@dokkoise_amo
昼時とあって、購買の前に伸びる列は丹恒の見込みよりも随分長いものだった。ようやく会計の順番が回ってきた頃には、昼休みの貴重な時間がそれなりに削られていて、戦利品の詰まった紙袋を片手に提げ、丹恒は少し早足で廊下を引き返す。
教室の扉を開けると、食堂や購買へ散っていったクラスメートたちの抜けた空白が、室内をいつもより広く感じさせた。残った者たちは思い思いに昼休憩を過ごしている。自分の席で一人静かに弁当を広げる者、仲のいい友人の机を寄せ合ってにぎやかに笑い合う者。
真夏の太陽が高いこの季節、節電対策でこの時間帯の教室は半分程電気が消されている。が、特に暗いという感じはしない。高く上り詰めた真昼の太陽が、開け放たれた窓からこれでもかと光を押し込んでくるからだ。眩い日差しは窓枠の形そのままに床へ落ち、薄暗い教室の中に鮮やかな四角を切り抜いていた。
その光の中心に、丹恒の目的の席があった。
「待たせた」
椅子に座ってぼんやり窓の外に顔を向けている芦毛の頭に声をかけながら、丹恒は一つ前にある自身の席に腰を下ろす。
「全然ー。今来たとこ」
こちらを見るなり片手をひらひらと振ってみせた少年は、机の横にかけてある鞄から弁当箱の入った包みを取り出した。
「今来たも何もここはお前の席だろう。それより穹」
丹恒も抱えていた紙袋を机に置くと、そのまま包みを解いて今にも弁当を開けようとする相手に声をかける。
「薬が先だ」
「んぁ? はーい」
穹はそうでしたと言わんばかりに鞄から大きめの保存袋を引っ張り出してきた。でかでかと『昼用』と書かれたその保存袋の口を開けてそのまま逆さまにすると、中に入っていたカプセルや錠剤たちがザラザラと雪崩を打って机の上に散らばった。随分と見慣れた気がするが、それは一般人から見ると【昼用】としてはかなり多い薬の量だった。
「相変わらず薬多いね」
ふいに頭上から声がかかりそちらを向くと、隣のクラスの三月なのかが弁当を抱えてこちらを覗き込んでいた。
「あれ?なのじゃん。今日はこっちで食うのか?」
「うん。昨日はウチのクラスで食べたからねー」
三月が視線を教室の前方に向けたのにつられて見ると、一番前の席で三月とよく一緒にいる女子が「よっ」と片手を上げている。どうやら最近はお互いの教室で交互に昼飯を食べているようだ。それに応えるように三月は手を振り返すと、穹の机にばら撒かれた薬たちにもう一度目を落とした。
「で、いつも思ってたんだけど結局これ全部どんな薬なの?」
1回分とは言え大量に転がる薬に目線を合わせるように聞く三月に、穹は腕を組んでうーんと考える素振りをした。
穹は生まれつき身体が弱い。
それはこのクラス、或いは学年内の周知の事実で、週に一度は放課後に検査へ行っている。と、それだけであれば、ただ穹はその身体の弱さ故に薬を大量に摂取しなければならないように見えるが、実際はもう少し事情が異なっていた。
穹の、彼の体内には星が埋まっている。
正確には星の死骸の欠片。
本人から聞いた話では、穹は元々生きて五年、十年生きられれば奇跡と言われていたらしい。あまりにも早い余命宣告を前に、親は穹を施設に預けてしまった。しかし身体の弱い子供が施設に入ったところで、できることには限りがある。そんな時に声をかけてきたのが、ある研究機関だった。
死んだ星の残骸の欠片を体内に取り込み、その中に残されたエネルギーを使って身体の弱い人間が生きていけないか。そのような実験をしているのだという。成功すれば、同じような境遇の人間たちの希望になるかもしれない。ただし、実験はあくまで実験だ。身体の弱さ、あるいは拒否反応を起こして早々に死ぬ可能性もある。逆に、死骸とはいえ星の膨大なエネルギーを含む欠片の力で、人間の寿命をはるかに超えて生き続ける可能性もある。どうなるかは現状誰にもわからない。そんな実験に穹は参加している。
