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心臓が燃える話 ロスアル

全体公開 ロスアル 15685文字
2026-06-03 23:53:46

「こんなに勢いよく燃えていたら、早晩燃え尽きてしまうだろう。蝋燭じゃなくてよかったな」
 そう言いながら紙に読めない文字を走り書きした女医は、次いで余計な一言まで付け加えた。
「熱烈だな?」
 オレは不機嫌な表情も隠さず、その軽口に答えることはなかった。
 十数年前から、世界は人体発火現象に悩まされている。
 ある日突然、心臓が燃えるのだ。比喩表現などではない。胸元から炎が吹き出し、赤々と燃え上がる。幻覚ですらない。その炎は誰の目からも明白に見える。けれども、人体や周囲のもの全てが燃えてしまうわけではない。ただ心臓が蝋燭の芯のように燃えるだけだ。
 かと言って、人体に何も影響が出ないわけでもない。
 心臓は赤々と燃え、温度もそれなりのものになる。心臓の炎に炙られた体は、燃え上がる心臓に適応するように恒常的に温度が上がり、水分が徐々に蒸発する。タンパク質が凝固することこそないが、脱水症状が起きてしまうのだ。
 目の前の担当医は、そう言ったことをつらつらと説明する。それはこの病院に来る前にオレが自分で調べた情報とそれほど変わりない。一つ違うのは、処方される薬について、蘊蓄を上乗せした説明をしてくれたことだ。
「というわけで、この薬は体から水分——水だけじゃないぞ。電解質とかも……まあ要は体液が必要以上に出ていくのを抑えてくれる薬なんだ。ついでに解熱効果も足してある。こういうやつの特効薬なんだよ」
 担当医は、「とりあえず三ヶ月分出しておこう。診察自体は一ヶ月に一度来てもらうけど」とカルテにまた読めない字で書き添えた。
「薬を三ヶ月分?」
「そう。三ヶ月分。人によって長さは違うけど、キミらの世代じゃ、そう長いのは珍しいかな」
「一ヶ月でいい」
「バカを言うなよ」
 医者はくるりと手の中でボールペンを回して笑った。
「そのくらいの勢いで燃えてるなら、三ヶ月なんて余裕だね」
 オレは自分の胸元に視線を落とす。そこには赤々と心臓から吹き出す炎が覗いていて、隠しようもない。
 全く、とんでもないものが発症したものだ。

 他人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでしまえ。
 昔からそんなことをよく言うが、そんなことを言い出した人間も、まさか邪魔をする他人を焼き尽くす勢いで恋路とやらが先に燃えるとは誰も思わなかっただろう。
 病気なのか体質の変化なのか、人間が心臓を燃やすようになってから、早三十年近く経っている。この症例の発見時から、世界中で原因の究明が進められた。その間にも発症者は増え、今や世界中で症例が報告されている。その上短期間での完治報告もあり、人々は心臓発火現象に振り回された。
 そして、頭のいい研究者や医師たちがたどり着いたのが、なんともまあ悲しいくらいくだらない理由だった。
 恋に落ちると心臓が燃えてしまう。
 いったいどうしてそうなったのか、いったいどうしてそう変わったのか、誰もわからなかった。わかったのは、心臓が燃えている人間の共通点。そして、燃えなくなった人間の共通点だけだった。
 つまり恋をすると心拍数が上昇し、体温が上がる。それがはっきりと言い逃れがないほど眼に見える形に置き換わっただけだと言うのだ。
 幸い、この症例が死に直結した報告は上がっていないらしい。なにせ、これはウイルス性の病気ではない。一生恋をしない人間だっている。ただ、遍く誰もがそうなったら、心臓が燃えてしまうというだけの、現象に近い。

「どうだった?」
 病院から出ると、目の前の公園で待っていたらしい勇者さんがのこのこと近寄ってくる。
 文句があるので勇者さんのアバラを殴っておいた。勇者さんは口から煙をゴホっと吐いて、「何すんだよ!」と半泣きで訴える。だいぶ手加減しました。ものすごくムカついているのに、偉くないですか。そんなことを言っても仕方がないし、正直にそう告げたところで勇者さんは、そりゃどうもありがとう! とやけくそでお礼を言ってきそうなのでやめた。それも腹が立つからだ。
「勇者さんは心臓が燃えてるわけでもないのに、ぷかぷか煙吐いていい気なもんですね」
 オレの嫌味に、勇者さんは一つ咳をしたのち、「……まあ、悪魔だからね」とこともなげに言った。
 勇者さんは、オレが冗談で呼び出した悪魔だ。数百年前に悪魔について書かれたとして世界的に有名になった本がある。その中の召喚術を試したら、勇者さんが出てきた。なのでとりあえず一緒にいる。
