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2Pアシアル

全体公開 ロスアル 4792文字
2026-06-21 20:35:11


 今になって思えば、まったくひどいものだった。うんざりする。もう忘れてしまいたい! 全部お前との出会いのことだよ。
 少し前のこと、クレアシオンが道を歩いていたら、真っ黒い泥の塊みたいなものが落ちていた。それがボクだ。
 クレアシオンは魔王と戦っている勇者だから、てっきりボクが魔族だと思って、五回ボクに攻撃魔法を放った。なぜって、一回攻撃しても、ボクの動きが止まらなかったかららしい。
 けれどもそのお陰で、ボクは目と耳と口を作る穴を手に入れた。それってまるで素晴らしいことだった。つまり、クレアシオンはボクの世界に光あれとやってくれた救世主だ。
 初めのうちは眩しかった。ボクはボクが泥の塊のような見た目をしていることも全然知らず、動くものを親鳥と勘違いする雛のようにクレアシオンについて行った。クレアシオンも怖かっただろうな。攻撃してもちっとも死なない魔族なんだかわからない奴がついてくるんだもの。
「なんでついてくる」
 ついていくようになって何日目かの夜、クレアシオンはボクに言った。
 そのころ、クレアシオンはボクをもう魔族だと思っていないようだった。少なくとも、ボクはクレアシオンを攻撃しようと思っていなかったし、敵じゃないとわかって面倒くさくなって放っておいているような感じだ。ボクは目と耳の使い方はわかったけれど、まだ口の使い方はよくわからなかったので、ただ体を捻った。クレアシオンが首を捻って、そう、それだ、と思った。
 それからボクは、クレアシオンの形を真似をするようになった。今思うと、本当に親鳥を真似する雛そのものだ。でも、ボクが初めて見た生き物はクレアシオンだったし、クレアシオンにもっと近づいてみたいと思っていたから仕方ない。今もそうだよ。
 クレアシオンは頭がある。それから胴体と腕と二本の足。ボクの体はまだ未定義で不安定だったので、それこそ泥人形をこねるように好きにできた。でも、身長だけはどうにもならなかった。どうやら、クレアシオンについてくるまで、歩くということを知らなかったので、体を引きずってきたら、だいぶ削れてしまったらしい。けれども、クレアシオンの肩くらいの身長にはなれた。
 服はクレアシオンがなんでかくれた。真っ黒なシャツと短パンだ。長ズボンをもらったのだけれど、ボクの足には長すぎて、調節しようと思ったらつい切りすぎてしまったのだ。
 クレアシオンはそうやってクレアシオンの真似をするボクを、やっぱり放っておくようだった。
 クレアシオンはどうにも、いろんなことをどうでもいいと思っているらしい。村に行って、「勇者様」「クレアシオン様」と口々に縋られても、ボクが湖をみて感動していても、クレアシオンは普段と変わらず黙っていたし、一瞥もしなかった。ボクはまだ言葉をちゃんと紡げなかったので、「クレアシオン?」とたった一言それだけちゃんと発音できる言葉で聞いた。クレアシオンはボクを少しだけ見たけれど、やっぱり黙っていた。
 ボクとクレアシオンの旅は、ものすごく奇妙なものだった。そりゃ出会いから奇妙なものなんだから、一緒にいるのも変に決まっている。
 いく先々の村の人たちは、全然喋らないクレアシオンと、クレアシオンの名前しか喋れないボクを不思議そうな目で見た。二人きりでいる時は少しも困らないので、なぜみんな不思議そうにしているのかが不思議だったけれど、モンスター退治のために少し長く滞在した村で、親切なおばさんが、ボクに言葉を教えてくれた。どうやら異国の人間だと思われたらしい。ボクが今話せるのは、彼女のおかげだ。
 言葉を覚えて、たくさん話しかけたら、クレアシオンも色々と話してくれるかもしれないという下心ももちろんあった。
 いくらか話せるようになってから、ボクはクレアシオンにいろんなことを話しかけた。
「クレアシオンが好きなものは何? ボクはねー、前の村で食べた卵焼き!」
