シリアスっぽく始まりますが、記憶喪失になったホークスが自分は幸せな子供だったと疑わず、いろんな人と仲良くし、このまま記憶が戻らないまま幸せになってくれれば…と思うもののやっぱりえんじのことを好きになっちゃうのを「俺には心に決めた相手(ホークス)がいる」ってふる……のにえんじの未練から一回だけなら…っていう二度目の初夜が書きたかったやつです
@mkhr_momo
絡まっていた指にぎゅっと力がこもって、少し震えた。
ホークスがはっ、息と詰めてエンデヴァーの指先に歯をたてる。分厚く硬い指先の皮膚はすっかりふやけていた。行為の最中、エンデヴァーの指を舐めしゃぶるのはこの男の謎の癖だった。本人いわく「ホントはちゅーしたいけど、届かないんで」らしい。日本語なのに意味がわからない。何がしたいのだ。
ぎちぎちにはまり込んでいた肉が緩んで、ずるりと腹の中から今まで自分を蹂躙していた塊が抜け出る感覚はいつまでたっても慣れない。なのに、虚ろになったそこがまるで名残惜しむようにぎゅう、と切なく締まるのだから、一番意味がわからないのはエンデヴァー自身だった。まったくどうかしている。
引き締まった腹筋に溜まっていた体液をホークスがティッシュで拭う。先に達してしまったのは此方だ。自分がこんなに堪え性のない人間だとは知らなかった。
引いて行く汗と体温。これで終わり――かと思いきや、ここからが長いのだ、この男は。ぽた、とホークスの汗が落ちる。
「ね、口開けて……炎司さん」
やっとキスできるけん、と囁きながらホークスが口づけてくる。素直にあ、と口を開いてやればホークスの舌が遠慮なく滑りこんできて、エンデヴァーの舌に擦り合わせてきた。ざり、と味蕾が擦れる感覚。乾いた喉の粘膜にホークスの唾液が流れ込む。不快ではない。むしろ心地良い。だが、女性相手ならともかく、男同士であるのだから、擦って出したらさっさと終わればいいものを。ホークスはいつもこうやって事後にも延々と触れ合いたがる。若さゆえの情熱、で済ませるにはあまりにそれは重く、甘ったるく、執拗だった。まるで、愛おしむかのような――
エンデヴァーはくちづけを受け入れながら、深くため息をはいた。
まるで、ではない。それはホークスからの逃げの思考だ。この男は命懸けで愛しているのだ、エンデヴァーを。轟炎司を。どうしようもない。
過ちばかりの人生であるが、せめて、差し出される想いには誠実でいたい――それがこの関係の始まりである。だがホークスは轟家の人間に気を使いながら、さりげないようでいて、エンデヴァーの予想を遥かに凌駕する感情を寄せてくるのだ。年長者として、余すところなく受け止めてやりたいが、ひとつだけ、どうしても容認できないことがあった。
「……怒ってます?」
くちびるを離し、こちらの感情に敏感な男が困ったように眉をさげる。心当たりがある顔だ。ぐ、と覆いかぶさるホークスを押しのけ、身体を起こすと、広いベッドの上で向かい合う。セキュリティの都合上、短期間で住居を変更することもあって、ホークスの部屋はがらんと殺風景だ。だが『この関係』になってからベッドだけはやけに立派なのだった。
「俺が引き受けている仕事はなんだ?」
「このタイミングで仕事の話はキッツ……素っ裸でする話ですかぁ?」
「本当は最初に話そうとしたのに、待てといってもやめなかったのは誰だ……!」
部屋にはいるなり、我慢がきかなかったのはホークスであるが、ちゃっかり自分も流されてしまったことは棚にあげておく。
「あー……公安の委託職員ですね、特例の。契約の詳細につては事務方に確認を、」
「話をそらすな。俺が引き受けているのは、身辺警護だ。現公安委員長の。つまり、俺は貴様の身の安全を任される立場にある」
「っていっても、形式的なものだって目良さんも言っていたでしょう。あなたに本当にボディガードをしてほしいわけじゃない。目的は別です」
そう。紆余曲折あって、エンデヴァーは公安委員長の所謂、ボディガードのようなものを引き受けている。といってもいつも警護にあたっているわけではない。主に人目についたり、他国との会議であったり、人目につく場で数時間の仕事を依頼されることがほとんどだ。
