな、ポラリスの狗どもにリヒト様を任せられるわけがない……っ!」
「…………」
血を吐くようなその唸り声で、こいつを取り巻く環境の察しがついた。
味方もおらず、疑心暗鬼に陥っているのだろう。
あの家で生き延びるなら、正しい判断ではあるかもしれない。
「以前健康診断だと言い張って、坊ちゃんを検体にしようとした馬鹿がいましたよ。……生まれてきたことを後悔するほど痛めつけて殺してやりましたが。――レベル6の能力者の血液や肉を摂取すれば『蝕人化』を防げるなんて俗説を、本気で信じている者がいるんです」
世界は完全におかしくなってしまったと呟くその目には光が失せ、俺の知る教え子とはまるで別人のように感じた。
のうのうと余生を過ごしていた俺とは違い、こいつは未だあの地獄の中にいるのだから当然だろう。
こうなると分かっていたから、リヒト・バートランドの傍に置きたくなかったのだが――
「私が、……俺が、守らなきゃ、絶対に――」
「それで医者に診せずに悪化させてりゃ世話ねえな」
「…………っ」
悪態をつかれると予想したが、そこまでガキではなかったようだ。
押し黙るミカゲの腕から痩せた子どもを取り上げ、脈や喉の腫れを診る。
ここの設備ではあまり詳しい診断はできないが、恐らく重篤な病ではないだろう。
「多分今流行ってる胃腸炎か風邪だな……。水分取らせて安静にしときゃ大丈夫だ」
「で、ですが……喉が痛くて飲めないと――」
「飲みやすいものを作ってやりゃいいだろ。生姜湯とかはちみつレモンとか。そのぐらいの物資、そっちの環境なら用意できるだろ」
「生、姜……」
「……後でレシピ教えてやる」
初めて聞いたような反応をするミカゲに思わず吹き出すと、じろりと恨みがましい目線を感じた。
それも仕方ないだろう。元より熱だろうが怪我だろうが、うずくまって耐える方法しか知らない奴だ。
他人の看病なんて、しようと思った機会すらなかっただろう。
「点滴打っとくから、後は安静にして寝かせとけ。熱がある間は風呂は入れずに、汗を拭いてやる程度にしろよ。あとは――……おい、ミカゲ。聞いてるか?」
相手の目の前で手を振って見せれば、視点が定まらない様子だったその目がのろのろとこちらへ向けられる。
「……大丈夫、なんですね……?」
「あ?」
「この人が、死んでしまったり……」
「しねえよ。こんな情勢だから絶対とは言わねえが、第一なら栄養失調とは無縁だろ? 若くて体力もあるだろうし、よっぽど無理させねえ限りは問題ない」
俺の言葉を反芻したミカゲが、緊張が解けたようにぺたんとその場に座り込む。
よかった、と消え入るような声で洩らされた言葉に、思わず苦笑してしまった。
「……いいか。警戒するなとは言わないが、一人で出来ることには限界がある。味方とまではいかなくても、絶対的に頼れる人間ぐらい作っとけよ」
可愛らしいところもあるじゃないかと感心して差し出した手に、しおらしい相手の手が握られる――ことはなく、振りかぶった拳に思い切りぶん殴られた。
「でっ!? お前な……」
「だから、頼ったんだろうがぁ……、馬鹿こうさか……」
「おい、ミカゲ――」
ふらりと傾いだその身体を寸でのところで捕まえるが、その時には既にミカゲは意識を手放していた。
どこか悪いのかとぎょっとしたが、聞こえてくる規則正しい寝息にすぐに力が抜ける。
「お前なぁ……。自己管理ぐらい出来るようにって、教えただろ……ったく」
大方神経を張り詰めすぎて、ろくに眠りもしていなかったのだろう。
気絶するように眠り込んだその姿に、よくもまあここまで無防備になれるものだと呆れてしまった。
「……すまない。心配性な従者なんだ」
掠れた声に振り返ると、いつの間にか起きていたらしいリヒト・バートランドと目が合った。
苦しそうに咳き込む姿に、制止の代わりに布団をかけてやる。
「そのまま寝てな。解熱剤も入れといたから、じきに熱も引くはずだ」
「……迷惑をかけてしまい、申し訳ない。ミカゲは、本当は貴方を巻き込むつもりは――」
「お前さんも、そんなに無理に大人になる必要はねえよ。子どもは子どもらしく、病気の時ぐらい甘えときな」
「…………」
記憶が確かであれば確か15歳ぐらいだったはずだが、歳よりも随分と大人びて見える気がする。
その振る舞いに研究所で自分に縋って泣いた彼の少年の面影も重なり、胸中に複雑な感情が渦巻いた。
「なら子どもらしく、一つお願いをしてもいいだろうか」
「何だ?」
それを遮るように想定外の言葉を返され、無意識に眉をひそめるが――続いた内容は更に想定外のものだった。
「明日はミカゲの誕生日なんだ」
「誕生日? そんなもん、こいつには――」
「知っている。だから私が決めた日なんだ」
誕生日とはそういうものではないはずだが、当然のように言い切られてしまえばそうかと納得する他ない。
呆気にとられる俺を見返したバートランドの子どもは、もごもごと言いづらそうにしながらも続けた。
「それで……何か喜ぶものをあげたいと思っていたんだが……情けないことに、こんな状態だ。――だから、すまないが私の代わりに……当日にお祝いしてあげてくれないか」
「こいつはお前さんが無事に元気になってから祝ってもらう方が喜ぶと思うがなぁ」
「大丈夫だ。ミカゲは高坂殿のことが大好きだからな。いつも貴方の話をしているぞ……!」
「そりゃ初耳だな……」
もちろん自分でも後で祝うが出来れば当日に祝ってやりたいと続けたそいつに、警戒していた拳を解く。
あの問題児が執着する『主』がどんな人物かと心配していたが、どうやら杞憂だったらしい。
起きていれば文句や嫌味が飛んでくるだろうが、生憎当の本人はそんなことは知らず深い眠りの中だ。
「――ま、なら盛大に祝ってやらねえとな」
想像以上に大切にされているらしい現状に思わず吹き出しそう答えると、ミカゲの主が安堵したように年相応の微笑みを浮かべた。
END
SS:イチハ