 召喚した時から、勇者さんは悪魔らしくなく、悪魔らしい登場をしようと一生懸命口から煙を吐いて、「どう、怖い?」なんて聞いてきた。残念ながら怖くはない。どこからどう見ても一般的な、オレより少し年が下に見える青年の姿でしかなく、ツノも尻尾も生えていない。
「それで、診断は?」
「一般的なハート・オン・ファイアですって」
「何それ」
「人体発火症です。仰々しいもったいぶった言い方が好きな医者でした」
「中二病みたいだな……それで?」
「処方箋と美味しい水をもらいました」
 オレは一枚の紙切れと、青いラベルの貼られた五百ミリのペットボトルを掲げて見せてやる。勇者さんは、「大変だな、人間も」と困ったように肩をすくめた。

 心臓が燃えるというのは、人々の生活にそれなりに支障をもたらす。生地の薄い服なら、心臓からの炎がすり抜けることもある。それを隠すために、防火性の人体発火症専用のインナージャケットが作られているほどだ。
 相手と両思いの場合は、わざと隠さない場合もあるが、大体の人はそれを着用して生活している。幸い、人体発火症者は例外なく外気の変化に強い耐性を持つようになり、夏の酷暑や冬の寒さにだいぶ強くなるため、防火性の厚みのあるインナージャケットを一年中着用していても体調の変化はほとんどない。
 それよりも、精神面への支障だ。惚れた腫れただのの話なんて、したところで楽しいとは思えない、オレのような人間が迷惑をする。
 だから仕方がない。大学でクレアに、「シーたん、病院どうだった?」と尋ねられて、思わず不機嫌そうな顔をしてしまったのは。
「わーお、行ったんだね。やっぱり例のアレだって?」
「例のアレって言い方をやめろ」
「だって、人体発火症って名前も嫌がるじゃん」
「その名前が浮かれた話題に直結するから嫌なんだ」
 クレアは不思議そうに、「恋ってそんなに浮かれた話題?」と首を傾げる。
「別にオレは茶化さないじゃん」
「それは前に怒ったからだろ」
「そうとも考えられる」
 クレアは賢ぶった表情で頷いた。
 オレの話より、完全に手元が止まっているレポートを早く完成させてほしい。家でレポートをしようとすると怠けてしまうので、学校で、しかも監視付きで完成させておきたいと言い出したのはクレアだったはずだ。
 そう指摘してやると、クレアは、「だって飽きたんだもん」と真面目な顔で言い放った。いい加減にしろ。これは拳が必要か、と机の下で硬く拳を握りしめたタイミングで、携帯が鳴った。勇者さんからだ。オレの父親との用事が終わったらしく、これから帰るということらしい。
「アルバくん?」
 クレアからの問いに、オレは頷く。勇者さんからのメッセージには、最近買ったスタンプを返しておいた。ニセパンダとかいう黄色くてキリンに似たような変なキャラクターだ。勇者さんからは、『なにそれ。なんのキャラ? かわいい』と返ってきて、思わず笑ってしまう。
 ふと顔を上げると、こちらを見ているクレアと視線が合った。
「おい、レポートは」
「シーたんってさ」
「聞いてんのか」
「わかりやすいよね」
 聞いていないらしい。オレは真っ白なルーズリーフを人差し指で二度力強く叩き、「痛い罰則付きの監視と、真面目にやって痛い罰則のない監視とどっちがいい?」と穏やかに尋ねてやる。クレアは、「目が笑ってない」と慌ててペンを走らせ始めた。できるなら最初からやれ。
 クレアが二行ほどレポートを進めたあたりで、オレはふと気になって、「わかりやすいか?」と尋ねた。
 言い出した本人は、もうその話題どころではなくなっているらしい。うーん、うーんという呻き声しか返ってこなかった。
 どうにかこうにかクレアのレポートを終わらせて帰路に着く。外はすっかり暗くなっていた。
 家の近くまで来ると、外灯の下を勇者さんが歩いていた。
「よう、ロス」
 勇者さんはまったく悪魔らしくない振る舞いで、「暗くなったから、迎えにきた」と言って、口の端からケホ、と煙を一つ吐いた。

 鳴かぬ蛍が身を焦がす、というが、何も本当に体を焦がしてしまう必要は全くない。
 何度目かの通院で見慣れてしまった診察室、それから顔馴染みになったと言っても過言ではない担当医は、「いや全く衰えないね」と言って笑った。
「面白がってないか」
「え? 顔に出てた? まーそりゃ楽しいさ。こんなに簡単に人間の心の奥底に触れちゃえるようなことって、普通はないんだから」
 担当医は青い髪を耳にかけるようにして、手に持ったボールペンも耳に挟んだ。その出立ちは医者というよりは大工のようだ。
「まあ、薬はいつも通り出しておくよ。カウンターで水もらってって」
「あの水って、何か効果があるのか」
「ないよ。焼石に水って言うだろ。気休め」
