リオヌヴィ 思いの丈はいつだってどんぐりの背比べ
@kiyu_spring
リオセスリは、人間である。
その手腕ひとつで悪辣な管理者から要塞を奪還し、罪を償う更生の地としてメロピデ要塞を立て直した上で、法で裁けぬその罪を雪ぐという難儀な役回りを長く務めているとしても、一応人間なのである。
水の国ではヌヴィレットという正体こそ不明瞭でも完全に人間ではない上位存在が水神に代わって国を治めているが故に、何となくそのヌヴィレットを手玉に取って対等以上の付き合いをしている公爵も人間ではないのではとわからないでもない邪推が飛び交ってはいるのだが、生憎リオセスリはまだ今のところ人間は辞めていない。
つまり、とりあえずまだ生身の人間なのである。
「…リオセスリ殿」
「……看護師長か…」
某日、メロピデ要塞の執務室にて。
屈強で逞しい体躯を持つ要塞の番犬は、突然やってきてやたらと麗しい顔に不機嫌を浮かべた水の上の飼い主を前にすっかりお手上げの状態だった。
「シグウィンを困らせるなとあれだけ」
「だから困らせないようにこれ飲んでるんだろ」
「それは薬ではないだろうに」
普段の公正無私は何処へやら、完全にお説教モードに切り替わっているヌヴィレット。対するリオセスリは執務室のデスクに腰掛けたままペンを片手に肘杖を突いている状態で、ヌヴィレットの前では体裁を気にする彼にしては何となくいつもとは違うだらしなさが垣間見える。その様子に痺れを切らしたヌヴィレットが彼に近付いていくと、逃げる間もなくその額に手のひらを当てた。
「…こんなに熱があるではないか」
「微熱くらいなら問題ないんだって」
「これが微熱なら医者というものは要らない」
触れた額から手に伝わる熱に、露骨に眉を寄せる。看護師長から公爵が体調を崩しているのに休まないと連絡が来たから出向いてみれば、本当に見ただけで体調不良だとわかる状態だった。本人は微熱だと宣っているがヌヴィレットが入室した瞬間までその目は視点が合っていなかったし、いつもなら追及に対してものらりくらりと上手く躱すというのに当たり障りのない反応でぼんやりと応えるだけ。おまけにあれだけ虚無だの何だの言っていたシグウィン特製ミルクセーキを延命処置とばかりに片手に抱えて仕事に向かい合っているのだから、その体調の悪さは言わずもがなと言ったところなのだろう。
「どうしてそこまで無理をするのだ」
「無理ってわけじゃないんだがな、今日のタスクは今日のタスクとして処理しておかないと後々面倒なことになっちまうってだけさ」
やんわりと額に置かれた手から逃げて肘杖を突いたままペンを走らせるリオセスリは、バレた以上もう隠す必要がないと開き直っているらしい。時折聞こえる呼吸は何処となく苦しそうで、それでも変なところが頑固な彼はペンを置くつもりはない。
「…これ以上無理は…」
「…わかってるよ、これだけ捌いたら終わりだ」
彼の性格を知っているが故に無理矢理止めることは叶わないとわかっているヌヴィレットがその髪を優しく撫でて諭そうとすれば、流石に諦めたのか顔を上げてこれが最後だと苦笑する。最後だと言いつつ手を休めないリオセスリの勤勉さに呆れていたヌヴィレットだったが、ふと広げられている書類の中身を見て眉を寄せた。
「…リオセスリ殿」
「……仕方ないだろ、今日までが期限なんだよ」
「期日云々のことを言っているのではない」
ヌヴィレットの視界に広げられた書類たちは全てパレ・メルモニアに提出する書類ばかり、それもそのまま最高審判官の確認に出されるものしかない。視線に気付いたリオセスリがようやっと書類を少し隠すような素振りを見せるも、正直今更が過ぎるのでパフォーマンスにもなりはしないわけで。
「あんたに迷惑掛けたかないんだ」
「だからといって君が無理をしてどうする」
「パレ・メルモニアの期日厳守はどんな法律よりも面倒だろ」
リオセスリが無理を押して片付けている書類は全てヌヴィレットの認めがいるものばかり、そしてパレ・メルモニアの書類は総じて期日を一秒でも遅れようものならとにかく面倒なことになる。それらを鑑みた結果、要するにリオセスリは自分の体調不良によって最終決裁者であるヌヴィレットに迷惑が掛からないようにこうして無茶をしていたわけで。