つまりはお飾りのようなものだが、目良言い分はこうである。
――引退したとはいえ、長年トップヒーローであったエンデヴァーが、元No.2であった委員長についている、というそのネームバリューに抑止力があると期待しています。なので、契約書は轟炎司氏となっていますが、仕事の際の通称はエンデヴァーで通していただく――
このまともに歩くことすら難しい身が果たして抑止力となるのか疑問だったが、結果は目良の狙い通りで、ホークスの身辺での不審な出来事や襲撃は激減した。オールマイトのような平和の象徴には程遠いが、まだフレイムヒーローの名は廃れきってはいなかったらしい。
都合よく元ナンバーワンを使うなとホークスは公安と目良によく憤慨しているが、それはいいのだ。なにせ歴代公安の委員長の大半が暗殺、もしくは再起不能の重傷で退いている。あまり公にはならないが、その際、優秀な公安職員が巻き添えで死亡する場合も多い。少しでもホークスとこの国の役にたつなら喜ばしいことだ。これも多少の償いとなろう。
問題は他にあった。非常に深刻な問題だ。
「確かに、最初に契約した時に、非常事態においてはホークスと共闘するという条件の追記をのんだ。そうでないと貴様が納得しないからだ」
「ええ、そうです。しっかりと署名して契約を交わしたことを今さら蒸し返すなんてあなたらしくないんじゃないスか」
「――はぐらかすな、ホークス」
ホークスが拗ねた子供のようにぷい、とそっぽを向く。
「俺がのんだ条件は『共闘』だ。力を合わせて敵を捕らえる。目良をはじめとした職員、つまり市民を守るためにも。そういう意味だ。決して――」
今日の出来事を――敵から庇うようにエンデヴァーの前に立ったホークスの、翼のない背中を思い出しただけでぞっとして胃の腑が痛み、怒りと焦燥で個性を使いそうになる。
「俺を庇えという意味ではない……!」
しかも今日が初めてではなかった。敵に襲撃された際、いつもホークスは咄嗟にエンデヴァーを守ろうとする。委託業務中は個性の使用を認められている事もあって、今までは事なきを得ているが、次もそうとは限らない。契約の追記の際、こうなるのではないかと恐れていたことは現実となってしまった。
「でも、俺は」
「言い訳は聞かない。いい加減、ひとの上に立ち、導く立場と責任を理解しろ。何度言えばわかるんだ」
「じゅうぶん理解していますよ。いくら目良さんに推薦されたからって、なんの覚悟もなく公安の委員長を引き受けたわけじゃない。腹も括っています」
「腹を括って、その命を平和のために捧げるというなら納得する。だが俺個人を庇うのは間違っている。いいか、俺とホークスとでは――命の重さが違う。これからのこの国に必要であり、生き延びるべきはホークス、おまえだ」
「それを――あなたが俺にいうんですか」
悔しそうに呻くホークスの複雑な心境は察することができた。ヒーローであった時、命懸けでエンデヴァーを支えてくれた男なのだ。今、生きているのは間違いなくホークスのおかげだ。だがあれから時代は変わった。
「……AFOと戦った時、俺の命を優先しようとしたのはどうしてだ」
「……あなたが生き残ったほうが、勝算があったからです。あの時、日本であいつと対等に戦えるのはエンデヴァーさんしかいなかったから」
「それと同じだ。あの時の判断は正しかった。ならば、ホークスが――公安の委員長が生き残ったほうが『ヒーローが暇を持て余す世界』に近づくことができる。引退したとはいえ、俺たちはヒーローだ。個人の感情より、大局を優先するべきだろう」
ホークスは何か言い返そうとして口開いたが、これ以上は言い争いになると察したのか、黙ってベッドにぽすん、とうつ伏せに倒れこんで枕に顔を埋めた。エンデヴァーもベッドから降りるとバスルームに向かう。
「今日はもう帰る。少し頭を冷やせ。今後も同じ過ちを繰り返すなら、契約は破棄する。俺たちは少し……距離が近くなりすぎたのかも知れん」
「そうだとしても、俺はあなたから離れませんよ。言ったでしょ、あなたに手ェ出すって。もう遅いです」