 くだらない冗談でも聞いたように、担当医はひらひらと手を振った。それから、「これはさ、まあ、沈静化するまで待つしかないわけ。でも、人間の気持ちなんて個人差が特にある分野でしょ。こんなに赤々と燃えていても、明日にはフッと消えてることだってある」とオレの胸元を人差し指で突く。その指を心臓から吹き出す炎が舐めたが、担当医は熱がりもしない。本当に謎だ。一体どうしてこの心臓は燃えるのか。燃えて、何があるのか。
「そうだ、よく外で待っているお友達いるでしょ。あの子も今度受診しに来てって言っておいて。何せこれって熱い寒いに強くなっちゃうだろ? 熱中症になりやすいんだよな」
 診察室の窓から、外が見える。病院の一番近い公園の入り口で、勇者さんが待っていた。勇者さんは口の端から一つ煙を吐いていた。
 傍目から見たら一般的な人体発火症の発症者だ。けれども、オレは知っている。勇者さんは別に恋をしているわけではない。ただ単に、悪魔だから煙を吐いているだけだ。
 生返事をして診察室を後にする。まさか、悪魔だから診察なんて必要ないと言ったら、オレが色々な科をたらい回しにされることだろう。
 諸々を済ませて病院を出ると、勇者さんが、「ロス」と寄ってきた。
「律儀についてこなくていいですよ」
 オレがそう言ってやると、「お前が本契約をしないせいだろ」と唇を尖らせた。
 悪魔というのは面倒臭いもので、呼び出された後契約をしないといけないらしい。これではただの呼び出され損だ、というのは勇者さんの言で、どうにも悪魔は契約をしないと報酬を受け取れないようになっているという。
 報酬とは何か。それは契約者本人の、悪魔への崇拝だ。悪魔は崇拝されればされるほど力が強くなる。
「でも、もういらないでしょう。勇者アルバとして有名なんですから」
 勇者さんは苦虫を噛み潰したような顔をした。
 勇者さんは、すでにかなり力のある悪魔のようだ。それもこれも、その昔勇者の替え玉として召喚され、真面目に野盗退治やら化け物退治やらをしたせいで、悪魔ではなく勇者として名前が売れているせいだという。
「そんなに勇者として名前が売れるのが嫌なら、程よく手を抜けばよかったじゃないですか。契約としては、勇者として活躍することじゃなくて、単純に替え玉だったわけですよね。戦うのを怖がった大言壮語の一般人の」
「そうだけどさあ! ほっとけないじゃんか! 困ってる人はいるわけだし!」
「お人よし」
「その言葉は悪魔にとってものすごい罵倒語だ!」
 罵倒されたくないなら、そんなことをするのをやめたらいい。
 悪魔である勇者さんを呼び出したのは、去年の秋口のことだ。
 オレの父親はとある会社で研究員として働いている。いろんな研究をしているらしいのだが、なんでもここ数年はエネルギー工学に興味を持っており、未知のエネルギーの調査を熱心にしていたようだ。らしい、ようだと曖昧な説明が多いのは、オレがあまり父親の話を聞いていないからである。
 その一環として、父親は魔法なるものに手を出した。悪魔は魔法を使う存在として、資料を集めていたらしい。
 その資料として集められた中の一冊の本に、勇者さんを召喚する方法が書いてあった。
 召喚というにはあまりにも簡単な魔法陣で、あまりにも簡単な方法だったので、悪魔を呼び出すなんてこんなことでいいのか、と拍子抜けしたものである。ましてや、やってきた悪魔が、悪魔というより勇者として有名なのだから尚更だ。
「なんか失礼なこと考えてない?」
「わかりましたか。四六時中考えてます」
「お前! ボク、一応けっこう強い悪魔なんだからな!」
「毎回そう言いますけど、例えばどんな悪魔らしいことができるんですか」
……けっこうなんでも……洋服についた全然落ちないシミを落とすとか……決めた時間通りに起こすとか……
 オレは勇者さんの肩を叩き、「今は、洗濯機と目覚まし時計というものがあってですね……」と優しく諭してやる。勇者さんは悔しそうに、「知ってるよ……もうみんなボクのこといらなくなっちゃったんだな……」とうめいていた。そういう問題ではないと思う。
「結構強い悪魔に頼む用事が、そんなものなんですか」
「何百年も前には貴重だったんだよ。それに、ボクもその頃はあんまり力も強くなかったし」
「今もじゃないですか」
「そんなことはないって」
 勇者さんは不満そうに口を曲げた。それから、「契約したら見せてやるよ」とオレの方を伺うように言った。
「今のところ、勇者さんなんかに叶えてほしいことはありません」
「なんだよ、他の悪魔だったら契約できるってのか?」
 オレは答えない。勇者さんはそれを肯定と捉えたらしく、方を落とす。
