第58回トワスト、テーマ「ただいま」制作作品です。制作時間約1時間。ジェフとその師、メイヴンの話です(ジェフ幼少期の話になります)
@xxxyueyunxxx
いつも変わらない紫色の不可思議な空に、ふわりふわりと、光る花のようなものが舞っている。その光景は、この『魔界』と呼ばれる世界では普通のことであった。
魔界には、十の部族がある。それは、魔界に生を受けた生命体『魔族』が考え方の違いなどから分かれたと伝えられているものであった。
その部族の一つに、ティファレトと呼ばれる部族がある。ティファレトの治める領域の外れにあるひとつの庵が、今回の舞台である。
「……これは……どう読むんだろう……」
この庵には最近、小さな子どもの姿が増えた。すっと先の尖った耳に、僅かに縦長の虹彩――魔族の子どもだ。波打つウェーブした長い金髪と、シトリンの瞳を持つその子の顔は、将来はさぞかし端正な顔立ちになるだろう片鱗を既に見せていた。
「どうしたんだい、ジェフ? また何か分からないかい」
子ども――ジェフが頭を抱えていると、そこにやや鋭さを感じる女性の声がかけられた。同じ部屋で分厚い書物に向かっている、ストレートの金髪を後ろでひとつにまとめたトパーズの瞳を持つ女性のもとに、ジェフは読んでいた本を持って駆け寄る。
「……はい。メイヴン師、これはどう読めばよいのですか」
「これかい。これは魔法の名前だね。『心話』――魔族では、使えないものは誰もいないとされる魔法だよ」
使えないものは誰もない、という言葉を耳にしたジェフの顔色はさっと蒼白になった。――ジェフはまだ、魔法をひとつも使えないから。
「そんなに青くならずとも良いよ。今の坊は使えなくとも仕方ないのだから。これくらい、あたしが教えればすぐ使えるようになるさ。あたしが今やってることが終わったら、今日は『心話』の魔法を教えてやるとしよう。そうすれば、ジェフも安心だろう?」
ジェフのことなど、メイヴンはいつでもお見通しなのだ。大きく頷きながら、ジェフは瞳を輝かせた。
「そのために、ひとつ坊に頼み事があるんだよ。良いかい?」
「もちろんです、メイヴン師。何をすればよいのですか?」
「簡単なことだよ。――昨日、ジェフに教えた薬草を、何種類か取ってきて欲しいんだ」
メイヴンは紙を取り出すと、羽ペンですらすらと何事か書きつけ、ジェフに示してみせた。
「この薬草だよ。覚えているかい、ジェフ?」
「――はい」
「なに、最初のお使いだ。そんなに気負わずに行っておいで」
ジェフはメイヴンから紙を受け取ると、ひとつ礼をした。読んでいた本を自分用にと与えてもらった机の上に置いてから、近くにあった籠を手に持つ。
「それでは、メイヴン師。……出かけるときは、何と言えばよいのですか?」
多分、出かけるときにはそれ用の挨拶があるのだろう。そう考えたジェフは、いつものようにメイヴンに質問する。
「――『行ってきます』そう言えばいいのだよ」
「ありがとうございます。では、メイヴン師。いってきます」
メイヴンに見送られて、ジェフは庵の外へと、駆け出して行ったのであった。
「――あった。これが、メイヴン師にたのまれた薬草だ」
薬草が豊富にあると教えられた地に赴くと、すぐに求めるものは見つかった。
「……ええと。この薬草は根を傷つけないように、葉っぱだけ……こっちのは、根っこを使うから、根っこごと……」
教えてもらったばかりのことを思い返しながら、ジェフは薬草を籠に入れていく。
「これくらいかな。――薬草に限らず、何でも必要なものを必要なだけ、ってメイヴン師は言ってたから」
ジェフがメイヴンの元に住まうようになってからまだそんなに時は経ってないが、毎日学ぶことだらけだ。もっとも、そんな日々がジェフは楽しくて仕方ないのだが。
「この薬草は、何に使うのかな。――あとでまた、メイヴン師に教えてもらおう」
立ち上がると、ジェフは軽い足取りでメイヴンの庵を目指して走り出した。
空に舞う光花の数が、だいぶ減っている。もう少ししたら食事の時間だろう。
庵に戻ったジェフは、扉を軽くノックした。
「誰だい?」
「メイヴン師。ジェフです」
扉を開けようとしたら、扉の方から開いた。メイヴンの姿が、すぐに見える。
「お帰り。――ちゃんと集められたようだね」
メイヴンはジェフの持つ籠に視線を向けると、満足そうに微笑んでいる。
「さあ、お入り。まずは食事にしよう」
だが、ジェフは中に入れなかった。――メイヴンは、またジェフの知らない言葉を使った。「おかえり」という言葉に、対応する言葉は何だろうか。それを言わずに入っては、いけない気がする。
「どうしたんだい、ジェフ? 何かあったかい」
「……あの、メイヴン師。『おかえり』という言葉に対応する言葉が、あるのだと僕は思うんです。その言葉を、教えてください」
ジェフがメイヴンの顔を見上げると、頭をひとつ撫でられた。
「それはね。『ただいま』という言葉だよ。外から戻ってきたら、そう呼びかけて入ればいいんだよ」
ただいま。――初めて聞く響きだった。初めてだったが――戻ったときに呼びかける言葉があるというのは、何と良いことだろうか。自然と胸が、温かくなってくる。
「ありがとうございます、メイヴン師。それでは、やり直します」
ジェフは一拍置いてから、その言葉を口に出した。
「――ただいま、メイヴン師」
「お帰り、ジェフ。よく出来たね」
呼びかけた言葉に、応えてくれる言葉がある。――迎えてくれる、ひとがいる。それもここに来て初めて、ジェフが得たもの。
またひとつ知った温かい言葉を胸に、ジェフは庵の中へと戻っていったのであった。