@psychic_eclipse
それは久しぶりに仕事の休みが合致した、楽しい夕食の一幕だった。
大好きだというステーキに目を輝かせていた愛らしい恋人が、唐突に問うてきた。
「リヒト、なんか欲しいものある?」
「――何故?」
反射的に答えた瞬間、来月が自分の誕生日であることを思い出してはっとする。
(まずい。恋人として最低な反応をしてしまった)
誕生日、というものは特別なイベントだ。
特に恋人であれば尚更だろう。
彼が特別な相手である私の誕生日を祝おうとしてくれていることは明白だ。
(見ろ。このきょとんとした顔を)
(当たり前だ。彼にとって想定外の反応だっただろう)
(もしも『さぷらいず』とやらを計画しているのだとすれば、答えられるはずがない)
完全に油断していた。
メールや通話はしていたものの、実際にこうして会う機会が中々取れなかったから、思いのほか浮かれていたのかもしれない。
ああ。私はなんという気の利かない反応をしてしまったのだろうか。
最近第二、第三ドームの環境改善の対策で多忙だったから――いいや、そんな言い訳が通るはずがない。
(このままでは、つまらない男だと思われてしまう……)
(どうする? ここで誕生日に触れずに上手く欲しいものを伝える方向に会話を持っていくためには、どんな言葉を続ければいい!?)
「だってリヒト、来月誕生日だろ? どうせなら欲しいもんあげたいなって」
「…………ああ……。そういえば、そうだったな……」
存外に素直に種明かしをされてしまい気が抜けるが、ひとまず『さぷらいず』の類を計画しているわけではないらしいことにほっとする。
(――いや待て。何がそういえばだ。彼の厚意に対して、素っ気ない返事すぎるんじゃないか?)
(この頭のかたい朴念仁が……。スマートな恋人であるなら、そこはまず感謝の言葉を述べるべきだろうが)
(くっ! いや、反省は後だ。ここからの会話で巻き返すしかない)
「そんで、なんかある? 最近給料ちょっと上がったからさ、なんでも言ってくれよ」
「欲しいものか……。そうだな……」
彼の優しさに感謝しつつ、質問の答えを考えてみる。
欲しいものと言われても、生活や職務に必要なものは既に一通り自分で揃えているし、趣味といえば楽器の類になるだろうが――この物資不足の中でそれを手に入れることは恐ろしく難しいだろう。
(……これは、存外に難題なのではないか?)
欲しいもの、と一口に言っても幅が広すぎる。
今の私に本当に必要なものを挙げるなら、ドーム運用新規計画の予算や高性能の演算端末など……そういった類になってくるが、当然そんなものは論外だ。
(当たり前だ。恋人への誕生日プレゼントに、個人で買える範疇を超えた研究予算を要求する人間がどこにいる)
そもそも、彼と私では経済感覚が違う。
生まれ育った環境を始め、収入や使える裁量にも違いがあるはずだ。
彼と出会ったことで、第三ドームの環境状況も把握している。
だからこそ――彼にとって無理のない範囲で、それでいてこちらが本当に喜ぶものを提示しなければならない。
(ここで高価すぎるものを口にすれば、彼はきっと無理をしてでもそれを用意しようとするだろう)
(好きな相手に負担をかけるなどと、そんな愚行が許されるはずがない――)
だが、それは折角特別な日を祝おうとしてくれている彼の厚意を無下にする考えなのではないか。
私が勝手に彼の経済状況を予測し遠慮することが、彼を侮辱することになってはいけない。
「だが……、……くっ……」
「そんな悩む?」
首を傾ける彼に短く謝罪を告げ、思考を再開する。
――互いに無理の範囲を考えよう。
安価な消耗品や日用品はどうだろうか。
(そうだ。金銭をかけることが大切ではない。プレゼントで本当に重視すべきは気持ちだ)
となれば、そうやって私の誕生日を祝おうと思ってくれたことだけで十分すぎるほどに幸せなのだが――彼はきっとそれでは納得しないだろう。
(よし、なら仕事で実際に使えるペンやノート、そういったものなら経済的な負担をかける心配も少ないはず……)
(いや……実用品としては優秀だが、誕生日に指定するにはあまりにも夢がなくはないか?)
(それに、あまり安すぎるものを指定すれば……気を遣われたと彼を傷つける可能性もある)
そこまで考えて、内心で頭を抱えた。
「――これは、そうか。……詰んでいる、という状況か」
「そんなに?」
しまった。声に出てしまった。
怪訝そうにする彼の、この愛らしい瞳を曇らせるようなことだけは――それだけは避けねばならない。
「……済まない、……待ってくれ。今、候補を絞り込んでいる」
「別に今すぐ決めなくてもいいぜ? まだ当日まで時間あるし……」
気遣うようにそう言われてしまい、余計に焦る。
悩ませてしまっている時点で、既に少し格好が悪い。
いや、少しどころではないかもしれない。
(こういう時、スマートな男はどうする?)
