たとえば柔らかな桜餅のような
優しく穏やかな甘やかしの形をしている
歌仙から彼女へ注ぐ愛情の形
@fu_re_re_ra
初夏の陽射しが明るく照り付ける中、日除けの番傘を差しながら、歌仙は軽装で、主は桃色の浴衣で街をゆったりと歩いていた。
紫の着流しに鉄扇を差した粋な装いで、柔らかい紫苑の猫っ毛を夏風に遊ばせながら。
穏やかな人波をゆるりと歩く歌仙兼定は、朝からずっと機嫌が良い。
「思ったより蒸し暑くなってきたね。気分は悪くないかい」
「んーん、平気だよ。歌仙がくれた浴衣、さらっとしててすごく涼しいもん」
「それは良かった。無理せずすぐに言うんだよ」
「うん、えへへ、ありがと」
今日の現世の警護担当は歌仙兼定。隣を歩く彼女の淡い色合いの浴衣には愛らしく兎がぴょこぴょこと踊り、普段よりうんと幼く見える彼女を華やかに彩っている。
先の折、歌仙が彼女のために手づから仕立てたものだ。
まさに絵柄の仔兎のように跳ねて喜んだ彼女は、以来これを、とびきりの宝物として大事にしてくれている。
「うん、本当にとてもよく似合っているよ。僕の見立てに間違いは無かったね」
「えへへ」
番傘の日陰を分け合いながら、初夏の強い陽射しの下を歩く。
番傘を彼女へ大きく傾けながら歩く歌仙は穏やかに笑った。
「せっかくの可愛らしい装いだ。似合う帯留めや簪も見て回ろうか」
「歌仙、歌仙、行きたいとこ、ほんとにそれでいいの?」
「うん? 今日は僕の誉れの祝いだろう?」
歌仙は晴れ空色の青緑の瞳を穏やかに細めると、柔らかい紫苑の猫っ毛を夏風に遊ばせながら、機嫌良く笑って、ぱちんと片眼を瞑った。
「一度飽きるほどじっくり見立ててみたかったんだ。僕がこういうふうに何かを見立てるのが好きなのは知ってるだろう? 付き合っておくれ。今日のきみは僕の専属モデルというわけさ」
歌仙の今代の主と来たら、装飾品だろうと家具だろうと簡単に手放しては、刀剣男士のための供物に酒代に恩賞にと替えてしまうのだ。
華やかな年頃だというのに、せっかくの綺麗な髪を彩る簪一つ持っていない。
以前は女人の通例に漏れずそういったキラキラした可愛らしいものを集めるのも好きだったようだと古参の刀から聞いているが、歌仙がこの本丸に降り立った頃には既にすっかりそういったものは売り払ってしまっていたらしい。
もし何かの拍子に手に入れても、たとえば乱藤四郎のような良く似合う者に笑ってあげてしまうようだ。
酒飲み連中が仮にどれほど浴びるほど酒を呑もうとも気にする様子もなく、決して安くはない医学書や技術書でも湯水のように買い与えてくれるのだと書庫に頻繁に出入りする者は皆知っている。
本丸の運営に必要だと思えば、己の私財から生活費すらぽいっと勘定番長に渡してしまうのだと博多藤四郎やへし切長谷部がたびたび嘆いていた。
質素で堅実な生活なのはもちろんいいことだが、そういった範疇を明らかに超えて、己の身から率先して削って僕らへ差し出してしまう様子はやはり目に付く。
自己に対する執着の薄さは、はたから見て心配になるレベルだった。
古くから日本刀は、数ある美術品の中でも特に維持に手が掛かる金食い虫の筆頭だ。
なにくれと手を掛けてくれるのは嬉しいが、そのために主人の装いが乏しくなっていくのを見るのではやはり心苦しい。
かといって、彼女はただただ、己が大事にする刀を大事にしたいからそのように振る舞うのであって、ただ頑なに拒否するのでは哀しませてしまうだけだ。あくまでさりげなく、上手に釣り合いを取ってやらねばならない。
己を差し出しすぎる主人の気性のままならなさも含めて、僕も皆も彼女を心から愛している。
だから今日の彼女の綺麗な髪を彩るのは、簪の類いではなく、鮮やかに花を咲かせた大八重梔子だ。
歌仙が共に彼女と出かける時は、丁寧に髪をすいてやり、事前に花粉を摘み落として念入りに下処理をした生花をさらりと差してやって出かけるようにしている。
