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【ォョ】昇らない朝日

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2026-06-02 21:05:46

イエイ

Posted by @kurato0o

   ォョ

 ショウは憂鬱だった。
 何とは言えないし、どうとも呼べない。
 誰かに何か聞かれても、全然平気ですと答えるだろう。
 平気です、と答える時点で平気ではないのだが、もうそれもいいだろう。

 大大大発生が起きたのは、数時間前のことだった。紅蓮の湿地でショウは無くなった分のモンスターボールをクラフトしながら、はあと何度目か分からない溜息を吐いた。憂鬱だった。ごうごうと鳴る雨音も、容赦なく分厚い隊服を穿つ雨粒にも、髪もマフラーも飛ばしそうになる強風にも、すべてにうんざりしていた。
 制作したボールをポーチに仕舞って、大きな樹の下から勢いよく飛び出す。鬱屈とした気分を振り切るようにして走る。
 ああ、雨が止まない。

 *

「えっ、ショウくん、まだ帰ってきていないのですか!?」
 とんとん、と腕組みしながら指先で二の腕を叩く。善人代表、みたいな顔付きの男はウォロを見上げてサッと顔を青くした。そのまま転がるようにしてデスク周りの紙をひっくり返す。中々に乱雑な動作に眉を顰めた。
「ああっあった! ショウくんからの書き止めです! ……二週間前!?」
「二週間もよく放置できたものです」
「す、すみません……!!!」
 おおかた図鑑が普及したことで博士であるラベンの負担も大きいのだろう。仕事に追われているのはギンガ団全体の問題だった。近年、どこぞの英雄が英雄らしく振る舞ってくれたおかげで、ヒスイの地は着実に人とポケモンとが共存できる世の中へと近付いていっている。村も増え、閑散としていた土地にも人が出歩くようになった。
 その反面、まだまだポケモンとの共存がしっかりと出来ている訳ではない。人が手をつけられない土地で暮らしているポケモンには、細やかな気遣いが必要だった。オヤブンに始まり、群れのリーダーとなる個体もいる。大量発生も大大大発生も未知の部分が多い。ギンガ団に所属したままの英雄は、基本的に今も最前線でポケモンへの対処に当たっている。そのまま行方を暗ましたのではないかと思われるほど、ショウは一度出掛けたら帰ってこない。
「で? 最後はどこから送ってきているんですか?」
「ええ、ええとですね……。それが……
「早く答えなさい」
「はい。あの、大大大発生の対処に当たるので各地を回っていますとだけ……。一応最後に研究したポケモンはピチューだそうですが……、ヒメリの実をいっぱい食べてますって書いています」
「どうして所在地じゃなくてピチューのはなしなんだ……!」
 思わず声を荒げるウォロに、びくりとラベンが肩を跳ね上げる。憐れな研究者をじとりと睨んで、
「まあいい。ジブンが行きます。商会には博士が上手く言っておいてください」
 そう言って背を向ける。背後ではあ……という情けない相槌が聞こえたが、無視して進んだ。
 ――ウォロのいなくなった部屋で、ラベンは先程掻き分けた書類を集めながら、ぼやく。
「ウォロさん、帰ってきてからずっとあの調子なのです。余程ショウくんが気になるのですね……

