みっちゃんと眼帯の下の話です
@fu_re_re_ra
《箱は閉じたまま、続いている》
あれはまだ、光忠がこの本丸に呼ばれて間もない頃だった。
「すぐ手入れするからね、みっちゃん」
まだまだ練度の甘い光忠が、戦で辛勝してぼろぼろで帰ってきた時、鶴さんに肩を借りて何とか辿り着いた手入れ部屋で。
彼女の手を借りながら、疲弊した体を完全に横たえる、少し前に。
不意に、先ほど背後からひと太刀食らっていた眼帯の紐が千切れた音がした。
あ、と思った瞬間、彼女が慌てて両手で素早く眼帯を押さえた。
「みっちゃん」
「あ、」
「ごめん、急に触って。痛くない?」
「う、ん」
「手入れ、確認した方がいい?」
「いや、眼帯の下は大丈夫、だけど」
「そっか」
自分でほどけた紐を結び直した光忠に、彼女は何事もなかったように、刀身の手入れに戻った。
ぽん、ぽん、と打ち粉が振られていく中、光忠は横になったまま、「ねえ」と尋ねた。
「見たいかい。眼帯の下」
「うんん、みっちゃんが見せたいなら」
「そう」
それきり、光忠は疲れたように眼を閉じて、手入れに身を任せた。
最初は、関心が無いのかもしれない、と思っていた。
歴史を護る戦いどころか、刀剣男士の知識すらひどく薄いまま、この本丸に強制的に放り込まれたらしいと鶴さんが言っていた。
なら、なおのこと、光忠の容姿は目立つだろうに、それに触れる気配が無いから。
けれど、ああして慌てて眼帯を押さえたということは、全くの無関心では無かったみたいだ。
光忠の元主人、伊達政宗は幼少期に天然痘に罹り、そのために右眼を失明。独眼竜の異名で有名だ。
興味が無い訳じゃない。けれど、関心が無いように努めて装っているだけだとわかった。
その上で彼女は、光忠の問いに少しも迷わずノーを選んだ。
ふと、光忠は、ああ、と思い出した。
そうだ、彼女は現世で医者をしてたんだっけ。なら、天然痘の知識はあるよね。酷い引き攣れがあると思って、見たくなかったのかな。
そうも考えた光忠だったが
不意に、襖の向こうの空気が揺れた。
「手入れは終わったかい」
「うん。みっちゃん、寝てるよ」
そう、起こさないように声を抑えて、彼女は手入れ部屋の前に小さく座ったまま、鶴丸へ静かに返答した。
鶴丸は、疲れ切った光忠の気配がかすかに身じろいだこと、まだ眠っていないことを正しく測り取ったが、あえて隣に座って彼女の話し相手になった。
「なにかあったかい」
「え?」
「なんだか酷く心配げじゃあないか。何を考え込んでるんだい」
「わかる?」
「わかるさ。きみのことだからな」
ずっとどこか心配そうに考え込んでいる彼女を見かねて、鶴丸が訊ねると、彼女は不意にこう口にした。
「みっちゃん、急に触られて嫌だったんじゃないかなって」
「どうしてそう思うんだい?」
「みっちゃんは、優しいひとでしょう。何でも先回りして笑って整えてそっと差し出してくれる。そんなみっちゃんが触れないことだから、触れて欲しくないことなんじゃないかって思ったの」
先ほど、不意に眼帯が外れたこと。
落ちる前に押さえたこと、少しだけ目を丸くしていたこと。
そして、見たいかと急に問われたこと。
とつとつと悩むように口にする主に、
鶴丸はまるで試すように蠱惑的にささやいた。
「興味は無いのかい? 眼帯の下も、手袋の下も、見たがる主は多いぜ」
「私は、あまり見られたくないもの、いっぱいあるよ。見られたくないものを無理に暴くのは、やだな」
わたしは、みっちゃんが見せてくれるものだけで充分。
わたしね、おいしいもの作ってくれるみっちゃんの指先が魔法みたいだって知ってるし
ご飯食べてるとき、すごーく優しい眼で笑ってくれることも知ってるよ
わたし、みっちゃんの魔法の手のことも、優しい眼のこともいっぱい知ってるのに
それ以外のぜんぶを暴いて知りたいなんて思わない
わたしが大事なのは、みっちゃんがわたしにくれるみっちゃんだよ。
わたしにくれるみっちゃんと、鶴るんや貞ちゃんにしか見せないみっちゃん、そして誰にも見せないみっちゃんは、ぜんぶ違うよね。
わたしね、全部くれなくてもいいから、みっちゃんはみっちゃんを見せたい人に、みっちゃんをあげればいいと思うんだ。
それを、横から奪ろうとは思わない。みっちゃんはみっちゃんのものだから。
「オレたちはすべからく、きみのものだぜ」
「それでも。だからこそ、くれたみっちゃんをとびきり大事にできるから」
それを襖越しに聞いた光忠の胸を占めたのは、どこか柔らかな安堵だった。
彼女は、光忠の表面だけでなく、その下にも想いを馳せて、深く大切にしてくれるひとなのだ。
それはきっと、光忠にだけ特別ではなくて
誰に対しても、表層以上に大切にしようとしてくれるひとなのだ、とわかったからだった。
