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この愛(はな)を捧げて9話

全体公開 3 38 2 12037文字
2026-06-28 18:27:15

犯罪者花城×警官謝憐 9話 お待たせして大変申し訳ございませんでした。 ほんと亀で申し訳ございません。

今回謝憐と花城との出会いについての過去編と現代軸に一度戻るところまでです。
色々辻褄が合うように捏ねはしました。
また本編、5巻までのネタを多く含んでおります。
当方医療警察薬学諸々浅い知識ではございますがファンタジーだなぁと薄目で見てくださると助かります。

また、少しでも肌に合わなければそっと閉じてくださいませ。

拙い仕草で薬を患部に塗り、ガーゼと包帯を巻いていく。幼子はというとその間、手当されていく手元をただじっと眺めていた。
「慣れていないから下手なんだ、もし緩んだりしたら直してね」
新品特有の独特な糊の匂い。薬品も一緒に巻いているから鼻にツンと刺さる。謝憐は腕で鼻を一度擦ると誤魔化すように啜ってから再度巻き始めた。
……どうして、」
「落ちていく君をただ見てろって?そんなこと出来っ子ない」
「僕なんかを、助けたら、お兄さんが今度はあいつに責められる」
視線が下がり、唇を噛み締める幼子を見て謝憐はただ笑った。
「ははっ。なんで?悪いことをしていないのに責められるだなんて、そんな不条理通るわけない。なんなら君を抱いたまま人通りのある所で君の保護者のことを言いふらしてもいい」
「そんな、」
「そんなことしたら言い訳を並べ立てて、自分は悪くない、誘拐したのは私の方だと言うだろうけど果たして通行人や警察はどっちを信じるかな?救急箱と幼い子を抱えた血だらけの中学生と飲んだくれの呂律の回らない男」
言葉に詰まる幼子の柔らかな髪に指を通し手櫛で整える。
「君を責めた訳じゃない。つまりね、君は何にも悪くないし恐れることもないって言いたかったんだ。だって悪いのは君をこんな目にあわせた保護者だろ?君はきちんと保護されるべきだ」
両親からも困っている人がいたら手を差し伸べるようにと物心ついた頃から教えられている。そして今目の前には傷だらけで親から殺されそうになった、正しく絵に書いたような“困っている人”。それが謝憐の中の正義感を強く突き動かし、行動に移させた。
「簡単だけれど応急処置は出来たと思う。あとは病院に行ってきちんと診てもらうといい」
しかし当時の謝憐は悲しいかな、まだ中学生でほんの子供だった。病院に行くには親の付き添いが幼子には必要だとか、身分を証明するものが必要だとか、そういった大人ならごく当たり前のことに考えがまるきり至らなかったのである。そしてあまりにも素直すぎた。
「君、少し私に体を預けられる?」
救急箱をカバンにしまうと幼子の両脇に腕を差し入れ一息に抱き上げる。力を入れずとも栄養が行き届いていない細く小さな体はいとも簡単に宙に浮き謝憐の腕の中へと収まった。
「わ、」
「痛くない?」
「痛くない、けど、お兄さん、重くないの」
「このくらいなんて事ない。寧ろ君はもっと食べないとね」
普段は通り過ぎるだけだから気にも止めていなかった交番。謝憐は道筋を何となく思い出しながら走り、幼子をそこに預けることにした。
欠伸をしながら警官は中学生の子供を見遣り、聴取書を取り出すと手を振って促す。謝憐が先程腕の中の子供の保護者らしき男がベランダから子供を突き落としたこと、体の傷から日常的な暴力を奮われていることを話しても馬耳東風、聞いている間も適当な相槌を打つばかりで頼りない。それでもあのまま幼子を放っておくよりはマシだと、この時の謝憐は思ってしまった。警察であれば安全だと。
……じゃあここでいい子にしていて。警察の人がどうにかしてくれる。私はここまでしか出来ない」
「お兄さん、行っちゃうの
「お兄さんもね、君のそばにこのままいてあげたいけど学校があるんだ」
謝憐とてきちんと然るべき処罰をあの保護者が受けて、この幼子が施設か別の親戚に預けられたという所まで見届けたいという気持ちはある。しかし所詮ただの学生である謝憐が首を突っ込めるのは幼子を警察に預けるところまで。
濡れ羽色をふわふわと撫で立ち上がると、警官に頭を下げてから謝憐はその場を後にした。
残された幼子はポケットに手を入れその拳をそっと大切に開く。中には赤いビーズがひとつ。それは幼子を助けた際に謝憐が学生鞄につけていた御守りが千切れ、地面に転がっていたものの一部だ。それを返さなければと思いながらもなんとなく手放せなかった


