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甘党の得意分野

全体公開 神無三十一受け 2 17 4168文字
2026-06-25 18:09:43

カルみと ストレス発散の話
シナリオネタバレあり

 

 風呂上がりの濡れた髪が優しくかき上げられ、温かな風が心地良い距離で当てられる。
 そのままいっとう大切なものを扱うような手つきで髪を梳く背後の彼に、神無はどんな顔をすれば良いのか分からず俯いた。

 「神無ちゃんの髪って柔らかいね」
 「そ、そっかな……?」

 いったい、何故こんな状況になったのだろうか。
 そう困惑した神無は、自慢の頭を回して懸命につい数時間前の記憶を振り返る。

 夜、そろそろ風呂に入ろうと考えていた頃にインターホンが鳴った。
 不思議に思いながら扉を開けたところ、そこにはケーキの箱をぶら下げて、わずかに硝煙の香りを纏う縞斑が立っていたのだ。
 約束もなく彼が家にやってくることなど初めてだったが、驚く神無に彼は『近くに寄ったから顔が見たくなっただけ』と言ってあっけらかんとした笑みを見せたのである。
 とはいえ追い返す理由はないと迎え入れた神無は、まだ風呂に入っていないらしい縞斑にふざけて『先輩も一緒に入る?』と提案したのだ。
 ところが、縞斑はその提案に二つ返事で頷いた。
 それどころか、全部俺にやらせて、という不思議な提案を返されてしまったのである。

 「…………ほんとに全部してもらった……
 「ん、何か言った?」
 「いや……なにも……

 そして現在、神無は宣言通り縞斑に何もかもされるがままで風呂を終えて髪を乾かしてもらっているのだ。
 こちらが拍子抜けするほど何一つ邪な接触もなく、ただ丁寧に髪と体を洗われて、拭かれて、肌の手入れから髪を乾かすところまで何もかもを今夜は縞斑が担っている。
 
 「先輩、俺が家に居なかったらどうしてたの?」
 「どうって?」
 「だってほら、お土産のケーキとか……俺が居なかったら先輩食べないじゃん」

 いつもなら訪れる前に在宅を確認する縞斑が、連絡も寄越さずに無計画のまま手土産を買うなんて初めてのことだ。
 冷蔵庫の中で休んでいるショートケーキふたつはおそらく、甘いものが特別好きというわけではない縞斑には少々荷が重いだろう。
 ところが神無の心配を他所に、あぁ、と気の抜けた相槌を打った縞斑は、ドライヤーを冷風に切り替えながら呑気に言葉を続けた。

 「そういえばそうだね。神無ちゃんが家に居てよかったよ」
 「ま、まじで無計画だったってこと……?」
 「駅前を通り掛かったときに桃のケーキを見かけて、神無ちゃんそういえば食べたがってたなーって思った直後には買ってたから」
 「それは……まぁ確かに言ったけど……
 「もしものときは持ち帰ってニトとリトにあげるつもりだったんじゃないかな?」
 「なんで自分のことなのに疑問系……

 ここに至るまでに何度か家に来た理由を尋ねた神無だが、縞斑からは曖昧な相槌しか得られなかった。
 いったい何が目的だったのだろうか。そう首を捻る神無の混乱などつゆも知らずに、縞斑はドライヤーを片付けると乾いたばかりの柔らかな髪を満足げに撫でる。

 「うん、完成」
 「ありがとう……
 「ふわふわだ。綿毛みたい」

 嬉しそうに自分を抱き寄せる縞斑は、さながら召使いのような行動を取っているにも関わらず心底幸せそうだ。
 彼が嬉しいのならそれでいいかと神無が納得しているうちに、縞斑は一度体を離すとてきぱきと冷蔵庫からケーキを取り出してテーブルに持ってくる。

 「はい。どうぞ」
 「う、うん……いただきます」

 生クリームと薄桃色の桃が盛られた宝石のようなケーキを差し出された神無は、己の素直な食欲に従っておそるおそるフォークを受け取った。
 口元に持っていく途中で思わず一瞬匂いを確かめてしまったが、怪しいものが仕込まれている様子もない。
 口に含んだ途端、甘酸っぱい桃となめらかな生クリーム、柔らかなスポンジの甘く幸せな味に包まれて、思わず神無は考えを放棄して目の前のスイーツを無心で貪りたくなった。
 ケーキを啄む手は止めず、最高のスイーツを味わうための味覚も研ぎ澄ませたままで、器用にも神無は思考だけを継続して回す。
 そんな彼のことを背後から抱きしめた縞斑は、何を言うでもなくケーキを味わう神無のことを嬉しそうに見守っていた。

 「おいしい?」
 「うん……先輩、ほんとに食べなくていいの?」
 「いいよ。もとから神無ちゃんのために買ったものだから」
 「なら遠慮なくもらうけど……

 どうやら、テーブルの上で次の出番を心待ちにしているチョコレートケーキも神無のために買ったものらしい。
 アプリコットジャムの美しい黄金色を飾ったチョコケーキに、思わずごくりと神無が生唾を飲めば、その振動を感じ取ったらしい縞斑がくすくすと楽しげに笑った。

 「一口もいらない?」
 「いいよ。神無ちゃんが美味しく食べて」
 「わかったぁ……

 桃のケーキを平らげてチョコケーキに手を伸ばそうとした神無は、ちらりと縞斑の顔を振り返る。
 首を傾げて見せる彼の顔をじっと見つめていた神無はふと、その目元にうっすらと隈があることに気がついた。

