自転車に乗ってデートするヌヴィリオの話
※gnsnの世界に自転車があると思って読んでください※
@otroom0v0
――ヌヴィレットさんに見せたいものがあるんだ。
そう言われて、手短に決まった逢瀬の約束。待ち合わせ場所もエリュニス島郊外と、妙な指定があった。それでも素直に応じたのは、相手がリオセスリだからだ。彼の謎めいた提案を、ヌヴィレットは二つ返事で受け入れた。
そうして迎えた、約束の日。ルキナの泉までやってきたヌヴィレットは、角を曲がって郊外へと向かう。春を迎えたばかりのフォンテーヌは暖かな日差しに恵まれ、澄んだ青空に包まれていた。心地よい風を感じながら歩いていたヌヴィレットは、未だに彼の姿が見えないことに、戸惑いを感じ始める。
――確か、この辺りで会おうと約束していたはずなのだが。
誠実な彼なら、約束が果たせないと分かった時点で連絡をするはず。待ち合わせ場所を間違えてしまっただろうか。わずかな不安が焦りを募らせていく。
街道が途切れ、野に出た頃。周囲を確認していたヌヴィレットの耳に、軽やかなベルの音が届いた。
「おーい、ヌヴィレットさん!」
はっとそちらを向けば、見慣れない乗り物に跨ったリオセスリが、さっと丘を下ってヌヴィレットの前まで来た。鋭い音を立てて止まったそれは、随分昔に見た覚えがある。
「リオセスリ殿、それは……」
「ちょっとしたアンティークだが、自転車だよ」
リオセスリがそう言って、誇らしげに見せつけてくる。彼が乗っている自転車は、かつてフォンテーヌで流行っていたものだ。若者がこぞって乗り回していたことや、それによる事故が多発していたことを、ぼんやりと思い出す。けれどアンティークというわりに、彼の自転車は真新しく見えた。
「この前、水の上で見かけてつい買っちまったんだ。手入れをして、塗装もしてある。ほら、ここに看護師長のステッカーも貼ったんだ」
そう言ってリオセスリが座席の下を示す。身を屈めて確認すると、笑顔を浮かべたシグウィンのステッカーが貼られていた。その愛らしさに、ふふっと表情が緩む。
「君の好奇心には、いつも驚かされる」
そこでふと、あることに気付いた。
「これを見せるために、私を呼んだのか?」
尋ねられるのを待っていたのか、リオセスリがニヤリと笑った。
「それもあるが、やってみたいことがひとつあるんだ。そのために猛練習したんだぞ」
首を傾げると、リオセスリが座席の後ろにある荷台を示した。
「俺の最高審判官様に、とっておきの席を用意したんだ。乗ってみないか?」
思わぬ提案に胸を躍らせたが、自身の装いに気付いてためらう。
――こうなると分かっていれば、軽装で来たのだが。
法衣は丈が長く、自転車に跨るのは難しそうだ。かといって、無防備に脱ぎ捨てるわけにもいかない。それはリオセスリも気付いたのか「ああ、ごめん」と苦々しく笑った。
「驚かせたくて、つい忘れてたよ。次の機会にしておこうか」
明るく振舞っているものの、残念がっているような気がして。ヌヴィレットは素早く考えを巡らせると、荷台に歩み寄った。推奨されない乗り方にはなるが、乗馬と同じ方法を用いれば……と、算段をつけたところで頷いた。
「問題ない。少し試してみよう」
「えっ?」
荷台に背を向けると、椅子に座る要領で腰掛ける。リオセスリの腰に手を添えて、バランスを取りながら足を浮かせれば、裾が綺麗にまとまった。片手で押さえれば、さらに安全を保てるだろう。ほっと息を吐き出した時、リオセスリが力んでいることに気付いた。
「重いか?」
「いや……その乗り方で大丈夫なのか?」
「もしものことがあっても気にしない」
それを聞いたリオセスリが笑った。
「最高審判官に怪我をさせたら、囚人としてメロピデ要塞で暮らすことになるな」
「リオセスリ」
「冗談だよ」
肩をすくめると「それじゃ、少し走らせるぞ」と声をかけて、彼がペダルを踏んだ。緩やかに走り始めると、バランスを維持するのが難しくなる。リオセスリの腰をしっかりと抱いて身を寄せれば、彼の重心とぴったり重なる感覚が分かった。自転車にのせてもらうのは初めてだが、思いのほか面白い。
風を浴びながら身を委ねていると、不意にリオセスリが運転を止めた。
「……何か問題でも?」
問いかけると、うめくような声が聞こえてきた。もしやと思い、腰を抱く手を緩める。すると、リオセスリが留めるように手を重ねてきた。
「俺に委ねてくれるのは嬉しいんだが、ちょっと想定外だったな」
「……?」
言葉の意味を理解できずにいると、リオセスリがぽつりと呟いた。
「あんたが近すぎて集中できない」
思わぬ発言に目を瞬かせる。見れば、彼の耳がほんのり赤く染まっていて。ヌヴィレットはふっと表情を緩めると、彼を優しく抱き締めた。
「リオセスリ」
強張る背筋。なるほど、そういうことだったのか。理解した途端に、胸があたたかくなる。こうして身を寄せていると、リオセスリの心臓が忙しなく動いているのが分かった。可愛らしい音色に、笑みがこぼれる。
「では、私が君をのせて運転しようか」
「えっ、乗れるのかい?」
わずかに緩んだ体を、さらに強く抱き締める。
「今すぐには無理だが、練習をすればじきに乗れるようになる」
陶芸も習得したのだ。不可能なことはない。するとリオセスリが笑って、ヌヴィレットの腕を撫でた。
「最高審判官が自転車に乗る練習か。記者に知られたら、朝刊のトップを飾るだろうな」
「私は本気だ」
リオセスリが黙り込み、静かな時が流れる。小鳥が軽やかに歌う中、彼はヌヴィレットの手を握り、指を絡めた。
「……楽しみにしてるよ」
その声は優しく、ぬくもりに満ちていて。ヌヴィレットは静かに目を閉じると、彼の背中にぴったりと添う。
広く逞しいその背中は、日差しよりもあたたかかった。