幼子を預けた後、謝憐は後ろ髪を引かれる思いで学校に向かい、帰り道何となく交番や幼子の家の前を通るように遠回りしたが特に何も無かった。罵声や何かを壊すような音も何もしない。いいように解決したのだと謝憐はこの時胸を撫で下ろし安心したのだ。自分の行いは正しく、誤りではなかったのだと胸を撫で下ろした。
しかしその安堵は僅か三日後に打ち砕かれることとなる。

謝憐は幼子がどうにも気になって登下校時に遠回りし様子を見た。けれど幼子は愚か人が極端に少ない。ほんの少し路地に入るだけでこうも異なるのかと驚きながらも通い続けること三日。幼子を手当したあの公園がなにやら騒がしかった。耳を済ませると複数の子供の声と何かを蹴る音、聞き覚えのある高い笑い声。それを聞いた瞬間、謝憐は地を蹴り飛び出していた。笑い声の主の腕を掴み羽交い締めにしてから押さえ込む。
「何をしているんだ!?戚容!」
「はぁ!?兄様!?兄様だ!やっと帰ってきた!」
キャッキャッと無邪気に笑いながら抱きつく少年は遠方に住む謝憐の従兄弟である。彼はどうにも昔から性格に少し難があり、物事の善悪の区別がつかないらしかった。何かをやらかす度に叱りつけているのだが響いていないのか年々酷くなるばかりで手に負えない。唯一力では謝憐に勝てないので押さえ込むことでその場を治めてきた。彼がいて楽しそうにしている状況で問題がなかったことなんて一度もない。案の定地面には全身砂だらけの小さな子供が頭を守るように丸まって倒れていた。しかもその頭にはビニール袋が被せられているではないか!戚容を引き剥がし、幼子の頭からビニール袋を取り去るとやっと呼吸が出来たのか酷く咳き込んでいる。
「かは、ケホッゲホ……ッ」
「大丈夫か!?うちの者がすまない!怪我は……あぁ!こんなに……!」
抱き起こし背を摩るうちに跳ねる濡れ羽色に目を見開き唇を噛んだ。この幼子は三日前に警察に預けたあの子であると気付いたのである。
「君!警察に預けたはず……!」
肩を掴み顔を覗き込むと頬は赤黒く、瞼も腫れて目が上手く開かないようだった。しばらくぼんやりと空を見つめていたがその目に光が宿り、満面の笑みを浮かべると飛び込むように抱きついてきた。
「神様のお兄さん!」
「クソガキ!!兄様から離れろ!!穢れる!!もっと痛い目見せてやる!!!!」
抱きつく傷だらけの幼子と顔を真っ赤にして罵詈雑言を浴びせる従兄弟。完全に板挟みとなった謝憐は困り果て、幼子をそっと抱き上げて従兄弟から距離を取った。
「兄様!なんだってそんなやつを構うんだ!せっかく俺が来たっていうのに!!」
「戚容、何故君はそうも弱い者虐めをするんだ!それも大勢で寄って集って!!この子を見ろ!君よりも年は下だし傷だらけじゃないか!」
癇癪を起こし、木の棒を振り回しながら従兄弟は「そいつが汚いのが悪い!」「目障りだから躾けた!」などと喚き散らしている。言動から100パーセント彼に非があり、幼子は完全な被害者であった。
……うちの親戚なんだ、本当にごめんね。よく言って聞かせるから……それより、君警察に保護されたんじゃ?」
顔についた砂埃を払ってやると幼子は俯いて口籠もり指先を弄って逆剥けた皮を剥いだ。
……家に連絡されて、連れ戻された」
「なんだって!?」
幼子曰くあの保護者は外面だけはやけに良いそうで頼りない警官は呆気なく騙されていたのだという。挙げ句の果てに「もうお父さんを困らせてはダメだよ」という余計な一言まで添えてさも自分が良いことを成し遂げたという風に誇らしげに笑っていたという。連れ戻された幼子はというと案の定殴られ蹴られ、ボロ雑巾のように扱われた。隙をついて家を抜け出し、公園に避難していたところ運悪く気性の荒い従兄弟に目をつけられ、今に至るというわけだ。
「私が余計なことをしなければ君がこんなに傷を負うこともなかったかもしれない」
謝憐という人はいつだって正しいと思うことを迷わず選択し、実行に移す。けれどそれが却って事態を悪化させることもあるのだと今目の前で突きつけられ、衝撃で目眩を起こしていた。
兎にも角にも手当てが最優先だと滲む涙を乱暴に拭い、幼子を抱えたまま自宅へと走った。後ろから従兄弟の聞くに絶えない罵詈雑言が響いているがアレは後からでもどうとでもできると判断し無視をする。
「痛むだろうが少し我慢して」
落ちぬように華奢な体を抱き込んで息を切らす。細い指が服にしっかとしがみつくのを確認し速度を上げると転がるように玄関の扉を開けて靴を脱ぎ捨てた。

