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2週間ぶり305回目

全体公開 アルカヴェ 4 4256文字
2026-05-10 20:55:03

アルカヴェ。お騒がせカップル🌱🏛

Posted by @dounudon




 旅人は落ち込んでいた。
「オイラたち、カーヴェにひどいこと言っちゃったよな……
 旅人の脳内をパイモンが代弁する。落ち込んでいるのはパイモンも同じのようだった。神妙な顔をしている。つい先ほど口にしたばかりのバクラヴァの濃密な甘みが、いつもなら翌日まで残るあの重量級の甘みが、もう嘘みたいに消え去っていた。もしかしたら食べている最中さえなにも感じていなかったのかもしれない。風通しのいいオープンテラスで、コーヒーのいい香りがそこらじゅうに漂っていて、向かいには穏やかな笑みを浮かべたカーヴェが座っていたからだ。
 プスパカフェを出てこれから買い物に行くというカーヴェの背中を見送ると、罪悪感が一気にぶり返した。どっと気落ちする。ごくごく一部の対象以外にはずいぶんとできた大人になれるカーヴェは気にしていないと笑い飛ばしてくれたが、果たしてあれは本心だったのだろうか。
……でも、日を改めて何度も謝るのはそれはそれでおかしいよ」
「そうだよな、やっぱりそうだよな。謝ろうとして同じ事実を突きつけることがさらに相手を傷つけることってあるもんな。なあ、このあとアルハイゼンのやつに会ったら、オイラたちなにも知らないふりしような!」
「私はともかく、パイモンにできるかな?」
「できるに決まってるだろ! 友だちを傷つけないのは、最高のガイドの基礎教養なんだぜ!」
 それは頼もしい、とあえて明るく言い合ったのは不安とうしろめたさの裏返しだったのだろう。その証拠に、よく知ったなつかしい声に背後から呼びかけられたとき、旅人とパイモンはほぼ同じリズムで勢いよく振り返った。
「ティナリ!」
 声が重なる。同期した瞬発力と声音のうえ、ふたりとも鬼気迫る表情になっていたのか、当然旅人たちが反応することを期待していたはずのティナリさえすこし驚いた顔で停止した。
「ごめん、タイミング悪かったかな?」
「むしろぴったりだぞ!」
「うん、ティナリの顔を見たらほっとした」
「なにそれ。久しぶりに見かけたからただ挨拶したかったんだけど……なにか抱えきれないことがあったみたいだね」
 レンジャー長は卓越した洞察力と観察力を備えているだけでなく、大変な友だち思いだった。旅人とパイモンの様子のおかしさを見逃すことなく、律儀に拾い上げてくれる。すかさずパイモンが応じた。彼の言うとおり抱えるのがしんどかったのだろう、声は必要以上に前に飛んでいった。
「オイラたち、カーヴェにひどいこと言っちゃったんだ!」
「すごく傷つけちゃったかも」
 むろん故意ではない。もちろん、絶対、誓ってわざとではない。カーヴェは大切な友人だ。だが悪気のない言葉ほど急所に刺さった場合は鋭利になるものだし、「そういうつもりじゃなかった」「知らなかった」がなんの言い訳にもならない――時と場合によってより悪質になる――ことは旅人自身よく知っている。
「君たちが、カーヴェに」
 ティナリは考え込む仕草を見せた。しばらくしてなにかを察したのかもふもふの耳の先がぴんと跳ねる。
「ああ……アルハイゼンのこととか? 別れたって?」
「やっぱり周知の事実だったんだな!」
 パイモンの悲鳴が響き渡った。やはり自分たち以外は知っていたのだ……旅人は頭を抱える。
 旅人たちが前回スメールシティを訪れたのはいまから二ヶ月ほどまえのことだった。パイモンの教令院の学籍関係で対面での処理が必要なものがあり、ついでに友人たちに会っていこうとなったのだ。カーヴェにはシティのはずれの景色がいい場所で会った。彼はちいさなスケッチブックに鉛筆を走らせながら「いまは手当たり次第なんでも思いつくことをやってる。インスピレーション待ちの時間なんだ」と笑った。周囲に人影はなく、メラックともども肩の力を抜いてリラックスしているようだった(メラックの肩とはなんだという問題に関しては、ときどきひどく意思的なものが感じられるからとしか答えられない)。依頼の締め切りに追い詰められて天啓を待っている雰囲気でなかったことはたしかだ。
 そんな打ち解けた空気だったためか、カーヴェはふと鉛筆を置いて「そういえば君たちには言ってなかったかもしれない」と切り出した。実際にはそこに「いや隠していたわけではなくてただただ時機を逸しつづけていただけなんだ、みんながいるところでわざわざ報告するようなことでもないからさ、まったく大したニュースではないし」などの冗長かつ言い訳じみたシャイな前置きが加わっていたのだが、ここでは省略する。とにかく、カーヴェはそこではじめて自分とアルハイゼンの友人の枠を超えた関係について教えてくれたのだ。旅人とパイモンはいたく感激して全力で祝福した。うっすら感づいてはいたものの、こういうことは本人からの言葉がなければおおっぴらに祝えないものだ。
 天蓋が徐々にスメールローズの帳に覆われていき、遠くの空がばら色に滲んでいく夕暮れの下、それはとても感動的な光景だった。
