本編後、遊作がAiちゃんと戻ってきてる世界線。互いに対する感情が言語化できていないタイプの了遊。
@d9_bond
暗い空から落ちる無数の雫が低く唸る風に煽られひっきりなしにガラスを叩き、いくつもの筋を作る。
時折白い雷光が低く垂れ込めた雲の形を描き出し、遅れて轟音と共に空を裂く。
嵐が来ていた。
「荒れているな」
騒がしい外と正逆の室内で、了見の声は柔らかく響いた。遊作が振り返ると了見はソファ前のローテーブルにマグカップふたつを置いたところだった。
「砂糖とミルクは」
「いらない。ありがとう」
窓辺を離れ、了見の隣に腰を下ろす。
ソファは窓に対し垂直、つまり壁に向けて置かれていて、視線に合う高さにやたら大きなテレビが張り付いている。少し前まで天気予報を映していたが、穏やかな気象予報士の読み上げを少し煩わしく感じて切ってしまった。どのみち予報は二時間前と変わらなかった。デンシティ含む一帯は明日未明まで荒天が続く。
ふんわり湯気の上がるマグの中身は透き通る飴色だ。何か飲むかというからコーヒーを頼んだら、この時間は良くないからと自動でノンカフェインの紅茶に変更された。なら聞くな、と軽口を叩ける間柄ではないので遊作は頷くに留めたが。
紅茶の名前は忘れた。ただ聞きなれない名前のもので、香ばしい香りとほんのり残る苦みが静けさの中で揺蕩っていた思考の輪郭を少しだけ自覚させる。
少しコーヒーめいているようにも感じたそれが遊作の気のせいなのか、コーヒーの代わりにと気を使ってくれたのか──そうだとして、その気づかいが客に対するものなのか、自分への厚遇の一端なのか、遊作には何一つ見当がつかない。
ただ、言葉もなく並んでいて気まずくも何ともないと感じるあたり、自分はずいぶんとこの男に気を許していることだけは確かだった。
「雷は平気なのか」
問われた直後、窓の外で閃光が走り、遊作が頷くより早く雷が落ちた。近いのか、ビリ、と微かな振動が伝わる。
「不意打ちなら驚くが、嫌いじゃない」
「……そうか」
屋外ならば多少脅威にも感じるだろうが、屋内でこうして気の置けない相手の傍らで温かいものを手にしていると何の憂慮もない。
*
遊作がいるのは了見の所有しているという駅近くのタワーマンションの一室だ。
急な雨に降られたところ、たまたま通りかかった了見が雨宿りの場所を提供してくれたのだ。
朝の予報では雨は夜からだったので遊作は傘を持っていなかった。
授業を終えて学校を出た時も曇天ではあったが降るまで猶予はありそうだったので、遊作はちょっとした買い物で駅前に足を延ばした。だが駅直結の店舗へ入ろうかというところで降ってきた。
吹きつける風が強くなったと思えばあっという間に豪雨になったので、春先の天気は変わりやすいといっても限度があるだろうという気持ちではある。駅では遊作と同じような人は多く、迎えを頼んだり傘を買ったり、はたまたカバンを傘に雨の中へ飛び出していく。
買い物を終えても風雨は強くなるばかりだ。風が強いので傘は意味がなさそうだと見た遊作が、仕方なく雨の中へ歩き出そうとしたところで無造作に腕を掴まれた。驚いて振り返ると、不機嫌そうな顔の了見が立っていた。
予想外の顔に、そして掴む手の強さに遊作はさらに驚いた。
「行く気なのか? この中を?」
挨拶も何もない、いささか強い語調の問いに遊作は眉を寄せたまま向き直った。腕は掴まれたまま。
「了見、なぜここに」
「通りすがりだ」
「そんなことがあるのか?」
自分に何か用でもあるのか、と問い返すと不機嫌そうな顔に眉間のしわが追加された。
「私こそ、なぜお前がここにいるのか聞きたいくらいだ」
「ただの買い物だが」
言われてみれば遊作は普段、家の近所やネットで必要なものを揃えている。たまたまネットで売り切れているものがあると分かって寄っただけなので、了見が疑問に思うのも不思議ではない。
(……いや、なんで俺がここにあまり来ないと知っているんだ?)