向かったのは浴室。まずは汚れた体と傷口を綺麗にしなければ。シャツを脱ぎ、上裸になるとそのまま幼子の薄汚れたシャツに手をかけ有無を言わさずスポンと脱がせた。次いでズボン。ポカンと口を開け固まったままだった幼子の頬が徐々に赤く熟れていき、突然現状を理解し三歩ほど一気に飛び退いて扉にびたんと張り付いて首を振る。
「どうしたの」
手を伸ばせば伸ばすほどに縮こまりなぜか離れていく。傷に障らぬように慎重に腕を掴むと呆気なく腕の中に収まった。
「ほら、顔の包帯は取らないから安心して」
怪我のせいか全身が燃えるように熱い。刺激せぬように抱いてシャワーを出し、柔らかい布で覆いながら流し始めた。最初こそ震えていたが心地よさに緊張が解れてきたのか徐々に力が抜けて身を預けだす。
「ほら、平気だろう?」
「冷たくないの、久しぶり」
当てられるシャワーの温かさに隻眼をとろりと蕩けさせて言った言葉は敢えて拾わず謝憐は綺麗に洗うことに集中した。小さな体に見合わぬ痣。服の下は殆ど青あざで見るに堪えない。
「そういえば君の名前を聞いていなかったね。名はなんというの」
幼子は一瞬身体を強ばらせ、俯くと落ちる水滴を手で受け止める。
「分からない、“おい”とか“お前”とかなら呼ばれてるけど」
どうしようもないクズ親父らしい。本格的に。何故そんなやつのところに警官は返そうと思えたのだろう!外面が良くとも彼の状態を見れば明らかだろうに!
「過去に、誰か呼んではくれなかった?愛称とか……
……死んだ母さんに、紅紅児って呼ばれてた」
「可愛い名前じゃないか」
紅い可愛い坊や。
「私もそう呼んでもいいかな」
彼のことをきちんと名で呼ぶ母親がいたことに安堵する。彼がそれを覚えているというのならきっと愛を込めて呼んでいたのだろう。体をタオルに包まれながら紅紅児は小さく頷き、落ち着きなく視線を彷徨かせる。
「紅紅児」