 残念ながら順序が逆だ。勇者さんなんかには叶えられないではなく、勇者さんには叶えてほしくない。勇者さんにだけは言いたくない。だから、悪魔に願いたいことは口に出せない。
 父親の資料から悪魔についての本を拝借して、わざわざ眉唾物の存在である悪魔を呼び出したのは、当たり前だが悪魔に縋らないといけない理由があったからだ。悪魔に叶えてもらいたい願いがある。
 悪魔を呼び出す人間は、どんなにくだらない理由だろうと、大体は途方に暮れて他に頼るところがない人間だ。
 オレもその一人だった。
「他の悪魔に交代しようにも、お前に呼び出されてるのはボクだしな」
 勇者さんは困ったように言う。
「あなたでいいんですよ」
「で、って言うなよ」
 が、とも言えない。

 勇者さんはオレと出会ったのは、先日悪魔として呼ばれてからだと思っているが、実は違う。
 三年前、電車に乗っていた時に忘れ物をしたことがある。それをわざわざ電車を降りて、追いかけて渡してくれたのが、なんともまあお人好しの顔をした茶色の髪の高校生だった。名乗りもせずに、オレに荷物を手渡すと、ひどく安堵したように笑って走り去ってしまったので、オレは名前も知らなかった。
 それなのに、その日から心臓は燻るように煙を上げ始めたのだ。
 今年病院にかかる前から、心臓は燃えていた。ただ、オレがそれを認めておらず、心臓も今のように炎を吹き出していなかったので無視していただけで。
 これをどうにかしてもらうために、悪魔を呼び出した。
 燃え残った燻っているだけの火種を消してもらうなら、あっさりと済むだろうと思ったのだ。
 それが、三年前のあの人は、実は隣の市で呼び出された悪魔で、その上今回オレの書いた魔法陣から出てきてしまったものだから、話がこじれている。
 これは誰が悪いのか。神様とやらがいるなら、雲の上で腹を抱えて笑っているに違いない。

 オレに呼び出されたものの、契約ができていない勇者さんは、日中ほとんど暇を持て余している。
 そのため、オレの父親の研究に協力しているらしい。父親からは、「今研究してる分野にはぜーんぜん役に立たないんだけど面白いよ! 今までの法則には当てはまらない力場が」などと興奮した口調で説明されたが、この世に不思議は満ち溢れていっそ陳腐なのであまり聞いていない。話が長く、あっちこっちに飛ぶので、聞く気があまり出ないというのもある。
 勇者さんは現在、オレが一人暮らししているアパートに居候している。あまりに暇なので、「なにかバイトでもしようかな」とぼやくまでになっていたので、父親の研究協力依頼は渡りに船というところらしい。
 それ以外の時間は、大抵オレと一緒にいる。オレをよく観察して、オレの欲しいものをリサーチし、契約に持ち込むつもりらしい。新人営業マンの飛び込み営業みたいで可哀想に、と思う。
「多分気がついてないだけで、ロスだって叶えたい願いがあると思うんだよな」
 勇者さんは自分で作ったチャーハンを食べながら呟いた。もちろんある。けれども今のところ言うつもりはない。
「そうじゃないと、ボクが呼び出されるなんておかしいし」
「冗談とかおふざけで試してみただけなんですよ」
「そうだとしても、なんらかそういう心持ちが作用してるんじゃないかな、と思ってる」
「思ってる? 召喚って自分たちの分野の話なのに、憶測なんですか?」
……ほら、これってボクらが開発したんじゃないし……人間がこう、ガチャガチャやってる間に使えるようになっちゃったっていうか……。だから、未知数な部分があるっていうか……
「そんないい加減な代物だったんですね」
「いや、でもこの仕組みは悪魔にとってものすごく有効で!」
 勇者さんは悪魔全体が馬鹿にされていると感じたらしく、慌てたように、「呼び出されて願いを叶えると、人間が悪魔を崇拝しやすくなるからね。崇拝されたらボクらは強くなるわけだし!」と付け加えた。
「まあ、崇拝されて強くなりたいって願っても、あんまり叶わないんだけどね」
「そうなんですか?」
 善なる力の方が強いというお決まりのバランスなのだろうか。勇者さんも悪魔というよりは勇者として名が売れてしまっているようだが、それでも力はあまり強くないように思えるし、そういうものなのかもしれない。
 そう思っていると、勇者さんは、「いちばん欲しいものは手に入らないようになってる」と全く違う答えを返してきた。
「いちばん欲しいもの?」
「そうだよ。悪魔はそういうふうにできてる」
「なんですか、それ。ジンクス?」
「ちがうよ。えーと……そうだな。生命は水素で出来てるだろ。それと同じで、悪魔もいちばん欲しいものは手に入らない、ということから成り立ってる」
「元素と定義の話じゃないですか。土俵が違いますよ」
