ホットディープ 🔥💧
🔥が記憶喪失になる話です
ページ区切りで視点が変わります
@yohima33
「記憶喪失ゥ!?」
なんてコミック、なんて映画だよ。笑っちまう。デカく開けた口をそのまま笑いに変えてやろうと思ったのに、周りの反応がおかしくてスッと頭が冷える。耳が、少し下がった気がした。
「……誰だ、お前」
アルカディアの控え室で、酷い冗談を言うそいつは、嘘をつくのが本当に下手なやつで。周りが冷えきってるってのに、そいつだけが普通みたいな態度をしている。嘘じゃない、本当のことしか言わない。それは、オレが一番よく分かってる。
「ウチのジムの近くで喧嘩に巻き込まれたらしくて」
「映画かよ……」
「誰かの投げた空き缶が頭に当たって……」
「映画かよって」
「当たり所が悪くて」
「おい、こいつ誰なんだ」
「今喋んな、お前は黙ってろ」
ブラックキャットやらウィケッドサンダーやらが説明してくれてるってのに、暇になったらしいレッドホットのバカがチャチャを入れてくる。知らねえやつに話ブツ切りされて腹が立ったのか、レッドホットはガタッと立ち上がってズンズンオレの方へ向かってきやがった。
……あ〜、分かるぜ。お前のその動き、次に何しようとしてやがるのか。全部、全部知ってる。周りが、オレたち自身も、オレたちをなんて呼んでるのか知ってんだろ……ああいや、今は忘れちまってんのか。
後頭部を掴まれた瞬間、即座にその足を踏んづける。多少怯んだが、まァ気にするわけねえよな。レッドホットのバカはそのままオレの頭を地面に叩きつけようとして、全力で押し込んで……その勢いを使って、体を捻ってやる。使ってなかった方の足をそこにノせて、踵をケツに叩き込んでやった。
「ウッ……!?」
「チッ……あ〜、で何だっけ?」
「あ、続けるんだ……えっと、それで当たり所が悪くて……」
「すごい勢いで倒れたから、治療して……その、目が覚めたら……」
誰だお前、と。すげェ、マジで映画かなんかだろこれ。ケツを抑えながら小さく唸り続けるそいつを見下ろしつつ、一応頭を回す。こいつがこんな調子じゃ、オレたちはマトモに試合に出ることは出来ねえ。暴れられねえ、つまんねえ。……そんなのゴメンだ!
「おい」
「……なんだ」
不機嫌そうな返事。このバカの目をとっとと覚まして、オレたちはすぐにでもふたりでひとつに戻らなきゃならねえ。なら、まず初めにすることは。
「誰だっつったな。オレはディープブルー。お前の兄貴だ」
「……兄? お前が?」
ジロリと、頭の先から足まで見てくる。動きがよく止まったのは耳、髪、目、それから腕周り足周りの筋肉。……言いたいことはよ〜く分かる。言われ過ぎて、耳にタコができちまったぐらいだ。
「嘘だ、全然似てない」
「似てなくたって兄弟なんだよ、オレたちは」
言われた数と同じだけ、同じ言葉で返す。そいつは意味分かんねえと言うように首を捻って、小さく「兄弟」と繰り返した。
「お前はオレを兄者って呼んでて、波乗り競技やったりタッグマッチで楽しくやってたんだ。意地でも思い出させてやっから、覚悟しとけェ」
腕を引き上げ無理やり立たせ、ズルズル引っ張って控え室を後にする。後ろから「任せたよ!」なんて凛とした声が聞こえてくる。空いた片手を軽く上げてみせた。
「おい、離せ。自分で歩ける」
バシッと振り払われちまえば、オレの腕力じゃ引き留めることは敵わねえ。ここでモメても何にもならねえし、大人しく引き下がる。
「どこに行く気だ」
「家だよ家、オレたちが住んでるとこ」
「……お前と、同じ家に住んでるのか」
なんとも不思議そうな顔で、レッドホットは首を傾げた。……他人に、同じ家に住んでることを伝えた時。驚かれたりとか引かれたりとか、そんなのしょっちゅうだ。だから慣れてる。慣れちゃいるが……こいつに、レッドホットにそう思われるのは、なんか。
いや、忘れろ。放っとけ。今これは必要ない。余計な、ことだ。
「そうだよ、不満か?」
「……狭そうだ」
「狭くねえよ!」
大真面目な面でンなこと言い出すもんだから、思わず突っ込んじまった。元々裏も表もないヤツだと思ってたが、記憶失ってもこんななのか。呆れと関心で、ため息がこぼれる。
「あ〜あ……おい、歩いて行くからちょっとかかるぞ。ハァ……スピナーに乗れりゃあなァ……」
一回こぼれちまえば、そっからはもうとめどなく溢れちまって。この先の道程を思うと、そりゃため息だって出る。そこら中に溢れかえったごく普通の面白くもねえエアスピナーならまだしも、オレたちが乗ってるのは違法改……オレたちなりにアレンジした超カッコイイスピナーだ。記憶もおぼろげ、ボケっとした今のレッドホットじゃ振り回されて終いだろう。だから、歩くしかない。
「スピナー、ってなんだ?」
「乗り物だよ乗り物。その辺飛び回ってんだろ、アレだ」
宙を走るエアスピナーのひとつを指で示してやれば、レッドホットは興味深そうにそれを目で追った。まァ、歩くスピードが遅くなるんじゃなきゃ別にいい。というか、なんで家は分かんのにスピナーは忘れてやがるんだ?
ダラダラと足をぶらつかせながら歩くオレの、一歩後ろをレッドホットは着いてくる。そりゃ、行き先を知らねえ以上隣を歩くってのは無理があるが……。それでも、隣にぽっかり空間があるのは、どうにも落ち着かねえ。誤魔化すように、情報収集でもすることにした。
「そもそも、お前どこまで覚えてんだ? アルカディア……は分かんねえだろ?」
「知らない。なんだそれ」
「サーフィン……人工海洋プールは」
「知らない」
前途多難だな、こりゃ……。記憶喪失のやつに会ったことなんかねえし、どうすりゃ記憶が戻んのかも分かんねえ。
「全部、オレに関わることなのか?」
ぽつりと呟く。あ〜、オレに聞いてんのか。そりゃそうか、何が自分にとってどんなものかすら分かんねえなら、それを知ってそうなやつに聞くしかねえもんな。
「……そうだよ、全部……お前と、オレでやってたこと。行ってた場所。好きなモンだ」
「そう、なのか」
「そうだよ」
それきりレッドホットは黙り込んじまって、オレもオレで話すこともねえからダラダラ歩き続ける。スピナーが頭上を通る度にレッドホットは目を向けて、その隙間から少しキラキラした目が見えた。……記憶を失ってたとしても、何か惹かれるモンでもあんのかァ? 誰かこういう、トンチキに詳しそうな……げ。
「ウッ……急に止まるな、何だ」
「ッあ〜、いや、なんでも……とっとと帰ろう」
突然足を止めたオレの背中に、レッドホットがそのままぶつかる。誤魔化すようにヒラヒラ手を振って、なんでもないようにまた歩いた。レッドホットも何か言いかけてたが、結局それは飲み込んだらしい。何も言わず、一歩後ろを着いてくる。
脳裏に浮かんだ、アイツの面。頼るのは癪だし、出来ればあんまり関わりたくねえが……この際なんだっていい。とりあえず帰って、目撃情報チラッと調べて、それから……。
やることが増えてきて、頭がパンクしちまいそうだ。途中で飯でも買ってくかァ……。少しだけ、家から逸れた道に足を伸ばした。
◇◇◇
「……ここが、オレの家」
「適当にその辺座ってろォ、まずは飯だ」
キョロキョロ辺りを見渡しながら、おずおずモニター前のソファーに腰を下ろす。……なんか、子守りしてる気分になってきたな……。買ったモンを雑にテーブルの上に放ってそのまま広げる。レッドホットの腹が、デケェ音を立てて鳴っていた。
「好きなモン食え……って、覚えてねえのか」
「ああ。でも、全部うまそうだ」
よほど腹が減ってたのか、レッドホットは躊躇いなく四つ切りにしたピザに手を伸ばす。大きく開いた口の中にみるみるうちに食いモンが吸い込まれてって、何も覚えてなくてもそういうとこは変わんねえんだなと思った。
「……これから、どうしたらいい?」
口をモゴモゴさせたまま、レッドホットがぽつりと呟く。こいつもこいつなりに考えちゃいたのか。どうしたら、なんて。オレだってそんなの分かりゃしねえのに。
「……とりあえず、今日はとっとと寝る」
「分かった」
「で、オレが明日ツテ辿って記憶取り戻す方法探してやる」
「ツテが、あるのか」
「…………まァ、な」
苦い顔したオレを不思議に思ったか、レッドホットは首を傾げた。これ以上言及されないように、モニターを付けてそいつの気を逸らす。つまんねェ面したニュースキャスターが告げるのは、キープの外の天候。壁の向こうという選択肢が増えてから、これまで一日一回程度しかやってなかった天気予報のニュースが四回に増えた。雷が少しでも落ち着いた頃を狙って、外に出るらしい。
「……ずっと、雷なんだな」
モニターに釘付けになったレッドホットが、見たままを口にする。食べようとしていたポテトが、指から滑り落ちた。
「……お前、晴れ空とか知ってんの」
「……? そういえば、知らない。……なんでだ?」
記憶を失って、ここでの常識すら剥がれ落ちたのか。だとすれば、かなり面倒だな……。危ねえところ、近付かない方がいいところ、相手にすると厄介なヤツ……全部教え直さなきゃならねえワケだ。
「お前、あんまひとりでウロつくなよ?」
「分かった」
こいつの、やけに愚直なところは失われなくてよかった。本当に、心の底からそう思った。
見慣れない天井、知らない壁。どこだ、ここ。ぼんやりする頭をブルブル振って、改めて辺りを見渡す。……って、そうか。
「オレの部屋、か」
ベッドから足を下ろして、昨日教わった洗面所まで向かう。タオル……は、確か下の棚の中。鏡の横のラックに使っていいやつが入ってるって、言われた。
『こういうトンチキに詳しいヤツに会ってくる。お前がいるとややこしくなるから、部屋で待ってろ。……いいな? 絶対に部屋から出るんじゃねえぞ?』
アイツの言う通りにするのは少し癪だったが、オレひとりで外をウロウロしてここに帰ってくる自信もなかった。……トンチキに詳しいヤツ、オレも会ってみたかった。
水で顔を洗い流して正面を見ると、不満そうな顔の男が映っている。……オレだ。オレが一体何で、どんなことをしていて、誰といたのかは分からない。その部分だけヒビが入って、情報が隙間からこぼれ落ちてるみたいだ。……それでも、オレだ。オレであることは確かだし、こうして生きていける環境を提供してくれるヤツもいる。