謝憐が警察官になろうと心に決めたのはこの瞬間だった。紅紅児のような罪もないただの子供を虐待する大人もそうだが真実も見抜けず救えたはずなのにみすみすゴミ溜めに返してしまうような責任感の欠けらも無い警察自体に失望したためだ。自分ならもっと上手くやれる、救える権利と力を手に入れれば万人を悪から遠ざけることが出来るのではないか。
紅紅児を抱きしめながら謝憐はそう固く己に誓った。
そこから謝憐は勉学、体力作りの為のトレーニング、武道全般とあらゆる努力をした。元々成績は優秀であったし、運動神経もいい謝憐は頭角を表し、負け知らずの文武両道の好青年となったのである。何もかもが順調に思えたが日時が崩れるのは唐突で無慈悲なもの。
謝憐が高校一年に上がったばかりの頃である。
当時大手宝石メーカーの社長であった謝憐の父の会社が急激に売り上げを落とし、倒産した。大勢の従業員の解雇。給料も手渡せず裁判沙汰になり結果、膨大な借金を抱える羽目となった。当然住んでいた一軒家は差し押さえられ、家具や、今までの父のコレクションなども手放さなければならなくなった。家から出るまでの間、元従業員や会社を疎んでいた連中からの嫌がらせが絶えず、父は精神的に参ってしまい床に伏せってしまう。そうした中で留まれる筈もなく父の療養も兼ねて謝憐は生まれ育った町を離れることになったのである。
高校中退も考えたがそうなると警察学校に通う際に障害となるため、学費は自身で稼ぐと決めた。バイトをいくつか掛け持ちし、学校と家とバイトとの往復。最初こそ慣れなかったが要領の良かった謝憐はすぐに順応し、馴染んでいった。それよりも気がかりだったのは紅紅児の存在である。彼はあれ以来謝憐によく懐いていて小鴨のように着いてきていた。歳の離れた弟が出来たようで謝憐自身もよく可愛がっていたのだが相も変わらず新しい傷をいつもこさえているので手当てをしたものだ。それをもうしてやることが出来ないかと思うと心苦しい。結局彼を劣悪な環境から救ってやることは出来なかった。

「お兄さん、どうしたの」
「紅紅児、よく聞いて」
街から去る直前、悩みに悩んだ結果。
華奢な体を抱きしめ謝憐は何も知らずに首を傾げる紅紅児に静かに諭すように語りかける。何も告げずに姿を消したとなれば幼い彼は謝憐が自身を見捨てたのだと思うかもしれない。
要は謝憐は逃げたのである、罪悪感から。完全な悪者になるまいと先回りをした。
……私はこの街から明日出ていく」
……え」
瞬間、小さな体が強張る。
「家庭の事情だから君を見限るとかそういうんじゃない。ただ、世の中子供にはどうにも出来ないことがあるんだ。それに私がここから居なくなれば従兄弟が来ることもなくなるから君を虐めたりもしないはずだ」
……お兄さん、」
親戚からも敵対視されているから遠方に引っ越すことになる。これから先のことを思いながら謝憐は唾と共に言葉を飲み込んだ。それらしい事をいくら並べてもこれは、自身が正しいのだと思い込む為の言い訳にすぎない。謝憐は静かに紅紅児から離れると「じゃあね」といつも通りの笑顔を浮かべて別れの言葉を口にした。紅紅児は賢く、また聡い、泣き叫ぶこともできたろうにそれをしないのは意味がないことを理解しているからだった。


───
──────
三年後、謝憐は成績トップのまま高校を卒業。そのまま警察学校へと進学し、約10ヶ月の訓練勉学を経て一人前となるべく奮闘することとなる。その過程の中で謝憐は交番研修のため、一時的に以前離れた街に配属となった。制帽を被り直し、襟を正してから鏡の前で深呼吸をすると交番の外へと向かった。

