怪我を隠してでもヌヴィレットに会いたいリオセスリと、そんな彼が心配でたまらないヌヴィレットの話
@otroom0v0
左腕に包帯を巻き終えたシグウィンが「もう、無茶しちゃダメなのよ!」と目を吊り上げる。それでも愛らしい彼女に、リオセスリは笑ってしまった。
「仕方ないだろう、俺が行かなきゃ死人が出てたかもしれないんだ」
「そうだとしても、公爵はもっと自分を大事にしてちょうだい。ヌヴィレットさんだって、このことを知ったらびっくりするのよ」
リオセスリは静かに目を伏せて、左の拳を握りながら「そうかもしれないな」と返した。筋肉の痙攣は未だ治まらず、あまり力が入らない。こうなった原因は、異変に気付くのが遅れたせいだ。少し前の出来事を思い出し、ため息をつく。
以前から妙な動きをしていた囚人が、仲間を集めて集団で脱走を企てた。もちろん、何も対策していなかったわけじゃない。買収された看守を締めあげて日程を割り出し、包囲する手筈を整えていた。だが、相手もそうなることを見越していたのだろう。
首謀者は警備ロボを略奪し、人質を使って逃げようとした。襲われた囚人を守るため、とっさに庇った結果、防御が間に合わず左腕に弾丸を受けた……というわけだ。
事件はとっくに終息しているが、じきにヌヴィレットの耳に入るだろう。だが、リオセスリの負傷までは伝わらないはずだ。
――問題はこの後の予定なんだよな。
よりにもよって今夜、ヌヴィレットとの食事の予定が入っている。断って休むべきだと思うが、そうしたくないという気持ちが勝った。
楽しく食事をして、帰るだけ。
そう自分に言い聞かせると、椅子から立ち上がって執務室へ戻った。
星が瞬く夜。ホテル・ドゥボールの前で空を見上げていたリオセスリは、迫る靴音に気付いて振り向いた。優雅に歩み寄るヌヴィレットが、目元を緩めて微笑む。
「こんばんは、リオセスリ殿。今日はトラブルがあったようだが、予定に問題はないのか?」
やはりそうきたか。リオセスリは「ああ」と頷いて、穏やかに振舞う。
「事前に把握していたからな。あんたとの予定を、急に断るわけにもいかないし」
「私は一向に構わないのだが」
その言葉が、わずかに引っ掛かる。けれど顔には出さず、微笑んだ。
「そうつれないことを言うなよ。ほら、こんなところで話していないで、早く行こう」
ヌヴィレットの傍へ行くと、背中に手を添えて歩き出す。ホテルに入れば、給仕が席へ案内してくれた。食前酒を飲みながら、たわいもない会話をして過ごす。
そうして最初の一品目が運ばれ、カトラリーを掴んだ時。左手が強張り、フォークが滑り落ちる。
「おっと、失礼」
偶然を装って、掴み直した。また落とさないよう、前菜のカルパッチョを慎重に食べ進める。ちらりとヌヴィレットを見れば、リオセスリに鋭い眼差しを向けていた。水の入ったグラスを傾けながら、探るように見つめてくる。けれど何も言わず、彼も食事を始めた。
――ああ、やっちまったな。
後で何を言われるやら。取り繕うのを諦めて、今は食事を楽しむことに専念した。
ホテル・ドゥボールから出ると、夜の闇はより一層濃くなっていた。何気なく空を見上げると、ヌヴィレットがゆったりと歩き始める。その後を追いかけて、人気のない場所まで来た時。彼が足を止めて振り返った。
「リオセスリ」
「悪かったって」
降参だ、と両手を上げれば、ヌヴィレットの表情が険しくなる。
「私はまだ、何も言っていない」
「怪我を隠して来たこと、もう気付いてるんだろう?」
「……やはりそうだったのか」
ヌヴィレットがため息をついて、歩み寄ってくる。左肩に触れ、労わるように撫でてくれた。彼はまるで、自分が怪我をしたかのように顔を歪めて。ほんの少し、後ろめたくなる。
「そんな顔するなよ。大した怪我じゃない」
「傷が悪化したらどうするつもりだ。シグウィンにも黙って来たのか?」
肩に触れる手に、ぐっと力がこもる。まさかここまで感情を露わにするとは思わず、戸惑った。
「治療はしてもらったから、安心してくれ。定期的に診てもらう約束もしてる」
それを聞いて、ヌヴィレットの表情がほっと緩んだ。
「……そうか。しかし、あまり出かけるものではない。ましてや、怪我をした直後になど」
「分かってるよ。心配してくれてありがとな、ヌヴィレットさん」
安心させようと笑顔を浮かべたが、やはり彼の表情は曇っている。その美しい瞳が、憂うように伏せられた後。
「何故、今夜の約束を断らなかったのだ? 食事など、いつでも出来るだろう」
まっとうな意見だが、あまり嬉しい意見ではなかった。リオセスリは苦々しく笑って、うなじを撫でる。
「……あんたに会いたかったからだよ」
鈍いこの人には、これくらい言わなきゃ伝わらない。息を吐き出して、逃げるように歩き始めた時。右腕を掴まれ、引き留められる。振り向けば、切羽詰まった様子のヌヴィレットがすぐ傍にいた。乱れた銀髪と共に、上品な香りが漂う。
「君の怪我が、きちんと癒えたら――……」
いや、と首を振り、真摯な眼差しを向けてきて。
「明日、見舞いに行く。傷が癒えたら、また食事をしよう」
思いがけない言葉に目を丸くして、くくっと笑った。
「どうしたんだい、急に」
ヌヴィレットが表情を緩めて、リオセスリの右手を握る。控えめに指を絡めながら、彼が耳打ちをするように顔を寄せてきた。
「私も、君に会いたいと思ったのだ」
囁かれる甘い言葉に、らしくもなく胸を弾ませてしまった。手を握り返せば、あたたかな想いが満ちていく。その気恥ずかしさを誤魔化すように、咳払いをした。
「……分かったよ」
そう答えれば、ヌヴィレットがそっと身を寄せてくれた。