「……部屋の中、探索してみるか」
なら、その隙間をどうにか埋めたい。少しでも自分の記憶の手掛かりはないか、探してみることにした。……することがないと、退屈だしな。
まずは、モニターのある一番デカイ部屋。昨日電源を入れるところを見たから、やり方は覚えた。真面目な顔で、何かを読み上げる男が映っている。あれこれ外の話をしてるようだが、今のオレには関係ない。……そういえば、昨日ディープブルーがボタンを弄って映像を変えているのを見た。確か、この辺り……あ。
『……それでは、昨年行われた大会の映像を見てみましょう!』
明るい声と共に流れ出したのは、大きな波の映像。その中心で、何かに乗りながらフラフラしているヤツがいる。その人影があまりにも小さすぎて、少しだけ身を乗り出した。
「…………すごい」
長く、長くモニターを見ていたと思う。でも、実際は少ししか経っていないような気もする。ようやく絞り出せたのは、その一言だった。食い入るように見ているから、口の中がかさついて上手く声が出なかった。
小さな人影は、ほぼ垂直になりながらクルクルその場で回っていた。自分よりも遥かに大きな波を、乗りこなしているみたいだ。乗っている板の色も派手、水着も派手で、どれだけ遠くからの映像でも見失うことがない。水の層に隠れたと思えば、すぐにぐんぐん突き進んで姿を現す。
『……選手、見事にトリックを決めていきます』
その声が聞こえたと同時に、遊ぶように、跳ねるように波間を縫ってゆらゆら進む。鮮やかな青色の髪が、よく波に馴染んでいた。
一瞬だけ、表情が見えたタイミングがあった。その顔は、水飛沫を浴びて輝いていた。長い耳を靡かせて、ニヤリと口角を上げて。……あれ、コイツ。
『続いて……選手……』
声と共にパッと映像が切り替わって、今度は別の人影。……ソイツもクルクル回ってるけど、さっきよりも全然地味でつまらない。さっきの映像を、頭の中で何度も流す。
「ディープブルー、だった……」
そういえば、波乗り競技をやっていたとか言ってたような。オレと、一緒に。……オレが、あんなことを。あんなに楽しそうで、面白そうなことを。
何かに、突き動かされたみたいに。部屋の壁に掛けられた、大きな謎の板に駆け寄る。初めて見た時は、なんだこれと思っただけだった。でも、この、上に置かれた板の色。さっき見た色、派手な色。全く同じだ。これが、ディープブルーのやつ。ならつまり、下にあるのは。
「オレの、板」
口にした瞬間、視界の端が黒くなった。……頭が、痛い。ズキズキする。その場でしゃがんで、頭を抱える。痛い、痛い、痛い! 痛くて、おかしくなる。……でも、思い出した。これは、この……サーフボード、は。
「……ッこれは、オレのだ!」
ピシ、と頭の中で何かが割れたみたいな音がした。痛みはすぐに消えて、少しだけ息が楽になる。視界の端の黒かった部分もなくなって、そっとサーフボードに手を伸ばす。触れると、手によく馴染んだ。
「これが、オレのサーフボード。オレは、波乗り競技を、やっていた……?」
これがオレのものだという自覚はできた。でも、思い出せたのはそれだけだ。これをどう使うのかとか、どうやって水面に垂直に波に乗っていたのかとか、そういうのは全然分からない。
「……オレにも、できるのか?」
分からないなりに、やってみたいと思った。波に乗ってみたい。あんなふうに、楽しく。どんな景色が見れるんだろう。どんな心地なんだろう。ディープブルーみたいに、オレもできるようになりたい!
「他の奴らのも、見てみるか」
これに関係することを、もっと知りたい。そもそもなんて呼ぶんだ。そのまま波乗り競技でいいのか? トリックってなんだ。これの他に必要なものは。なんでもいい、少しでも多くこれのことを知りたい。オレの記憶を、隙間を埋めた、唯一のもの。
水面が、映像越しでもキラキラ光って見えた。
◇◇◇
「ただい……あ? 何か見てんのかァ?」
ガチャガチャ後ろから音がする。いつの間にか、かなり時間が経っていたらしい。ディープブルーがオレの肩越しにモニターを覗き込んできて、ゲッと嫌そうな顔をした。
「お前、オレのヤツ見てたのかよ……」
「まずかったか?」
「……あ〜、いや、別に……いいんだけどよォ」
よくなさそうだ……。気まずさにモニターの電源を切って、ディープブルーの方に向き直る。あの、輝く笑顔はどこにもない。普通、全然キラキラしてない、つまらない顔。はぁ、とこっそり息を吐くと、ディープブルーがガシッとオレの頭を掴んできた。
「お前今失礼なこと考えただろ」
「そんなことない。つまんない顔だと思っただけだ」
「それを失礼なことってんだよバカ!」
そのまま無理やり頭を下げさせられて、首がグニッと変に曲がる。ガシガシ強く何回か撫でられて、突然パッと手が離れた。ぐわんぐわん頭が揺れて、おかしくなる……これ以上記憶が抜けたらどうしてくれるんだ。
「……オレ、波乗りやりたい」
回る視界が落ち着いてきて、お互い少し息をついた時。ずっと、コイツが帰ってくるまでずっと考えてたことを口にする。これ以上忘れる前に、絶対に言っておかなきゃならないと思った。ディープブルーはゆっくり振り向いて、何度も口を開いたり閉じたりを繰り返す。声は、出てなかった。
「お前の、波乗り競技の映像を見た。それで、楽しそうだと思った。トリックとか、できたらカッコイイと思った。オレも、やってたんだろ? オレのサーフボードもあるし」
「……あ、え? お前、サーフボードは知ってんの?」
これは、多分元からの性格だろうが。オレは何かを説明するのが下手だ。思ったことしか言えないし、上手く伝えられない。ディープブルーは、戸惑っているように見えた。
「さっき、思い出した」
「思い出したァ!?」
肩を揺さぶられて、どうやって何がきっかけでとガンガン攻められる。そんなの、オレに聞かれたって知るもんか。そう言ってやりたかったのに、グラグラ頭が揺れて何も喋れない。それに気付いてないのか、ディープブルーは話し続けてる。
「おい、聞いてんのかァ!? どうやって思い出したんだって!」
「ぅお、え、しぬ、しぬ……ッ」
「あ、ワリィ」
また、ぐらぐら揺れる。う、きもちわるい……。軽く嘔吐くと、ディープブルーがバシバシ背中を叩いてきた。コイツ、労るのが下手だ。何もしない方がマシなほどに。
「げほ……なんか、これオレのだと思って、触ったら……思い出した」
ガラガラ出にくい声を絞り出して、聞かれたことに答える。ディープブルーはそれを聞いて、少しだけ目を丸くした。それから、うわ〜……みたいななんとも言えない顔になる。
「あ、そ……結局、アイツの言う通りになっちまうワケ……」
「……? なんの、話だ?」
ディープブルーが、ドスンと勢いよくソファーに腰掛ける。トントン眉間を指で叩いて、言葉を選んでいるようだ……。しばらくしてから、小さく息をこぼして地べたに座り込むオレを見下ろす。
「記憶取り戻すのには、前やってたこととかやってみるのがいいらしい」
アイツの知り合いが試した衝撃を与える方法は特殊すぎるしな……とディープブルーが吐き捨てるように呟くが、オレにはよく分からなかった。だからまあ、と続ける。
「オレたちふたりでやってたこと、色々やってみようぜって」
「分かった」
「……お前本当に分かってんのかァ?」
即答するオレに対して呆れたようにため息をつかれたが、仕方ないと思う。だって、オレは何も覚えてない。そんな中で、導いてくれるヤツがいるなら。ソイツについて行く以外、できることなんてない。
「じゃあ、波乗りがいい」
「わーったよ、明日連れてってやる」
「あと、スピナー」
「……それは、なんか、考えとく」
突然歯切れが悪くなったディープブルーに、首を傾げて見せる。コイツは、よく分からないところで躊躇うところがある。これは、オレがこの二日間で知ったこと。……記憶を失う前のオレも、知ってただろうか。
「……ここでは」
「あん?」
「この部屋でとか、一緒にやってたこととかはないのか?」
できることなら、オレが兄者と呼んでいたらしいコイツのことも早く思い出したい。何がきっかけで思い出すかなんて分からないから、色々試したかった。やれることがあるなら、今すぐにでも。
「…………なに、も?」
酷く、目が泳いでいる。嘘だ、絶対に何もしてなかったわけがない。なんでそんな嘘……何か、そんなに言いにくいことでもしてたのか?
「……嘘つくな」
「う、嘘じゃねえって……」
「オレをバカにしてるのか? さすがにそれぐらい分かる」
「バカにはしてねえよ! してねえ、けど」
また口をモゴモゴさせて誤魔化そうとするソイツに、もう呆れてため息しか出ない。オレは、本当にこんなヤツを兄だと思っていたのか……?
「それは、あ〜……その、最終手段だ。……本当に、他に打てる手が無くなったらにしようぜ」
きっと、ディープブルーなりに譲歩した結果なんだろう。額に汗を浮かべてまで隠したいことを、わざわざ暴くほどオレは無神経じゃない。……確証が、あるわけじゃないが。きっと、本当に必要なことになったら、その時は教えてくれる……ような気がする。
「……分かっ、た」
頭では、そう思っていても。結局、どこかでは納得できなかったらしい。詰まった言葉に、ディープブルーが困ったように頭をガシガシ掻いた。
「なァんでこんなことになっちまったんだか……」
その言葉に嘘はなく、オレも同じことを思った。
「オレたちは今日、ふたりで波乗りする予定だった。そうだな?」
「ああ」
オレの言葉に対し、レッドホットは神妙な面して頷く。
「ならよォ……」
「ねえねえ、レッドホットが記憶喪失って本当〜?」
「興味深いでちゅ。観察させてくだちゃいな」
「んでお前らはここにいやがんだァ!?」
ギャンギャン喚いてやれば、ハニー・Bのヤツがきゃあっと小さく悲鳴をあげた。何がきゃあだ、野次馬しやがって。
「も〜っ! アタシたち、今日は普通にプールを楽しみに来たの!」
「邪魔をするちゅもりはありまちぇん」
ライトヘビー級と、クルーザー級。控え室にいる時も特に絡んでいる様子はなかった。腐れ縁だなんだという話も聞いたことがねえ……。どう考えたって、面白そうだから見に来たらたまたま会いましたってやつだろ!