(さらりと答えて、しかも相手に負担をかけず、尚且つ喜ばせるのだろう)
(くっ、恋愛の指南書か教科書が欲しい……)
傍から見れば滑稽な状況かもしれないが、こちらはいたって真剣だ。
ポラリスとスバル・アカツキがドーム運営方針で真っ二つに意見を割って大問題になったときですら、これほど悩んだことはなかった気がする。
「リヒト、すげー考えてくれてんだな。なんか嬉しいかも」
「……うれ、しい?」
想定外の感想に、思わず声がうわずってしまった。
意味を測りかねているこちらに気付いたらしい彼が、うん、と頷いてふっと頬を緩める。
「だって、リヒトってそういうの……貴方が選んでくれたならなんでもいいって言いそうだから」
「それは大前提だが、聞かれたからには答えるべきじゃないか?」
「いや、そりゃ答えてもらえたらありがたいけど」
「なら……」
「俺、お前の知らない顔見るの好きだからさ。まあいいから、次に会う時までにゆっくり考えといてくれよ。思いつかなかったらお任せでも全然いいから」
考えすぎんなよと軽く笑うその顔が柔らかくて、正直見惚れてしまった。
笑われているというのに、そこに呆れや困惑は少しも感じず、不思議と嫌な気はしない。
当たり前のように次の約束を口にする彼に、感謝と愛おしさが募る。
だからこそ――この目の前の課題にはしっかりと向き合う必要があった。
「………………」
「リヒト?」
「――少し、考えさせてくれ」
言葉に甘える形でそう告げると、彼はいいよと優しくまた笑った。
***
楽しい時間はあっという間に終わってしまう。
暗闇と静けさに包まれる広い屋敷の中、自室で考えをまとめた私は――それを相手に伝えるべく携帯端末を取り出した。
「……もう眠っているだろうか」
先ほど別れたばかりなのに、迷惑に思われるかもしれない。
次に会ったときでいいと言われたのだから、わざわざ連絡する必要はないのではないだろうか。
そう思って発信ボタンを押せずにいると、手の中で端末が震えた。
着信を知らせる画面には今ちょうど思い浮かべていた人物の名が表示されており、私は慌てて通話ボタンを押した。
「……もしもし」
『あ、リヒト。ごめんな、起きてた?』
「いや、大丈夫だ。何かあったか?」
『んーん。ちょっと話したかっただけ。結構思い悩んでたみたいだったし、無理しなくてもいいからってことも伝えたかったし』
端末から響く心地よい声に、肩から力が抜けていく。
どこまでもお見通しのようで、改めて――色んな意味ですごい人だと思った。
「そのことだが、欲しいものを思いついた」
『ほんと? 何?』
電話の向こうでぱっと明るくなった声に、きっと今はこんな表情をしているのだろうと脳裏に彼の顔が浮かぶ。
それだけで綻びそうになる頬を引き締め、伝えようと思っていた言葉を続けた。
「あ、貴方が――欲しい」
『……はぇ……?』
一瞬、相手の空気が凍り付いた。
その反応で、伝える言葉を簡略化しすぎたことに気付き、私の方も慌ててしまった。
「違う。間違えた。貴方と過ごす時間が欲しいと言いたかった」
『あっ! あー……なるほど! うん、大丈夫、大丈夫っ!』
「済まない。……色々と考えてみたんだが、今日の時間がとても楽しかったと思ったんだ。この家は私には少し広すぎるから――すぐに貴方に会いたくなってしまう」
『――そっか』
何やら咳払いを繰り返していた彼が、ふと黙り込み、数秒の沈黙が流れる。
『でも別のがいいな。できたら物でよろしく』
「何? 何故だ?」
『あのさぁ。俺との時間ってやつ、前にも言ったけど……そんなの誕生日じゃなくたって叶えてやるって』
「……特別な理由がなくても?」
『もちろん。会いたいって思ったら、遠慮せずに電話でもメールでも送れよ』
俺もそうすると続けた彼が、息遣いだけでまた笑う。
じんわりと胸に染み入るような温かさを感じて、どう答えていいのか分からなくなる。
「……そうなると、困ったな。本当に何も思いつかない」
『なら一緒に考えよっか。悪いけど、俺今年は引かないからな。お前、去年の俺の誕生日やばかったし』
「あれは私が貴方にあげたかっただけだぞ」
『俺もだよ』
そう言い切られてしまえば、そういうものかと受け入れるしかなくなってしまう。
一緒に考えてくれるというその言葉にありがたく甘えることを了承して、私はこんな内容で煩わせてしまったことに少々落ち込んだ。
「……貴方といるときはいつも完璧で恰好良い恋人でいたいと思っていたんだが、なかなか難しいものだな」
相談の最中に思わず零した本音を聞いた彼が、電話の向こうでまた笑う。
『馬鹿だなぁ、お前』
「……どういう意味だ」
『――リヒトはいつだって、一番かっこいいよ』
鼓膜を震わせたその囁きはどこまでも甘く――私はまた、理想の自分とは程遠い醜態を晒すことになってしまった。
END
SS:イチハ