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蒼穹(ベレト)

全体公開 4198文字
2026-05-13 15:48:42

本編(銀雪)軸。クリア記念で、ED後の世界。飛竜に乗るベレトの話。

Posted by @Bombwooo

 旧同盟領の西、デアドラの港には、朝からいくつもの帆が並んでいた。
 フォドラの船だけではない。見慣れない意匠の旗、聞き慣れない言葉、色の濃い布、香辛料のにおい。セテスが異教徒の信仰を頭ごなしに退けることをやめてから、フォドラには少しずつ外のものが流れ込みはじめていた。
 今日は、そうした人の行き来を王国として受け入れるための式典だった。
 港は人で埋まっていた。船、荷車、護衛、商人、通訳、様子を見に来た人々。高い場所から見下ろしても、どこで流れが詰まっているのか、どの船がどの列に並んでいるのかまではわからない。地上へ降りれば見えるものは増えるかもしれないが、王である自分がうかつに動けば人の流れはもっと乱れる。

 どうしたものかと考えていたとき、飛竜使いの一団が目に入った。
 その中のひとりが、こちらを見ていた。
 頭巾を深く被り、鼻から下を厚い布で覆っている。目元だけが見えた。外套はフォドラでよく見る仕立てとは違い、肩から胸元にかけて、東方のものらしい細かな刺繍が走っていた。腰帯に差された短剣の鞘にも、同じ意匠の金具が光っている。
 そばには白い鱗の飛竜が控えている。陽を受けると雪のように明るいが、腹のあたりや脚、片方の翼には大きな傷痕が残っていた。古い火傷のように鱗の色が変わり、ところどころ質感が違っている。
 目が合うと、飛竜使いは目元だけで笑った。
「よければ、乗せましょうか。そこからではよく見えないでしょう」
 隣にいたセテスがすぐにこちらを見た。止めるべきか、問いただすべきか、そのどちらにもとれる顔だった。
「素性も明かせぬ者に、国王を預けるわけにはいかない」
 セテスが言った。
「ああ、これですか。私は顔に傷があるものですから。出すと、皆さんまずそちらをご覧になる」
 飛竜使いはやわらかい声でそう言ったが、顔を覆った布を外すつもりはないらしい。そのかわり、そばの白い飛竜が、傷痕のある腹をかばうように、わずかに脚の位置を変えた。
「傷の話などしていない。素顔すら明かさぬ君を信用し、王の命を預けるだけの根拠がどこにあるのかと問うている」
「なあに、顔が見えなくとも手綱は握れます。飛ぶのに支障はありませんよ」
「答えになっていない」
「では、あらためまして。私はパルミラでいちばんの飛竜使いです」
「自称、ではあるまいな」
「こいつが保証します」
 白い飛竜が、得意げに鼻を鳴らした。
「それに、私は弓の名手でもあります。飛竜を操りながらでも、矢を射れますよ」
「それはいま、必要な情報なのか」
「王の護衛も兼ねられる、と言いたいのです」
 セテスはますます訝しげに目を細めた。飛竜使いは恭しくお辞儀をしたが、少しも悪びれていなかった。
 明らかに、セテスの反応を楽しんでいた。どこまでなら赦されて、どこから止められるのか、試しているようにも見える。けれど、ふざけているだけではない。必要なことは答えている。礼を失しているようで、最低限の礼を失してはいない。その線の上を、わざと歩いているような話し方だった。
……ベレト」
 セテスが、まだ迷うように呼んだ。
「自分は港の全体を見たい」
 そう答えると、セテスは不服そうに眉を寄せた。だが、止めはしなかった。ここで自分が地上へ降りれば、人の流れが変わる。警備も動く。港全体を見るという目的から、かえって遠ざかることもわかっているのだろう。
 飛竜使いが先に鞍へ上がった。白い飛竜の首を撫で、短く何かを告げる。飛竜は低く喉を鳴らし、翼を畳み直した。
「さあ」
 その手を取った途端、布の下の目がかすかに細められ、手袋越しの指が確かな重さで握り返してくる。
 引き上げられると同時に、流れるような手捌きで腕が支えられた。足が鐙を探すころには、もう鞍の上にいた。手つきは慣れていて、白い飛竜も身じろぎひとつしなかった。
 たったそれだけのことで、この人は信じてもよいのだと思えた。