「……あ〜そうかよ勝手にしろ。いいか、絶対オレたちに絡みに来んなよ!?」
「はぁ〜い。 もう、怖い怖い♡」
シッシッと追っ払ってやれば、ソイツらは一緒に行動するでもなくふらっと解散していた。ハニー・Bは配信を始めて、シュガーライオットは何か観察し始めて。……マジで野次馬しに来ただけだったのかよ。
「まァいい、邪魔なヤツはいなくなった。早速やるぞ……と言いてェが……」
「なにかあるのか?」
頭のテッペンから爪先まで、余す所なくレッドホットを見る。そりゃあ、失ったのは記憶だけだから体は仕上がってるし水着もよく似合ってる。ただ……。
「お前、泳げんのかァ?」
「え…………そういえば、分からない」
そんなこったろうと思った……。項垂れて、思いっきりため息をつく。レッドホットがオロオロ困り出した気配を察知して、すぐに頭を持ち上げた。
「んじゃ、まずは泳げるようになるところからだな」
「分かった」
記憶がなくても、性格自体は変わらねえ。元々のレッドホットが素直なやつで本当に良かった。もしオレが記憶喪失になったら、こうもとんとん拍子で事は進まねえだろうなァ……。
「とりあえず、水に浸かる。水ン中で目は開けれるかァ?」
「やってみる」
レッドホットは躊躇なく飛び込んで、そのまま深く息を吸って潜っていった。ブクブク小さな泡が浮かんできて、しばらくそのまま静かな時間が流れる。それから水面が大きく揺れ始めて、丸い頭がザバッと飛び出てきた。
「できた。あっちの水底に、何かの鍵が落ちてた」
「ハハ、誰かロッカーの鍵落としてやがんな。カワイソ〜」
思わず笑って、続いてオレも飛び込む。そんな遠くまで見る余裕があるなら、泳ぎ方思い出すのもすぐかもな。と、ひとまず基本のバタ足とクロールだけ教えることにした。それさえ知ってりゃ、あとはボードに乗って手足動かしゃいいだけ。元々できてたことだし、まァどうにかなるだろ。
オレの予想通り、レッドホットが泳げるようになるのは早かった。まず言葉で教えて、実際見せて、やらせてみる。そんで少し型がしっかりしてくれば、突然「知ってる」とか言い出す。すると不思議、あっという間に上達した。……まるで、最初から知っていたかのように。
「こうも上手くいくモンなんだな……お前に才能があんのかもだけど」
「このまま、色々思い出したい」
グッと両の拳を握るレッドホットは、記憶が戻る度に嬉しそうな顔をする。じゃあ、なんで。……口は閉じる。じゃあ、なんで。なんで、オレのこと真っ先に思い出してくんねえの。
「もう十分だろ、早く波乗りしたい」
ボケっとしてるオレを急かすように、レッドホットは遠方を指で示す。人工的に作り出された、退屈でお行儀のいい波。すぐに思い出しちまうんだろうが、一応初心者のこいつにはちょうどいいか。
「……はいはい、わーったよ」
ザバッと水から上がって、その辺に放っといたボードを手に取る。さて、これまで通りあれこれ説明してからやって見せてもいいが……そろそろオレもつまんなくなってきた。
「お前、ちょっとここで見てろ」
「分かった」
素直にプールサイドで座るレッドホットをチラリと見て、視線を波に移す。ここは、普段オレたちが泳いでる場所から随分離れたお優し〜い初心者コーナー。オレからすれば、あまりに平坦な波で欠伸が出ちまう。いつもなら、前乗りしまくってつまんね〜波を楽しく作り替えてやるところだが……今は、オレひとりだ。ひとりでやったって、何にも楽しくねえ。
ボードに乗って、腕の力で波の方に進む。こんな小せェなら、適当でいい。そう思うのに、どうも全身の力が抜けない。あいつが、見てる。オレのことなんてひとつも覚えてないくせに、オレの波乗り見てやりてェと思ったらしいあいつが。じゃあ、まァ、なんつ〜か。カッケェところ見せてやりてェなとか思うのは、当然だろ。
グッと体が持ち上がる。向きを変えて、そのまま勢いに任せて。ボードの上に立って、波の先を見る。飛沫が顔面にぶち当たって、バタバタ水着が音を立てる。小さくて、退屈で、お行儀よくて。それでも波に乗れると、なんか内側がソワソワする。喉の下、体の真ん中辺りが浮ついて、自然と口角が上がった。
さァて、何を魅せてやろうかな。初心者向けコーナーは狭っ苦しい。とりあえず軽くできるやつ、エアーで十分かァ?
重心低く、バランスとって。体中に血が巡る感覚。あ〜、これこれ。オレが一番好きな時間。何してやろうか、次は何を。この退屈な場所を、どれだけ楽しく生きやすくできるのか。それを考えるのが好き。そんで、隣に。
並びたがるようなバカがひとり居れば、もっと楽しい!
「……すっご〜い!」
ハニー・Bの媚びた声。その中に、ちゃんと底からの驚きも混じってるから素直に受け取ってやる。遠くで小さく拍手してるシュガーライオットも見えた。周りも遅れて拍手しだして、まァまァ……気分は悪くねえ。ひょいっと体を落とし、とっととプールサイドに上がる。鬱陶しい前髪かき上げて、ようやくレッドホットの反応が見れた。
ポカンと口開けて、マヌケ面。既に少し乾いた前髪の奥から、小さな瞳が覗いてる。丸くなって、ちょっと揺れてて。こっそり習得したトリックとか、色んなイタズラとか。それ見せてやった時と、同じ顔。……あァ、そりゃそうだ。記憶ないって言ったって、こいつはこいつなんだから。
「あれ、どうやるんだ!?」
珍しくテンション高く、レッドホットが声を上げた。これも、いつもと同じ反応。すぐにあれこれ真似したがって、隣に来たがる。なんか調子狂うな、ギシギシ全身が固くなった。
「待て待て、ちゃんと一から教えてやっから。……まず、ボードは一旦違うの使った方がいい」
「分かった、変えてくる」
「早ェな!?」
返事もそこそこに、レッドホットのやつはとっくに足がレンタルショップの方に向かっていた。初心者用のボードとか、あいつ分かんのかなァ……。
……と、オレたちが別行動になったのをいいことに、ハニー・Bのヤツがレッドホットに近づいて行った。シャトナの長耳ってのは、こういう時のためにあんだよなァ。水に濡れて重てェが、堪えて持ち上げる。
「お見事でちた」
「うおッ」
突然、聞き覚えのある声がした。声のした方角を見下ろすと、小せェミララ族。オレの身長じゃどうしてもその面が見えねえから、仕方なくしゃがむ。
「お前、何の用だよ? オレ今忙しいんだけど」
「少し、聞きたいことが」
「ンだよ」
手短にな、とヒラヒラ手を振ってみせれば、シュガーライオットのヤツが僅かに俯いた。せっかく顔色見えるようにしゃがんだのに、これじゃ意味ねえじゃん……。沈黙が鬱陶しくて、思わず舌打ちが出そうになる。
「大切な人の記憶から、自分が消えるのは……どういう感覚でちゅか?」
「……あ?」
「あなたたちのことを聞いた時、まるで雲の上に預けられたみたいと思まちた。だから、興味が湧いたのでちゅ。これまで死んでいった人達は、全ての人から忘れられて、どんなだったのかちら……と」
真っ直ぐに、オレを見据えてる。あァ、コイツも青い目してたんだな。だから目が離せねえ。ふざけた口調で、芯を食ったような発言をするヤツなのは知ってた。……なるほど、雲の上。言われてみりゃ確かにそうだ。そこそこ優秀だったオレたちは、無駄遣いしちゃいたものの魂資源もそこそこあって。死とか、雲の上とか、あんま現実味がなくて。魂蝕症が一番それに近かったが、もし酷くなってもポッドに詰められてある程度延命されることは知ってたし。
「……別に、変わりゃしねえよ。記憶なくても、あいつはあいつ。性格も、興味持つ物もそんな変わんねえ。だから、オレも何も変わりゃしねえ」
言い聞かせるみてェにして、言葉を絞り出す。そう、そんなに変わってない。いつも通り同じ部屋で飯食って、寝て起きて、楽しいこと興味あることやって一日を終える。……いや、待て。ひとつ、ひとつだけ。決定的に違うこと。オレを思い出さないあいつが、決して言わない言葉。
「ただ、あいつが……あいつが、オレのこと『兄者』って呼ばない。……それぐらいしか、変わんねえよ」
「思うところはない、と言いたいみたいでちゅね。……本当に?」
視線は、逸らされない。バチバチクるこの感じは、やっぱりコイツも闘士なんだとよく分かる。ぶつかり合って、ようやく相手を知れる。極力闘いを避けるこの生温いキープの中じゃ、生き辛いわけだよなァ。
「……嘘じゃねえ。これで十分かァ?」
キュッとシュガーライオットの目が細められて、オレは自ら視線を外した。闘う意志はねえ、どうでもいい。これ以上踏み込んでくんなよ、と。
「あなたって、思っていたよりずっと嘘が下手でちゅ」
「はッ、オレほどの正直モン他にゃいねえだろ!」
鼻で笑ってやれば、やれやれとシュガーライオットは両腕を上げる。ふと気付くと甲高い話し声が近くまで来てて、頭に影が落ちてくる。見上げれば、見慣れたデケェ男がオレたちを見下ろしていた。……なんか、ボードの数多いな。分かんなくて適当に持ってきやがったのか?
「借りてきた、これでいいのか?」
「……おう、悪くねえ。で? ハニー・Bチャンと何のお話してやがったんだァ?」
「ちょっと、何も企んでないから! アルカディアの試合の写真を見せてあげてたの!」
ほらこれ! とグイグイ目の前に押し付けられた端末に表示されてたのは、魔物の魂使って変身した後のエクストリームズ。なんだコレ、いつのやつだァ?
「オレたち、こんなだったのか。カッコイイ。もっと見てみたい」
「それで、再現ホログラムとかがあるよって教えてあげてたの。少しでも何か思い出せたらいいよねって」
パチ、ハートポーズとってお得意のウインクをするハニー・Bの言葉を繰り返す。……再現ホログラム?
「魔物の魂を使って変身した後の姿も人気があるからと、ホログラムで何かできないかと模索中らしいでちゅよ。……闘士全員宛に連絡があったはずでちゅが」
「あ〜、そう……全然見てねえや」
ふ〜ん、なかなか面白ェこと思いつくヤツもいたもんだな。途端に興味が出て、埋もれてた連絡引っ張り出してマーキングしておく。あとでメテムに連絡して、そんで……。
「おい、早く波乗り」
「……ワリ、そうだった」
「ねえねえ、アタシたちにも一緒に教えてくれない? さっきの、楽しそうだったなー!」
「勝手にやっとけ」
「教える自信がないんでちゅか?」
「その手にゃ乗らね〜」
後ろでわーわー言ってるガキどもをあしらって、とっとと水ン中入れと指示を出す。なんか勝手にレッドホットの隣でヘラヘラしてるヤツらもいるが……まァ、いいか? オレたちの邪魔さえしなけりゃ? 距離感バグってるふたりに毒されたか、オレもその辺なあなあになってきやがった。……ってか、コイツ! なんでボード三つも持ってきたのかと思ったらそういうことか! ハニー・Bの入れ知恵だな!?
