ホットディープ
@yohima33
それは、事故だった。ソリューション・ナイン内でも特に整備の整っていない場所、看板のネジが緩んでいて今にも崩れ落ちそうな通り。誰かの蹴飛ばした缶が当たって、その拍子にネジが外れ、落下し……偶然、たまたま、その下を通りかかったのがレッドホットだった。
「ッ!? ゥ、ヴ……〜〜〜〜ッ!?」
その看板が見た目に反して軽いものだったこと、当たったのが面の部分だったことは、運が良かったとしか言いようがない。突如頭に受けた衝撃に、レッドホットは声にならない声をあげる。ボロッと涙を一粒零し、ガンガン痛む後頭部に手を当てれば、ズルっと嫌な感触がした。滲む視界の端に、黒が混ざる。
「だ、大丈夫かあんた!」
偶然見かけたらしい、バタバタと慌ただしく駆け寄ってくるエレダイト族の男性。その声に続いてミララ族やらヒューネ族やらもやってきて、レッドホットの顔を見て更に悲鳴をあげた。
「い、医者ーッ!」
「誰か、癒しの心得のある者はいないか!?」
「兄ちゃん座るか寝てな! いったそ〜……」
思った以上の大騒ぎとなり、レッドホットはクルクル目を回す。その騒ぎをどこから聞きつけたのか、通りがかったとある冒険者からエオルゼアの薬を譲り受け、ひとまず怪我の具合は良くなった……のだが。
「……これ、固まった血は」
洗い流すしかない、と統一王者とも呼ばれる冒険者は首を振る。この、どこを歩いても騒がれそうな面で、家まで戻るしかないのか!? レッドホットはあんぐりと口を開け、そのまましょもりと体を縮めた。こういった話題に上がると、圧政者からものすごいお咎めがあるのだ。できる限り、人目を避けて帰れるルートを考える。こういうのは大抵、ディープブルーがやってくれるのだが……あいにく、今日は別行動。レッドホットひとりで、考えるしかない。
「なあ、あそこの通りの店。店主と知り合いなんだ。話通しといてやるからあの道使いな」
「その先の小路、友達が住んでるわ! そこも通って大丈夫!」
あの道は、ここは通るか、この道って……集まっていた人々によりどんどん話が進んで行き、気付けば『人通りの少ない安心して帰れるルート』が出来上がっていた。
さすがアルカディア闘士……人気者だ、と冒険者はからりと笑う。レッドホットは、ただ首を傾げるばかりだった。
◇◇◇
「…………喧嘩か?」
部屋に入ってきたレッドホットを見て開口一番、ディープブルーは耳をピンと立てた。
「違う」
喧嘩かと聞かれたから、そうではないから否定する。それ以上何か聞かれることもなかったため、レッドホットはそのまま浴室へ向かった。ディープブルーが、言葉を選んでいたのにも気付かずに。
喧嘩では、ない。では、なんだというのか。それを聞きたかったのに、察しの悪い弟分はわざわざ促してやらないと話もしないのだ。余計なことはすぐペラペラ喋る癖に、ディープブルーは軽く舌打ちをする。
ゴロゴロベッドで転がっていると、シャワーの水温が耳に入ってくる。特に呻き声やら痛みを感じた際に漏れる声は聞こえてこないから、怪我自体はもう良くなっているのかもしれない。とはいえ、あの出血量。本当に、喧嘩でないなら一体何が。ディープブルーはよく回る頭を使ってあらゆる可能性を巡らせるが、ちっとも検討つかない。まさか、嫌がらせ……いやないか。ディープブルーは即座に頭を振る。このソリューション・ナインでそんな命知らずはいない。
小さく唸っていると、ガチャンと雑に扉が開いた音がした。そのままペタペタと大きな足音と、布の擦れる音。そのまますぐにもう一度扉が開いて、髪も濡れたままのレッドホットがソファーにドスンと腰掛けた。短髪だからか、レッドホットは自分で髪を乾かすことはほとんどしない。ふたりとも頻繁に泳ぎに行くため、ディープブルーも普段なら大して気にもとめない……の、だが。
「……おい、お前こっち座れ」
「なんで」
「いいから」
渋るレッドホットを無理やりベッドの前に座らせて、ディープブルーは洗面所へと歩き出す。戻ってきた彼の手に握られていたのは、ほとんど使われることのないドライヤー。レッドホットは再び首を傾げた。
「じっとしてやがれ。……乾かしてやる」
「…………は?」
程なくしてブオォオオと大きな風音が部屋を支配して、互いの声もほとんど聞こえなくなった。
血は繋がらず、種族は違えどエクストリームズは兄弟である。それゆえか、ディープブルーは時折レッドホットの世話を焼くことがある。その奥には、何かしら企みがあることが半々だが……今回は、どうなのだろうか。レッドホットは、考える。
