@mi_____gu
アデルファイ基地のドックに船を預け、受付カウンターへ向かう。
賞金稼ぎとしての日常は、血と硝煙、そして金属の冷たさに満ちている。だが、この基地の受付に足を踏み入れる時間だけは、どこか異質だった。
「ターゲットの照会を頼む」
ホロパッドを差し出すと、カウンターの向こうで彼女が弾んだ声を上げる。
ぱっと花が咲くような笑顔。こちらの姿を認めた瞬間に和らぐ目元。
「あ、マンドーさん! お疲れ様です。……今回も少し遠くの宙域になりそうですね」
「そのようだな」
手際よくデータを照合しながらも、彼女の口元には終始柔らかい笑みが浮かんでいた。
「どうぞお気を付けて。無事に帰ってきてくれるのが一番ですから。ご褒美にグローグーちゃんのおやつ、用意しておきますね!」
「ああ、ありがとう」
「えへへ、任せてください! 美味しいの見つけておきますから」
嬉しそうに目元を緩ませる彼女に、俺は静かに息を吐く。
他愛もない会話だ。本来、仕事の前後にこんな雑談は必要ない。
だが、俺はこの短い時間を嫌ったことはなかった。彼女のよく通る明るい声と、くるくると変わる豊かな表情。言葉数の少ない俺に対し、怯えることもなく自然体に接してくれるその空気に、俺は無意識のうちに毒気を抜かれていたのだと思う。
……少なくとも、この日まではそうだった。
◇
数日後。
任務を終え、完了報告のため再びカウンターを訪れた俺は、ホロパッドを差し出した。
いつものように「おかえりなさい!」と弾んだ声が飛んでくるはずだった。無事だったことを喜んだり、グローグーの様子を尋ねる雑談が始まるはずだった。
だが。
「……拝見いたします」
差し出された手に触れないよう、彼女は慎重にホロパッドを受け取った。
その声は極めて低く、静かだった。
思わず首を微かに傾ける。
彼女は一切の笑顔を消していた。伏せられた睫毛、真一文字に結ばれた唇。背筋をぴんと伸ばし、機械のように淡々と端末を操作している。
「確認いたしました。報酬のデータ転送を完了します」
「……あ、ああ」
「お疲れ様でございました。お気をつけて」
完璧な、隙のない事務的対応。
視線すら一度も合わさらなかった。丁寧なお辞儀をされ、俺はカウンターの前で完全に足を止めてしまった。
(……何か、あったのか?)
胸の中で呟くが、声にはならない。
彼女はすでに手元の書類に目を落とし、一切こちらを見ようとしなかった。
(……俺が、何か失礼なことを言っただろうか)
数日前まであれほど親しげだった彼女が、今は別人のようによそよそしい。
喉の奥に小さな塊が引っかかったような違和感を抱えたまま、俺はゆっくりと背を向けた。
◇
基地を離れてから数日。
別の宙域での賞金首追跡中も、操縦席に座る俺の集中力は散漫なままだった。
(……あの態度は、一体何なんだ)
ハイパースペースの青い光を見つめながら、不機嫌に眉をひそめる。
怒らせるような心当たりはない。最後に交わした言葉も、いつも通りのやり取りだったはずだ。
「…パブぅ?」
足元から、グローグーが心配そうに首を傾げて見上げてくる。俺が無言のまま、何度も同じ星系のデータを開いては閉じているのに気づいたらしい。
「……何でもない」
低く吐息を漏らし、グローグーの頭に軽く触れる。
だが、頭から離れない。
あの冷ややかな横顔。いつもなら楽しそうに揺れていた瞳が、まるで感情を削ぎ落としたかのように静まり返っていたこと。
「……くそっ」
手元の操縦桿を握り直す。獲物を追い詰める集中力が必要な時に、なぜ彼女のことばかり考えているのか。
早く確認しなければ、仕事にならない。
俺は大した用事もないはずのアデルファイ基地へ船の舵を切っていた。
◇
夕暮れ時。出入りする者の姿はほとんど消え、静まり返ったアデルファイ基地。
明かりが落とされ始めたロビーで、彼女が一人、バッグを肩に掛けて帰宅しようとしているのが見えた。
足音を殺して近づく。
「……聞いてもいいか」
短く声をかけると、彼女は肩を跳ねさせ、弾かれたようにこちらを振り返った。
「マ、マンドーさん……!?こんな時間に、どうされたんですか?」