「これが秘密の薬」
窓側に転がっていたカプセル薬に指を差して、いかにも重要なことを語るような声色で穹が答えた。
「これも秘密の薬、秘密の薬、秘密の薬ーー」
順々に机の窓側から「秘密の薬」を言い並べていく。最後、一番端にある透明な包装の粉薬を指さすと、穹は一段と自信あり気に言った。
「そして、これが胃薬」
「胃薬だけは秘密じゃないんかい!」
「こんなに薬飲んでたら胃が荒れちゃうだろ」
穹が人差し指をピと立ててやると「そういう問題?」と三月は笑った。
それから少しの他愛のない話をして、三月が友人のところへ向かうのを見送ると、穹は「まぁでも確かに薬多いよなー」と先程指を差した順に薬をパッケージから取り出しながら、ひとつずつ水で流し込み始めた。 丹恒はその様子を眺めながら、購買で買ったパンの袋を開けるのだった。
これらの薬は丹恒も何かは知らないが、単純に考えて、全て穹と、その体内にある星の欠片との結びつきを補強するもののはずだ。少なくとも丹恒はそう解釈している。毎日昼の時間、食前に摂取するそれのリマインドを行うのが丹恒の日課となっていた。
研究は極秘事項だ。穹はその辺り対応に慣れていて、周りに何を飲んでいるのかと聞かれれば笑いに変えて、深く踏み込まれそうになれば軽く流していく。少なくともこの場で知っているのは丹恒だけ。なぜ穹は自分にだけこの秘密を言ったのか、何故自分だったのか、それはわからない。知ったところでやっているのはこうして昼に薬を飲むことを忘れないよう伝えることだけで、それであれば研究について知ってようと知っていまいと変わらないではないか、と思ってしまう。ただそれ以外に何か自分にできることが果たしてあるのかと言われると、いくら考えたところで学生には何の力もなければ策も浮かばない。丹恒はそれ以上考えるのをやめて、パンを一口齧った。
「それ何?」
ふと穹がミニトマトを器用に箸で持ち上げながら言った。目線の先は丹恒の持つパンだ。これは恐らく、と言うより確実に狙っている時の聞き方だ。
「パン」
「それは見れば分かるって。何パン?」
「……ハムチーズ」
「うまそ」
そう言うと、突然穹は箸でつまんでいたミニトマトを丹恒の口に突っ込んできた。
「っ、」
唐突に物を口に突っ込まれて上手く食べれる人など稀だろう。丹恒も例外ではなく、急に自身の口目掛けて突っ込んできたミニトマトを上手く口にすることなど出来るわけもなく。哀れにも丹恒の前歯に行く手を阻まれたミニトマトは、そのまま跳ね返され宙を舞った。床に転がる前に上手くキャッチできたのが不幸中の幸いだろう。
掴んだミニトマトをそのまま穹に掲げて見せると、当の本人はニコニコと笑い「食べて」と言った。こいつはそのままこれを落としていたらどうするつもりだったんだ。
溜息を一つ、手のひらのミニトマトを口の中に放り込んで噛んでやると、ぷつり、と薄い膜が破れて口の中で甘みと少しの酸味が広がった。
「それ美味いだろ。姫子が庭で作ってたやつなんだ」
「美味しいのは分かるが、やり方があるだろう。お前は」
姫子とは、穹が現在住んでいる家の主だ。穹の実験を行っている研究所のメンバーの知り合いということで、研究所から出て身寄りのない穹を引き取って共に暮らしているお姉さん、いやお母さんと言っても過言ではない人。勿論穹の状態も知っている数少ない一人になる。
「じゃあ、丹恒のも一口ちょうだい」
穹は、あ、と口を開けるとこちらへどうぞと言わんばかりに顔をずいとこちらへ近づけた。