「おはようございます!お巡りさん!」
「おはようございます!」
「いってきます!」
早朝、登校時間。元気よく挨拶をする子供らを見送りながら交番前を清掃する。
「はい、おはよう。気をつけてね」
小さな体に大きな鞄を持って駆けていく姿は可愛らしく思う。転んでしまわないようにと願いながら謝憐はいつも声をかけるのだ。配属されてひと月、謝憐はすっかり街のお巡りのお兄さんとして子供らに認知されていた。
一通り子供らを見送った後、謝憐は振り返り交番近くの電柱まで近付くとしゃがみこんで暫く待つ。すると、薄汚れた服を身に纏った子供が視線を落ち着きなく彷徨かせながら、ほっぺたを真っ赤にして出てきた。
「お、お兄さん、おはようございます」
「ふふ、おはよう、紅紅児。遠慮はいらないって言っているのに。待っていたのかい?」
あの時助けた幼子が今は12歳。当時は細さと小ささ故に5歳くらいかと思っていたが実際は謝憐と7歳の差だった。それでも他の子供達よりは発育も遅く、一回りほど小さい。
「君も今年で最高学年だけれど、友達と遊ばなくてもいいの?」
所々継ぎ接ぎだらけの鞄を背負い直し、紅紅児は唇を尖らせる。
「友達なんていない。お兄さんがいれば寂しくないから」
「私は一時的な研修でここにいるのであってずっとはいられないんだよ、紅紅児」
……学校の奴らは馬鹿ばかりだから嫌い」
紅紅児は現在、街の施設にいる。謝憐が居なくなってすぐに彼自身が警察に通報し、保護された際に施設入りを志願したのだと言う。理由を問うと「処分できるゴミがあるのにしないのはお兄さんの手を煩わせてしまうから」というよくわからない回答だった。
以前よりも食に困らないのと何よりも日常的な虐待が無くなった事、しかしそれ以外は決して裕福とはいえないため自治体からの援助のもとようやっと学校に通えている状態だ。
謝憐が配属されてからほんの数日であるが紅紅児は欠かさず毎朝通ってきている。わざわざ遠回りをし、通学時間が伸びてしまうにも関わらずだ。謝憐としてもあの時の幼子が未だに懐いてくれるのは喜ばしいことではあったし、置いて行くような別れ方をしても尚慕ってくれていることに感動すら覚えた。毎朝恥ずかしそうにこちらを見上げながら一言二言交わして学校へと向かう彼の背中を見送るのにも慣れてきた頃である。
「ほら、もうそろそろ行かないと遅刻してしまうよ」
……お兄さん、また帰りに来てもいい?」
「もちろん。学校の話を聞かせて」
謝憐が促さなければいつまでも彼はここに居座ってしまう。謝憐も仕事があるので彼の相手ばかりはしていられない。だから謝憐は背を押し、いつものように数度ぽんと叩いてから彼だけの為に笑顔を作り手を振るのだ。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます、お兄さん!」

こうした毎日が約数ヶ月、謝憐が警察学校を卒業するまで続いた。卒業すれば部署への正式配属となり必然的に紅紅児と二度目の別れをすることとなる。
交番勤務最終日、紅紅児には事前に今日が最後だと伝えていた。しかし朝も、陽が傾いて空が橙になっても彼は現れない。落し物の記録を付けたり、日誌に付箋を貼り付けたりと明日からの者への引き継ぎ書類を作成しながら謝憐は小さな少年を待ち続けた。
陽が殆ど落ち、橙と紺のグラデーションがかかった頃、漸く待ち人は現れた。足を引き摺り、鞄を更にボロボロにして。
「紅紅児!?」
駆け寄りふらつく体を抱きとめると泥だらけで所々赤が点々と散って滲んでいる。
「怪我をしたのか!?」
「お、お兄さん……お兄さん、お兄さん、本当にもう居なくなってしまうの?」
問いに答えず、紅紅児は制服を握りしめ叫ぶ。