「お前……」
「なんだ、早く教えろ」
「いや、もう……あ〜……まァ、いいか……」
何か言ってやりたかったのに、今のこいつの耳には入りもしねえんだろうなと思ったらどうでもよくなった。深く深く息を吐いて、ぐるぐる回ってた言ってやりたかったこと全部吐き出す。とりあえず、もういい。優先事項ってモンもある。こいつがとっとと思い出せば、他のヤツらも置いてくことができるしな。
「じゃ、まずは……」
言葉で教えて、実際見せて、やらせてみる。ずっと、こうやって教えてきた。それを再現して、繰り返してるだけ。教えたことは、すぐに思い出しちまうのになァ。
水面は、嫌になるほどキラキラ輝いてる。それが目に染みて、ギュッと思い切り眉間にシワを寄せた。
ついてこい、と言われて連れてこられたのは大通りから外れた店。外には最初の頃に教わったスピナーってヤツが並んでて、扉の上にもスピナー型のライトが光ってた。周りはちょっと薄暗くて、でもスピナーはギラギラしてて。オレ専用のスピナーもあるって聞いたけど、それは今のオレには乗りこなせないらしい。残念だ……。
スタスタ店の中へ進むディープブルーについて行くと、一台スピナーが止まってる場所で止まった。ディープブルーが軽く手を挙げて声をかけた先にいたのは、男ふたり。赤くてゴツイ奴と、金髪の小柄な奴。
「これがお前の?」
「そうだよ。……改造するなよ?」
「流石にしねえって……」
ギロ、と赤いのに睨まれたディープブルーが鬱陶しそうに手を振る。その隙に、金髪の小柄な奴がオレの方に近付いてきた。
「やあ、えっと……ボクのことも忘れてるよね? ボクは……うん、ハウリングブレード。キミと同じ、アルカディアの闘士だ。また改めて、よろしく」
よく喋る、よく笑う。それに不快感が一切ないのは、ハウリングブレードと名乗ったコイツの性根が良い奴だからなんだろう。差し出された手を素直に握り返して、よろしくとだけ返した。
「それから、そこにいるのがボクの友人……ブルートボンバーと、彼のエアスピナー。イカしてるだろ?」
「ああ、カッコイイ」
「改造するなよ!?」
「しねえって!」
赤い奴、ブルートボンバーがディープブルーとギャンギャン言い合ってる。そんなに疑われてるってことは、前になにかやったんじゃないか? 思い出せないなりに、コイツのことが分かってきた気がする。ディープブルーがうんざりした顔で、逃げるようにこっちに戻ってきた。
「まァ、その。絶対に改造しない、壊さないって条件でブルートボンバーのヤツに借りた。これは、今日一日だけお前のスピナーだ」
「…………オレ、の」
そっぽを向いてるディープブルーと、目の前のスピナー。何度も何度も見比べて、一歩だけスピナーに近寄った。
赤くてギラギラしてる、カッコイイスピナー。オレの両足がしっかり地面に届きそうな位置に座る部分があって、外に並んでたヤツよりシンプルな気がする。そこが、カッコイイ。あれこれ色んな角度から見てたら、後ろからブルートボンバーの声がした。
「テメェと俺様は体格が似てるからな。あと赤色、テメェも好きだろ」
「……多分、好きだ」
「カスタムも癖がないし、手入れもしっかりされている。今のキミが乗りこなすのにピッタリだからって、彼が」
「ディープブルーが」
ハウリングブレードが手で示すと、ディープブルーは更に顔を背けた。顔の端をじっと観察してみれば、少し赤くなっている。……なんで、照れてるんだ? 一番にそれが聞きたかったけど、それよりも前に言うべきことがある。
「ありがとう」
「…………おう」
記憶をなくす前のオレは、もしかしたら兄弟にお礼とか言わないのかもしれない。でも、今のオレにとってディープブルーは別に兄弟って訳でもないし、ただ言いたかったから言っただけ。ディープブルーの耳が少し上向きになったから、多分怒ってはいない。それなら、十分。
乗ってみたい、と言ってみたらブルートボンバーがスピナーを店の外に出してくれた。自分のを取ってくるとダラダラどこかに行ったディープブルーを待ちながら、軽く乗り方やブレーキのかけ方を教わる。
「心配しすぎかもしれねぇけどよ……本当に事故とかケガだけはすんなよ?」
「大丈夫だ……多分。それに、乗り方もすぐに思い出す」
ディープブルーが戻ってくるまで暇だったから、昨日のことを話すことにした。
泳ぎ方ほどスムーズに思い出せたわけじゃなかったが……ボードに乗っての進み方、波の見方、乗り方、コツ。あれこれ教わるうちに、自分の中でどんどん知ってる感覚がデカくなっていって、帰る頃には波の乗り方もしっかり思い出すことができた。ディープブルーが言うには、体は動きを覚えていて……そこにうまいこと知識や経験がハマれば、失った記憶を取り戻すことができるんじゃないかと。そのためにも、やっぱり最初の予定通り色々やってみるのが一番の近道らしい。最初は同じぐらい下手っぴだったのに! とハニー・Bが騒いでて、シュガーライオットには波乗り姿が良く似合うと褒められた。……アイツらのことは、思い出せなかった。それでも、オレの記憶が早く戻るといいと言ってくれたから、多分いい奴らなんだと思う。そうディープブルーに話したら鼻で笑われたから、アイツはちょっと嫌な奴だと思う。
「へえ、波乗りかあ……。いいなあ、楽しそう! 今度ボクらも行ってみようよ、ヘクトール」
「プールなぁ……あんま泳ぐの得意じゃねぇんだが……」
唸りながら考え込むブルートボンバーの背を軽く叩きながら、ハウリングブレードは楽しそうに笑った。……いいな、と思う。仲がいいって、多分こういうことだ。オレも、オレたちも、元々はこんなふうだったのだろうか。
「お〜い」
気の抜けた声が、頭上から降ってくる。静かな空気音と共にスピナーが着陸して、ディープブルーが頭を掻きながらオレの肩にぶつかってきた。
「何するんだ」
「ボケっとしてっから」
くつくつ喉を鳴らして、ディープブルーはもう一回ぶつかってくる。ムッとしてぶつかり返してやろうかと思ったが、オレは借りてるスピナーを支えながらそんな器用なことはできない。顰め面をして見せたけど、ディープブルーはとっくにこっちに背を向けていた。
「じゃ、夜には戻らァ」
「気をつけて!」
ハウリングブレードが大きく手を振って、笑っている。少し頭を下げてから先に行ってしまったディープブルーを追うと、ソイツは大通りの方でじっとこっちを待っていた。
「飛び方は」
「一応教わった、多分できる」
「よし」
ディープブルーが指を一本たて、くるりとその場で回転させる。
「どっか、目的地があるとかじゃねえけど……とりあえずぐるっと一周、ソリューション・ナインの外周を走る。そっからキープの外出て、アウトスカーツとか採石場とか行って、またこの辺ぐるぐるまわってみて……って予定だ」
キープの外、アウトスカーツ、採石場……知らない言葉がたくさん出てきて混乱してきたが、まあコイツについて行けばどうにかなるってことだろう。とりあえず頷いてみせた。
「……お前絶対分かってねえな? 別にいいけどよ……置いてくつもりはねえし、ゆっくりめに走る。とりあえず、オレから離れなきゃいい」
「分かった」
分かりやすい、それなら楽勝だ。強く頷けば、ディープブルーが満足そうにニヤリと笑う。同時にスピナーに跨って、ギュッとハンドルを握った。
「腰抜かすなよ?」
それだけ言って、ディープブルーはあっという間に上に向かって飛んで行く。オレも続けて、さっきブルートボンバーに聞いたやり方を再現した。飛ぶための操作は、単純で簡単。記憶をなくしたオレでもすぐにできるぐらいだ。車体がふわっと浮いて、地面から足が離れる。体勢は低めに、ハンドルから手を離さない。ブルートボンバーに言われたことを、頭の中で何度も繰り返す。口の中が苦くなって、腹の奥が冷える感覚があって……これは、まずい。ハンドルを握る力を強くした。
「う、お……ッこれ」
「ハハッ、ハジメテだとスリルやべ〜よなァ!」
よろよろ必死にバランスを取るオレを横目に、ディープブルーがケラケラ笑う。確かに、これは腰を抜かすかもしれない。
「これが堪んねェんだわ。……お前も、すぐに思い出すぜ!」
置いていくつもりはない、と言ったのは何だったのか。ギュンッとディープブルーはスピードを上げて、みるみる背中が小さくなっていく。はぐれたらまずい、下手に走ってスピナーを壊したくない! ハンドルを握り直して、グッと強くアクセルを踏み込んだ。
最初は、とにかくディープブルーの背中を追うのに必死で周りなんて見てる余裕もなくて。アイツがなんか言ってても、ほとんど風の音で聞こえなくて。何度も聞き返して十回目、ようやくディープブルーはスピードを落としてくれた。
「ワリィ、飛ばしすぎたわ。そういやそれ、何にもイジってねえんだったな」
「……お前のは、何か違うのか?」
「あ〜……中身を、ちょっとだけ?」
バチ、と片目だけ瞑って小さく笑う。嘘ついてる、と思った。見た目だけなら、ディープブルーのスピナーはすごくシンプルだ。色だってカスタムしてなくて、そこら辺を飛んだり走ったり店に並んでるのと変わらない。でも、多分中身を相当イジってる。さっきも随分前を走ってたスピナーを軽々抜かしてたし、方向転換した時の車体の傾く角度がすごかった。よくあんなので吹っ飛ばないな、と初心者のオレが思ったほど。だから、ブルートボンバーに改造するなと念押しされたわけだ。
「オレの機体の話はいいって……それよりほら、見ろよ」
じと、と疑いの目を向けられていることに気付いたらしいディープブルーが、居心地悪そうにパッパッと手を振る。そのままゆっくり進みつつ、オレに反対側を見るよう促してきた。視線を逸らして、ディープブルーの示す方に顔を向ける。
「おお……!」
街を歩いている時も、見る場所全部がギラギラしててすごいなと思ってた。明かりのない所を探す方が難しいぐらいで、眩しくて。知らなかった、ようやく思い出した。スピナーに乗って見下ろすこの場所は、全身がゾワゾワして、ワクワクするような、そんな場所だったことを!