 クレアシオンは黙っていた。
「足で歩くのって大変だね。二本足で歩いてると、次にどっちの足を出すのかわからなくならない?」
 クレアシオンは黙っていた。
「クレアシオンのマントみたいなのが欲しいな。お揃いがいい」
 クレアシオンはようやく呆れたように唇の端を曲げた。どうやら笑っているようだ。
……転ぶぞ」
「なんで?」
「足に絡まる。きっと」
「そんなことないよ」
 クレアシオンはボクが転ぶ様子を想像したようだった。ちょっと情けない理由だったけど、クレアシオンが笑うなら、なんでもいいかと思った。
 ボクが話せるようになって、旅はすこし楽しいものになった。なんでって、クレアシオンにいろんなものの話ができる。
 自分がどう思っているかを人に共有できるのが、こんなに楽しいと思わなかった。一人でもいろんな新しいものを見て楽しかったけれど、クレアシオンに話すともっと楽しい。どうしてなのか、ちっともわからない。でも、空が青いのも地面が茶色いのも、硬いのも、風が心地いいのにうるさいのも、全然どうしてかわからないので、わからなくてもいい。大事なのは、クレアシオンに話していると楽しいということだ。
 もちろん、一番楽しかったのはクレアシオンに出会った時のことだったので、それも話した。
「すごかったんだ。ものすごく眩しくてきらきらしてたんだ。全然周りのものなんて見たことなかったんだから。最初は真っ白で、訳が分からなくて、いまだったら何か爆発した? って思うくらいだったんだよ」
 クレアシオンは普段の無表情でそれを聞いていた。ボクがなんどか、ねえ聞いてる? と尋ねると、ようやく小さな声で、「お前がそれでいいならいい」とだけ言った。
 しばらく過ごすうちに、クレアシオンはボクに攻撃したことをちょっと後悔しているらしいということに気がついた。
 なんだ。そんなこと気にしなくて良かったのに。
 あの時のボクの体は、まだ未定義で不定形。痛みを感じる体でもなかったので、感想としては、うわあ、なんだろう、くらいいしか考えていなかったのだから。
「今は、クレアシオンの体を真似したから、痛いよ。この間転んだのも痛かった!」
 クレアシオンは、「転ばないようにしろ」とだけ言った。
 クレアシオンは勇者だった。魔王を倒すために旅をしていた。魔族との戦いの時は、ボクは隠れていたし、詳しいことはよく知らない。クレアシオンはボクに手を出すなと、何度も念入りに言っていた。
「これはオレの問題なんだ」
 そうなの?
「だからお前には関係ない」
 そうなの? でもなんだかそれってすごく寂しい気がする。
 言葉をたくさん覚えたのに、ボクはクレアシオンにそれを言うことができなかった。言ったら良かったのに、と今更思っている。
 クレアシオンとは少しの間、旅をした。短くもない長くもない、そんな旅だった。
 山に登った。頂上の空気が澄んでいて気持ちが良かった。クレアシオンに、「山のてっぺんからなら、あの天井に手が届くかな」と尋ねると、「あれは空で、一生手は届かない」と教えてくれた。
 海にも言った。はしゃいで溺れかけたボクを、クレアシオンは引っ張り上げて助けてくれた。海に入ることは禁止されてしまった。クレアシオンが、「肝が冷えた」とぼそりと言うので、なんだかとても悪いことをしてしまったような気がした。
 街にも行った。クレアシオンは勇者様だと街の人たちは口々に褒め称えた。クレアシオンは森で野宿している時のほうがよほど過ごしやすそうだった。
 夜通しモンスターから逃げて、やっつけた時は夜が明ける時だったことだってあった。
 薄水色の世界の地平線から、驚くほど眩しい太陽が、全てを黄色く染めながら登ってくる様は、まるでクレアシオンと出会った時のようだった。クレアシオンにそう教えてやると、クレアシオンは少しだけ笑って、「そうか」と言った。
 二人でたくさん歩いていると、クレアシオンはだんだんまるでボクがいるのが当たり前のようにふるまった。だからボクも、安心して、ずっとそうだと思っていた。

