@kuro_inu_siro
あまりにもその目がやさしくて、まっすぐだったから。
いつものようにうぬぼれを飲み込めなくって、アベンチュリンはじりじりと胸を焼かれていた。意識すればするほど、皮膚の下で燃え広がっていくようだった。
「もう少し飲もうよ」
レイシオの胸に下がる装飾を、控えめな手つきでもてあそぶ。それからテーブルに置かれた手へ、慎重に触れた。せいぜい爪の表面を撫でる程度の接触だ。それでもアベンチュリンは、笑みの裏で微かに胸を高鳴らせていた。
言葉の裏にあるものは、計略のない、愚直で純粋な願望だ。下心が微塵もないかと問われれば嘘になるが、何も劇的な展開を期待しているわけじゃない。ただ、自分をかき乱す深い眼差しを、やけに湿度のこもったこの夜を、まだ独占していたかった。
レイシオは触れている手元を一瞥して、再びアベンチュリンを見た。アルコールでやや綻んだ目元には、紅のアイラインが美しい軌道を描いている。目を細めるとその軌道はより際立って、彼をより優美に見せた。
「いいだろう。どこに行きたいんだ」
「ここは一応ホテルなわけだし、部屋で飲み直すのはどうかな」
レイシオが片眉を上げる。
「部屋をとってあるのか」
「いや? でも、きっと空いてると思う」
アベンチュリンはいたずらげに笑ってみせた。
レイシオが見定めるような目を向ける。誘いに乗じるかの逡巡か、こちらの考えを推し量っているのかもしれない。
なんにせよ、その返答によってはっきりすることがある。レイシオの一挙一動にアベンチュリンが心焦がされているのは、ただの独りよがりなのか。それとも彼も同じ考えを抱いていて、この明け透けな誘いを容認するのか。
「なるほど」
ややあってレイシオは頷いた。
爪の先だけ僅かに触れていた指に、レイシオが指を絡ませる。指の間に滑り込み、捕らえるように手を握られた。
アベンチュリンは思わず息を詰めた。心臓を撫で上げられるような心地だ。薄暗い店内でも、じりりと燃えるように光る両目。
レイシオは不敵に微笑んだ。
「では、空室を確認しよう」
「……その、今さら信じないかもしれないけど」
ソファに深くもたれながら、アベンチュリンはなるべく落ち着いた口調で言った。自分の上に乗った、バスローブ姿のレイシオを見上げながら。
「これでも僕は、君のことを大切にしたいと思ってるんだ」
話しながら、正直めまいを起こしそうになっていた。レイシオがまとう湯上がりの濡れた空気と、シャワージェルの香りのせいだ。パッションフルーツに似た甘くて芳醇そうな匂いが、鼻先をくすぐる。普段のレイシオと違う香りなのは、ホテルのアメニティを彼が使った証拠だ。
少しでも気を緩めたら、香りの奥をもっと確かめるために手を伸ばしかねなかった。なので、アベンチュリンはソファの上で石像のようにじっとしている。そうやって一人だけシャワーを浴びてさっぱりした男の瞳を、アベンチュリンは健気に見つめていた。
確信めいた予感通り、ホテルには運良くスイートルームの空きがあった。
レイシオとチェックインしてからこの状況に至るまで、それほど時間は経ってない。ただ一度口直しのシャンパンで乾杯をして、いくつか言葉を交わしただけだ。
会話というより、それは確認だった。「僕を抱きたいのか」と率直に聞かれ、グラスを持つ手がかすかに揺れた。「いずれはね」と答えたとき、アベンチュリンはまだ辛うじて冷静さを保っていた。
「では、いずれでなくこの瞬間に覚悟を決めることだ。僕がシャワーを済ませる間に」
教師のように毅然と言い放って、レイシオはバスルームへ颯爽と消えた。
それからアベンチュリンは、シャンパンのボトルを何度か傾け、レイシオの告げた言葉を注意深く精査した。だだっ広い上質な空間の真ん中で、柄にもなく緊張が湧き上がる。
この瞬間に、覚悟を? まだ互いの感情を明かしてすらいないのに?
そうして今。自分に跨り、清潔な色香を惜しげもなく放つ男を見上げている。どうにか平静を装っているが、そろそろ堪えるのが苦しくなってきた。
「それで?」
まだかすかに濡れる髪を横にかき上げながら、レイシオが静かに問う。髪飾りを外した髪の、無造作な動きに視線が誘われた。ゆるく閉じた胸襟も心許ない裾丈にも、挑発されている気分になる。
半ば意地のような心持ちで、アベンチュリンはあらゆる角度の誘惑から懸命に気を逸らした。
「このまま酔った勢いで君と寝たら、君を蔑ろにしたことになるんじゃないかな」
「僕が望んでいたとしてもか」
レイシオに手を引かれ、胸襟の下に招き入れられた。引き締まっていながらも隆々と膨らんだ胸筋が、しっとりと手に吸いつく。その中心にある慎ましい突起に指が引っかかり、あえなくアベンチュリンは表情を崩した。
「レイシオ……!」
「怖気付いたか、ギャンブラー」
思わず唸ると、レイシオがかすかに口端を上げた。
「ただ酒を飲んで、添い寝してやるだけでも構わない。君が本気でそうしたいなら」
アベンチュリンの頬を撫で、首筋、胸を辿って滑り落ちた手が、ベルトの下で硬く兆すものに行き着いた。
「しかし、君は僕を欲している」
ぐ、と軽く圧迫されて下肢がぎくりとした。密着しているレイシオにも、それが明白に伝わったことだろう。
気まずさに唇を曲げると、レイシオは得意げに顎を上げた。まったく、なんて悲しき性だろう。こちらは理性的な会話を試みているというのに。
「違うのか?」
「……違わないさ」
「それなら、さっさと腹を決めろ」
「っ、レイシオ、先に言っとくけど僕はまじめに君のことを、」
「すべてが終わったら聞かせてくれ。君の考えが変わらなければ」
心外だ!とアベンチュリンは怒りたくなった。気が変わる可能性を考慮するような相手に、こんな大胆なことをしてくれるなと抗議したくなる。それともこれが手慣れた常套手段とでも言うのか——いや、それについてはあまり深く考えたくない。
悶々とするアベンチュリンに、抗議の隙が与えられることはついになかった。レイシオの体が傾いてきたからだ。自分が好き好んで帰りを引き留めた男に、のしかかられ、顎をすくわれて、これ以上抗う術があるだろうか?
アベンチュリンは一旦会話による意思確認を諦め、レイシオのペースに委ねることにした。そうだった。彼はためらいを知らず空を突き抜ける、矢じりのような男なのだ。建前や御託を差し出したところで、容易く止まるわけがない。
そんなところにも深く撃ち抜かれているのだから、アベンチュリンに今更拒む理由もなかった。
君こそ考えは変わらないだろうねと、後ほどしっかり追及させてもらう必要がある。自分と相違ないのだろう感情が、この性急で刺激の強い行動の原理だと認めさせよう。きっとレイシオは、わざと小難しい口調でそれを説明することだろう。