「見えるかァ? あれがアルカディア、お前がブラックキャットたちに運ばれたとこ」
「じゃあ、あの辺にジムがあるのか」
「よく覚えてんな……で、あそこにオレたちがよく溜まり場にしてる駐車場がある」
あれこれディープブルーに教わりながら、色んな場所に目を向ける。さっきまで耳障りだった風音も、今じゃ心地いいと感じるぐらいになった。あれもこれも、全部知らなかった場所。まだ行ったことのないはずの場所。なのに景色が思い浮かぶし、その通りにある店の美味かったものとかまで全部知ってる。記憶の渦に飲まれて頭がグラグラするのに、それが楽しくて仕方ない。もっと思い出したい、もっと、もっと! あれはなんだ、あそこに何がある。いくつも聞いて、その答えを待って。ふと声が聞こえなくなって、ディープブルーが黙り込んでいることにようやく気が付いた。
「どうか、したのか?」
「どうかしてんのはお前だよ! 一回キープの外に出ちまうか……」
ついてこい、とだけ言ってディープブルーはグンッと方向を変える。慌てて追いかけて、体勢を低く保った。さっきよりはうまく走れるようになっている、どうにか追いつけそうだ。
「急になんで……!」
「いいから!」
何の説明もなしに走り続けて、人の波を追い越していく。いつの間にか茹だっていた頭がスッキリして、風を切る感覚が楽しい。ひたすら、前を走る青色を追いかける。それはすごく楽で、慣れていて、どこか知っているような気がした。
◇◇◇
「おら、お前の分。ちったァ頭冷えたかァ?」
ディープブルーが軽く放ってきた缶を咄嗟にキャッチする。ぼんやりした頭じゃ力加減もうまくできなくて、カチカチ何度もプルタブに爪を立てた。なかなか開けられないオレを見て、ディープブルーがくつくつ喉を鳴らしている。
「頭、ぼんやりする……」
「色々思い出し過ぎだなァ。情報量多くて頭パンクしてんだよ」
アウトスカーツ……と呼ばれたこの場所は、ソリューション・ナインよりはギラギラしていなかった。雷は時々落ちるが、それでもあの場所よりは目がチカチカしない。遠くの方、特に暗くなっている辺りを見つめて目を休める。ジメッとした風が吹き抜けて、操縦中にずっと張っていた気が少しだけ抜けた。
ぴと、と頬に何かが触れて、体が硬直する。ディープブルーがオレの顔をペタペタ触って、そのまま額を手のひらが覆って。数秒して、ディープブルーは満足そうに笑った。
「顔色も元に戻ったな。知恵熱出るんじゃねェのってぐらい赤かったぜ?」
「そんなにか」
「そんなにだよ」
ディープブルーの手が離れて、オレの頭上でピタリと動きが止まる。あ〜、と小さく声を漏らして、誤魔化すように缶を煽った。嘘つきな奴、というのはここ数日で知ってるが。時々、こうしてよく分からないタイミングで何かをはぐらかされることがある。何が言いたいとか何の用だと問い詰めても、こういう時は何でもねえとしか言われない。……あえて言う程でもなくて、どうでもいいことなのかもしれない。でも、そんなことされたら気になるに決まってるだろ。
「さァて、ちょっとずつ進んでみっかァ」
口を開こうとした瞬間、ディープブルーが思い切り伸びをした。……気付かれた、はぐらかされた。また、これだ。悔しくてギュッと口を結んで、それにも気付いてるのに気付かないふりをされている。こういう時、オレはどうしていたんだろう。
「雷、気をつけろよォ。今日は比較的落ち着いちゃいるが……レギュレーターがありゃまだしも、今のオレたちは当たれば即死だからな」
「レギュレーター?」
「あ〜、そっからか……そりゃそうだ。レギュレーターはァ……」
かったるそうに、ディープブルーが話し出す。また、知らない言葉が増えた。ディープブルーは言葉を選びながら、さっきよりゆっくり説明してくれている。オレの頭がまたショートしないように、オレが既に知ってる言葉を使ってくれているようだ。多分、コイツは頭がいい。だから、オレはきっとコイツが何を考えているのか理解ができない。これは多分、記憶があってもなくても同じだ。
「……あ、あれが採石場な。エレクトロープの……エレクトロープの話はしたっけか?」
「ソリューション・ナインで、光ってるやつ」
「まァ……うん、それでいいわ」
地続きの道を、走り続ける。近くで雷の音がすると少しドキッとするが、ディープブルーがケロッとしてるから大丈夫なんだろう。だって、オレより頭のいいコイツが平気そうにしてる。なら、大丈夫に決まってる。
兄弟だ、なんてまだ言えそうにはないが。それでも、オレはコイツのことを信頼し始めていた。
「あら」
「お」
「おや!」
「げッ!」
アルカディアの控え室に入って早々後悔する。予定よりレッドホットのやつが早く起きて、急かされるまま背中を押されるままにアルカディアまでノコノコ来ちまったのが悪かった。多分オレたちの前に予約をしてたヴァンプ・ファタールのヤツと鉢合わせちまうなんて。……と、それもだが。
「どういう組み合わせだよ、ダンシング・グリーン? お前、ヴァンプ・ファタールのヤツに弱みでも握られてんのかァ?」
「そういうんじゃねぇよ!」
「アタシたちは仕事よ、お仕事」
ヴァンプ・ファタールがため息混じりに、面倒くさそうにあしらってくる。その後ろから、ひょこりとメテムが顔を出した。
「やあ、お疲れ様! その後、レッドホットの調子は?」
「レッドホット、呼ばれてんぞ」
「誰だ、お前」
「おや……まだダメだったか……」
メテムがガックリ肩を落として、苦笑いする。肩を落としてェのはこっちの方だ。レッドホットは首を傾げて、何が何だかみてェな顔してる。もう、こういうのにも慣れちまった。
「あの赤い女がヴァンプ・ファタール、ちっこいのがメテム、で……」
「オレはダンシング・グリーン! よろしくな、ウェーイ!」
クルッと回って、バシッとポーズをキメる。……コイツのコレは、キャラ付けだって聞いてたんだが。今日は随分ノリ気らしい。さっきヴァンプ・ファタールが言ってた『仕事』とやらに関係あんのかァ?
「よろしく」
そんなこと知りもしねえレッドホットは普通に握手して、そのまま黙り込んでいる。喋ることねえから喋らねえ、こいつは本当に変わりゃしねえ。
「仕事って?」
「闘士たちが魔物の魂を使って変身した姿……あれが案外評判が良かったから、何かグッズにできないかって話になったのよ」
「オレたちはもう変身するつもりはねぇからな……そこで、元々いくつかグッズ展開させてもらってたオレに声がかかったってわけ」
なるほどな、その手のプロのヴァンプ・ファタールと大衆受けのいいダンシング・グリーン。そのふたりの意見聞きつつあれこれやってたワケだ。
「久々にあのダンスフロアに入ったら、テンション上がってな! やっぱあの場所は好きだわ!」
サングラスの奥で、ダンシング・グリーンがキラキラ笑う。そりゃ、そうだろ。闘士全員、戦場はとにかくこだわり抜いて好きなモン詰め込んで好き勝手やってんだ。ステージに上がれば、嫌でも気分がアガるように。
「だから、アンタもきっと楽しくなるぜ。楽しみだな!」
「……ああ、楽しみだ」
レッドホットが、強く頷いた。……あ、そ。そりゃよかった。楽しみにしてくれてんなら何よりだ。ウズウズする口角を誤魔化すみてェに顔を揉む。ヴァンプ・ファタールがニヨニヨこっちを見てる気もするが、気にしたらダメだ。無視して、メテムに向き直った。
「時間だぜ、とっとと試合に出しやがれ」
「ああ……それでは、こちらへ」
恭しくメテムがお辞儀をして、控え室の奥へと誘う。何度も、何度も通った場所。わざと足音立てて進むと、後ろからペタペタついてくる音がした。初めてタッグとしてここを通った時は、どうだったか。並んでたかァ? 今みてェに後ろトコトコついてきてたんだったかァ? 記憶なんて、そんなモンなのかもな。もはや諦めに近くなってきて、そんな思考になるオレが心底嫌になる。忘れられたくねえ、絶対に思い出して欲しいって思ってるくせに、物分かりいいフリしやがるオレが嫌いだ。
リング上のライトが付いて、見慣れた鮮やかな色が目に飛び込んでくる。浮き輪、滑り台、リングロープ。至る所にオレたちのロゴがあって、ここに立つだけでソワソワ浮き足立つ。
アルカディアの再現ホログラム。調べてみれば、オレたちの戦いのレコードからあれこれ情報抜き出して作り出した簡易的で擬似的なモンらしい。さっきヴァンプ・ファタールが言ってたように、変身した姿には需要があった。そのいい所だけをぶっこ抜いていい感じに娯楽に消化できないか、と試験的に始まったのがコレなんだとか。一般にはまだ出回ってない情報だが、既に闘士の何名かはコレを使ってトレーニングしたりと各々自由に使ってるようだ。……聞いた話じゃ、生身のナンチャラは嬉々として挑戦しに来てるとか。聞かなきゃ良かったって後悔した。
「擬似試合もできるってんなら、記憶取り戻すのに持ってこいだよなァ」
「……変身したオレ、カッコイイ」
レッドホットはすっかり夢中になって、キョロキョロ色んな角度から自分の変身した姿を観察してる。カッコイイよな、分かる。オレだって初めて変身した時はすこぶるアガった。ド派手なカラーに強そうな角、デケェ手のひら、波を操れるとかいうイカれた自由度。本当に、楽しかった。
「カッコイイだけじゃねえからな。生半可じゃすぐ吹っ飛ばされンぞ」
「……分かった、頑張る」
だからこそ、オレは知ってる。生身でもいい試合に魅せることができるようにと調整されちゃいるが、オレたちはガチで強い。適当にやって楽しめるような相手じゃねえこと、他ならねえオレが……オレたちが、一番よォく分かってる。
いつも通り、屈伸運動を。隣では、首をゴキゴキ鳴らすレッドホット。……乾いた笑いが出る。こいつ、覚えてねえんじゃなかったか? 続けて、相手を挑発するみてェに手招きした。
『混ぜるな危険! 温度差兄弟、エクストリィ〜〜〜ムズ!』
「はァ!?」
あまりにも聞き慣れた実況が聞こえてきて、耳がピンと立つ。メテムの野郎、忙しそうにしてたくせに何してんだァ!?
『こうしてゆっくり見るのは初めてだわ。せいぜい足掻きなさい』
『ふたり並び立ってると迫力あるなぁ、なんか新鮮だぜ』
「おい、何勝手に観戦してやがるッ!」
「どこから見てるんだ……」
ふよふよ漂うレフェリーに悪態つけば、ヒュンヒュン腕を回しながら警告音を鳴らしてきた。身内しかいねえならルールも何もねえだろ、てか元々ルールも何もねえみてェなモンだろ!? どんどんイライラして、地面に思い切り蹴りをくれてやる。生身の体じゃ、床は軽く黒ずんだだけだった。
『いやあ、せっかくなら実況があった方が盛り上がるかと……』
「盛り上がるけど!」
「そういうもん、なのか……?」
レッドホットが首を傾げる。本当にこいつは分かっちゃいねえ、実況のねえ試合なんて味のねえグミみてェなモン。つまり最悪だ。だけど、だからって!
勢い余って、一歩前に踏み出す。……視界の端で、レッドホットのホログラムがジリジリ揺れた。
『……オレひとりで、十分……』
「ヤベ、しまっ……!」
ホログラムのレッドホットが、大きく腕を振りかぶる。まずはパンチ、二発のジャブに溜め技ストレート。頭ン中ではしっかり予測できてたらしく、考えるより先に足が動いた。
「う、お、おおッ!?」
「うわ、なんでこっち来るんだ!」
とにかくオレひとりが標的になるのが嫌で、後ろでボケっとしてたレッドホットの方に走り出す。レッドホットはギョッとした顔をして、更に遠くへ逃げ出した。ふたりでバタバタ走って、バカみてェに広いステージを駆け回る。
『……「エクストリームズ」とのタッグマッチです! 兄弟の交代にも注目!』
遅れて、メテムの実況が聞こえてきた。けど、そんなの聞いてる余裕がねえ! オレたちが必死に走った距離を、レッドホットのホログラムは二、三歩程度で縮めちまう。まずい、まずい! パンチの次は、アレだ!