「でも同じことなんだよ。悪魔はいちばん欲しいものは手に入らないようにできてる。手に入れた悪魔もいるけど、本当に欲しい形では手に入らなくて、手に入れた悪魔はみんな死んじゃった」
 勇者さんは少しだけ寂しそうな顔をしてテーブルを見つめた後、オレの視線に気がついてわざと明るく、「……って聞いてる」と笑った。
 いちばん欲しいものは手に入らない。それがどんなことなのか、オレには想像がつかない。
 もし想像するとしたら、この人のことだろう。
 最初から手に入れる気なんてないが、もしこの人とあっさりと離れることになったら、それは。
……なんか、嫌ですね」
 勇者さんはオレが同情しているとでも思ったようで、「ロスがそんな顔することじゃないよ。初めからそうなんだし」と軽く言った。別にアンタに同情するものか。ただ、その虚しさがわかるような気がするだけで、もしオレが気落ちした顔をしているのだとしたら、それは自分のことを考えているからに過ぎない。
「いちばん欲しいものが手に入らなくても、生きてはいけるし」
……勇者さんは、何が欲しいんですか」
 オレの問いに、勇者さんは少し悩むようにして、「うーん、昔は家が欲しかったかな。悪魔は大抵家がないからね。地獄があるもんだと人間は信じてるけど、呼び出されない間は、空気みたいにそこらへんに漂ってるだけなんだ」と空気をかき混ぜるように、人差し指をくるりと回した。
「だから、帰ってくる家が欲しかったかな。まあ、いちばん欲しいものは、時間の流れで変わることもあるけど、思い出せるうちのひとつはそれだよ」
「へえ」
 つまりもう、それはいちばんじゃなくなったということか。何が欲しいか聞いたのに、昔欲しかったものでお茶を濁すなんて、まるで悪魔のような話のはぐらかし方だ。あ、悪魔だった。忘れてました。
「じゃあ、もういちばんじゃないんですね、それは」
「え?」
「だって、今はオレのところに帰ってくればいいんですし」
 勇者さんが間抜けな顔でオレをみたまま固まる。なんだ、何か驚くようなことを言ったか。そういう反応をされると、まるで自分が恥ずかしいことを言ったかのように思えてくる。ただ単に、勇者さんを呼び出したオレがいるこの部屋に、勇者さんも毎日帰ってくるわけだし、家のようなものだということを言いたかっただけで、と心の中で言い訳を積み重ねた時、勇者さんはようやく、「う、ん」と喉の奥から震えるような声を出した。
 そしてケホケホとと咳き込み、煙と一緒に火花が少し出す。
「チャーハンが喉に詰まりました? ゆっくり食べないからですよ」
「ご老体扱いするな! いや、でも、そう、」
 勇者さんはケホ、ともう一度咳き込んで顔を伏せる。しばらくしてようやく咳がおさまったのか、顔をあげた。
 咳のせいか顔が赤くなっていて、「ちゃんとよく噛んで食べないからですよ」と言ってやると、珍しく勇者さんはツッコミもせずに、「うん」と静かに頷いた。
……ボク、本当にきっとなんでも叶えられるよ」
「わかりましたって。力のある悪魔なんですもんね?」
「本当だよ」
 勇者さんは、「だからどうか、ボクを頼って欲しい」と無理難題を言う。世の中には頼み込まれたって叶えてやれないこともある。

 勇者さんを呼び出して、契約もしないまま半年以上経った。
 心臓の炎は全く消えもしない。日によって大きくなったり小さくなったりはするが、相変わらず燃え続けたままだ。
 勇者さんはオレにどうにか望みを言って契約をして欲しいらしく、今日も今日とて煙と火花をケホケホ吐きながら、「どう?」と尋ねてくる。そうは言われても、呼び出したいちばんの目的を勇者さんに言えないのだからどうしようもない。
 経過観察と体調確認を兼ねた診察では、オレの方は心臓が燃えている状態で安定していると思われているらしく、オレのことは放っておいて、医者はしきりと勇者さんの受診はどうかと聞いてくる。
「勇者さんも同じだと思われてますよ」
 平気だと言っても必ず病院についてくる勇者さんに、そう教えてやると、勇者さんは目を丸くして、「おなじ」と瞬きをした。
「そうです。心臓が燃えてると思われてる」
 オレの言葉に、勇者さんはどこか申し訳なさそうに、「いや……そうなんだ」と自分の胸の辺りを押さえて呟いた。
「でもこれは、」
「悪魔の演出で燃やしてるんでしょ」
……そうなんだよなぁ」
「悪魔としての箔がないからって、そんなところばっかり凝ってるから、無用な誤解を産むんですよ」
「箔がないってなんだ」
「悪魔らしくないじゃないですか、勇者さんって」
 いつも通りのくだらない話をしていると、あっという間に家に着いてしまう。ポケットから鍵を取り出すと、勇者さんがふと、「だからボクに頼れないと思うのかな」と言った。まるで独り言のようなそれに、オレは、「え」と鍵を取り落としそうになってしまう。