一瞬、素の声が出たものの、彼女はすぐにハッと息を呑み、再びあの、大げさなほど感情を押し殺した表情を作った。軽く咳払いをし、背筋を伸ばして、手に持ったバッグを強く握りしめている。
「…何か、お手伝いできることでしょうか…?」
その他人行儀な態度に、胸の奥で焦燥感が揺れた。
「…数日前から、急に態度が変わった。俺に不手際があったなら謝るから、理由を教えてほしいんだ」
逃がすまいと背後の壁に手をかけ、彼女を自分の身体と腕で塞ぐように詰め寄る。無意識のうちに相手を威圧するほどの距離まで踏み込んでいた。
完全に追い詰められた様子で身を小さく縮こませ、耳まで真っ赤に染めながら、彼女は消え入りそうな声で口を開く。
「ち、違うんです…マンドーさんは何ひとつ悪くなんてなくて……っ」
顔を両手で覆い必死に首を振る姿は、怒っているというより、何かを激しく恥ずかしがっているようにしか見えない。
「なら、なおさら話してほしい。理由も分からずに引くわけにはいかないんだ」
「う……っ」
低く畳みかける俺の追及に、彼女は困惑と恥ずかしさで眉を八の字にして泣きそうになり、あからさまにたじろぐ。逃げ場をなくし、何度も口を開いては閉じたあと、ついに耐えきれなくなったようにギュッと目を瞑り、降参するように大きく肩を落とした。
「……言います、言いますから…その、っ…本当にバカバカしいので………いっそ大笑いして忘れてください…」
彼女は握りしめていたバッグの中に手を入れ、何かを探し始めた。やがて、小さく折りたたまれた一枚の紙切れを指先でつまみ出すと、恥ずかしさのあまり顔を背けるようにして、おそるおそる俺へ差し出してくる。
「……これ、です……」
「……なんだ、これは」
受け取った紙には、怪しげな印章とともに、細かい文字が並んでいた。
『恋占い――意中の相手を射止めるための秘訣』
思わず言葉を失う。
『一、好きな人の前では、物静かで知的な女性を演じること』
『二、感情を表に出さず、控えめに振る舞うこと』
「……占い?」
「はい…最近、同僚たちの間でよく当たると噂になっている占い屋さんがあって…」
彼女は顔を真っ赤にしながら、恥ずかしそうに俯いた。
「占いに、静かで落ち着いた女性を演じると恋が上手くいくって書いてあったから……頑張ってみようかなって…私、いつも馴々しく喋りすぎちゃうから…」
「……」
俺は絶句した。
あんな態度の理由が、こんな紙切れ一枚の戯言だったとは。呆れと拍子抜けで息を吐きかけた——その瞬間だった。
(……待て)
彼女が口にした言葉が、遅れて反響する。
(……恋が、上手くいく……?)
ワンテンポ遅れて意味を理解した途端、冷や水を浴びせられたような衝撃が胸を貫いた。
彼女がこの怪しげな占いに頼り、わざわざ自分の振る舞いを変えてまで、振り向かせたかった相手。
彼女には、意中の男がいる。
俺ではない誰か別の男との恋を実らせるために、あんな冷たい態度をとって「静かな女」を演じていたというのか。
ドクン、と心臓が強く跳ねた。
両手が無意識のうちに固く握りしめられる。
胸の奥から湧き上がってきたのは、理不尽なほどの不快感と、苛立ち――そして、猛烈な焦りだった。
「……誰だ」
声が、自分でも驚くほど低く重く響いた。
「え?」
「誰のためにやっている。そんなことのために、自分を変える必要があるのか」
押し殺した声の端々から、抑えきれない感情が漏れ出していく。
「そんな真似をするな。……迷惑だ」
「…迷惑……そ、そうですよ、ね」
彼女の瞳が揺れた。それを見て、俺はさらに胸が締め付けられるような感覚に襲われた。違う、傷つけたいわけじゃない。ただ、あの笑顔を、あの声を、別の男のために封印されるのが――耐えられないだけだ。
「……そうだ。いつもの君でいい」
焦りに任せて、言葉が口をついて出る。
「よく笑って…よく話して…」
引き留めたい。あの温かい時間を、奪われたくない。
俺を見て笑う彼女を、俺だけに話しかけてくれる彼女を、手放したくない。
「…その方が、俺は」
一瞬、言葉が詰まった。
暗闇のなか、自分の鼓膜を打つ鼓動の音がやけに大きく聞こえる。
「……好きだ」
◇
静寂が、落ちた。
(……?)