くすぐったそうにはにかんで、嬉しそうに笑う彼女のためなら、花木を手入れする手間はまるで苦にならない。
少しの青さを含んだ砂糖菓子のような甘さが、白い花弁から漂って、彼女を柔らかく包み込んでいる。
確かに梔子は野生の種もあるが、こういった香り高い八重咲きのものは丁寧に手を掛けてやらなければ咲かない。
遠征や散歩のついでに野花を摘んでいるのだという勘違いを、歌仙はわざと訂正しないままにしている。
ちょこんと可愛らしく控えめに歌仙の紫の裾を掴んで歩く彼女は、歌仙との久々のお出かけにとても嬉しそうだ。
番傘を左手に差して歩く歌仙の手を掴んでしまうと、穏やかな街中とはいえ警護を担当している歌仙の利き手を塞いでしまうので、邪魔にならないようにとこうして裾を掴んでいるのだ。
「はぐれないように、しっかり掴んでおいで」
そう声をかけてふわりと穏やかに微笑みかけてやれば、髪の花よりももっと華咲くように嬉しげに笑い返してくる。
子どものように手を引いてやればもっと嬉しそうに笑うことは分かっているが、それは日傘の要らぬ夕暮れの帰り道に、としよう。
厨を預かる歌仙は普段、どちらかと言えば持ち場を屋内に起き、外出は他に譲っているから、こういう『お出かけ』はいっとう珍しいのだろう。
彼女は何をするにも嬉しそうにはしゃいで、笑って、この上なく幸せそうだ。
時間をかけてあれこれ見て回ったが、残念ながらやはり結局、今回も彼女は何も買おうとしなかった。
楽しそうに見て回って、見立ててやれば嬉しそうにくるりと回って見せてみせて、ぴょこぴょことはしゃいでみせて、けれどそれだけで満足なのだと、すぐ棚に戻してしまうのだ。
せっかく見目が良いのにもったいないことだ。
初期刀の加州清光がようやく聞き出したことには、物を増やしてしまうとそれだけ僕らに手をかける時間が減ってしまうから、と考えているらしい。
そうまでしてくれるのは、人の子に愛されてこそ此処に存在する付喪神冥利に尽きるというものだが、僕らが願っている形は少し違う。
僕らは物だ。主人を護るために長くある刀の付喪神。
物は人の子のためにあってこそだ。
きみの全てを独占したいのではない。ましてや僕らのために己を削って欲しいわけでもない。
大切に手入れされれば嬉しいが、時にはいっそ忘れて蔵に置いていったって構わない。
大事な有事にこそ思い出してくれれば充分だ。僕らは戦道具なのだから。
だから僕らでも、それ以外の物でも構わない。
物々を通してきみが、自分を大事にできるように。
きみにとってのそんな物はどこに在るだろうかと、僕らは探し続けている。
ぴょこ、と襖の端から顔を出して、彼女が笑った。
「か〜せんっ」
歌仙の居室を訪れた彼女は、あの桜色の浴衣を嬉しそうに纏っている。いつもの宴に向けて先ほど歌仙が着付けてやったのだ。
「みっちゃんがそろそろ時間だよって」
「ああ、ちょうどいいところに来たね」
さすが燭台切、と内心で歌仙は頷いた。この時間に厨支度は無いので、用事は口実、程よいタイミングで彼女を歌仙のもとへ送り出してくれたのだろう。
機を読み、場を読み、なにくれと配慮しては丁寧に差配するその心配りの繊細な美しさは、自分も学ばなければならないなとたびたび思わされる。
「おいで。良い物があるよ」
「? なぁに」
ちゃんと許可を得てから、敷居を踏まないように丁寧に入ってくる彼女を、歌仙は手招きして穏やかに迎え入れた。
葛籠をそっと開けた中に。
桃色の布地と草色のフェルトで、桜餅を模した可愛らしい巾着がひとつ。

それを見て彼女は、びっくりしたように目を丸くして、顔を跳ね上げて歌仙を見上げた。
「歌仙、これ、」
「ほら、この前二人で出かけた時に、これに似た革財布をずいぶん気に入って見ていただろう?」
────わあっ!すごい!可愛い!歌仙が作ってくれた桜餅そっくり!