何かがあった、何かがあって、紅紅児は遅れてしまった。

どう答えて良いやら分からず、無言で撫でると驚く程にその背は震えている。
っ、毎日、辛くても、苦しくても、お兄さんがいるからって、お兄さんに会えるからって!!」
「紅紅児、」
「僕はなんのために、生きてるの?生きてる意味があるの?もう死んでしまいたい。お兄さん、行かないで、困らせてるのは分かってるんだ、でも、でも!!」
今日初めて見た紅紅児の顔は頬が腫れ、髪も乱れて乱雑に切られていて、酷いものだった。明らかに誰かに暴行された痕。言葉を零す度に眼から溢れ落ちる大粒の涙が互いの服を濡らしていく。適当に巻き付けられた右目の布地はぐっしょりと濡れていて濃く色を変えていた。

「お兄さん、行かないでぇ……っ」

彼が泣き叫ぶ度に胸が痛んで仕方がない。何故って何も無かった空っぽの彼に色を与えてしまったのは謝憐自身だ。何度も色を取り上げ、どう宥めようかと思案する悪いお兄さんでしかないのに彼は嫌だそばに居てと言う。
「紅紅児、紅紅児、」
崩れ落ち、服を離そうとせず、ただ、お願い、お願いと泣く子供。けれど謝憐は子供の保護者でもなければ傍にいてやることも出来ない。そういう仕事をこれからするのだ。けれど見限る勇気もない、ならば。

魔が差した。そうとしか言えない。
子供の肩を掴み、目を合わせて。

「生きる意味が分からないのなら、死にたいと言うのなら、私のために生きてくれないかな」

ずるい大人だろう。色を中途半端にぶら下げて、引き離しもせず傍にもいてやらず。
紅紅児はただ、涙で濡れた左眼を大きく見開いて瞬きを繰り返している。その度に長い睫毛が涙を吸って重たく上下した。
……
言葉を失ったまま、ただ壊れた人形のように首を縦に振って、それから紅紅児はことんと突然糸が切れたように意識を手放す。
結局、暴力を振るったのは誰だとか、何故こんなにボロボロなのかだとか彼は一切を語らなかった。謝憐は力尽きて重くなった体を抱き上げ、起こさぬようにゆったりと歩き出す。月が眩しいほどに道を照らしていて街灯が逆に眩しく思える夜だった。

──────
────────────
まるで深くに潜っているような息苦しさだった。藻掻いても藻掻いても出口が見えない。地上に辿り着けない。
誰かが、誰かが泣きながら呼んでいる。

……さんっ」

「にいさん……っ」

あぁ、泣かないで。『 』。

誰だっけ?前にも、ずっと前にもあったような。

「兄さん、兄さん……っ!!」

でも、この子の泣き顔にはなんだかとても弱かったような気がする。早く頭を撫でてあげなくちゃ。

…………かないで、」

喉が驚く程に乾いている。撫でてあげようと力を入れた腕は思ったように上がらない。代わりに両手で包み込むように力強く握り込まれほんの少し痛みが走った。瞼を開けようにも開いているのかいないのか、視界があまりにもぼやけて白いので数度ゆっくりと瞬きを繰り返す。

「兄さん!あぁ……!兄さん、目が覚めた!!」

夢の中でも聞こえた声。視線を声の方へとやると隈を濃くこさえても尚美しい尊顔がこれまた美しい涙をほとほとと零しながら見ているではないか。泣いても損なわない顔面の強さたるや。呑気にそんなことを考えながらも徐々に記憶が染み込むように戻ってくる。
確か、犯人を追い詰めて、その最中で、ああ……
(刺されちゃったのか……そのまま川に落ちて……)
他人事。自分の身に起きたことへの実感がまるでない。云わば映画のワンシーンを見ていたような、そんな曖昧で非現実的な感覚だった。
「兄さん、無茶、しないで……よかった、よかった」
なんて綺麗な涙だろうか。拭って上げたいのに指が動かない。脳が覚醒していても体がついてこれていない。
「さ、んらん」
「はい」
「なんにち、たった?」
……丁度一週間、兄さん、ずっと目を覚まさなかった」
(一週間も……犯人は、彼女はどうなったのだろうか)
記憶が確かなら彼女も重症を負ったまま川に落ちているはずだ。引きずり落とされたのだから間違いはない。
……黄 秀英(フゥアン シウイン)なら兄さんよりも三日早く意識を取り戻して明日病室で取り調べ予定だって聞いた」
流石察しのいい男である。
……きみは、ずっと、ここに?」
「随分我儘を言っちゃった。兄さんのそばにいられないなら暴れるって脅したんだ」
「だめじゃないか……わるい、こだ……
脅した、なんて嘘である。彼はきちんと筋は通すだろうから。心配させまいとおどけて見せて笑っているだけなのだと謝憐でも分かってしまった。
……もう、だいじょうぶ」