「おい、アレがくる!」
「アレって何だ!?」
「アレだよ、固まんな散れ散れ! どっか行け!」
追い払うような仕草を見せれば、レッドホットはコクリと頷いて反対方向に駆け出した。とりあえず、最悪は避けられたか……? 次にくる衝撃に備えて、少し身構える。
ホログラムがぐるっと中心で回転して、すぐに全身が燃えるような熱さに包まれる。ッ、いでェな、チクショウ! 舌打ちして、即座にその場を離れる。遠くで、遅れてレッドホットも走り出したのが見えた。
「クソ、やられっぱなしじゃねェか!」
休んじゃいられない。次はカットバック。また燃やされて、全身火傷して、爆風が起こって。知ってる戦法だってのに、何にも対策が浮かばねえ!
『……ところで、なんであの子たち武器のひとつも持ってないのかしら』
『えっ、格闘技で闘うつもりなのかと……』
耳の端で、そんな声を拾った。……え、確かにそうだ。オレたちって相当バカか!?
「ちょ、タンマ……ッ!」
抵抗虚しく、また周囲がジリジリ焦げていく。レッドホットが小さく口を開けて、オレはもうダメだなと目を瞑って。
『なんと凄まじい炎! リングが燃えあがったァ〜!』
メテムの実況だけが、ステージに響き渡っていた。
◇◇◇
「作戦を立てる」
「ああ」
まず、オレたちの戦法をレッドホットに教えるところから始めるべきだった。生半可じゃすぐ吹っ飛ばされるって言っただろ、なんで対策取らなかったんだァ?
「時間の無駄だった、アタシはもう帰るわ」
控え室に座り込んであれこれレッドホットの頭に詰め込んでると、ヴァンプ・ファタールのヤツがカツカツ出ていく音がした。お〜、帰れ帰れ。元々お呼びじゃねえってんだ。
「オレも今日は疲れたから帰ろうかな……頑張れよ!」
ダンシング・グリーンの妙な優しさってヤツがゾワゾワする。その生温かい笑顔をやめろ、バカをみる顔だろ。いや本人はそのつもりじゃねえんだろうけど。
「すまない、ワタシもそろそろ次の業務が……」
「え〜ッ!?」
「お前、次は実況してくれないのか」
メテムが困ったように笑いながら、スタスタ出口に向かって行った。チッ、オレたちの駄々にも相当慣れてきたなアイツ……。
控え室が急に静かになって、耳の奥がキンとする。おい、とレッドホットに軽く指を摘まれて、ようやく呼吸を思い出した。小さく咳払いして、中断してたオレたちの戦法の説明に戻る。
「……でェ、レッドホットの炎で丸焦げにした後」
「爆発」
「そ〜そ〜、よく分かってんじゃねえか」
戦法つったって、オレたちの戦い方はそう難しいモンでもねえ。相手が勝手にジタバタ足掻くほど難しくなるだけで、ギミック自体はそうでも……って、分かってたはずなのになァ。さっきの苦い試合を思い返して、顔を顰める。
「次は武器必須だな。どうせ何でもありだ、全部持ち込んじまおうぜ」
「分かった」
ふたりで持てる分だけ抱え込んで、リングの上で何を使うか決める。こういうのは、圧政者サマのお得意なんだが……誰も見てねえなら、キャラ被りとかどうだっていいだろ。今は、使えるモンとにかく使って勝ちに行くってのがオレたちらしさだ。
「ッし、リングに『沈めて』やんぞ!」
「おお!」
ガチャガチャ腕の中で音を鳴らしながら、リングの中に一歩踏み出した。
予習の甲斐あって、二戦目はディープブルーのホログラムを引き摺り出すところまでいけた。そこでヘロヘロになって、あの大爆発を越えられなかったワケだが……まァ及第点、そこそこやれてる。少し休憩挟んで、またホログラムのスイッチを入れて、もう一戦、あと少し、もう一回だけを繰り返しているうちに、どうやら時間が来ちまったらしい。頭上から、メテムの声が降ってきた。
『次の挑戦で最後、としてもいいかな? そろそろ時間が……』
「わーったァ!」
雑に返事して、最後にもう一回だけ屈伸運動をする。全身ボロボロ、いい試合は見せれねェかもな。体を軽く伸ばして隣を見ると、レッドホットは上を向いていた。前髪の奥は、酷く驚いた表情をしていて。……心臓の裏側がザワっとして、ギュッと服の裾を握った。
「……メテム」
『どうかしたかい?』
「メテム。最後……実況してくれ」
切実だ。隙間から覗く瞳がやけにギラギラしてて、その頬の赤さには覚えがあった。昨日、ちょうど昨日。同じ顔を、見た覚えがある。ソリューション・ナインの中、コイツに聞かれるまま答えてたら、コイツの頭がパンクした。その時と、同じ顔ってことは。コイツ、コイツは。
メテムのことを、思い出そうとしている?
『構わないよ、いい試合を見せてくれ!』
オレの懸念は、誰にも気付かれることはなく。メテムはガチャガチャマイクの準備を始めて、レッドホットはじっと目の前のホログラムを見据えている。オレだけが、目の前のことに集中できてない。レッドホットが、一歩前に踏み出す。オレも、続かねえと。
『混ぜるな危険! 温度差兄弟、エクストリィ〜〜〜ムズ!』
メテムの声で、自然と体が動き出した。ガチッと頭ン中でスイッチが切り替わって、余計なモンを奥に追いやる。カッコ悪ィとこなんて、見せたくねえに決まってんだろ!
最初は、レッドホットがホログラムの敵視を取る。溜め技ストレートはふたりで受けて、衝撃を減らす。それから軽く散って、また殴れるように戻って。カットバックが来るから、受けつつ足が爛れる前にその場から離れる。爆風、痺れを切らしたディープブルーのホログラムが入ってくる。
『ディープブルーが痺れを切らした! ここで交代です!』
『いい波が来ねェなら……自分で作りゃいい!』
メテムの実況と、ガサガサしたホログラムのボイス。外周まで吹っ飛ばされねえように波の向き見て、位置取り決めて。この辺までは慣れたモンだ。レッドホットの動きにも無駄がねえ。疲れてたって、これぐらいはどうにかなる。
『あ〜、かったりィ! ふたりで片付けちまおうぜ!』
これを合図に、レッドホットのホログラムが乱入してくる。……これが、いつもの『お決まり』ってヤツ。あいつは、覚えてねえらしいけど。
『兄弟そろってリングイン! これはルール違反、反則だァ〜!』
「…………あ」
メテムの『お決まり』の実況が流れて、レッドホットの体が硬直した。雷に打たれた、みてェな。カラン、手に持ってたパイプが滑り落ちて、音を立てる。おい、嘘だろ。まさか、こんなタイミングで。
でも、そうだよなァ。見慣れてた試合の光景何度も繰り返して、その時必ず聞こえてくる声があって。記憶をなくしたって言っても、全部が空っぽになってるワケでもねえことはこの数日で分かってた。断片的に残ってるモンはあって、その欠片を集めて隙間埋めて、うまく元の形にハマれば蘇る。それが、その欠片が、今回はメテムの声だった。この試合そのものだった。……ただ、それだけのはずだ。
『オレと兄者、ふたりでひとつ!』
ホログラムの声が、あまりにも虚しくて。吹っ飛ばされた勢いで、鼻の奥が酷く痛くなった。……そういう、ことにした。
◇◇◇
「まさか、エクストリーム・スペクタクルの衝撃でワタシのことを思い出すなんて……」
「これ、何回もやったら色々記憶戻るんじゃないのか?」
「……今回は、ハァッ……たまたま条件、ッ重なった、だけだろ……やめとけェ……」
なんッで同じだけ動いて爆発受けてるはずのこいつはピンピンしてやがるんだァ!? 控え室の椅子に全身委ねつつ、ケロッと突っ立ってるレッドホットに向かってタオルを投げつける。そこに多少怒りも込めたってのに、全く気にする素振りもねえからなおのこと腹が立つ。地面を蹴る力も残ってなくて、だらりと足が宙を漂った。
「そういう、ものか……」
レッドホットは残念そうに俯いて、頭に突っかかったタオルでガシガシ顔を拭く。
「メテム以外の……アルカディアの奴とか、お前のこととかも、思い出せると思ったのに」
耳がへたる。いや、まァ、そりゃそうだろうけど。今のお前にとっちゃ、オレはなくした記憶のうちのひとつでしかないんだろうけど。
「……だからって、ンなことしてたら命いくつあったって足りねえよ」
こんな言葉がスルッと出てくるぐらいには、オレたちはレギュレーターのない生活に慣れていて。つまりそれだけ隣にいる時間も長くなっているのに、なんで、なんでこいつ。
「あ〜、つっかれたァ……早く帰って寝てェ……」
ため息をつく。息を吐いて、吐いて、吐きまくって。全部の不満閉じ込めて、本音の裏で渦を巻く。それがバレてたって構いやしねえ。今のこいつには、そこまで踏み込む度胸がねえから。
「あばよ、メテム。暴れたくなったらまた使いに来るぜ」
「ああ、いつでも待ってるよ」
ヒラヒラ適当に手を振って、控え室を後にする。わざと足音立てて進むと、後ろからペタペタついてくる音がした。無言が続く。喋ることねえから喋らねえ、そういうやつって知ってるはずなのになんだかソワソワしてきた。
「……明日は」
「ッな、んだよ?」
そういう時に、レッドホットの方から話を振られることはほとんどない。だから、声が裏返った。これ以上動揺を悟られないように、意識的にゆっくり歩く。
「明日は、何するんだ?」
「え、あ〜……そういや、何も決めてなかったわ」
昨日はツーリング、一昨日はプール……そこそこ充実した時間を過ごしていて、正直体も頭も限界だ。丸一日寝て過ごす日が欲しいっちゃ欲しいが……レッドホットのことを考えるとそういうワケにもいかねえのかもしれない。早く記憶全部取り戻してやりたいし、でも体が動かなくなってきてるし。どうしたもんか、と唸ってれば、レッドホットも同じように唸り出した。真似っ子とか、ガキかよ。
「明日起きたら決める。もう頭回んねェ……」
タラタラ歩いて、家への最短ルートを進んでいく。レッドホットは小さく分かったって言ったきり、また黙っちまった。それでもさっきの沈黙よりは気まずくねえから、そのままオレも喋ることなく歩き続ける。
結局、何も話さなかった。オレも疲れてたから、ちょうど良かったけど。昨日までの、あれはこれはが無くなって少し寂しいような気も……いや今のなし、無くなって良かったわ。こいつ、ホンットにどうでもいいところばっか突っかかってくるし。
部屋のキーを取り出して、ロックを解除する。一歩入っただけで、ぶわっと安心する空気に包まれた。家の匂いってヤツだ、なんでこんな落ち着くんだろうなァ。二歩、三歩と進んで、足音が止まっていることに気が付いた。振り向けば、扉の前で突っ立ったままのレッドホットがいて。何してんだとか、早く入れよとか。口を開く。
「……オレたちって、本当に『兄弟』なのか?」
前髪の奥で、青色が揺らいでる。ギラギラしてて、顔が僅かに赤らんで。……何かを、思い出そうとしている。言いかけた言葉は全部吹っ飛んで、代わりに息が漏れた。なん、で。どこで、どれで。
ここ数日、気を付けてたはずだ。過度な接触はせず、言葉の隅にも気を配って。オレのことを覚えてねえなら、兄弟かつそういったこともする仲だなんて言われたら意味わかんねえだろと思って。こいつの認識として、一番デカイのは『兄弟』って部分だろうからって、とにかくそうなれるように。それになにより、兄者ってまた呼んで欲しくて。
「……ッいきなり、何言ってんだよ」
深呼吸と、言葉を絞り出す。大丈夫、こいつから向けられてるのはまだ疑念の範囲。ただ疑われてるだけなら、誤魔化せばいい。
「最初に言っただろ。……兄弟なんだよ、オレたちは」
そうか、とだけ言って。レッドホットが、オレの横をスルリと抜けて行く。ガチャン、部屋のロックが掛かって静かになった。
その日、オレたちは顔を合わせることなく眠りについた。
『こんなのダメよ、だって私たち……兄妹なのよ!?』
『そんなの、関係あるもんか! 俺は、お前が好きなんだ!』
……何が面白いんだ、これ。頭を捻りながら見てたら、なんか兄妹らしい奴らが抱き合って泣いている。エンドロールが流れ始めたから、多分これで終わりなんだろう。……何が面白いんだ、これ。
昨日までの疲れからか、ディープブルーは朝起きなかった。軽くベッドを覗いたら、歯軋りしながら顔を顰めていて。何の夢を見ているのか唸ってもいたから、無理に起こさず寝かせてやることにした。だから、暇で。退屈しのぎにモニターをいじってたら、ちょうど兄弟関係に悩んでるみたいなドラマをやっていたから、何となく観てた、のだが……。
「全然、参考にならない」
ため息をついて、ソファーに少し凭れる。次の番組は禁断の恋がテーマらしい。この時間、こういうのしかやってないのか……?