 あれからたったの二ヵ月。旅をしている身にとってはほんとうに一瞬の時間だ。旅人とパイモンは運よくカーヴェに遭遇し、大事な友人たちの大事な関係はあたりまえに続行しているだろうと考え――そして失敗した。
 彼らは破局していた。
 アルハイゼンとはうまくやってるの、なんて不躾で率直な質問を悔やんでももう遅い。びっくりしすぎて理由も訊けなかった。でも、訊けなくてよかったのだろう。数多の諍いを乗り越えて関係性を育んできた彼らがあえて別離を選んだのだから、とても迂闊には言葉にできないような、とんでもないことが起きたにちがいない。当人に口にさせるのは酷だった。
 カーヴェがさらっと(関係を教えてくれたときのあの長々とした前置きが幻影だったかのようにあっさりと)述べた「あいつとは終わったんだ」の言葉に圧倒された旅人たちは硬直し、一瞬で表情を変えてうきうきしはじめたカーヴェに「ところで、君たち空腹じゃないか? ちょうどいま依頼を終わらせて報酬を支払ってもらったところで、懐にすっごく余裕があるんだ。偶然の再会を記念してご馳走するよ。なんでも好きなものを頼んでくれ」とプスパカフェに引っ張っていかれたときも、喜びより困惑が勝っていた。メニューを渡されてはしゃがないパイモンを見る機会などめったにない。
 バクラヴァの突き抜ける甘さにようやく正気を取り戻して誠心誠意謝罪した。カーヴェのことだ、きっと途方もない葛藤の果てにようやくその選択をしたのだろう……。しかし当初の彼はなにに対しての謝罪を受けているのかさっぱり理解しておらず、そのことがますます旅人とパイモンの肩身を狭くした。説明するのが苦しかった。しかもようやく気づいたカーヴェは「なんだそんなことか。ちっとも気にしてないよ。こちらこそ、つまらないことを聞かせてしまったね」と笑うのだ。居た堪れないとはこのことだった。まだ目の前で自棄酒をはじめてくだを巻いてくれたほうがましだ。
 そういった経緯でいましがた「抱えきれないこと」になってしまった一連の出来事すべてが、ティナリという全知全能の――すくなくとも共通の友人に関しては疑いようもなく――理解者の登場で奔流となって溢れた。止まらなかった。
 すると今度はティナリが頭を抱えていた。実際にはそこまでではないが、俯けた額に指先を当てて渋い顔をしている。
「それは……よくないね」
 旅人は拳を握った。
「やっぱり、そうだよね」
 いや、君たちじゃないよ、と彼は顔を上げる。そのまま呆れたように手を広げた。
「まず、君たちはなにも気にしなくていいよ。一発でばかばかしくなる……つまり、君たちの気が軽くなる事実を言うと、カーヴェの言葉を信じるなら彼らはこの二年で三百回以上別れてるんだ。立派なルーチンなのさ。どう、ばかばかしくなった?」
「なんだって!」
「ちょっと待って。三百回別れる、別れられるってことはつまり」
「そう、だめになってはまた付き合ってを繰り返してる。毎回カーヴェの一存でね。僕の知るかぎりアルハイゼンのほうから別れを切り出したことはないんじゃないかな。まあ、アルハイゼンってそういうタイプじゃないし。それに別れただなんだって騒いでるけど結局カーヴェは一度もあの家を出たことはないんだ。彼の言うところの〈付き合ってる〉と〈別れた〉のちがいなんて、僕らには知る由もないごくプライベートな生活の一部にしか表れないんだろうから、栄えある僕たち第三者は気にするだけ無駄ってこと」
 それはいかにもありそうな結論だった。あまりにもカーヴェらしい顛末だ。それなら彼の反応が淡白だったことにも納得できる。もはやそれしかない気がしてくる。というか、ティナリがそう言うならそれしかないのだった。
 旅人はパイモンと視線を交わした。しっくり来すぎてどちらも言葉が出なかった。ティナリが肩を竦める。
「僕がよくないって言ったのはカーヴェと、それと周りの僕たちも含めてかな。彼のお騒がせな一面に慣れ親しみすぎてその言葉の重みをすっかり忘れてしまっていたんだ。ああはいはい、そうなんだ、ってね。でも、そのせいで大切な友だちにむやみに心配させたり申し訳なく思わせたりするのは絶対によくないだろ。今度カーヴェに言っておくよ。ただ庇うわけじゃないけど、カーヴェ自身は本気で毎回すったもんだしてるんだ。心から」
「ああ、すごくよくわかるぜ……
「うん、とても……


 もし信じられないなら――安心したいなら、とティナリはすぐに言い換えた。やさしいひとなのだ――もうすぐ退勤するアルハイゼンを教令院で待ち伏せして、一緒に家までついていけばいいよ。
 ティナリの知的すぎるアドバイスに従い、好奇心を抑えきれなかった旅人とパイモンはいつもながらの見事な定時退勤を決めて出てきた書記官に突撃した。気が進まないようだが拒絶こそしなかったアルハイゼンのあとにつき、見慣れた家の玄関がひらかれるのを待っていると、なるほどその先にはけろっとした顔でおかえりと言うカーヴェが立っている。彼は突然の訪問者の姿を認めて機嫌よく笑うと、夕食を多めに用意したから食べていくかと訊いてくる。
 だいたい、アルハイゼンの気が進まない時点で推して知るべきだったのだ。だが、カレーの匂いに惹かれて家のなかへ飛んでいったパイモンを止める術が旅人にはない。


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