「いや、願い事なんてないからですよ」
「でも、人間は大なり小なりあるはずだよ。ほら、お前の持ってた本にも書いてあっただろ。あの本、九割くらいはボクじゃない悪魔の記述だけど、悪魔にやってもらったこと書いてあったよな? 何にもできないわけじゃないんだよ。力が弱くても」
「それはわかってますよ。勇者さんだって夕飯くらい作れるじゃないですか。掃除機の掛け方は雑だし、うっかり雨予報の出てる日に洗濯物を干しますけど」
 二人、しかも二日分の洗い物がダメになった時は流石に笑ってしまった。勇者さんはひたすら小さくなっていたが、人間を脱力させたと言う部分では、ある意味、悪魔らしい失敗ではある。
 勇者さんは自分でも恥ずべき失敗だと思っているらしく、「今は気をつけてる」と気まずそうに言った。それも知っている。毎朝の天気予報を真面目に見ている悪魔は、世界広しと言えど勇者さんくらいだろう。
「ボクもずっと考えてるんだ。こんなにボクに願い事をしなかったのはロスぐらいだし、ほら、なんだかんだボクの欲しいものを一つくれただろ。ずっと何にも願い事を叶えないなんて、ひどい悪魔じゃないかと思って」
 悪魔はだいたいの物語の中で悪者だ。ひどい悪魔なのは仕方ないんじゃないだろうか。それにしても、願い事を叶えられないだけでひどいだなんて、勇者さんの中の悪魔はとても善良だ。さすが、うっかり勇者として名が売れてしまった悪魔は違う。
「それに、そろそろ出ていかなくちゃ」
 昼と夕方の間だった。太陽の光はまだ白く、眩しいくらいだ。勇者さんは悪魔のくせに、その光に照らされて、静かに言った。オレの心臓は、ああ、いまひどいことを言われた、と感じたのに、それを口に出せないほどの正しさを漂わせていた。

 呼び出してから今日まで、この悪魔ときたら、いい加減にしてくれと怒ることもなく、根気よくオレに願い事を聞き続けていた。
 だからきっと忘れていたのだろう。まさか人間より長生きする悪魔が、ここを出ていきたいので、早く願い事を決めてくれと言い出すなんて。
 勇者さんとの生活にすっかり慣れてしまっていたオレは、勇者さんが出ていく可能性を忘れていた。もちろん、いつまでもいてくれると勘違いしていたわけではない。悪魔なんだから、不思議な力で姿を消してしまうことだって可能だっただろう。ただ、オレと契約をして終わらせないと帰れないという決まりがあるだけで、勇者さんはここにいた。いつか終わる話だったのだ。なぜなら、オレは勇者さんをそういうものとして呼び出したわけなのだから。勇者さん自身として出会ったのではなく、あくまでも、悪魔と人間として。
 ケホ、と咳払いをするとレポート用紙の隅に、煤が落ちた。
 今時テキストデータではなく、レポート用紙で課題を提出させるなんて全時代的だ。いや、この文句は八つ当たりだ。課題なんて、紙だろうがデータだろうがどうでもいい。
「ウワ、シーたんそれ今日出たばっかの宿題だろ。もう終わらせてんの? マジかよスゲーな」
 自習用に開放されている空き教室に、いつの間にか入ってきたクレアの声が響き渡った。外は暗くなっていて、気づけは誰も残っていない。
 携帯を見ると、勇者さんから、『遅くなる?』とメッセージが入っている。帰ったらこの間の話の続きをしなくてはいけないような気がして、気が引けた。けれどもいつまでもこうしているわけにもいかない。
「なあ、帰ろーぜ」
 クレアもオレの肩を掴んでぐらぐら揺らしてきた。手がレポート用紙に落ちた煤に当たって、用紙が黒く汚れる。書き直すか、このまま提出するか、と悩むのは後にすることにした。
 クレアの手を捻り上げ、「うるさい」と注意してやる。クレアが「ギブ!ギブ!」とうるさいのですぐ離してやった。オレにも聞こえるように、「荒れてるなー」と言われたが、心が広いので聞き流してやることにする。
「ここんとこ機嫌良かったのに」
「そうか?」
「そうだよ。パパさんも、研究の方向性が決まったとかで忙しそうだし。もしかしてそれで拗ねてるの?」
 いい年して父親に構われなかったから拗ねるなんてありえない。推測が不愉快だったので拳を作ると、クレアはそれを察知したのか、「と、いうのは冗談で」と慌てて続けた。
「アルバくんから何回言われた? 悪魔らしくなんか脅されたとか?」
「オレはあの人に会っておいて、そんなことができると思ってるお前に驚いてる」
「しないだろうけど、シーたん、アルバくんって悪魔だぜ」
 そうだ。できるのかもしれないが、しないだろう。少なくとも好き好んではすないはずだ。そんなことをしたら、自己嫌悪で落ち込んでいそうなタイプだ。
「まあ、ある意味悪魔らしい脅しだった」
「なにそれ」