「自分のを食え」
「む、いいじゃん減らないし」
「減る」
「ちょっとだけ」
やはりそうなるか、と丹恒は呆れ気味にパンをちぎってその開かれた口にそれを差し込む。と、穹は何とも幸せそうに「うまー」と咀嚼をし始めた。そんな大層なものではないだろうと思いながら丹恒は手元のパンに視線を戻す。毎回何だかんだ穹の要求に答えてしまう自分に、もう一度溜息をついた。
本日の授業も無事に終わり、丹恒は鞄に教科書やノートを詰めながら帰宅後のことを考える。と、不意に背後からちょんちょんと肩を突かれた。後ろの席に穹がいるのは分かっている。「どうした」と振り返ると、突いてきたその指が丹恒の頬に食い込んだ。
「丹恒のほっぺたぷにぷに~」
「やめろ」
「丹恒もいつだって俺にやっていいからな」
「やらない」
「俺のほっぺもこんなに柔らかいのに」
穹は丹恒の頬を突く指はそのままに、もう片方の手で自身の頬を突いて見せる。すぐにでも触ってくれと言いたげな目を見て、仕方がないので「今度な」と返してやると「やった!」と穹は笑った。
鞄を持って席を立つと、穹も合わせて席を立つ。示し合わせたわけでも、声をかけたわけでもない。いつからかは憶えていないが、少なくとも丹恒が穹の秘密を知ってからはずっとそうだった。
「帰ろ」
先に言ったのは穹で、丹恒は返事の代わりにそのまま教室を出た。穹はその後に続く。廊下を抜けて、階段を下りて、昇降口で靴を履き替える。その間、穹は今日の授業がどうだったとか、購買に寄ったら新作のジュースが置いてあったと喋ってくるので、丹恒は相槌を打ちながら歩いた。
学校の外は、夕方の少しひんやりした空気が漂っていた。
帰り道、教室を出た時とは打って変わって丹恒は穹の後ろを歩いていた。車通りは少ないが、歩道が狭い道。穹はひたすらに車道との境界である白線の上を歩いていた。縁石の上を歩く子供みたいに、両手を少し広げてバランスをとっている。
踏み外すたびに、
「死んだ」
また白線に乗り直して、
「死んだ」
また乗り直す。そんな事をずっと繰り返していた。
「……何をやっているんだ」
「修行」
「何の」
「死なない修行」
まるで小学生だな、と丹恒は思った。黙っていれば大人しそうな、儚い顔をしているくせに、やることがこれだ。丹恒は呆れながらも歩調を緩め、少し後ろを歩く。穹が白線からはみ出さないか、なんとなく目で追いかけていた。
「明後日研究所行くのダルいな」
穹が白線の上で言った。表情はわからなかった。
「採血めんどくさいんだよね。今回多めらしくて」
「……何本取られるんだ」
「わかんない。でもまぁ慣れたし」
「そうか」
「別に痛くないしさ」
「そうか」
大量の薬を日々摂取しなければならないのも採血を行うのも、恐らく穹はとうに慣れている。仕方のないことなのにそれを聞くと、何故か丹恒の気持ちは少し暗くなってしまう。可哀想という同情なのだろうか。この感情の出どころが上手くまとまらない丹恒を尻目に、穹はまた「死んだ」と言いながら白線に乗り直していた。
暫くそうして歩いていると、ピピッと電子音が二人の間に響いた。どうやら穹の携帯のようだ。穹は歩みを緩めてポケットからスマホを取り出すと、画面を一瞥してまた元のポケットに戻した。
「どうした」
「んー、誤作動。よくあるやつ」
誤作動。それは恐らく穹の体内で何が起きているかを常時監視しているあの装置のことだろう。穹の心拍などを見て、異常値であればアラートが鳴って研究所へ連絡が自動で行くのだという。本当に誤作動なのか。穹の、スマホが仕舞われたポケットから目が離せなかった。
そして白線の上で、穹がまた「死んだ」と言った。