尋ねたかったが見るからに機嫌がよくなさそうなので別の機会にする。
自分だってたまたまここにいるのだ。そして鴻上了見はそもそもどこにいるか分からない人間だ。ならば駅ビルで同じように雨宿りしていることもあるのかもしれない。
遊作は腕を掴む手に目線を落とした。
「俺が濡れることを心配してくれているのなら、大丈夫だ」
「お前の家までどれだけあると思っている」
「そうは言っても、タクシーなら出払っている。バスは距離があるから同じことだ」
目線をあげると了見は今は不機嫌というより苦々しい顔になっていた。
「おまえはどうするんだ」
見たところ雨具は持っていなさそうだ。誰か迎えにでも来るのだろうかと尋ねると、小さく首を振る。
「うちに来い」
了見は低く言うなり、遊作が頷く前に手を引いて歩き出した。
うち、と言うからあの岬の邸宅を想像していたのだが、駅地下直結のタワーマンションの一室を持っていると言うことで連れてこられて今に至る。
しかも、天候が回復するのは明日未明との予報に、いつの間にか遊作は泊めてもらうことになっていた。
家で留守番をしていたAiへ連絡したところ、了見の名を聞いて騒ぐかと思いきや遊作が濡れて帰るより全然いいと了承した。確かにひどい風雨だが、冬ならともかくこの時期では凍える様な気温でもない。濡れたら乾かせばいいだけと思うのでAiも了見も大げさには思う。
遊作は鴻上了見をよく知らない。自分が了見に対して思うほど、彼が自分個人に対して好意的に思ったこともない。
ただ、婉曲に差し出される彼の気づかいや優しさを好ましく思う。遊作自身が他の人間にやっているところを見たら、「甘い」と断じそうな想像も含めて。
*
一際大きな雷鳴が轟き、直後に、ばつん、と明かりが消えた。
遊作はしばし様子を窺った。
ばたばたと雨粒がガラスを叩く音が響く。とうに陽は落ち、加えての荒天で外は暗いが、いくらも経たないうちに目が慣れてくると窓からの薄明かりで室内の陰影は分かるようになってきた。
「遊作」
何かを憚るような密やかさで名を呼ばれる。
「大丈夫か」
「ああ」
頷く。
「今回は長いな」
停電はこれまでもなかったわけではない。それでも近年は瞬きする間に回復していたことを考えると、供給源で致命的な何かが起きているのかもしれない。
「ブレーカーか?」
薄闇の中、了見が見てくるとソファを立つ。遊作も立ち上がり、窓の外を見た。
デンシティの街は闇に飲まれている。
どうも広範囲で停電しているようで、大通りの信号が辛うじて点灯しているくらいだった。それもこの風雨で心もとなく滲んで見える。
戻ってきた了見は、小さな明かりと携帯端末を手にしていた。ブレーカーも、マンション設備も問題なく、やはり広範囲で停電が起きているとのことだった。
食事は済ませているし、外に出る用もない。停電ですることもないのだからさっさと寝てしまったほうが良い日だ。
だが、どうにもそんな気になれなくて遊作は窓辺に腰を下ろした。リビングに敷かれたラグは毛足が短いものの厚手で触り心地が良く、大きな窓から外を眺めるのに不便はない。
風は先ほどより収まってきたものの、大粒の雨は続いている。
了見は、持ってきた明かりを消してしまった。どうしたのかと振り返ると、薄明かりの中で了見が小さく頷く。外が見やすいようにということだろうか。
了見は、どこかから大判のブランケットも引っ張り出して遊作へ差し出してきた。なので遊作は、遠慮なく羽織る。ついでに足を組み直し、自分の右側を示してやると、了見は案外素直に遊作の隣に腰を下ろした。
二人でブランケットにくるまって、嵐の夜を眺める。
耳に入るのは雨音と風音、合間にかすかな衣擦れと吐息。
そっと距離を詰め、体をくっつけてみると了見はことさら反応しなかった。触れ合う腕が温かい。
嵐の前は、いつも落ち着かない。
台風が来る前日の生ぬるい風。荒天の兆しを告げる、早く流れていく雲。普段と様相を変える海辺の波濤。
ざわざわとした形のない何かが心臓を撫でるような感じがする。目を凝らして見つめていないと、決定的な何かが気づかないうちに自分を取り返しのつかないところへ連れて行ってしまうのではないかという、突拍子もない想像が頭のどこかで横たわる。
(あの感覚だ)
遊作は、すぐ隣で触れている腕に目を凝らした。数時間前、嵐に入る自分を引き留めた手だ。絶対に離さないとばかりに強く、熱く。
窓からの淡い光では形しか分からない。ただ、無造作に組んだ足の膝頭に置かれた少し骨ばった手が、ぼんやり浮かび上がって見える。
そっと、手に触れる。
自分より少しひんやりとした指先を、手のひらで包み、そっと握る。手をつなぐ。
あの時──声だけでなく手が届いたなら、きっと了見は手を伸ばしてくれただろう。そこに何があろうとも。
(俺にこうして良くしてくれるのは、やり直したいのだろうか)
そうだとしたら無意識だろうが。
あるいは。
(それとも、俺と同じように理由が欲しかったのか)
暗闇で、嵐のなかで、閉じ込められて。
理由がなければ触れることも躊躇われるというのなら。
窓の外で、雷光が走る。
「了見」
そっと呼ぶ。
薄闇の中でも、淡い色の瞳がこちらを捉えるのが分かった。
「遊作」
囁くように呼ばれて、遊作は息がかかるほど近くに身を寄せた。
伸ばされたもう片方の手の整った指先が、遊作の頬をそろりと撫でる。そのまま、あごを軽く持ち上げられて、
どこかで落雷の音がした。