「オレと契約して願いを叶えて、出ていきたいらしい」
 クレアが小さく、「ワオ」と呟く。
「なんで?」
「なんでもなにも、さっさと仕事を片付けて次に行きたいんだろ」
「ちゃんと聞いた?」
「え?」
「アルバくんに、どうして出ていきたいか聞いた?」
 聞いていない。そう言い出されて、ああ、そうですね、考えておきますとはぐらかしてその話を切り上げさせた。
 出ていきたいと考えられていることも、勇者さんと離れることも、すぐには受け止められることではなかったからだ。聞きたくない。いちばん傷つかない予想のまま終わらせていたい。
 クレアは、「逃げるが勝ちって言うけど、二人でせーので逃げたら、二人とも負けなんじゃないの?」と訳のわからないことを言って笑った。
 外に出ると、空にはぽっかり月が一つ浮かんでいた。今日は満月らしい。小指の爪の先に乗りそうなくらい小さいが、それでも電灯に負けないほど白く丸く輝いている。
 クレアはバイトらしく、早々に別れた。言いたい放題言ったくせに、自転車で風のように去ってしまうとは無責任じゃないか。いや、これもまた八つ当たりだ。
 アパートに近づくたびに、足が鈍くなる。
 どうすべきかはわかっている。
 願うことも決まっている。
 最初から最後まで変わりようがない。

「ロス」

 暗い夜道、勇者さんがいた。
「何してるんですか」
「遅いから迎えにきたんだよ」
「いつも思うんですけど、なんで場所がわかるんですか?」
「それは、ほら、お前がボクを呼び出したからであって」
「ストーカー」
「ちが……う! 必要な時以外探してない!」
 そう思うなら、一瞬図星を突かれたような顔をしないで欲しい。言い切ったくせに、すぐに自信をなくして、「そうだよな?」とオレに聞くのもやめたほうがいいと思います。
 オレはおろおろしている勇者さんに、「少し歩きますか。コンビニでアイスが買いたいので」と尋ねる。勇者さんは、「え、いいよ」と不思議そうではあるが、二つ返事で着いてくる。
 夜風が吹いていた。空には雲が一つもなく、月が隠れることもない。明日もまた快晴だろうか。
 心臓から火が吹くようになって、常に体温が少し高いような感覚がしている。それは事実そう、らしい。医者曰く。あまり体温を測らないので、よくわからないが。
「夜の散歩なんて初めてかも」
 隣を歩く勇者さんが、そんなことを言う。オレが、「悪魔なのに?」と尋ねると、「悪魔だからだよ」と肩をすくめられてしまった。
「悪魔と散歩しようと思う人はいないだろ」
「いるじゃないですか。オレが」
 そう言ってやると、勇者さんはふっと笑って、「そうだった」と言った。
 心臓が炎を大きくしたのか、熱を持ったのがわかる。なぜこの人が楽しそうにしていると、オレが嬉しいのかわからない。言葉で説明ができない。理論的ではない。まるで魔法だ。理屈が通らない。理不尽だ。道理がない。
 三十年ほど前、世界中の恋に落ちている人間の心臓が燃え出した。
 しのぶれど、と昔の歌人は言ったらしいが、色どころか火が吹き出してはしのぶどころではない。隠しようもない。自分からでさえ! 炎さえ出なければ、もし他人に指摘されようと、自分だけは目を逸らし続けられたかもしれないのに。
 恋に振り回されている。まったく馬鹿みたいだ。
 それが嫌だった。だから嫌だった。理屈も道理もない。だから消せるものなら消してやろうと、さらに理不尽で信じられない存在に頼ったのだ。
「勇者さん」
「ん?」
「勇者さんと契約します」
 勇者さんはポカンとした顔で、「え」と言った。なんだその顔は。自分から早くしろとせっついたくせに。
「不満なんですか」
「いやそんなことはないよ。ただ、その、ただ……
 勇者さんは小さな声で、「もっと先だと思ってた」と言った。
「だってお前、全然願い事が決まらないから」
「ずっとあったんですよ」
「え?」
「ただ、勇者さんには頼みづらいことだっただけで」
 心臓が燃えている。炎を外に見えにくくさせるためのジャケットを貫通し、炎が外に吹き出していく。
「この火を消して欲しいんです」
 勇者さんの瞳に、激しく揺れる炎が映る。
「それが最初から、ずっと、叶えて欲しいことでした」
 好きなひとに、自分の恋心を消してもらうなんて、そんなことを頼めなかっただけだ。
 勇者さんはオレの願いを聞いたのに、ただ呆然とオレを見つめていた。オレは勇者さんからの了承の返事を待っていた。それはすぐに返ってくるだろうと思っていたのに、勇者さんは驚いたような、どこかショックを受けているような顔で、黙っていた。
 しばらくして、「それはダメだ」と勇者さんは言った。
「どうして?」
「だって、きれいだから」
「きれい?」