 飛竜が地を蹴った。
 大地を引き剥がすように翼がひらき、港のざわめきがふっと風の奥へ消える。前に座った男は手綱を控えめに握り、白い飛竜の背を穏やかな気流に乗せた。
 地上ではひとつひとつ大きく見えた船の帆も、人の波も、荷車の列も、空から見れば流れの一部になった。どこで人が止まり、どの船の前で荷が詰まっているのかが、少しずつ見える。
「荷揚げ場の手前で流れが詰まっていますね」
 男が言った。
「どこだ」
「ほら、赤い帆の船の隣です。あそこから市場へ抜ける道は細い。荷車が二列で止まれば、後ろの商隊は動けません」
「詳しいな」
……上から見れば、だいたいはわかります」
 そう答える声は軽かった。だが、上から見て理解しただけの言い方には聞こえなかった。
 目を凝らすと、たしかに男の言う場所で人の流れが滞っていた。護衛らしき者たちが何度も同じ場所へ戻り、通訳が片手を上げて何かを叫んでいる。
 荷揚げの順番を変えたほうがよいかもしれない。港の入口にも人を回すべきだ。戻ったらセテスに伝えて、警備の配置も変える必要がある。そう考えはじめると、見えてきたものはひとつでは済まなかった。帆の陰で止まっている荷車、式典の列から外れかけた商人たち。ひとつずつ拾い上げ、あるべき流れへと整えなければならない。
「王というのも、大変ですね」
 前に座る男が、風の中でそう言った。
「そんなことは、」
 言いかけて、止まる。
 ない、と言うことはできた。実際、そう答えるべきだったのかもしれない。王が大変だなどと、今日初めて顔を合わせた飛竜使いに言うことではない。
 けれど、足元の港は遠かった。セテスも、護衛も、こちらを見上げる人々の顔も、風の向こうにある。前にいる男の顔も見えない。見えない相手だからこそ、言葉が口の中でかたちを変えた。
……あるかもしれない」
 男は笑わなかった。
「息が詰まるでしょう」
「詰まることも、ある」
 自分が王座に座れば、誰かが安心する。自分が書類に名を書けば、誰かがこれで国は立ち直ると言う。王国も、帝国も、同盟も、もうない。戦で乱れた土地をまとめ上げ、そこに住む人々を守り、導く者が必要なのだと、何度も言われた。守ることも、導くことも、教えることも、自分に求められているのなら拒めなかった。
 選んだのだと思う。逃げなかったのは自分だ。差し出された役目を受け取り、必要だと言われる場所へ立った。そうすべきなのだと示されれば、うなずける理由はいくらでもあった。
 それでも時折、そこにいるのが自分でなければならない理由を探してしまう。
……自分には、こうすることしかできない」
 男は、しばらく黙っていた。
「あなたが、そうやって呑み込めてしまう人だからこそ、周りは期待してしまうのかもしれませんね」
「それは、どういうことだろうか」
「差し出せば受け取ってくれるだろう、応じてくれるだろう、と。その強さに甘えて、つい託してしまうんです」
 男の声は、港の様子を見ていたときと同じだった。荷車の詰まりや、人の流れを見分けたのと同じ調子で、自分のことを言っている。
 言い返そうとして、できなかった。
 実際、自分は差し出されたものを受け取ってきた。剣も、教え子たちの行く先も、戦のあとに残ったものも、求められれば手を伸ばした。手を伸ばせば届いてしまうから、届くなら取るべきだと思ってきた。
「君も、同じような経験があるのか」
「まあ。……俺は、期待される側ではありませんでしたがね」
 そこで、男の声が一度途切れた。
 手綱を握る指に力がこもった。誰かに何かを託したことがあるのだろうと思った。
 男はそれ以上を言わなかった。自分も、聞かなかった。何を期待し、誰にそれを向けたのか、たずねるべきだったのかもしれない。けれど、いまはそこまで踏み込む気にはなれなかった。
 ただ、胸の奥に詰まっていたものが、少しだけ軽くなる。
 慰められたかったわけではない。正しかったと言われたかったわけでもない。ただ、自分はこれまでずっと言えなかったことを言った。息が詰まることもあると認めた。それでもここに立つしかなかったのだと、口にできた。
 そして、男はそれを否定しなかった。できるだろう、応じてくれるだろう。そう期待されることの重さを、知らないふりで流さなかった。
 ならば、自分はどこかで、その期待に応えられていたのかもしれない。
 何年も前に差し出され、受け取って、応じたものがあった。それが、いまも手の中に残っていたのだと気づく。
 彼の言葉は、かつて自分が応えたものに対して、遅れて届いた返事のようだった。

 男が手綱を握り直す。革の鳴る音がして、白い飛竜の首が上がった。
「そんな窮屈そうにしてるあんたに、見せたいものがある」
 それまで丁寧に整えられていた声が、そこで砕けた。
 あんた、と呼ばれた。
 その響きに、思考が一拍遅れる。顔はまだ布に覆われている。だが、その声に混じる笑い方を、耳が覚えていた。そんなはずはない、と思うより先に、喉のあたりが詰まった。
 男は白い飛竜の首筋を軽く叩いた。飛竜が喉を鳴らす。その手つきで、何をするつもりなのかわかってしまった。
「セテスが、」
 振り返ろうとした視界が、激しく揺れた。声がちぎれて消える。
「知るもんか。説教なら、戻ってから一緒に聞いてやるよ」
 身体が鞍から浮きかけ、咄嗟に男の外套を強く握った。
 その手を、上から掴まれる。
 男は振り返らないまま、こちらの手を引いて自身の腰へ回させた。意図を理解し、もう片方の腕も回して、彼の背に身を寄せた。
 飛竜はさらに速度を上げ、空へと駆け上がってゆく。耳元で風が咆哮し、視界の端で地上のあらゆる輪郭が遠ざかって消えた。

 男は手綱を片手に任せ、顔を覆っていた布に指をかける。風に奪われるよりも早く、自らそれを引き下ろした。
 こめかみから頬、顎の線をかすめ、首筋へかけて走る灼けた痕。癒えてはいるものの、まだ真新しい傷跡だった。白い飛竜の腹や翼に残るものと、よく似た色をしている。
 それでも、振り返ったその笑い方は昔と同じだった。
「それじゃあ、しっかり捕まってろよ、先生!」


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