 *

 大大大発生が始まって、暫く経った。各地で固まって発生しているポケモンを捕獲し終わっても、ショウは雨の中とぼとぼとライドポケモンにも乗らず歩いていた。
 いつからこんなに息苦しくなったのか、ショウにはもうよく思い出せない。最初からだといえばそんな気もするし、どこかを起点としてそうなったような気もする。ポケモンは好きだし、関わっている人もみんな好きだ。そうじゃなければこんなに頑張れない。けれど、向こうはどう思っているのだろう。
 ショウが空から落ちてきた異邦人なことは変わらない。いくら頑張っても、いつかまた切り捨てられるんじゃないかとどこかで不安を感じているのかもしれない。そんなことはもう二度もないだろうと思っているが、可能性はゼロではないとも思う。
 みんな自分の仕事をしている。だからショウも頑張らなくてはならない。
 隊服に染み込んだ雨で身体が重い。湿度で頭がぼうっとする。
 ショウくらいの年頃の女の子も、最近は増えて、呉服屋で色々な服を買ってめかし込んでいるのを見掛けた。自分も着ようかと思ったが、結局隊服が一番動きやすい。
 ショウが英雄と呼ばれる存在ではなく、ただの少女だったなら、女の子たちと仲良く服を見て、着飾って、お茶をして、そんな楽しい日々が待っていたのだろうか……
「情けないほどみすぼらしいですねえ」
 不意に聞こえた声に、顔を上げる。
 バッと振り返ると、そこには同じくずぶ濡れになった大男が立っている。
「うぉろ、さん」
 小さく名前を呼ぶと、曇り空で暗くなっている世界に溶け込んでいる男がこちらに歩み寄ってくる。まるで雨の日に見る幻のようだった。
 男はずんずん近付いてくると、そのままショウに手を伸ばして……
「わっ!」
 肩に担ぎあげた。まるで米俵か何かのように。
「ウォロさん!?」
「暴れないでください。帰りますよ」
「えっでもまだ……
「いいから。帰りますよ」
 雨はまだ降っている。小ぶりになってきた雨粒はショウを容赦なく叩いたが、ウォロの肩で揺られている間、なんだか身体が軽くなった気がした。

 コトブキ村に帰ってきて、ショウの宿舎に戻ってくる。唖然とするショウを置いて、ウォロは風呂の用意をしてくれた。謎に甲斐甲斐しく見えるが、用意が出来た矢先、ぐいっと強く腕を引かれて風呂場に連行される。
 宿舎は以前ギンガ団に宛がわれたものが大雨の時、真っ先に崩壊し、新しいものを村のはずれに建ててもらった。その頃にはなんの因果かショウの前に現れたウォロが転がり込んできた。以前は大浴場しかなかったコトブキ村も、実は風呂好きだという団長の計らいでショウの部屋には風呂が試験的に造られた。まあ使っているのは主にウォロだが……
「あったまりましたか?」
「あの……出て行きませんか……?」
 ショウを風呂に入れて、自分は寝間着を着たウォロが腕を組んで仁王立ちしている。
「あと五分は浸かっておきなさい」
「はい勿論、ええ。出て行きませんか?」
「見張っています。アナタに信用がありません」
 美しい白磁の瞳がごうごうと燃えているように見えた。
 怒っている。
 とても怒っている。
 どうしてこんなに怒っているのだろう。しかも流れで服をひん剥かれて身体まで洗われた気がする。されるがままで呆然としていたが、とんでもない。風呂に顔半分つけた状態で外の様子をひたすら窺っている。ウォロはずんっと立ち尽くしている。白い肌は紅潮することなく、なんなら少し具合が悪そうなほど白い。自分の方こそ休めばいいのに、と言いたいが、何が逆鱗に触れるか分からない。口を噤むのが正解である。
 そうこうしている間に頭がぼーっとしてくる。何日もほとんど寝ずに活動していたツケか。なんだか気恥ずかしいものが減って、かくんと風呂の縁に頭を預ける。瞼が重たい。このまま眠って……
 ザパァと耳元で水音が鳴った。ぎょっとして瞬時に頭が覚醒する。ハッとした瞬間には、湯にウォロの腕がまるまる浸かっており、ショウの脇にその手が差し込まれていた。
「ひい!!!」
 突然のことに悲鳴を上げるが、ウォロは少し眉を顰めただけで行動を止めることはなかった。そのまま風呂からショウを正に取り出して、脇を両手で掴んだままぶらんと持ち上げて、更にそのまま居間まで連行される。あまりの出来事に目を丸くすることしかできず、借りてきたニャルマーのようにぶらんとぶらさがったまま連れ去られる。唖然としていると今後は大きな布に包まれて身体を拭かれる。ここまでくると恥ずかしい気持ちよりも驚きの方が勝ってしまって、ぼんやりとウォロにされるがままになる。身体も髪も吹き終わると、ウォロが寝間着を着せてくれる。そしてまた脇に手を突っ込まれて、今後は布団まで連行される。そして寝かされる。
 ――何が起きたんだ……
 口をぽかんと開けたまま横になるショウの隣に、布団には入らず、ウォロが横になる。髪を解いて、さらりと長い金糸が床まで垂れるのが美しいと感じた。
 ウォロの手がとん、とん、とゆっくりショウの身体を撫でるように叩く。
「ウォロさん……
 これは、甘やかされている、のだろうか。それにしては随分な扱いだったのではないだろうか。
 ウォロの方を見ると、もうあの怒った瞳はしていない。穏やかにショウを見ている。
「ウォロさん」
「いいから今日は寝なさい。疲れているんですよ」
 それがどちらを指す言葉なのかよく分からなかったが、ショウは目を瞬かせてウォロを見詰め返した。
 疲れている、と言われると、そうだったのだろうか。なんだか続きざまに好き勝手にされて裸体まで見られたおかげでもう訳が分からない。
 ウォロが滲む。美しい金と白の境界が曖昧になっていく。
「あ、あれ……あれ……
 ぼろぼろと涙が零れる。枕に涙が吸われていく。
 気持ちがぐちゃぐちゃでよく分からない。ウォロを見詰めたまま、涙をぼろぼろと流すショウに、ウォロが距離を詰める。
 ぎゅう、とゆっくり抱き締められて、風呂上がりのショウの身体には少し冷たい感触が心地良い。
「眠りなさい。きっと悪い夢も見ませんから」
 ……悪い夢。
 これはずっと長い夢だったのだろうか。空から落ちた自覚もなく、流れるように世界を救うことになったことも、村を追い出され、誰が味方かわからなくなったことも、ウォロが去ってしまったことも、すべて悪い夢だったのだろうか。ならばここにいるウォロは都合のいい、いい夢なのだろうか。
 抱き締められたまま、穏やかな歌声が聞こえてくる。なんだか古風な子守歌だった。ウォロの低い声が紡いでいると気付くのに時間は掛からなかった。
 とん、とん、とん。
 ゆっくりと身体を撫でる手付きに、涙ははらはらと落ちるものの、それ以上にまた瞼が重たくなってくる。
「ウォロさん……
「ええ」
「いなくならない?」
 ウォロの胸あたりをぎゅっと握って、そう尋ねる。ええ、と穏やかな低い声が応える。
「いなくなりませんから。ゆっくり眠りなさい」
 ウォロの手がショウを抱き寄せる。ショウは広い胸に額を擦りつけて、そのまま目を閉じたのであった。