薬品の類が効かない謝憐は自身の治癒力のみで意識を取り戻した。医師曰く驚異的な回復力で経過は順調、傷が塞がり次第退院可能との事。その証拠に目覚めてからの謝憐は起き上がり歩けるようになるまで二日。走って慕情らに注意されるまでがさらに一日。その間にも花城は一切謝憐から離れることはなかった。
「三郎、もう平気だ」
「まだ、安静にしていないと」
「取り調べに同行出来なかったんだ、詳細を早く知りたい。なのにそれを聞くのに私が回復してからとか警視総監が言うんだから仕方ないじゃないか」
これ以上先伸ばせばまた傷が開きかねないと判断し、後輩二人が君吾に直談判したことにより本日詳細を聞かされることとなった。
……黄 秀英(フゥアン シウイン)は今、」
……奴なら警察病院に移送されてそこで大人しくしてますよ。ほんと、変な奴でしたけど気のいい同僚だと思ってたのに」
「あぁ。あんなに残忍な奴とは思いもよらなかった。あくまでも司法解剖にのめり込みすぎているだけの変態だと」
果たして自分たちの知る彼女は本当の彼女だったのか、今となっては分からない。聞いたところで真実か否か判別する手段がどこにもないのだから。

取り調べの間、黄 秀英(フゥアン シウイン)は大人しいものだったという。叫ぶでもなく暴れるでもなく、ただ、病室のベッドの上で拘束されながら静かに笑っていたそうだ。
『殿下は無事なの?』
生きているかの確認か、心配か。彼女の意思で自ら発言したのは謝憐の安否だった。どの口が、と立ち上がった風信を慕情は手首を掴み『生きている』と一言答えた。
「それで彼女は何と?」
……『そう』と一言それだけ。カメラの映像で俺も見てたけど抵抗する気もない、というか勝ちを確信しているような余裕があったな」
「事件の詳細については」
「事細かに分かりやすく話してくれたよ。黒幕は白衣禍世だってことも素直に話してた」
淡々と説明をする花城の後ろで後輩二人は呆れ顔である。何故囚人が事件の概要を説明しているのか、そもそもこいつは権限を持ち過ぎではないか。
……謝憐、前から思っていたんですけど、こいつに甘すぎじゃないですか」
「そんなことはない。三郎を管理しているのは私だぞ?甘くしては意味がないだろう」
……こんなに説得力がないことがあるか?」
どう見ても囚人の扱いではない。傍から見れば家族か恋人のそれである。
「さて、時間が惜しい。内容を話してくれ」
もっと掘り下げてやりたいところであったがしえは良くも悪くも物事の切り替えが早くしっかりしている。こうなっては話を進める他ないと後輩二人は顔を合わせ溜息を吐いたのだった。