そう上に掲げて、ぴょんぴょん兎のように跳ねて、キラキラと飽きずに見つめていた。
「お財布は今のがあるから、と棚に戻していたけれど、愛らしいその装いにとても似合っていたからね。そうだ、巾着なら何事にも使いやすかろうと思ってね、ひとつ作ってみようかと思い至って」
そう、彼女が時間の全てを僕らに割こうとするのなら。
僕らがその分、きみに時間を割いてやれば良いだけのこと。
きみに寄り添ってくれる物は多くて困ることはない。
「あいにく桃の節句は終わってしまったけどね。良かったら使ってくれないかい。きっと今の装いにも似合うと思うよ」
「歌仙…!」
嬉しい、嬉しい、と
はしゃいだ声を上げたはずの彼女の
目の前の畳の上に
ぽたた、と
水の染み。
ぽろ、と零れた涙を前に
彼女は混乱したように
「あ、れ…?」
と戸惑いの声を漏らした。
ぽろ、ぽろ、
静かな五月雨が、降り注ぐ。
「あれ、れ、あれれ、」
目元をぐし、と擦った彼女が、本当にどうしていいか分からないのだと困惑した表情で訴えた。
「あれれ、嬉しいのに、なんで、」
歌仙は切れ長の瞳を、黙ってそっと細めた。
桜餅は雛菓子の一種、女の子の健やかな成長を願うもの。
守り袋の文化は古い。この国では古くから、大切な人を送り出す際に、親や家族が巾着を縫っては中身を詰めて持たせてやる習慣が広く存在する。
特に、戦の最中縫われた慰問袋になぞらえて、審神者として本丸を持つ際に、家族が無事を祈って守り袋を縫って持たせてやる習慣は今も存在する。
もちろん彼女は何も、何一つ持っていなかった。
審神者文化に触れて来なかった彼女でも、幼稚園や小学校の低学年の辺りで、親が巾着袋を縫っては子供に持たせてやる場面に遭遇することは数多かっただろう。
頭の良さが影響してか三歳になる前から記憶があるそうだから、賢い彼女はきっと、周りと違う己の持ち物の意味を知っていただろう。
きっと、彼女自身も忘れてしまうぐらい昔の、ささやかなささくれだ。
それでもきっとその意味を、彼女は知っていたに違いないのだ。
皆のためにと、全員のお守りにわざわざ手縫いで皆の名前を入れる彼女なら。
「ごめ、かせん、こんな、なんで、」
歌仙は、混乱する彼女の手に手のひらを重ねて、言い訳の続きを優しく塞いだ。
「泣くほど喜んでもらえるなんて、針子冥利に尽きるね」
あえてそっと目を逸らした、彼女の涙の意味には触れぬまま。
優しく穏やかな微笑みだけを注いで頭を撫でる。
「きみを想って針を刺す時間は楽しいものだったよ。受け取っておくれ」
「……ん、うん、うん…!」
ぐす、と泣きじゃくる彼女の涙が乾くまで、歌仙はいつまでも微笑んで、彼女の頭を撫で続けたのだ。
「由々しき事態だ」
山姥切がやたら深刻そうに指を組んで、馬鹿ばかしい内容を馬鹿ばかしいほど真剣に論議している。
「あれはもはや刀達より一緒に居ないか?」
「きーっ!あんなぽっと出の新参に主を取られるなんて!」
山姥切と加州清光が顔を突き合わせて話し込んでいる。
これでもこの本丸の実力ナンバー1とナンバー2なのだ。歌仙は呆れ果てて心からこう言った。
「馬鹿なのかい?」
先日歌仙が贈った桜餅巾着は、あれ以来お出かけどころか四六時中彼女と一緒だった。
まるでぬいぐるみを抱きしめるが如く、お布団の中でぎゅうぎゅうして寝ているらしい所を見るに、どうやら良い安心毛布代わりらしい。
そうまで大切にしてもらえれば作り手冥利に尽きるというものだが、何やら九十九どころか一つにも満たぬそれに嫉妬しているらしい。大人げがなさすぎる。
「刀が巾着に張り合ってどうするんだい」
「あるじのー!いちばんはー!誰が相手でもー!譲りたくねーの!」
子どもか。
ツッコミをありありと顔に書いたまま、歌仙は嘆息して「あのね」と呆れたようにこう切り出した。
彼女が先日、巾着を大事そうに持ったまま、歌仙をちょいちょい、と手招いたのだと。
耳を貸すようにして屈んでやった歌仙に、彼女は両手で口許を筒にしながら耳元でこう囁いた。
「あのね、どんなに宝物が増えても、」
そう一生懸命背伸びして耳打ちしてくれた。
「いちばん大事な宝物は、みんなだよ。歌仙だよ」
彼女のその懸命さと、言葉を惜しまぬ気性は、天与の美しさだ。
歌仙は睫毛を伏せるようにして笑み崩れてこう答えた。
「大丈夫、ちゃぁんと、わかっているとも」
にぱ、と笑顔を咲かせた彼女は
嬉しそうに、ととと、と走り去っていった。巾着を揺らしながら。
「とね」
「……むきー!!」
加州清光は、歌仙の話を聞いて落ち着くどころか、かえって火に油を注がれたような様子で髪を振り乱して奇声を上げた。
「山姥切!敵!俺らの敵!ここ!」
「本当にびっくりするほど大人げないね。山姥切もいつまでも遊んでないで何か言っておくれよ」
「なあ加州。ここで俺たちが勝てばなんとか割り込んで滑り込めると思うか?」
「もうだめだねこれは」
地団駄を踏む加州と方向性が明らかに暴走している山姥切に。
心の底から呆れ果てた歌仙が、やれやれと肩をすくめて嘆息を重ねた。
こうして可愛らしい桜餅は
餅だけに多方面にぷっくりと焼き餅を焼かれながら、今日も主の側でゆらゆらと愛らしくその存在を主張している。