警告のつもりで告げた言葉だったが、即座に言い返されてエンデヴァーのほうが返事に窮し、無言でバスルームのドアを閉める。
いつもシャワーを浴びていると、ホークスも男二人には狭い浴室内に入ってきて、隻腕のエンデヴァーの髪を洗うなど世話を焼きたがるのだが、今日はその気配はない。いつもより少し広い浴室で冷たいシャワーを浴びながら、苦い気持ちになる。
濡れた髪を拭いて、シャツをひろい、帰り仕度をしている間の気まずさ。えらそうに説教をしたものの、つい今しがたまで抱かれてみっともなく喘いでいたのだ。説得力に欠けることこのうえない。
暫しの沈黙ののち、のろのろとTシャツに袖を通しながら、ホークスがいつもの調子で「そーいえば」と話し始めた。
「最近、関東で記憶喪失が相次いで発生しているって知っていますか?」
仕事に纏わる話にほっとして頷いた。関東近郊で突然、記憶を失う者が続出しているのだ。記憶喪失者は小学生の子供から老人まで、老若男女問わず、彼らに繋がりはない。全員が自分の名前をはじめ、人生に纏わる
すべての記憶を失っている。
「ああ、数件は知っているが……公安はどれほど把握している?やはり個性による事件なのか?」
「公安が把握しているだけで十八件。実際はもっと多いかもしれない。個性使用による事件とみて間違いないと思います。AFOは個性を奪う力でしたが、人間の記憶を奪う個性を持ったヴィランの仕業かと。個性の発動条件も、理由も目的もすべて不明ですが。ヴィランが作り上げた、仮想の領域のような……閉鎖空間に取り込まれると記憶を奪われるようです。記憶が取り戻せるかはまだ不明すね」
「それは、記憶を奪われた被害者の証言なのか……?」
記憶を奪われて、それだけを覚えているということなのだろうか。ホークスが「いいえ」と頭をふる。
「ヴィランと遭遇してその空間から脱出し、記憶を奪われずに済んだ者が数名、いるんすよ」
「それは、」
詳しく話を聞こうとしたところで、スマホのメッセージの着信音が響いた。車田が階下への到着を知らせるものだ。ホークスが「さすが早いっすね、ヤバ」と笑いながら、エンデヴァーのシャツの残りのボタンをとめる。
「まだ不明確な部分も多いですし、詳しい話は明後日に。業務委託契約外の時間に付き合わせちゃって、ごめんなさい。時間外労働っすね。残業として申請しますか?」
「ホークス、よせ。今ここにいるのは俺の意志だ」
露悪的な物言いを咎めれば、ホークスが小さな声で「ごめんなさい」ともう一度、謝りながらエンデヴァーのシャツをぎゅ、と掴んだ。
「エンデヴァーさんは、失いたくない記憶ってあります?」
「――なにもかもすべて。記憶が薄れていくことが苦しい。おまえにはまだよくわからんだろうが、長く生きるほど、忘れてはいけないことが増えるのに、鮮明には思い出せなくなる」
人間の記憶とは残酷で、どんな幸せも苦しみもやがて薄れてゆくのだ。子供たちの――燈矢の子供の頃の姿さえ、いつしか輪郭が掠れてゆくのが切なかった。
「そーすか、俺は……なんだろう。そうすね、ナンバーツーになれたことと、あなたと初めてエッチした日のことは忘れたくないすね。めちゃくちゃかわいかったのに、この世で俺しか知らんわけですし」
「おい……!貴様とて泣いてただろうがッ……!」
「ハハ、それは忘れてください。カッコ悪いんで……ああ、ほら――あなた、帰らなきゃ」
仕度が済んだところで、ホークスに玄関へと促すように背中を押される。
いつものエンデヴァーなら、仕事の話であれば時間など関係なく最後まで話を聞いたはずだった。車田も仕事で待機することは慣れている。なのに詫びるホークスの少し寂しそうな笑顔にどうすればいいのかわからず、明後日に詳しく聞けばいいのだと、後回しにした。
ほんの少しの逃げと怠慢が生んだ判断の誤り。瀬古杜岳に行かなったあの日のように。それが取返しのつかない後悔となることを――知っていたはずなのに。
「おやすみなさい、エンデヴァーさん」
ドアを閉じる間際、ふとよぎった不吉な予感を信じなくてはいけなかったのだ。
「これが――記憶を奪われる空間……?」