 腕の中で小さく寝息を立てる少女を抱き締めながら、長い睫毛を見詰めていた。
 気紛れで再会してから、この家に押し掛けたのも全部気紛れだ。大きな理由なんてない。
 ウォロの存在がショウにとって大きいものだということは理解していた。自分が一緒に住むなんてことになったら、ショウのことなら、自分から目を離すことも手放すことも出来ないだろうと思っていた。それがどうだ。蓋を開けてみたら、旦那の帰りを待つ女房みたいな真似をしているのはウォロの方で、肝心のショウは中々帰ってこない上に帰ってきてもすぐに寝てしまうし、ウォロが起きる頃には既に仕事に出発した後だった。
 こんなはずじゃない。
 そんなわけがない。
 そう思っていたのに、ショウは自分にしがみつく様子も見受けられなくて、なんなら放置されている。
 本当は我慢ならなった。自分がこんな不当な扱いを受けるとは思っていなかった。大事にされると思っていた。曲がりなりにも、自分はショウにとっての特別だと思っていた。
 ウォロはショウのところまで行ってガツンと一発言ってやるつもりだった。何を言うかまでは考えていなかったが、顔を見たら文句の百や五百、幾らでも出てくると思っていた。だけど実際に彼女を見付けた時には、使い古されたぼろ雑巾のようになっている姿を見て、怒りは途方に暮れてしまった。雨がばらばらと降りしきる中、肩を落として地面を見ている小さな背中は、あまりにも彼女の功績や肩書とはかけ離れていて、自分の中の彼女の像さえ揺らいでしまった。
 彼女はひとりぼっちの少女だったのだ。
 憐れんで何が悪い。見下して何が悪い。
 これは優しさでも慈愛でもなんでもない。ただ自分が優越感に浸りたいだけ。
 雨と風が吹き荒れる湿地で、ぐちゃぐちゃになって世界からも捨てられたみたいになっている神の寵児を手籠めにしたらどうなるのか。そんな好奇心に突き動かされているだけだ。
 ウォロは体温の高い少女を抱き締めたまま、彼女が眠りに落ちた後も、彼女を抱き締め続けた。いずれ来る朝日だけが、そんな彼を見守っていた。


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