光忠は、自分の胸の内をさらい直して
どこかまだ、新しい主人を少しだけ疑っていた自分に気付いた。
光忠の中には、灼けた記憶がある。
本霊が灼けた大震災ではない、もっと個人的な、いつかどこかの古い本丸の焼け跡だった。
どうやら、そこの主人はあまりできた人ではなかったらしく、多くの刀が折られては消えていったのをかすかに憶えている。
そこの燭台切光忠の最期もまた、あまり愉快な物では無かったのだろうと思う。主人であったはずの人に、折られて炉に焚べられたような記憶が薄っすらとこびり付いている。
いつの時代も、人も、刀も、色々だ。
審神者も、刀剣男士も、色々なのだ。
それを光忠はきちんと頭で理解していたし、その記憶とこの本丸は別物だと正しく理解している、はずだ。でも。
でも、彼女がどんな人なのか。
少しだけ恐れていた自分がいた。彼女は光忠の献身に、ずっと応えてくれる人だろうかと。
どれだけ真心を尽くしても報われない、そんな日はいつだって来ておかしくないのだ。戦は人をおかしくさせるから。
けれど。
────わたしが大事なのは、みっちゃんがわたしにくれるみっちゃんだよ
けれど、見えない未来は、まだ開けていない箱のようなものだ。
いつか蓋を開けてみるまで分からない。だから、だからこそ。
中身の見えないまま、今を信じることが、大切なのだ。
刻の永い、自分たち刀剣男士にとっては、特に。
彼女は少なくとも、今。
みっちゃん、だいすき、と。
そう笑ってはばからない。
それを、それだけを、もっと。
より深く、信じよう、と光忠は思った。
「さ、きみも気を張って少し疲れたろう。団子でも食ってから、少し仮眠も取るといい」
そう言って、手入れ部屋の前に座ったままだった彼女を促した鶴さんは、主を連れてその場を離れていった。
多分、光忠が独りで休めるようにだ。優しい刀だった。昔も今も。
光忠はゆっくり目を閉じて、泥のような眠りに身を任せた。
起きたら、そう。
また、彼女が好きそうな料理を作ろう、と思いながら。
「なんて、こともあったね」
光忠は柔らかく微笑みながら、熱を出した彼女の額に張り付いた髪を、指先で優しく払った。
「ん、38.1度。40度越えてたのがだいぶ下がったね」
「うん…ありがと、みっちゃん…」
「お医者さんって本当に大変だね。こんなに高い熱が出るって分かってるのにワクチン打たなきゃだめなんだ」
「仕方ないよ…明日にはきっと下がるから…」
「まだ辛いよね。お粥、少し食べれそう?」
「ん…」
ぐったりと消耗した彼女をそっと起こして、背中にクッションを入れて楽な姿勢を取らせてあげると、彼女はひどく疲れ切った顔で申し訳なさそうにした。
「ごめんねみっちゃん、手間かけさせて」
「こーら、そんなこと言わないの」
ぴん、と軽く額を小突いて、柔らかく微笑む。
「僕、ちょっとだけ嬉しいよ。きみが僕を手入れしてくれるたびに、僕も同じことを返してあげられればいいなと思ってた」
「みっちゃん…」
熱で消耗した面差しに、ふっと穏やかな微笑みがほどけた。
「ねえ、いくら明日には元通りって分かっていても、身体が思い通りにならないと、心もつられて少し弱気になるよね。あの時、どうしてきみが僕を覗こうとしなかったのか、今なら少し分かる気がするんだ」
ぎし、と光忠はベッドに腰掛けて、少しだけ体重を乗せた。
弱った傷に決して付け込もうとしなかった心優しい彼女と違って、光忠は狡い大人だった。
「ねえ、あるじ。今はどう? 僕を覗き込んでみたい?」
眼帯に手を掛けながら、光忠は耳元で甘く囁いて、蠱惑的に彼女を誘った。
きょとん、と目を丸くした彼女は
ふっと和らいだ瞳で、ただ笑った。
「うんん、みっちゃんが見せたいなら」
あの日と寸分違わぬ返事だった。
そう、こんなふうに笑う、優しくてつれない人が、光忠の愛する主だった。
光忠は、半ば分かっていたそれにふっと笑みをほどいてまつ毛を伏せると、彼女のために作った、甘く冷たいフルーツ粥を冷蔵庫から出して、彼女の口にひと口ずつ優しく放り込んだ。
あの日、まだ中身の見えなかった未来は、こうして続いている。
あの頃はまだ、彼女が好きな甘味も知らなかった。
きっと興味が無い訳じゃない。眼帯の下も、手袋の下も。
けれど、それを暴くようなことは決してしない主だった。誰に対しても。
最初は、関心が無いのだと思っていた。けれどやがて、関心が無いように努めて装っているだけだとわかった。それが彼女の優しさなのだと。
「みっちゃん」
「なぁに」
「わたしね、どんなみっちゃんもだいすきだよ」
「知ってるよ、今はちゃんとね」
きみにぜんぶを委ねるのが、まだ少し心許なかったあの頃が、今は少し懐かしい。