「そんなにきれいに燃えているのに、せっかくロスが誰かを好きになったのに、そんなのはダメだよ」
「できないならできないって言っていいんですよ」
「ちがうよ。できる。でも、悪魔と契約してまでロスの気持ちを捻じ曲げて欲しくない」
 勇者さんは泣きそうな顔をして言った。どうして言い出したオレじゃなく、勇者さんが泣きそうな顔をしているのだろう。どうしてオレではなくこの人が傷ついているのだろう。勇者さんは不思議だ。まったく悪魔らしくない。
「じゃあ、どうしたらいいですか。オレは心臓が燃えたまま、辛い思いをしていればいいですか。ずっと」
 もし蝋燭だったら、これだけ燃えていれば、早晩燃え尽きてしまうだろう。あの医者の軽口を思い出す。そうだ。燃え尽きることができたら良かった。一過性のものであればよかった。
「そんなことは言ってないよ。ずっとなんて……そうだ、ロスと、その人が両想いになるように……運命の人探しなんてのも……ほら、ボク、きっと」
 勇者さんが、だんだんと顔を伏せる。両手で顔を覆って、とうとう蹲ってしまった。
 そんなにオレの願いがショックだったのだろうか。オレにオレ自身の気持ちを大事にして欲しいだなんて、お人好しにも程がある。それにしても落ち込みすぎだ、とオレは「勇者さん」と呼びかけながら肩に手を置いた。
 オレはすぐに、反射的に手を離した。
 熱い。
 勇者さんの胸元が光っている。人間で言えば、心臓のあるあたりだ。ちらりと赤くひらめくものが見えた。
……悪魔の演出で燃えてるだけじゃなかったんですか」
 勇者さんは渋々と言った様子で顔を上げる。涙目で、「悪魔の心臓が燃えないなんて、一言も言ってない」と屁理屈を捏ねた。
 勇者さんの心臓が燃えている。
「受診したほうがいいですよ」
……恋に効く薬なんてないだろ」
「ないですけど、美味しい水がもらえます」
 勇者さんは、「そうか。今欲しかったな」と苦笑した。
 心臓が燃えている悪魔は、立ち上がると、真っ直ぐにオレを見た。それから、「失敗した」と途方に暮れたように呟く。
 悪魔が途方に暮れているなんて珍しい。なぜなら悪魔を呼び出す人間の方が、途方に暮れて悪魔に頼る以外何もできないと思って悪魔を呼び出すのだ。
 勇者さんは、「ボクの身にもなってよ。好きになった相手が、もう誰かに恋をしてるなんて。最初っから失恋が決まっててさ。やっぱり悪魔はいちばん欲しいものが手に入らないんだ」と不貞腐れたように言った。
「は? 失恋って」
「そうだろ。それなのに、ロスはボクを呼び出したくせに願い事はないっていうし、そのままずるずると一緒に過ごすことになって、ますます好きになっちゃうだろ。このままじゃ、ボクのいちばん欲しいものが今の生活になる。ロスと一緒に暮らすことになる。そうしたら、手に入らなくなる」
 勇者さんは寂しそうに自分の両手を見た。その両手は空っぽで、何もない。
 だから、勇者さんは出て行こうと思ったのか。手に入らなくなる前に、失ってしまう前に、自分から手放そうとしたのか。
 なんて諦め癖だ。
 それを叱ってやろうと思ったが、頭の九割ぐらいが違うことを考えていてままならない。
 勇者さんの言葉を必死で噛み砕いて理解しようとしている。
 出ていかなくちゃと言われた時に、諦めようとしたことを、期待しようとしている。
「勇者さんのいちばん欲しいものはなんですか」
 勇者さんの心臓が輝く。吹き上がる炎は流れ星のようだ。どうしてオレも勇者さんも、こんなに燃えているのに燃え尽きることがないのだろう。不思議だ。理不尽で、道理がない。理屈に合わない。理論的ではない。この事象そのものが、恋のようで眩暈がする。
「ロスが幸せでいて欲しい」
 前に聞いた時はちっとも教えてくれなかった。それはどうやらオレが願い事を言えなかったのと同じ理由らしい。
 まるで悪魔らしくない欲しいものに、オレは思わず笑ってしまう。
「よかったです。オレに好きになって欲しい、じゃなくて」
「え」
 勇者さんががっかりした顔をする。
「おかげで、オレはあなたのことを好きにでいられるので」
 勇者さんはまた驚いた顔をして、それから炎と同じくらい顔が赤くなっていった。なんて面白い百面相だ。どうか叶うなら、こんなに面白いものは永遠に見ていたい。
 心臓が燃えている。蝋燭だったら、早晩燃え尽きてしまうだろう。理屈に合わず、理解もできない。それなのに、妙に浮かれて幸せな気持ちになるのはなぜなのか。これだから恋は嫌いだ。勇者さんのことは好きなのに、と言うと、勇者さんはキャパシティオーバーになったのか、顔を真っ赤にして目を回していた。


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