「…リオセスリ殿」
「性分なんだ、とめないでくれ」
「リオセスリ」
定まらない目を細くして苦笑い混じりに書類にペンを走らせ続けるリオセスリを見かねたヌヴィレットが彼の横に立つと、抵抗する力がないのを良いことにかなり強引にその強靭な体躯を抱き上げた。
「…いや、それはちょっと勘弁…」
「暴れることすら怠いのであれば大人しくしているといい」
「その細腕のどこにそんな力あるんだよ…」
「最高審判官はこれくらい出来ねば務まらないゆえ」
所謂お姫様抱っこ状態にされて居た堪れない様子のリオセスリではあるが、暴れてヌヴィレットに迷惑を掛けるのは本意ではないし何より言葉にこそしないが暴れるにもわりかし本気で体力がない。まぁ無論仮に体力があったとて力勝負に自信があるのは対人間相手であり、それこそ如何様にでもなってしまう最高審判官相手に勝てると自負するほど驕ってはいない。
「なぁ、頼むよ…終わったら休むから」
「こんなに熱が高いと脳が煮えてしまう」
「意識はあるし、ちゃんと頭も働いてるって」
とりあえず今日期日の書類だけでも何とかさせてくれと最後の抵抗を試みる姿を前に、デスクに散らかっている書類をヌヴィレットは一瞥すると。
「その書類は期日云々の前に、既に記載の間違いがあるので修正対応が必要な状態なのだが」
ぴしゃり、とお叱りを受けて遂に黙るリオセスリ。
期日厳守を意識する以前に、パレ・メルモニアの面倒な書類は熱で朦朧とした頭で書けるような代物ではない。案の定書類はぱっと目を通しただけでも記載不備があり、期日を守ったとしても結果ヌヴィレットが修正依頼をしなければならない状態だった。
「…スミマセンでした…」
「わかればよろしい」
すっかり自暴自棄と熱でぐったりしているリオセスリを慣れた足取りで自室へと連れて行ったヌヴィレットは、相変わらず整然としている部屋のベッドにそっとその身体を横たわらせる。
「あーあ…元気だったら最高の光景だってのに」
「君が襲う元気もないというのは重症だな」
「人聞きの悪いこと言ってくれるなよ…」
決して手際が良いとは言えないものの、着込んだ服なんかを丁寧に弛めていく姿に心なしか嬉しそうな表情を浮かべるリオセスリだが、いつもの冗談も何処となく鳴りを潜めていてヌヴィレットは心配そうに目を細めた。
「シグウィンに薬を頼んでこよう」
手を当てた額から伝わる熱に、まずは治療が必要だと感じてシグウィンを頼ろうとしたヌヴィレットの手をリオセスリがやんわりと掴む。
「…リオセスリ殿」
「…あとでいい」
簡単に振り解いてしまえそうな力で引かれて、困ったような溜め息とともにヌヴィレットはリオセスリの横に寄り添うように身体を横たえた。
「…悪いな、結局迷惑かけちまった」
「この程度のことを迷惑などと言わなくていい。ただ…人ではない私と同じだけの無理をすれば、人である君はこうして倒れてしまうのだ。自分の身を犠牲にしてまで、私のためを想わないでほしい」
赤らんだ頬を撫でながらさぞ心配そうな表情をしているヌヴィレットにリオセスリが僅かに微笑んでその胸元に頭を預けると、甘える素振りを見せる彼を当然のように受け入れ抱きしめた。
「…恋人のためなら、無茶したくなるんだよ…」
くぐもった声に表情は見えなかったが、そこには愛しさと悔しさとそしてちょっとばかりの矜持のようなものが見え隠れしていて。きっとこれは自分にはわからない彼なりの気持ちなのだろう、と思うところはあれども反論はせず。
「私とて、恋人のためなら無茶も出来る」
だから、思いの丈を互いに打ち合って終わり。
互いに互いを大切に思うが故の捻じれであれば、時間とともに何れは解けて元に戻るだろう。いつもそうやって手探りで繋いできた関係なのだから、ちょっとしたほつれは直に修復されてしまうのだ。
「…風邪、移したら悪い…」
「風邪くらいであればキスをしても移らないだろうし、移ってしまったら君が添い寝をしてくれるだろう」
「……そうだな、約束する…」
そっと髪を梳いて、年相応に甘えてくる彼の苦しさがほんの少しでも軽くなればと祈りながら、頑張り屋さんな恋人の身体を優しく抱き寄せた。