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魔が差しただけ

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2026-04-09 18:56:29

リオヌヴィ 触れ合うにも努力が必要だから

互いの立場を越権するような、公私混同は避ける。

それは、リオセスリとヌヴィレットが想いを通じ合わせる前からお互いの立場を守るために決めた約束事。思いだせば今のような恋愛感情を縺れさせた関係になる前、それこそビジネスパートナーよりも少しばかり仲良しと言ってもいいくらいの時に決めたその約束は今でもまだ効力を持っていて。恋人として触れ合うには少々厄介なものではあるが、元々公正無私を原則とする最高審判官であるヌヴィレットの足元を揺らがせる真似をするつもりはないリオセスリにとってこの程度の約束で彼に触れることが許されるのであれば受け入れることは容易かった。

次月の受け入れに関しては以上だ」
「ああ、君はいつも書類を丁寧にまとめてくれるので助かる」
「ただでさえ書類に埋もれてるあんたを、これ以上書類で隠してしまうわけにはいかないからな」

一通り定例の報告と会合を終えて、ひと息。
月に二回ほどのこの公式の会合は互いに顔を合わせられる機会ではあるものの、その横には常に仕事というパートナーを連れている状態なので楽しいかと言われると首を傾げざるを得ない。何より、全てを書類で片付けるフォンテーヌのほぼ全ての最終決裁書類が集うヌヴィレットの執務室は、タイミングが悪いと今日のように書類と書類の壁に挟まれたヌヴィレットが出迎える有様。せっかくの逢瀬と洒落込むには、あまりにもムードとやらが足りないのだ。

「皆が君のように修正要らずの書類を作成することが出来れば、埋もれるまではいかないのだろうが」
「まぁ水の上の書類はややこしいし、最適化が難しいとしてももう少し簡略化出来ると一般人も作成しやすくなるんじゃないか?」
「ふむ確かに、それは一考の価値がある」

リオセスリから受け取った書類を丁寧に受理済みの箱に仕舞い、山積みの書類をその場で片付けることを諦めたヌヴィレットは書類のややこしさに対する指摘を受けて手元にあった修正が必要な書類に目を落とす。パレ・メルモニアにはヌヴィレットの仕事に追随出来る者が中心にいるので麻痺しているのかもしれないが、フォンテーヌの書類周りはとにかく面倒で回りくどい。普段書類とにらめっこをしているリオセスリですら気を遣うレベルなのだから、一般人やちょっとした事務員くらいでは到底太刀打ち出来ないだろう。

「君が当たり前のように無修正の書類を渡してくれるので、感覚が鈍っていたのかもしれない。職員向け以外の書類に関しては、君の言う通り簡略化を検討すべきだろう」
「それがいい、俺だって水の上向けの書類にはそれなりに神経を尖らせているからな」
「そうかそれはすまないことを
「なに、謝る必要はないさ。ややこしいとはいえ手続きをする上で必要な情報が多いのも事実だ」

書類に囲まれたまま少し萎れているヌヴィレットの手から書類を抜き取って、苦笑いを浮かべながらリオセスリは未受理の箱にそれを戻す。

「ま、俺は修正があった方があんたに会える言い分が出来るとは思っているが俺の我が儘のせいで手間を増やしてしまうのはいただけない」
それなら、たまにはミスをしても良いだろうに」
「公私の分別は守りたいんでね。仕事で出向いた日には最高審判官様と公爵でしかない、お茶を酌み交わすのも他人行儀なんてつまらないだろう?」

公爵として扱う書類のほとんどは修正が利かないため、書類不備の場合は大体が再提出の依頼をする羽目になる。毎回水の上に呼び出されること自体はヌヴィレットに会う口実になるので嬉しい悲鳴というものなのだが、如何せんこの場合は公人としての立場で会うため私的な振る舞いがやり難いというのがリオセスリとしての見解だった。

「とはいえ、君との会合と他人の会合を同じ時間だとは思っていないのだが」
「それはありがたい言葉だが、それなら尚更公私の分別はしておきたい。俺はヌヴィレットさんを支えこそすれども、立場を揺らがす存在にだけはなりたくないんだよ」