エンデヴァーとホークスは暗い空間に立っている。長い廊下。ところどころに青白く光る非常灯。冷たくてじめじめとした黴臭い空気。古い地下鉄の通路、といったところか。リアルなのに、ここのが『現実の世界』とは隔絶されていると肌で知れる。ヘルフレイムを使おうとしても、火花ひとつ起きない。そして暗い闇の中、なにかがざわめく気配がする――鼠か虫、あるいは別のナニカ。
どうやら一昨日、ホークスから聞いた例の記憶喪失の事件にまんまと巻き込まれてしまったらしい。不覚である。
ことの発端は都内のホテルでの講演会のゲスト出演の仕事を終えたホークスと車に乗り込もうとした時だ。
「――あの、握手してください、エンデヴァー」
声をかけてきたのは黒いパーカー姿の若い男。痩身でフードを深くかぶっている。握手を求められることはふたりともよくあることだ。可能であれば極力応えるようにしている。だが、明らかに雰囲気がおかしい。
「俺か……?それは構わんが――」
この男、気配が無い。公共の場とはいえ、ほんの数メートル先に近づかれるまで気がつかなかった。まるで此処にいないかのようだ。口許には薄く愛想笑いのようなものを浮かべ、殺意や悪意も感じられないが、それ以外にも何も伝わってこない、まるで映像をみているような。
ざわ、と嫌な予感がする。庇われる前に、無言でホークスを後部座席に押し込んだ。
「エンデヴァーさん、こいつもしかすると、」
その時、男がフードを後ろへ下げた。銀色の髪があらわれる。思いのほか若く、少年といってもいい。中学生くらいだろうか。薄い銀色の髪や睫毛が冷を連想させた。白い肌と大きな青い瞳が少し、燈矢に似ていて僅かに動揺する。
「君は、もしかして氷叢の者か……?」
「エンデヴァー、ぼくは、」
遅れて駐車場へやってきた目良が「エンデヴァー!」と叫んだ。
ふらり、と男がエンデヴァーの手へと己の手を伸ばす。やはり殺気はない。むしろ、子供が助けを求めて縋るような仕草に、咄嗟に振り払うことができなかった。
「触れられてはいけない……!おそらく個性の発動条件は、」
白くやせっぽちな手がエンデヴァーの手を掴む。氷のように冷たい体温。だがそこに、もうひとりのあたたかな手が重なった。
「ホークス……!」
後部座席から飛び出してきたホークスだった。ぎらつく眼光が少年を睨みつける。
だめだ、下がっていろ――そう叫ぼうとした瞬間、世界が闇に包まれた。
そうして、いつの間にか此処に二人で立っていたわけだ。いや、取り込まれ、迷い込んでいるというのが正しい。時間の感覚はすでになく、あれから数秒後のようにも、数時間が経過しているようにも感じる。
「おそらく此処はあの少年の精神の中にある世界……っすかね。例の記憶を奪うヴィランであれば、ですが。まあ、おそらくそうでしょう。助かった者の証言とも一致している」
「では、俺たちの身体はホテルの駐車場にあって、精神だけがここにあると……?」
「正確には、記憶でしょうね。俺たち自身の記憶だけが剥離した状態です。此処であいつに取り込まれれば、目覚めた時に記憶喪失、脱出できれば事なきを得る。今、肉体は意識を失った状態と思われます。目良さんたちがあいつを確保してくれていればいいんですが、逃げ足が極端に早いとの情報もあって、どうなってるか……えっと、あの……怒ってます……よね?すごーく」
大げさに怯えた表情を作ってホークスがこちらを見上げる。勿論、あれほど俺をかばうなといっただろう、いい加減にしろ、と言ってやりたいことは山ほどあったが、今は言い争っている場合ではない。今こそ脱出にむけて共闘が必要である。
「少しでも勝機があるならいい。そもそもこれは完全に俺のしくじりだ。さっさと戻ってヴィラン確保にあたるぞ。説教はそれからだ」
「ウワー、やっぱり怒るんじゃないすか!」
「当たり前だろうが!」
大きな声が通路をこだましながら奥へと消えてゆく。闇に蠢くナニカが怖れるように少し遠ざかった。どれほどの広さがあるのか、なにがいるのか。そもそもここは空想の世界のようなものだ。現実世界の観念が通用するのだろうか。
「それで脱出とは……?」
「それ自体は単純ですね。少し前に流行った『ゼロ番出口』ってゲーム知ってます?」