 「……ん?」
 「どうしたの?」

 いつもならケーキは一日一個にしておけと注意する縞斑が、今では二個目を早く食べないのかと言わんばかりに促してくる。
 家にやって来たときからいつも以上に世話を焼いてくれる彼の僅かな違和感と疑問をかき集めた神無は、やがて思い至ったひとつの仮説に目を瞬いた。
 相変わらずきょとんとした様子の縞斑へ、神無はそっと手を伸ばす。抵抗がないことを確かめた神無は、そのまま持ち上げた手のひらを縞斑の頭の上へそっと置いた。

 「……神無ちゃん?」

 瞬きをした縞斑が不思議そうな声を上げる。
 そんな彼の声がいつもより少しだけ掠れていることに気がついた神無は、少しずつ輪郭を帯びていく仮説に従ってそのまま縞斑の頭を撫でた。

 「えっと……おつかれさま……?」

 そう声を掛けて生乾きの髪を梳けば、ぴしりと固まった縞斑が目を丸くしてこちらを見下ろす。
 神無がそんな彼からしばらく目を逸らさずにいると、やがて縞斑は神無の肩に顔を埋めると深いため息を吐いて項垂れた。

 「…………ばれた?」
 「いや……なんとなくだったけど、今の反応で確信になった」
 「あー……じゃあとぼけておくのが正解だったか……

 肩口で話す縞斑の吐息が少しだけむず痒い。
 けれどそれよりも、自分がとてつもなく疲れていることを見破られて落ち込む恋人のメンタルケアの方が先決である。

 「……ごめん。神無ちゃんを利用するみたいになった」
 「いや、俺としては何も悪いことなかったし……

 つまり縞斑は、蓄積した疲れとストレスの発散に恋人をひたすら甘やかすことにしたらしい。
 ペットセラピーのような感覚だったのだろうかと首を傾げた神無は、ひとまず落ち込む縞斑の頭を撫でる手を止めないままで言葉を続ける。

 「ほんとにこれで発散できた?」
 「わりと……いや、かなりかも。想像の十倍くらい絶大な効果があった」
 「そ、そんなに…………
 
 単に期待が薄かっただけとも思われたが、どうやら甲斐甲斐しく神無の世話を焼いたこの時間は彼にとって有意義なものだったらしい。
 神無としても隅々まで体を洗われたことだけは恥ずかしかったが、それ以外は至れり尽くせりで王様のような贅沢気分を味わうことができた。
 恋人に甘やかしてもらっただけでなく、美味しいケーキに二個もありついているのだから、神無としては何の文句もない。

 ただ、強いて言うなら。
 一度縞斑を撫でる手を止めた神無は、よいしょ、と小さな声を上げて縞斑と向き合う形に座り直した。
 真正面から顔を覗き込めば、縞斑は気まずそうな表情でおずおずと神無を見つめ返す。そんな誠実な彼に向けて、神無は内緒話をするようにそっと囁いた。

 「……俺のこと甘やかすだけでいいの?」
 「え……?」
 「俺も先輩のこと、たくさん甘やかせるけど」

 呆けた唇に口付けてそう誘えば、信じられない様子でぱちぱちと何度も瞬きをしていた縞斑はついに口元を手で覆って視線を逸らす。

 「…………それはさすがに、年上として恥ずかしすぎない?」
 「えー?あんたの恥じらいポイントわかんないなぁ」

 珍しく頬を赤らめる縞斑を抱きしめてころころと笑っていた神無は、先ほど彼がそうしてくれたように縞斑の髪を優しく梳いた。

 「別にいいじゃん。恋人なんだからさ」
 「……だからこそだよ。良い顔したいだろ」
 「強がりぃ」
 「君が言うか?」
 「にゃはは、たしかに」

 もちろん神無だって、恋人の前ではかっこよくありたいという気持ちがある。
 しかし、知り合って間もない頃に散々恥を晒してしまった経験を持つ神無は縞斑より開き直りが早い部分があった。
 一方神無より一回り年上である縞斑は、恋人の前では大人びた姿でいたいというこだわりが案外に強いのだろう。
 年下に気を遣われて居た堪れない様子の縞斑を慰めるように撫でていると、やがて沈黙していた彼の両腕が持ち上がって神無を痛いほどに強く抱きしめた。

 「んぎゅ」

 思わず漏れた間抜けな声は少し恥ずかしかったけれど、今は縞斑の気が抜けるきっかけになったから良しとしよう。

 「……うんと甘いのがほしい」

 神無の肩に顔を埋めた縞斑は、彼にしか聞こえない声でぽつりと小さく囁いた。
 弱った彼には悪いけれど、自分を頼ってくれたことが嬉しくて、神無は口元に笑みを浮かべたまま縞斑のことをぎゅうと抱きしめ返す。

 「もちろん。甘いの大好きだから、任せてよ」
 
 甘党の得意分野だと笑う神無に、縞斑が安堵した様子で僅かに体の強張りを解いた。
 まずはめいっぱい抱きしめて、キスをして、頭を撫でて彼の頑張りをうんと褒めてあげなければならない。
 こんな時くらいしか甘やかされてくれない格好つけな恋人に、自分なりの愛情を伝える良い機会だと意気込んだ神無は手始めに、縋るように抱き寄せるその腕に負けない抱擁を贈ることにしたのだった。



 


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