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2026-05-25 07:00:10

事故チューをする忄吾と亻桀の話
【必読】五夏/ロ兄専

Posted by @itou_888

 その日、夏油傑にとって運が悪かったのは、たまたま使い古しの靴を履いていたということだ。本来ならば、先のゴミ出しの日に捨てていたはずの靴を、任務の忙しさからうっかり捨て損ねて暫く経っていた。
 履いてしまった瞬間、あ、と思わなくもなかったのだが、靴を履き直す煩わしさからそのままに外へ出たのが良くなかった。なんと、靴底がべろりと外れてしまったのだ。
 あろうことか呪術高専名物、無駄に長い外階段の途中での出来事である。思わずバランスを崩したその身を着地に備えて捻りながら、脳内だけは呑気に「これが靴底の加水分解か……」と冷静ぶって思考していた。

 この時、夏油傑にとって運が良かったのは、階下にいたのが五条悟だったということだ。
 何を隠そう、この五条悟、無下限呪術なる生得術式を持っている。簡単に言うと、外敵に対してバリアを貼ることができるのだ。つまり、万が一、夏油が彼にぶつかったとしても、五条自身に被害は及ばない。

 次第に近づいていく両者の距離に、五条が気づいた。驚くことに五条は避けるでもなく、夏油を受け止めようと手を広げたではないか。いや失礼だな。夏油は思い直す。
 五条はガキっぽく振る舞うことはあっても身内には優しい男だ。今回もその一環で夏油を助けようとしてくれているのだから。
 果たして、夏油は衝撃を和らげようと呼び出すつもりでいた呪霊を引っ込めた。五条の頑丈さと己の頑丈さ、無下限呪術という要素が揃っていれば、着地に問題ないと判断したからである。

 さて、この間、数秒にも満たない思考と行動と、数多のアレソレが重なり合った結果、何故か五条と夏油の唇も重なり合っていた。
「んぶ、はっ、悟!? なにやってるんだ!?」
「むっ、ぷ、は、はあ!? こっちの台詞なんですけど!? うわっ、口ん中、血の味する!」
「ばっ、なっ、どうして術式を解いてるんだ!」
 全てを拒み、全てを弾く術式を展開させていなかった五条は、つまりただ頑丈な一人の人間でしかなく。着地のために身体を下に向けていた夏油を正面から受け止めた結果、お口とお口がぶつかったというわけだ。
 口元を血染めにして言い合っている二人を見かけた高専関係者は、後に、あれほど恐ろしいものはなかったと語る。

 ひとまず、五条に抱えられている状態から地に足をつけた夏油は、その少し高い位置にある友人の顔を見つめた。ぶつかった衝撃で唇が切れたのだろう。形良い唇は腫れてしまっている。
「水で冷そう。向こうに冷水機があったはずだ」
 口元を押さえて頷いた五条の腕を引き、グラウンドの外れにある冷水機を目指す。医務室で氷を貰ってきてもよかったのだが、そうなると何故怪我を負ったのかを話さなくてはならない可能性が出てくる。
 多感な年頃の男二人だ。事故チューで怪我しました、なんて報告をすることは、ちょっとプライドやらメンツが許さなかったのである。
「悟、ほら」
……ん」
 口に水を含む度に眉を顰める五条を見て、衝撃のほとぼりも冷めてきた夏油は罪悪感を抱いた。勝手に夏油が彼の術式をあてにしただけであって、もしかすると五条だって夏油が術式で受身を取ると考えていたかもしれないのだ。そこを全て任せてしまった夏油に非がある。そう思えてきた。
「さとる、すまないね」
 夏油の言葉に、地面に向かって水を吐き出していた五条は顔を上げた。しおらしく俯く夏油の表情は日光と木陰の関係で逆光になり確認できない。
「私の不注意で引き起こしたことなのに、君に大声をあげるなんて。あげく、怪我までさせてしまった。本当にすまない」
 暫くしょんぼりとしていた夏油を見つめていた五条は、冷水機の水を手に溜めると、水鉄砲の要領で隣に立つ友人に浴びせかけた。
「はい。これであいこな」
 突然、水をかけられて呆然とする夏油から視線を逸らしながら続ける。
「別に、オマエだけのミスじゃねーだろ。俺が術式使ってれば、少なくとも出血はしてないわけだし」
……それだって私が呪霊で受身をとれば」
「傑が呪霊出したら、俺が広げてた腕はどうなんの」
 五条は体ごと夏油に向きなおり、真面目くさった態度で両手を伸ばし、階下での一幕を再現しようとする。夏油は、そこで素直に友人の優しさに折れておくことにした。いい奴なのだ。誤解されやすいところもあるけれど。夏油にとって、いっとうに優しくて眩しい友人だ。
「フフ、ありがとう」
 シャツの肩口で雑に顔を拭う。そのまま五条に近づいて、濡れている口元を拭いてやった。
「あっ!」
「え?」
「や、なんでもない」
「なんでもなくはないだろう。そんな声出しといて。もしかして痛かった? すまな、」
「ちげーって! こんなの痛くも痒くもなくて、そうじゃなくて、せっかく、〜〜ッもういい! 大丈夫だから! 元気ピンピンだし!」
「えっちょ、悟?」
 行きとは反対に、五条が夏油の腕を引いてグラウンドを突っ切って歩く。梅雨前の空は、最後の晴れ間であるとでも言いたげなほど青く澄み渡っている。季節を間違えたような太陽が上背のある二人を白い日差しで迎えた。
「悟、せめて日陰を歩かないか? 君、首まで真っ赤になってる」
「うるせーうるせー。そういう体質なんだよ!」
「だから日陰に……ああ」
 ふいに頭上に影がさした。
「前に取り込んだ呪霊なんだ。エイみたいな、マンタみたいなよく分からない形をしているけれど、日差し避けにはちょうどいいだろう」
「へえ。こんな形の呪いもいるんだな」
「ちなみに」
 それまで腕を引かれて歩いていた夏油が、歩幅を大きくして五条にならんだ。日光は遮られたとて、僅かに低い位置から見上げるように向けられた視線を遮るものはなく、それは真っ直ぐに五条を貫いた。
「コレの上に乗って飛ぶことも可能だよ。今度、任務に出た時に使おうよ」
……賛成!」

 いつの間にか引いていた手は解けており、けれど同じ歩調で肩を並べて歩いている。いつものやり取りに安堵する気持ちはあれど、そうしていながらも五条は口内の傷に意識を割かずにはいられなかった。
 とんだファーストキスになったな。いや事故みたいなもんだしノーカンか? などと考えながらも口には出さない。今は、そうだよ、とも、そうじゃないよ、とも言われたくないような気分だったからだ。答えを出してしまうには、もったいないと思った。
 ほとぼりが冷めたら、それとなく聞いてみるか。そんな考えでもって一旦思考をとめ、夏油との会話に集中する。友人が発案する呪いの活かし方に同意したり、別の案を出してみたりして、ああでもない、こうでもないと話しているうちに痛みなど忘れていた。
 すっかりいつもの調子に戻った五条は、暑がる夏油の肩に腕をまわして上機嫌で歩き続ける。夏油だって、口ではなんだかんだと言うけれど、拒みはしないのだから、構わないだろう。

 どこまでも当たり前の日常を送る少年たちの影がグラウンドに伸びている。そこへ続く足跡を日光は静かに照らしていた。

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