この数日間、ディープブルーのことを何一つ思い出せていないわけじゃない。波に乗る姿を見た時、試合中の横顔、スピナーで先を走っていく背中。全部に見覚えがあって、なのに全部がぼやけてる。どんなに思い出そうとしても声は水の中にいる時みたいにくぐもっていて、顔は揺らいでうまく見えない。
そんな中で、ところどころで欠けた記憶の中で、今のオレが見たことがないシーンがあった。ディープブルーがオレの顔に手を伸ばして、普段の表情からは想像つかないぐらい蕩けて笑っていたりとか。ドロドロに甘い声音で、オレのことを呼んでいたりとか。……どう考えたって、兄弟だとは思えなかった。思い出すだけで心臓が爆発しそうなぐらい大きな音を立ててるし、顔に熱が溜まってチリチリする。疑ってるとか、そうじゃないけど。何か、隠されているのは明らかだった。
『愛しているのよ、心から』
モニターで、着飾った女がメソメソ泣いている。愛、そういうものなのか。兄弟愛とか、家族愛とか、そういう。
『でも、本音を言い合うことができないなんて……それは、本当に愛なのか?』
え、そういうものなのか!? だとしたら、オレたちはそうじゃないのかもしれない……! だって、今まさにオレはディープブルーに何かを隠されている。誤魔化され続けている。
「本当は、兄弟じゃなくて……別の何か、だったりするのか……?」
ジリ、頭の中で何かが焦げる。違う、そうじゃない気がする。兄弟なのは本当、そこに嘘はない。……オレは、アイツとどうなりたいんだ? オレは、アイツをどう思っていたんだ?
ディープブルーの顔を、声を思い返す。オレの知ってる姿、ここ数日で見た姿を。コロコロ表情が変わって、いつも面倒くさそうにしてて。イライラし出すと地面を蹴るし、飯を食う時には口が大きく開く。寝顔はガキみたいだけど、眠りが浅いのかすぐに眉間にしわが寄る。耳がよく動いてて、嘘つく割に嘘が下手。
記憶の欠片のディープブルーだって、頭から離れないぐらいに焼き付いている。でも、それと同じぐらいに。今のオレには、ケラケラ揶揄うように笑う目の前のアイツの顔が、声が、仕草が。その全部が。
『ねえ、それってきっと恋なのよ』
メソメソしてた女より、少し小柄な女が笑う。
『相手にも、自分と同じぐらいの感情を求めているのでしょう? 同じ分だけの好きが欲しいのでしょう? なら、それは愛とか、家族愛とかそうではなくて……きっと、恋なのよ!』
視界が、急に明るくなる。正体の分からないモヤモヤした何かに、突然名前が与えられたような。恋、そういうものなのか。アイツの好きな物を同じぐらい好きになりたいし、アイツが楽しいと思うことを同じぐらい楽しみたい。そうか、それを、同じ分だけの好きが欲しいってことなら。それなら確かに恋なんだろう。
「……もっと知りたい」
アイツの好きな物、好きなこと。波乗りと、アルカディアと、ツーリング。それ以外で、アイツは何が好きなんだろう。もっと知りたい、思い出したい。記憶を取り戻せば、もっとアイツの好きなものを知ることができる。表情をコロコロ変えることができる。そのために、どうしたらいい?
「前やってたことをやる、それから……」
アイツが、ボソッと呟いてた方法。アイツの知り合いとやらが試したらしい方法。特殊すぎる、とか言ってたけど。昨日はうまくいったし、どうにかなるだろ。
『……続いて、これからの天気をお伝えします』
いつの間にか番組が切り替わって、天気予報になっていた。アウトスカーツの上空の映像が流れる。
『本日の落雷状況は、警戒級。外での活動は控え……』
バリバリバリッ! アウトスカーツの道沿いに、大きな雷が落ちた。……危ない、かもしれない。ディープブルーが言うように、当たれば即死だ。それでも……それでも。今のオレが考えうる、最善策。一番、衝撃を受けられるのは。オレが、記憶を全てまとめて埋めるには。
「これ、しかない……!」
レッドホットが、いない。突然目が覚めて、時計を見ればとっくに昼を過ぎていて。寝過ごした、アイツ腹空かせてねえかなとかダラダラしながら着替えて、顔洗って歯磨いて。で、どの部屋覗いてもいない。モニターはつけっぱ、鍵も開いてる。あの巨体が隠れられる場所は、この部屋のどこにもない。
「あいつ……!」
エアスピナーの起動キーは、玄関に掛けられたままだった。じゃあそこまで遠くには行ってねえはず……いや待て、相手はあのレッドホットだぞ。体力バカ、考え無しのバカ! オレの予想と真反対に突っ走って、大怪我して帰ってくるようなやつ!
とりあえず部屋から飛び出して、まずブラックキャットに連絡を取る。この前の件で、あいつは闘士たちに随分顔が利くようになってる。そっからハニー・Bやらヴァンプ・ファタール辺りに情報が行けば儲けモン。直接オレが頼むよりずっと小さな貸しになるだろ。
『えっ、レッドホットが!?』
「家の近くにゃ見当たらねえ、何か情報あったら寄越しやがれ!」
『わ、分かった。Bセンパイにも聞いてみるよ!』
……よし、引っかかった。正直者、根が良いヤツってのはこういう時に本当に助かる。すぐに連絡に気付けるよう端末を握り締めて、家の周囲を駆け回る。何かしてなきゃ、落ち着かねえ。少しのあいつの痕跡も聞き逃さねえように、耳をフル稼働させた。
『おっ待たせ〜! 良い情報持ってきたよ♡……っていうか、わざと仲介頼んだでしょ? そういうの、バッテンだぞ! B!』
「たまたまだよ、たまたまァ! いいからとっとと情報!」
『も〜、嘘ばっかり! アウトスカーツの辺りで、フラフラしてる水着のヒューネ族の目撃情報あり! 特徴からして、レッドホット本人で間違いないんじゃないかな〜?』
アウトスカーツ!? 外に出たってのかあいつ!? サッと真っ白になる頭ン中とは真逆に、足は外の方へと走り出していて。昨日鍛えたおかげだな、瞬発力がいつもと段違いだ。
「チッ……」
『お礼!』
「はいはい、あんがとよォ! 今度テメェの配信ゲストとして出てやるよ!」
『絶ッ対やめて、何もしなくていいから!』
これ以上ブンブン騒がれるのもかったりィから、端末の電源をブチ切った。外、外かァ……! なんでよりにもよって、一番危険度高いところに行っちまったんだか。
人波避けて、ひたすら前に。寝起き、ここ数日の疲労、空腹。全部のコンディションがドン底だ。それでもわざわざ歳も大して変わらねえ弟分を探しに行くのは、あいつはオレがいねえと多分すぐ死んじまうから。特に、記憶すら朧気な今のあいつは。
「……ッだから、いつも隣にいろっつってんのに!」
怒りを込めて、地面を蹴り上げる。見つけたら、まず一番に蹴り飛ばしてやろう。全身に力が籠った。
◇◇◇
「……む、おい。迎えが来たぞ」
「あ、お前」
開いた口が塞がらねえって、こういうことだ。汗だくになりながらアウトスカーツで聞き込みして、坑道方面まで向かってく姿を見たなんて言われた時には流石に肝が冷えた。悪いことに今日はやけに天気も荒れてて、背丈だけは立派なあいつは本当にヤバいかもしれねえって悪寒抱えて来てみりゃ……これだ。何がどうしてこうなったんだか知らねえが、我らが圧政者サマとうちの弟分は呑気にお喋りしてたらしく。レッドホットはオレの姿を見て不思議そうに首を傾げやがった。
「……なんで、そんな汗かいてるんだ?」
「ッはァ〜!? おま、お前が……ッ!」
堪らず、ポカッとその空っぽの頭をぶっ叩いてやった。イテ、と大して痛くもねえくせに呻くそいつに更に腹が立つ。もう一発カマしてやろうか悩んでいると、ザ・タイラントのヤツが小さくため息をついた。
「貴様、そいつによく言い聞かせておけ。雷に当たってみたいなど、命知らずにも程があると」
「……は? 雷?」
ゾッとするような言葉が聞こえてきて、耳を疑う。軋む体でレッドホットに向き直れば、そいつは少しだけ視線を逸らした。バツが悪そうに下を向き、少しだけ頬を膨らませる。……いくら、記憶がねえっつったって。そんな、そんなバカに育てた覚えはねえ。いや育ててねえんだけど。
「……記憶」
「なに」
「記憶を、取り戻したくて」
こいつの下手な話をまとめると、オレが知り合いに聞いた衝撃を与える方法ってのが性に合ってるんじゃねえかと思って、試してみたくなったらしい。調整されてたとはいえあの爆発に耐えれたなら、雷ひとつじゃ死にはしないだろと。あまりのバカさに、目眩がしてくる。ソリューション・ナインに住むヤツなら、雷に打たれりゃ即死なんてガキの頃に身をもって知ってるはずだろ!?
