@fu_re_re_ra
朝尊せんせー、いつも穏やかで優しくてね
わたしの知識が足りなくて間違ったことを聞いても怒ったりしないし
腹を立てる様子は見たことない、と。
彼女はこてんと、不思議そうに小首を傾げた。
優しくて穏やかなひとに見える。
あんなに優しげな人でも、怒ったりすることあるのかな
想像がつかないや
と取り留めなく話す彼女に。
肥前は話半分に聞いていたが、その時だけはぴく、と反応した。
「いや、先生は……ブチギレるとめちゃくちゃ怖えぞ」
思わず、といった具合に、肥前は溢してしまう。
「え、わ、そうなの?」
ずい、と肥前の方に顔を寄せて、彼女が興味を持ってしまったので、肥前はしまった面倒なことになった、と視線を泳がせた。
「あー……」
あれは、政治家の重鎮たちのパーティでのことだった。
(……金持ち連中の道楽と狩場)
南海に勧められる酒を代わりに引き受け、毒味をこなす肥前は、心の中でそのやたら豪勢な立食パーティーをそう評して毒づいた。
政治的な方面で多種多様な人脈を有し、重鎮からも非常に重宝され確固たる地位を持っている先生と違って、肥前は所詮護衛に過ぎない。あいにく話している中身の半分も理解できない。
学の無い己を視線で蔑む者は多いが、それはまだ断然良い方だ。服を着た猿以下か、あるいは食卓に紛れ込んだ羽虫と同然に扱われることも少なくない。まあ、大概の連中は、正面から喧嘩を売る度胸も無く、肥前のひと睨みで去っていくのだが。
刀を抜かずとも、指先一つで容易く頸椎を折る。刀剣男士とはそういうものだ。こういう場に居る政治的地位の高い者ほど、刀剣男士を人間としては見ない。触れれば暴発する大砲と似た扱いは、むしろ丁寧と言って良いだろう。
どう取り繕ったところで自分たちが、ここに居るような連中が法で扱う、戦争兵器である事実に変わりはないのだから。
だから、その日は比較的まあまあ珍しい出来事だったと言えた。
南海太郎朝尊の輝かしい栄光の周囲に擦り寄る男の一人が、先生の前であからさまに肥前を蔑んだのだ。
陰でそういった扱いを受けることもさして珍しくない肥前は心底どうとも思わず、内心でべえっと舌を出しながら護衛としての本分に専念していたが、隣にいた先生の方が問題だった。
先生は、にこやかに保っていた表情の一切を消し、手にしていたグラスを宙に手放した。
ぱりん、と砕けた薄い硝子が
明確に男の行く先の破滅を暗示した。
あ、やばい。
と肥前は直感した。
「失礼するよ」
先生は迷わず踵を返し、この後の重鎮との会合の全てを無視して出口へと進んでいった。
一拍遅れて、後を追った肥前は慌てた。さすがに今ここで帰るのがあまりにも不味いことぐらいは、いくら学の無い肥前でも想像が容易かった。
普段なら肥前を待ってゆったりと余裕を持って歩く先生らしくなく、肥前を置いてぐんぐん歩き去っていくので、肥前は窮屈な正装の首元を緩めながら慌てて付いて行った。
「ちょ、先生! ま、待てって!」
肥前はようやく追い付いて南海の腕を掴んだが、先生は全く制止されてくれなかった。
「さ、さすがに拙いだろ、戻った方がいいんじゃねーのか。つか、あんなんどーでも……」
「────肥前くん、何か勘違いしていないかね?」
ひやり、と
極寒の温度で声が落ち
肥前は己の背筋が粟立ったことを感じ取り、反射的に硬直した。
二の腕に鳥肌が立っている。
「僕らは今は人の身、振るう腕も刀身と同様に重要なのだよ」
切れ長の視線が、極寒の温度の無さで
じろりと肥前を見下ろす。
「きみは僕に、己の右腕を侮辱されて黙っている腰抜けになれと言うのかい?」
南海太郎朝尊の手のひらが
まるで別物のような恐ろしい気配を漂わせながら
ゆっくりと肥前の首元に迫るので
さすがの肥前も咄嗟に身を引いて腰元に手を伸ばしかけたのだが、その刹那、先生が「肥前くん」と温度の無い声で釘を刺すので、反射的に肥前は硬直して言うことを聞いてしまった。
石のように動けない肥前の首元を、南海太郎朝尊の指先が、かり、と爪を立てる。
「覚えておきなさい。いくらきみ自身と言えど、僕の右腕を粗雑に扱うことが、────……どういうことか」
動けない。動くことが、できない。
喉笛を、普段容易く触れたりはしない包帯の下を、
ごくりと生唾を呑んで上下する、その下の喉仏の、────命の全てを握られて、肥前は
「良い機会だから、よく目に焼き付けて見ておきなさい。────……ゆめゆめ、忘れないように」
その後、男の一族郎党は破滅し
男自身は、かなり惨い死に方をしたらしい。
などという話が到底できるわけもなく。
常に春のお花畑の中にでもいるような、ほけほけと呑気に笑うばかりの彼女を前にして。
肥前は、要するに肥前を馬鹿にした連中が酷い目にあった、といった当たり障りのない範囲だけ、ごくごく掻い摘んで教えた。
顔を盛大に引き攣らせながら。
てめえのことだから、さすがに先生の地雷踏むことは無えだろうが
まあ一応教えとく、という親切心も多少あった。
知らねえ方がいい。
先生が本気で怒ったところなんざ、知らねえ方が幸せだ。
肥前は心底そう考えている。
そこへタイミングよく、噂をすれば影とばかりに、ちょうど新しい書を読み終わったのであろう南海太郎朝尊が、いつも通りの穏やかさで顔を出したので、彼女はぱあっと嬉しそうに「朝尊せんせー!」と明るく笑った。
「ふふ、僕の噂かい?」
「えっとね、朝尊せんせーとっても優しいけど、怒ると怖いってひーちゃんが」
「バッッッ」
あまりにも裏表の無い彼女が、普段己の刀剣男士にするのと同じように、今あったことを包み隠さず報告するので、肥前は慌てて背後から彼女の口を塞いだ。
「もが」
「バッッッ、馬鹿馬鹿、この馬鹿!」
「ふぁるぐちじゃないほ、ひーちゃんだいひにひないとひょーそんへんへーおこるんはよって」
悪口じゃないよ
ひーちゃん大事にしないと、朝尊せんせー怒るんだよって
口をもがもが塞がれながら、彼女が無防備にそう声をあげるので
おいマジで本当にこれ以上余計なことを言うなと肥前は祈りたい気分だったが、先生はそんなやりとりにくすくすと笑って「なるほど?」と機嫌良さげだった。
「うん、うん、そうだねえ。こう見えて僕は、怒らせるとそれなりに怖いと思うよ」
南海の手のひらが、ゆっくりと広げられて
────その光景に、一瞬びくりと肩を跳ねさせた、座り込んだままの肥前の、頭を優しく撫でていく。
「きちんと忘れてなくて、偉い偉い」
そう、よくできました、と言わんばかりに
小さな子供をあやすような調子で、肥前の猫っ毛を愛情深く掻き回した朝尊は、来た時と同じように機嫌良さげな足取りで軽やかに去っていった。
肥前は己の頭に手をやると、盛大に頬を引き攣らせながら、長く嘆息した。
片手で顔を覆い、項垂れるようにうめきながら。
「こっっっっわ……」
「???」
◇ ◇ ◇





