この約束事自体は確かヌヴィレットから出て来たものだったはず、それを今や本人が疎ましく思ってくれている。それはリオセスリとて同じだったが、だからこそ今となっては彼の方が約束を守りたいという気持ちが強い。自分の感情が恋愛の類であることは理解しているが故に、ヌヴィレットも同じ感情を持てば境界線はいとも容易く揺らぐ。それは願ってもないことであると同時に、彼の公正無私を足元から崩しかねない危険因子にもなり得るのだから。

仕事が、私という存在まで縛るのだな」
「そんな可愛いことを言わないでくれ」
「私情で規則を破ろうとしているというのに、可愛いも何もないだろう」

ふぅ、とちいさく溜め息を吐いたその姿に思いの外ヌヴィレットの心労を垣間見たリオセスリが目を細めると、己の失態に気付いたのかゆっくりと立ち上がって背を向けようとして。

すまない、君を困らせるつもりはなかった」
「ヌヴィレットさん、」
「少し休憩を挟もう。お茶を淹れて、」
「ヌヴィレットさん」

感情を隠す、嘘を吐くということが悉く苦手なヌヴィレットの態度はあまりにもわかりやすく、行き場と制御を失った気持ちから逃げようとするその手を掴んで強引に振り向かせたリオセスリは、ひどく狼狽えるその唇に触れるだけのキスを落とした。

――公私混同は、避けるのでは?」
俺の書類は完璧なんでね、提出した時点で俺はプライベートだよ」

突然のことに一瞬フリーズしてしまったヌヴィレットではあったものの、すぐに目を瞬かせて困惑気味の表情を浮かべる。リオセスリの言い訳も別に罷り通っていないわけではないので否定も出来ず、おまけに自分から誘ったようなものなので怒るのもお門違い。とはいえ公務の最中であることは間違いないのだから、こうした触れ合いを許していいのかと問われると約束を反故にしている気がして。

「私の仕事はまだ終わっていないのだが」

幾らリオセスリがプライベートでも自分はまだ仕事に追われているのだと告げると、リオセスリは苦笑しながらやんわりと頬に手を添える。

「じゃ、魔が差したってことで」

ふ、とイタズラっ子の表情で口角を上げるリオセスリ見て何だかもう深く考えるだけ無駄なのかもしれないと諦めたヌヴィレットは、机上に散らばっていた書類を一纏めにして片付けるとリオセスリの方に向き直って油断している頬にキスを施した。

ははっ、まだ仕事中なんじゃなかったか?」

突然のお返しに動揺を隠せずにいたリオセスリだったが、嬉しい誤算ということもあってその表情は実に嬉しそうで。一方で目も閉じず、勢いと真似だけでやった公務中のキスは本人にとって相当気恥ずかしいことではあったらしく、耳までほんのり赤らめて顔を背けてしまったその背をリオセスリが愛しげに抱きしめると。

「魔が差した、とでも思っておけば良かろう

蚊の鳴くような返事で精一杯の虚勢を張りつつ、抱きしめる腕には抗えない。

「どうする?休憩でもするかい?」
もう、今日はプライベートでいい

すっかり骨が抜かれて腕の中に収まってしまったヌヴィレットがすり、と無意識に頬を擦り寄せてくる姿に気を良くしたリオセスリがソファに誘おうとするも素っ気なく首を横に振られてしまう。そこまでは難しいだろうかと彼の様子を窺っていれば、所在なさげな指先が袖を引いて。

ここではなく、部屋で

消え入りそうで、弱々しいその言葉が普段そういった誘いに疎いヌヴィレットの精一杯だと理解しているリオセスリは、指を掬って絡めながら背後から耳元に唇を寄せる。

もちろん、喜んで」

耳元で囁かれた心地好いテノールに吃驚しながら居た堪れなそうに俯く肩を支えて、ふたりは執務室を後にしたのだった。


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