 やがて、クレアシオンは魔王を追い詰めた。勇者なのだから当然だ。おとぎ話の中で、勇者は魔王を撃ち倒すと相場が決まっている。

 クレアシオンは魔王を押し倒し、顔の近くの地面に、大剣を突き立てた。魔王は若い男のような格好をしていて、クレアシオンを、「シーたん」と親しげに呼ぶ。
 戦いがひと段落したんだと思って、ボクは二人に恐る恐る近づいた。
 魔王は、「面白いのを連れてるじゃないか。ほらー、どっかの国の……そうだ、渾沌に似てるな。でももう人間だ。ほとんど」とボクを見て笑った。
 まるで負けた人のように思えない。
 クレアシオンは縋り付くように大剣を握っていた。頭からはぽたぽたと血が流れている。
「クレアシオン」
 流れる血を止めたくて、ボクはクレアシオンに呼びかけた。けれども、クレアシオンはようやくそこでボクを見たのに、ひどく疲れ切った目をしていた。いつもだったら、口の端を少し曲げて、小さく笑ってくれるのに。
「アルバ」
 最初、なんの単語かわらかず、ボクは固まった。
「夜明け、という意味だ。お前のことだよ」
 クレアシオンはボクの名前をそう決めたようだった。それまでボクの名前なんてなかった。何せ形は不定形、ボクはクレアシオンに出会うまでボクではなかったのだから。
「いいの? 名前もらって」
 夜明けはすごくいいと思った。いつか、二人で見たあの夜明けを思い出した。
 クレアシオンは、「アルバ」ともう一度言った。ボクは「クレアシオン」と応えた。
 クレアシオンは、満足そうに笑って、ただ一言、「じゃあな」と言って、魔王と消えてしまった。
 たった一本の剣になって。

 たくさんの人が言うことには、クレアシオンは魔王に封印魔法をかけて、自分も一緒に眠ってしまったらしい。
 封印だから、死んだ訳じゃない。いつか封印が解ける日が来る。そんなことになったらどうしよう、と心配性の人間が言うと、周りの人々は、「勇者様も一緒に目覚めてなんとかしてくれるさ」と笑った。
 クレアシオンはそれまで目が覚めないらしい。でもそうなったら目が覚めるらしい。
 よし、とボクは世界の端っこで小さくなる。まるくなる。
 クレアシオンがいなくなったので、クレアシオンの真似をしていた形はだんだん忘れてしまった。まるくちいさな泥の塊のような見た目に戻っていくのがわかる。削れたところは治らない。クレアシオンが開けた穴もそのままだ。だから形を忘れても、光は忘れられなかった。
 今になって思えば、ボクたちの出会いときたらまったくひどいものだった。でもそれ以上に大切なもので、そんなもの、忘れてしまいたい! 忘れられたら、こうやって小さくまるくなって、くらいところでじっとしていたら、眩しさなんて忘れられただろう。お前のことだよ、クレアシオン。お前に偶然行き合わなければ、ボクの世界はこんな眩しくなくって、何にも考えないまま世界が終わるまでそのまんまだっただろう。
 ああまったく、忘れてしまいたい。
 いつかこうしてじっとして、お前に会えるだろうか。会えないだろうか。分からない。クレアシオンのまたな、がないお別れの意味をどうして、ボクは知ってしまったんだろう。言葉だって覚えなかったら良かった。
 ああ、お前との出会いを忘れてしまえたら良かった。そうしたら、いつかまたお前と会うことを期待しなくて良かったのに。
 クレアシオン、と目をギュッとつぶって、光を追い出すように呟く。たった二度しか呼ばれなかった自分の名前を呼ぶ声を、ボクは世界の終わりが来ても、ずっと待っている。


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