@Bombwooo
先生が、目の前にいた。
昔と何も変わらない顔で立っているのが、ちょっといやだった。こっちはすごく困っていて、すごくいやな気持ちになっているのに、先生のほうはそんなことどうでもいいみたいに見える。怒っているようにも、憎んでいるようにも見えない。ただ、ここを通ると決めて、そのために剣を持っている人の顔をしていた。
ほんとは、こんなふうに会いたくなかった。できることなら、先生にはべつの場所にいてほしかったし、もっとわがままを言えば、クロードくんの隣にいてほしかった。先生が彼のそばに立っていてくれたらって、そんなこと、いまさら考えたってどうにもならないのに、目の前にするとやっぱり思ってしまう。
でも、もう会っちゃった以上は仕方ない。先生がここにいて、あたしがここにいるなら、やらなきゃいけないことはひとつしかない。手もとの斧は、いつもよりずっと重かった。
あたしじゃ、たぶん先生には勝てない。そんなこと、やってみなくたってわかる。強さも、速さも、こういう場所で積んできたものも、たぶんぜんぶ違う。先生は、こういうときに迷わない人だ。でも、あたしはそうじゃない。守るために斧を振るうことはできても、命を奪うところまできれいに割り切れない。
それでも、勝てないのと逃げるのは違う。
あたしがここで逃げたら、クロードくんが背負うものがまたひとつ増える。
でも逃げなければ、もしあたしがここで終わったとしても、傷を残すだけで済む。そのときは、ちょっとは悲しんで、泣いてくれたらうれしいな、なんて、ずるいことも考えた。
とにかく、あたしが逃げたせいで、クロードくんに余計なものを持たせるのだけは絶対にいやだった。
斧の柄を握り直す。指先に汗がにじんでいて、ちゃんと力を入れないと滑りそうだった。息をひとつ吐いて、肩の力を落とす。怖くないわけじゃないし、できればやりたくない。でも、クロードくんを守るためなら、やるしかない。危ないものを払うためなら、あたしは戦う。
そうやって、どうにか覚悟を決めたところで、先生が動いた。
先生の剣は、やっぱり速かった。
ひゅ、と空を裂く音がして、次の瞬間にはもう目の前まで来ている。軽そうなのに、いざ受けるとしっかり重い。まともにもらったら、そのまま体勢ごと持っていかれる。そんなこと、最初の一合でいやというほどわかった。
だから、受けるならきれいに受けるしかない。
振り下ろされた刃に、斧の柄を斜めに添わせる。真っ向からぶつけて止めるんじゃない。肩で受けて、肘でずらして、手首で逃がす。叩きつけられた重みをそのまま腕一本で抱え込まないように、斜めに、外へ、流していく。骨まで響くような衝撃は残るけど、まともに食らうよりずっとましだった。
すぐ次が来る。
今度は横から。斧を返して受ける。刃と柄が噛み合う手前でほんの少し角度をずらして、勢いだけを滑らせる。先生の剣は止まらない。そのかわり、流しきれなかった重みが肩先をかすめていって、痺れが首のあたりまで駆け上がった。
息をつく暇もない。
上。下。横。
目で追うより先に、身体が動いていた。受ける。流す。踏みとどまる。受ける。流す。半端にやったらそのまま押し切られる。押し返すときも、半端にはできなかった。
斧の重みを最後まできっちり乗せて、腰から肩までひとつにつないで、先生の剣を外へ弾く。弾くならちゃんと弾く。押すならちゃんと押す。そうしないと、次の一撃で呑まれる。
先生は身軽だった。
こっちがひとつ流した、そのわずかなあいだにもう次の場所へいる。踏み込みは浅く見えるのに、近づかれると泣きたくなるぐらい重い。細い身体のどこにそんな力があるんだろうと、こんなときなのに思ってしまう。
しかも、先生の動きは意地悪だった。
大振りには来ないくせに、こっちが受けやすいところばかりも狙ってこない。高いところを見せておいて、次には低いところを払ってくる。受け止めたと思ったところへ、もうちょっとだけ深く踏み込んでくる。きれいに流せたはずの一撃が、その次の一手で無理やり崩されそうになる。
それでも、崩れない。
足を引く。少しだけ。
振り抜かれた剣の先をしっかり斧で受けて、身体を開く。勢いを殺しきる前に、かかとで地面を踏んで押し返す。腕だけじゃない。腰から、背中から、きちんとぜんぶ使って押し込む。先生の剣が外へ流れて、そのぶんだけ、ようやく呼吸ができた。
先生の剣が、今度は低いところから来る。
斧を返して受ける。重みを受けて、流して、足をずらす。今度はそのまま終わらせない。外へ逃がした勢いを途切れさせずに、踏み込む足へそのままつなげる。斧の石突きが地面を擦って、身体がひとつ前へ出る。先生の剣が戻りきるより先に、肩からぶつかるみたいに間合いへねじ込んだ。
浅く、先生の剣先が腕をかすめる。
痛い。でも、まだ動く。
近い、と思った。
クロードくんを守るためなら振れる。
先生がどれだけ強くたって、ここで止めなきゃいけないんだから、やるしかない。
思いきり身体をひねる。息を止めて、斧を振り抜く。
先生の首筋が見えた、その瞬間だった。
この人がいなくなったら、クロードくんは悲しむかもしれないと、いま考えたって仕方のないことが頭をよぎる。
斧が、ほんの少しだけ鈍った。
先生にとっては、たったそれだけでじゅうぶんだったんだと思う。
剣先が、あたしの手もとを正確に打った。
指がひらく。斧の柄が、するりと手から落ちた。しまったと思うより先に、次の痛みが足を貫く。踏み出しかけた膝が崩れて、目の前が大きく傾いた。
地面に手をつく。うまく力が入らない。落ちた斧は、指先で触れられるところにあるのに遠かった。
それでも顔を上げる。
先生は、倒れたあたしを見下ろしていた。何を考えてるのかよくわからない顔のままで。
でも、それだけ。あたしがもう立てないことを確かめるみたいに、ほんの短く見ただけだった。それから何でもないみたいに前を向いた。
見逃されたのだとしたら、悔しい。
もう相手にする価値もないと思われたのだとしても、それはそれでやっぱり悔しい。
どっちなのか、先生は教えてくれない。
そんなに強くて、そんなに迷わないくせに。
あたしひとり生かしたくらいで、何が変わるわけでもないのに。
もしあれが先生なりの情だったのなら、そんなの、あたしじゃなくてクロードくんのほうに向けてあげてよと思う。
そしたらきっと、もう少し楽ができたのに。あたしもクロードくんも、こんなに痛い思いをせずに済んだのに。