そこまで、考えて。そういやこいつ記憶なくしてんだったと目眩が酷くなった。雷で死んだ記憶がねえから、こんな無茶をしでかしたんだ。乾いた笑いがこぼれて、全身から力が抜けていく。
「これから、更に荒れる。帰るなら今のうちに帰れ」
そんなオレのことなんて気にも止めねえで凄まれて、その無駄な威圧感につい舌打ちが出る。別に、嫌いってほどじゃねえんだけど。コイツの態度は、何か腹が立つんだよなァ。
「分かった。……帰らない、のか?」
「……帰るよ、帰りまァす。うちのがお世話になりましたァ」
レッドホットが律儀に軽く頭を下げて、オレが進み出すのを待っている。適当にヒラヒラ手を振って、足元の小石を蹴り飛ばしながら来た道を戻った。散々だ、ここ数日ずっと。疲れて足も上がらねえ。多少危険でもスピナーに乗ってくれば良かったかァ? ……いや、それじゃこいつどうするよ。やっぱり歩きしかなかったかァ。
「……あ、おいそこ」
ぐるぐる色々考えてたら、レッドホットが何か言ったのが聞こえた。反応するのもダルかったけど、一応振り返る。
ガクン、視界が揺れた。
「ッ危ない!」
腕と脇下を思い切り強く握られて、ゲホッと小さく咳が出る。……段差だ、少しデカめの。このまま尻もちついたら痛かっただろうなと思ったが、レッドホットの馬鹿力で引き止められるのとどっこいかもしれねェ。突然の段差でカクンと抜けた足に力を入れて、体勢を立て直す。……レッドホットの腕は、オレを抱きしめたままだ。
「おい?」
「大丈夫か……兄者」
……今、なんて? ぶわっと耳が上がって、その言葉が聞こえた右側に視線を向ける。そいつは何かあったかとでも言いたげに、首を傾げるだけだった。
「兄者?」
「……おま、え……なんで、このタイミングでェ……ッ!?」
わなわな口を震わせるオレを見て、そいつはようやく気付いたらしい。ハッと口元を軽く抑えて、前髪の奥でキラキラ目を輝かせた。
「思い出した、全部……!」
「だからなんで!?」
「分からない」
ついさっきまで会話の殆どが『分かった』だったくせによォ! バッとその腕を振りほどいて、ペタペタレッドホットの顔を触る。
「……本当に、思い出したのかァ?」
「ああ」
「全部?」
「ああ」
「雷に打たれたら?」
「即死だ、当たり前だろ」
堪らず飛び上がって、レッドホットの体に抱きついた。腰をギュッと足で絡めて全身の体重を委ねてるってのに、レッドホットの体幹は揺らがない。この枝毛混じりの髪の感触、抱き返してくる腕。たった数日だってのに、こんなにも懐かしい!
「……驚くと、心臓の音って早くなるのか?」
「あ? 多分。なんで?」
「もし、衝撃で……心臓の音が早くなって、記憶が戻ったんだとしたら。オレは兄者を抱きとめた時、すごくドキドキした。そのせい、なのか?」
つまり、記憶が戻るトリガーは衝撃を受けることではなく……心臓やら脳やら、とにかく体中の動きを稼働させることなんだとしたら。オレがコケそうになったのを抱きとめた瞬間に、記憶が戻ったんじゃねえかと。そう言いたいワケだ。
「なんでコケそうになったオレじゃなくて、お前がドキドキしてんだよ?」
「そりゃするだろ。オレは、兄者が好きなんだから」
なんて? そう聞き返したくて開いた口を、必死に閉じる。絶対に言うな、言ったら同じ言葉繰り返されて逃げ道消されるだけだ。
「あ〜、そう……」
それしかもう絞り出せなかった。スル、と足を解いて、そのまま静かに着地する。耳に力が入らねえ。……ダメだ、シラフで聞くにはしんどすぎる。ふらつく足取りで、アウトスカーツの方へ進む。
「兄者、また波乗りやろう。今度はいつものコーナーで」
「おお……」
「あと、公道レース。やっぱり、自分のスピナーで飛ばす方が楽しい」
「……だな」
「ホログラムの試合も面白かった。またメテムに実況も頼もう」
「ん……」
レッドホットが、隣を歩いてる。オレの返事なんて、聞いてるようで聞いちゃいねえ。とにかく思いついたまま、喋りてえから喋ってるって感じだ。そんなレッドホットは珍しいから、ひたすらとりとめのない話を聞き続ける。
「……そういえば」
思い出したように、レッドホットがこっちに顔を向ける。さっきまでとは違って、多分今度はオレの反応を求められてる。視線をチラリと合わせて、先を促した。
「オレが記憶なくしてる時、何隠してたんだ?」
「え」
何を聞かれても適当に返事できるようにと身構えてたのに、予想外のところから投げかけられて言葉が詰まる。ウロ、と視線がその辺泳いで、元々垂れてた耳が更にヘニャヘニャ下がってく。
「……兄者?」
疑いの目が、鋭くなってきた。……いや、無理無理無理。言えねえ、言いたくねえ、絶対に嫌だ。記憶なくしてるお前に『オレたちヤることヤってんだぜ〜』なんて言えねえからってはぐらかしつつ接触控えてたら妙に寂しくて、寝てるレッドホットの頭撫で回したりあちこちつついたりして気ィ紛らわしてたとか、絶対に言えるワケがねえ! 結局ちょっと我慢できなくて起きてる時にも何回か頭撫でようとしちまってたし!
「あ〜、雷ひどくなってきやがった。とっとと帰ろうぜ」
「兄者、さすがに騙されない」
「いやァ、雷鳴すごくてなんも聞こえねえわ!」
「兄者!」
地面を蹴って、アウトスカーツから一直線に慣れた道を駆け抜ける。後ろからデケェ足音が聞こえてくるけど、足の速さじゃあいつはオレに勝てねえ。軽く撒きつつ、あいつの気を逸らすためにどうすりゃいいか頭を回す。
疲労とか、んなモンとっくに吹っ飛んだ。オレはあいつより、ずっと先に行かなきゃいけねえんだ。あいつはずっと、オレの背中を追い続けてる。なら、疲れたとか言ってらんねえだろ。
後ろから、バカデカい雷が落ちた音が響いてる。足音は止まらない。……そりゃそうだ。怖いものなんて、今のオレたちには何一つねえんだから!
「世話になったから、これ」
「わっ、わざわざありがとう……」
「……これ、アナタひとりで配ってるの?」
菓子折りを両腕に抱えてジム・トライテールとアルカディアの控え室、ネクサスアーケードとあれこれ回って。続いてモザイク・コーヒーに来てみれば、ウィケッドサンダーとヴァンプ・ファタールが何か飲んでいた。袋は残りふたつ、コイツらで最後か。あの時世話になった奴らに、今日一日で全員会えるなんてラッキーだ。
「兄者が、菓子折りでも渡して来いって」
「その兄者はどうしていないのかしらって聞いたのよ」
ヴァンプ・ファタールに軽く睨まれて、少し言葉が詰まる。……兄者には、いい感じに嘘つけよって言われたが。こういう時にいい感じの嘘なんて、オレにはつけない。兄者だって知ってるくせに、そういうところは適当だ。
「オレひとりで回った方が、貸しだとか言われなさそうだからって」
「……そこは、嘘ついた方が良かったんじゃない?」
オレもそう思う。強く頷けば、ウィケッドサンダーが困ったみたいに笑った。ヴァンプ・ファタールが呆れてため息をつきつつ、オレの差し出した袋に手を伸ばす。
「可哀想な弟に免じて、貸しだとかは言わないであ、げ、る。この品を選んだのは、ディープブルーでしょうしね」
いいセンスだわ、とヴァンプ・ファタールが中身を見て小さく呟いた。兄者、適当に選んだとか言ってたけど。そういうところは抜かりない。手が込んでるのか適当なのか、兄者の考えることはよく分からない。
「あれから調子はどう? その、頭とか痛かったりは」
「平気だ。たんこぶもできてない」
どうやらオレの頭には誰かの投げた缶が当たったらしいが、その辺りの記憶が一切ない。喧嘩に巻き込まれたところまでは覚えている、のだが……。相当当たり所が悪かったんだろう。記憶のほとんどがなくなるほどだ。それにも関わらず後遺症ひとつないのは、ウィケッドサンダーとブラックキャットのおかげだと思う。それには、本当に感謝している。
「アナタたち、本当に何も変わらないのね。記憶がなくなったレッドホットにものすごく優しくなるディープブルーとか、見れるかと思ったのに……」
「ちょ、ちょっと」
「冗談よ。記憶がちゃんと戻ったからこその、ね」
クスクス笑うヴァンプ・ファタールの言葉を、頭の中で繰り返す。……そうか、そういうこともあったかもしれなかったのか。ものすごく優しい、兄者。頑張って想像してみようとしたが、全然できなかった。もしそれで兄者が優しくなったなら、頭打ったのはどっちかっていうと兄者の方だと思う。まあ、でも。それでも、オレたちは。
「もし、そうなってたとしても……多分、そんなに変わらない。オレたちは、兄弟だから」
「……そういうもの?」
「そういうもの、かも。姉妹だってきっとそうだし」
分からないわ、とヴァンプ・ファタールがカップを煽る。うまく、伝わらなかったのか……? 頭を捻りながらウィケッドサンダーの方を見てみれば、ニコリと笑うだけ。どういう意味なんだ。反対側にも、頭を捻った。
と、通信端末が振動して、耳に手を当てる。兄者からの着信。嫌な予感がするが……一応、答えることにした。
『お前、今どこいる……あ、モザイク・コーヒーかァ? ちょうどいい、新作のヤツ買ってきてくれよ!』
「嫌だ、自分で買え」
ギャンギャン騒ぐ兄者の声がうるさくて、ギュッと目を瞑る。ケチだのなんだの、よく言えるなと思う。買ってこさせて、なあなあにして金も払わないつもりだ。いつもの事だから、よく知ってる。だから出るのも嫌だったんだ。
兄者が色々言って、その間でオレが言い返して。止まらなくなってきた言い争いの合間に、ウィケッドサンダーの笑い声が混じる。ヴァンプ・ファタールが、さっきと同じ言葉を呟いた。
「……アナタたち、本当に何も変わらないのね」
そりゃそうだ、オレたちは兄弟なんだから。同じ言葉を、頭の中で返した。