「知らん」
「んー、でしょうね。そっちはクリアするのにいろいろ細かいルールがあったりするんですが、おそらくここはもっと単純で、いくつかある非常出口から、外の世界に繋がっているところを見つけて、出る。それだけです」
「それだけ?」
「そう、それだけ」
そんな簡単なことで、どうして出られなかった者がいるのか。その理由はやがて知れた。
「――ここも違うな」
真っ直ぐな通路に灯る白い非常灯を辿ってゆくと、やがて非常出口の場所を知らせる緑色の非常灯があり、その下にはぽっかりと別の通路が開いていて、下り、あるいは上りの階段があるのだが。
それはたいてい、行き止まりであったり、出口だと思えば、なぜか別の非常口に通じていたりする。今回は行き止まりだ。当然、力任せに突破しようとしたが、個性が使えず、隻腕とはいえエンデヴァーの拳でも壁はびくともしない。そもそも肉体の無い世界で力技が通じるはずもないのだろう。
「やっぱり甘くないっすね」
ホークスが飛び上がると「ハズレ」の非常灯を目印代わりに叩き割った。野蛮なやり方だが、ペンのひとつもなく、石ころひとつ落ちていないのだから仕方がない。
「コイツらもどんどん図々しくなってくるんすけど。キモ」
そういって、足元を這うナニカを踏み潰す。それは鼠でも虫でもなかった。ナニカ、としか言いようがない。ヴィランの一部なのだろうか。黒い靄のような塊が無数に蠢き、まとわりつこうとする。触れるととても冷たい。
「これに取り込まれるまでに出口を見つけられなければ終わり、ということか」
「さァ、どうなんでしょうね。いかんせん、情報が足りない」
これまで真っ直ぐ進んできたが、初めに立っていた場所から背中側にも通路は伸びていた。果たしてこのまま進んでいいのかすら、わからない。だが引き返して出口を探す時間があるだろうか。
ホークスは焦る様子もなく、黒い靄をつまみ上げてみたりしているが、事態は深刻である。せめて。
――せめて、ホークスだけでも。
これからの世に必要な男だ。ようやく国も落ち着きを取り戻し、次世代のヒーローたちも軌道に乗り始めたところなのだ。今日の講演でも、これからのヒーローと市民の在り方について、エンデヴァーも感銘を受ける内容だった。まあ、話し方と風貌に若干の胡散臭さがあるが。それは齢を重ねれば解消されるだろう。今、この国のヒーローの土台を支える公安のリーダーを失うわけにはいかない。
ホークスが目を細めて闇の奥をみつめた。
「――空気の流れをかんじる」
エンデヴァーにはわからないが、剛翼を失っていてもホークスにはわかるのだろう。
「こっちです。あまり時間はなさそうだ。急ぎましょ」
駆け足でいくつかの非常口の前を素通りする。やがて「ここです」と緑色の非常灯を指さした。真っ暗で、上へと登る階段。何度も見た光景だが、遠くから微かに目良の声が聞こえた。ホークスとエンデヴァーの名前を呼んでいる。
「エンデヴァーさん、お先にドーゾ」
此処へたどり着くまで前を走っていたホークスがエンデヴァーの背後にさっとまわる。
「さっき話したゼロ番出口ってゲームでは、親しいひとの幻が現れて惑わすんです。罠かもしれんし、先に見てきてください」
「それは勿論だが」
「エンデヴァーは幻覚なんかに惑わされんでしょ。頼りにしてますよ」
俺コワーイ、とふざけた口調でぎゅっと背中に抱きついてくる。
いつもエンデヴァーを庇おうとするホークスにしては珍しい。ふと、嫌な予感がした。が、黒い靄が逃がさないとばかりに、二人をじりじりと取り巻き始めている。時間はないようだった。
「――様子を見てくる。おまえも気をつけろよ。異変があればすぐに声を出せ」
「大丈夫、これでも元ナンバーツーなんすよ。さ、行ってください……俺のナンバーワン」
ホークスの両手が、一瞬強くエンデヴァーを抱きしめ、離れると背中を押した。
素早く、だが慎重に階段をのぼってゆくと、やがて針の先ほどの光がみえた。一臂進むごとにそれははっきりとしてくる。微かな目良の声。車のエンジン音。ほのかなあたたかさ。直感が告げる。
――ここが出口だ。
「ホークス!こちらへ、」