熱風が耳や首元に当たり、シャワーで火照った体がさらに温度を上げる。温まると、だんだん意識がぼんやりしてくる。髪をかき分けるディープブルーの指圧が心地良くて、レッドホットはうとうと船を漕いだ。ディープブルーは、何も言わない。代わりに、撫でるような動作が増えた。
誰かに頭を撫でられるのはいい。それがこの世界で最も信頼している兄であるのなら、なおのこと。普段の乱雑な触れ方ではない、どこか慎重な手つき。視界が暗くなるのを何度も繰り返して、そのうちピタリと手が止まる瞬間があった。
「…………ねえな」
「……? 何か言ったか?」
ディープブルーのような、長い耳を持っていたら聞こえたのだろうか。ヒューネの丸く小さな耳には、ドライヤーの風に飲まれた声は届かない。不思議そうに見上げてきたレッドホットに、ディープブルーは僅かに考える素振りを見せる。
「あ〜……何でもねえ! 後で言う!」
その耳にも届くよう、声を上げた。ならいいか、とレッドホットは姿勢を正して、また船を漕ぎ出す。ディープブルーの指に、さらりとレッドホットの髪が掬われていく。とっくに、水気は無くなっていた。
◇◇◇
「ぶらついてたら看板が降ってきたァ!?」
レッドホットの言葉をそのまま繰り返し、ディープブルーはあんぐりと口を開ける。神妙な顔つきで頷くレッドホットは、その時の痛みを思い出したのかギュッと眉間にしわを寄せていた。まあ、長い前髪で隠れて誰にも見えていないのだが。
「お前……よく……」
「死んだかと思った」
「そうだろうな……」
がくりと項垂れて、ディープブルーは深く息を吐く。ガシガシ掻きむしった頭には、もうレギュレーターはついていない。当然レッドホットの頭にもなく、危険な『お遊び』で何度も魂資源を使い尽くしていた頃とは違う……たったひとつ、死んだら終わりの命。それだというのに、この男。知らぬところで知らぬ間にとんでもない目に遭っていたらしく、またそれを自分から語ろうともしなかった! そういう奴だと知ってはいたが、とディープブルーはまた息を吐く。
「そういうことは、早く言え……」
もう、それしか言えなかった。レッドホットは首を傾げて、分かったとだけ口にする。……本当は、ディープブルーの求める『そういうこと』がよく分かっていなかったのだが。間違ったことをすれば、この兄は態度で示してくれるから。レッドホットは、ディープブルーのことをとても信頼していた。
「……お前、もっと気を付けろよ」
「分かった」
「人間の体って案外ヤワなんだからな?」
「分かった」
「分かった分かったって、お前……」
本当に分かってんのか? という言葉をディープブルーは飲み込んだ。これ以上言ったってどうにもなりやしない。きっとまた似たようなことが起こり、ディープブルーはヤキモキして、レッドホットがお小言に対して分かったと頷く。その繰り返し、そうして生きてきた。簡単に変わるものでもない。……きっと、忘れた頃にまたこういうことが起きるのだ。
「あ〜あ、なんかバカらしくなってきた。オレはてっきり……」
言葉を、止める。レッドホットが、興味津々といった様子でこちらを覗き込んでいたからだ。
「てっきり、何だ?」
「いや……」
「気になるだろ」
「その」
「何だ」
「…………誰か、に……やられたの、かと」
ようやく絞り出した本音の後、沈黙が続く。が、それも数秒。破ったのは、レッドホットが吹き出した声だった。
「ッハハ……それで、聞いてこなかったのか……フ、ハハ」
「んなッ……! オレはお前が言いにくいだろうと思って……あ〜もう! お前腹立つなァ!」
ギリギリ歯を軋ませて、笑い続けるレッドホットの頭を叩く。それでも止まらなくて、ディープブルーは大きく舌打ちをした後背を向けて寝転がった。
「フ、オレ、そんなに、ヤワじゃない……ハハッ」
「……」
「それに、誰かにやられたら、ちゃんと言う」
「頭に看板落ちてきた時も言えよ!」
思わず飛び起きて、ウガーッと牙を剥く。レッドホットはくつくつ笑っていたところを、急に真面目な顔で頷くものだから。体中から空気が漏れる感覚になり、ディープブルーは肩を落とした。
後日、例の場所を通りがかった時のこと。レッドホットがあそこにあった看板だ、と指で示して、ディープブルーは首を捻る。……何か、見覚えが。かつて、イタズラと称して辺り一帯の看板のネジをそれぞれ一本だけ抜いてまわる遊びをしたことがある。それが、確かこの辺りじゃなかっただろうか。無論、それが原因というわけではないのだろうが。へェそうなのか、とディープブルーは声を裏返らせることしかできなかった。