【黄 秀英(フゥアン シウイン)の供述】
概ね彼女の供述は語って聞かせてくれたものと双子の妹の黄 香月(フゥアン・シィァンユェ)のものとも一致していた。
「思い入れがあったのは母親だけ。他のカモフラージュなんて興味もなかったから適当に置いたの。妹を庇うだなんてそんなもの言い訳、前々から手はとっくに染めてたし、抵抗も何もなかった」
母親の英才教育という名の毒檻の中で壊れてしまった黄 秀英(フゥアン シウイン)。何も感じない空虚な操り人形を救ったのが白衣禍世だという。
4年前、研修医であった彼女は在籍した約2年の間、66人もの患者を殺した。その患者は全て火葬され、はっきりした死因は今となっては闇の中である。
「白衣禍世様の薬のモルモット、彼らは役に立って死んだ。遺族に疎まれ、世間体の為に延命させられるのとどちらがいいかわかるでしょ」
白衣禍世の指示通りに上手く薬の投与を繰り返してきたのだが、ここで誤算が生じてしまう。前K大病院医院長、張 敏(ジャン・ミン)の存在である。彼は疑り深い性格でとにかく患者の複数死に疑問を持った。大きい病院なのだから助かる命もあれば救われない命もある。それも数は決して少なくはないのだ。にも関わらず彼は調べずにはいられなかった。結果、半数にも及ぶ不審死が発覚してしまう。白衣禍世に命じられ、張 敏(ジャン・ミン)を注意深く観察していた黄 秀英(フゥアン シウイン)はすぐさま彼の危険性を知らせた。当然、白衣禍世からの返答は“始末しろ”一択である。
……勘が妙に鋭くて、中々薬を投与出来なかった、そこは兄弟揃って一緒。兄の時はしくじらずちゃんと最後には薬でさよならしたけれど」
まだ試験段階ではあったがこの張 敏(ジャン・ミン)の死により、薬は初めて完璧な効果と作用を発揮した。
「ただ、前医院長が用意周到だなんて思いもしなかったけど。見て見ぬふりをしてれば死なずに済んだのに、馬鹿みたい」
張 敏(ジャン・ミン)が亡くなったタイミング。白衣禍世に甘い言葉で誘われ、妹の黄 香月(フゥアン・シィァンユェ)が母親を毒殺した。毒の鎖から解放された黄 秀英(フゥアン シウイン)はそれはもう歓喜し、妹を称賛し褒め讃えた。実際のところ、この時の彼女には妹に対する情は微塵も無かったのだが、これだけは素直に感謝した。どれだけ人を殺めても毒の根源たる母親という女だけはどうしても体が拒絶を起こし、消すことが出来なかったのである。自由を手に入れた彼女がまずした事は妹の罪の書き換えと抹消。丁度K大病院への就職が内定した妹。自らの存在と双子というアドバンテージを利用し、【朱 音羽(シュ・イェンユー)】という架空の人物を作り出し、敵地である警視庁の監察医務室に居座ったのである。“姉の頼み事”として瓜二つの妹と入れ替わりながら。
「青灯夜遊はとても都合がいい商売相手だってあの方は笑ってた。餌をぶら下げれば利益も何も考えずに飛びつくコマだって。実際、傷一つない臓器の揃った新鮮な死体を見て喜んでいたから。薬のサンプルも適当に手渡して……本当は奴に擦り付けるつもりだったのに、あの方のお気に入りのせいでそうはいかなくなった」

「私も選ばれて、あの方の手で死にたい」
黄 秀英(フゥアン シウイン)はうっとり陶酔し、目を細めて体を掻き抱いた。
白衣禍世は完璧な死の薬を作ることに固執しているらしい。死こそが幸福、美しいと。そしてそれに相応しい人間をずっと探している。

「白衣禍世様は、その人間にずっと前から目を付けていて、その準備をずっとずっとしているの」

その人物は子供ながらに清く正しく美しい、自身の正義を何一つ疑わない聖人君子なのだと。だからこそ歪めて落としてしまいたい、と。

「連続して人を殺すように命じられたのもその人が必ず正義感で釣れると確信していたからって今ならわかる。嫉妬でどうにかなりそう」

「あの方に選ばれた殿下が羨ましい」

黄 秀英(フゥアン シウイン)はそう呟いた。

続く


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@kobamama7
原作のハイライトな部分をオマージュして現代のお話に落とし込んでいる環羅美ちゃん凄い。続きが気になる〜あの方ついに登場するの?続き待ってます🥰🥰
2026-06-29 07:36:30
@circus_Dragon
≫kobamama7 いっぱい考えて原作の雰囲気とかキャラとか壊さないように書いてるからそう言ってもらえて嬉しい😭😭😭
2026-06-29 08:54:56

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