来い、と振り向いた瞬間、数メートル先にいるはずのホークスの姿が急速に遠のいた気がした。ホークスの身体に黒い靄が纏わりつき、通路の奥へと連れ去ろうとしているのだ。出口が、閉じようとしている。
「今そちらに……!」
駆け下りようとしたところで気が付いた。階段が消えている。透明な壁のようなものに阻まれてホークスに近づくことが出来ない。血の気が引いた。すでに世界は分断されているのだ。エンデヴァーは外の世界へ。ホークスは――ヴィランの闇の中へ。
「――ごめんなさい」
危機的状況にもかかわらず、ホークスはひどく落ち着いていた。
「ここは、ひとりしか出られんのです。この個性は一度にひとりぶんの記憶しか取り込むことが出来ず、それ以上は異物として外に出される。逆にいえば、ひとりは絶対に逃げられんみたいですね」
「貴様……わかって、俺を」
「だって――あなたは忘れるわけにはいかんでしょう」
こうするしかなかったんです、怒らんでください、とホークスは頭を掻いた。
「燈矢くんや……ご家族のこと。忘れるわけにはいかない。背負い続けていかなくちゃならない。俺には大切な家族の思い出なんてないので、気にしないでください。命がとられるわけでもないですし、もう一度人生やり直しますよ。いろいろご迷惑かけると思いますが、そこはまあ、よろしく頼んます」
「だめだ……!諦めるな!こちらへ来い!ヒーローであったことを忘れるのか!ナンバーツーにまでなった男だろう!」
だがまるで大きな波にのまれるように、エンデヴァーの重たい身体が押し流される。逆らえない。
「さよなら、エンデヴァーさん」
その名を忘れることを惜しむように、ホークスが名を呼ぶ。語尾が微かに震えていた。ホークス!と力の限り名を呼び返した。
「必ず……必ず助けに来る……!だから忘れるな――俺のことを!絶対に!」
ホークスは一瞬、ひどく驚いた顔をしたあと、泣いているような、喜んでいるような、寂しそうな――そんな不思議な満面の笑みを浮かべた。
だが、その顔が。
「ホークス……!」
助けを求めているようにみえた。
気がつけば、駐車場のコンクリートに倒れ伏していた。
「エンデヴァー、意識が戻りました…!」
運転手として配置されていた公安の職員が声をあげる。すぐそばで目良に抱きかかえられているホークスにはまだ意識がないようだった。
「エンデヴァー、此処がどこかわかりますか?」
「大丈夫だ――記憶は問題ない。ヴィランは逃走したのか?」
「現在、職員と要請を受けたヒーローが追っていますが、逃げ足がはやく、見失っているようです」
ホークスでさえ、近づくまで気配を感じていなかった。確保は難しいだろう。そんな予感がする。
立ち上がり、ホークスの元へゆけば、まるでいい夢をみているように穏やかな顔をしていて、なぜかそれが死を連想させてぞっとした。
ホークス、と声をかけようとした時、ぱちり、と瞼が開いた。
まだ放心状態なのか、少しぼんやりとした表情はまるで子供のようだ。
「ホークス!気がつきましたね。僕がわかりますか?」
口早に問う目良を不思議そうに見上げ、促されるまま、ゆっくりと立ちあがって周囲をみまわす。
「――ホークス」
エンデヴァーの声に、ぼんやりとしていたホークスが、覚醒したようにはっと反応する。記憶があるのか、との期待はだがすぐに砕け散った。
「――あんた、誰ね?」
目良が息をのむ。押し寄せる自責と後悔を、奥歯を食いしばることで耐え、こちらを見上げる目を見返した時、ああ、そうだったのかと、唐突に理解した。
――エンデヴァーさん。
いつも眩しそうにこちらを見上げるホークスの瞳には、尊敬、憧れ、慈しみ、そして少しの哀しみと愛。たくさんのものが映されていたのだと。ようやく知った。
今、こちらを見つめる澄んだ金茶色の瞳には、ただ鏡のようにエンデヴァーの姿が映っているだけだ。誰よりもみていてくれた男はいない。
――いつもそうだ。失ってからかけがえのないものだと思い知る。
「……俺は、エンデヴァーだ」
エンデヴァー、とホークスが小さく呟いた。
「――ヒーロー……?」
それが、ホークスの中に残っていた、たったひとつの記憶の欠片だった。