自分が吐き出した言葉の意味が、遅れて脳裏に届く。
(……好きだ?)
(……今、俺は何と言った……?)
思考が完全にフリーズした。
固まったまま、彼女を見つめる。
俺は……嫉妬していたのか?
別の男に彼女を奪われるのが嫌で、自分だけのものにしておきたくて、焦って、怒って――。
(俺が……彼女を……?)
恋愛など、自分には無縁のものだと思っていた。
賞金稼ぎとして生き、素顔すら他人に見せない自分が、誰かを恋しく思うことなどあるはずがないと。
だが、違った。
あのアデルファイ基地の受付で、彼女の笑顔を見るたびに胸が温かくなっていたのも。
態度が冷たくなっただけで仕事に手がつかなくなったのも。
全部――俺が、彼女を好きだったからだ。
言葉にして初めて、自分の中にあった巨大な感情の正体に気づき、俺は言葉を失って立ち尽くした。
「……マンドー、さん……?」
彼女が真っ赤な顔で、信じられないものを見るように俺を見上げていた。その瞳が、みるみるうちに潤んでいく。
「それ……本当、ですか……?」
「……っ」
撤回することはできなかった。というより、一度自覚してしまった感情は、もう隠しようがなかった。
「……ああ」
声を絞り出す。それが精一杯だった。
すると、彼女は溢れ出そうになる涙を拭うように両手で顔を覆い、くしゃりと表情を崩した。
「……よかった……! 私、マンドーさんに嫌われたのかと思って……っ。私も…私もずっと、マンドーさんが好きだったんです…」
「……え」
今度は、俺が素の声を漏らす番だった。
「占いに行ったのも……マンドーさんに、少しでも良く思われたくて……」
彼女は涙目で、でもとびきりの笑顔で俺を見上げた。
あの日までの、いや、それ以上に眩しい彼女の笑顔がそこにあった。
「……」
俺は深く、深く息を吐き出した。
外からは絶対に見えていないと頭では分かっているのに、ニヤけ切ってしまった自分の顔を隠すように、思わず片手を額へ当てる。
(……だめだ、見られたくない)
緩みきった口元は、どれほど引き締めようとしても全く元に戻りそうにない。素顔を隠しておける環境で本当に良かったと、これほど心から安堵した瞬間はなかった。
(……まったく)
なんて無駄で、遠回りなすれ違いだったのだろう。
だが、その愛おしい勘違いのおかげで、俺は自分の心に気づくことができた。
◇
彼女が嬉しそうに笑い、紙切れをキュッと丸めてポケットに押し込む。
「占い…やっぱり行ってよかったです」
ふふ、と照れくさそうに目元を緩ませながら、彼女がぽつりと呟いた。
「うんと遠回りしちゃったし、マンドーさんには変な心配させちゃったけど……これがあったから、マンドーさんの本当の気持ち、聞けたわけだし…」
恥ずかしそうに頬を染め、上目遣いでまっすぐに見つめてくる。
確証もないおまじないのようなものに縋りつくほど、俺を思っていてくれたのか。
頑なに笑顔を封じ、本来とは正反対な自分を演じようとするほど、俺の心を振り向かせたかったのだと――その懸命すぎる行動のすべてが自分であったのだと悟った。
突きつけられたあまりの愛おしさに、全身を貫くような衝撃が走る。
(……だめだ。……愛おしすぎて、どうにかなりそうだ)
健気で、無茶で、愛らしい一途な勘違いが自分に向けられていたのだと悟った瞬間、胸の奥で爆発した熱量に、もう耐えきれなかった。
伸ばした手は、グローブ越しであることすらもどかしい。
彼女の小さく温かい手をそっと、だが逃がさぬように固く包み込む。そのまま力を込め、一気に彼女を自分の胸の中へと引き寄せた。
「……っ! マンドー、さん……」
驚きに目を丸くした彼女が、嬉しそうにはにかみながら、身を寄せてくる。
遮るもののない空間。 触れ合う身体の熱、伝わる背中の柔らかさ。
彼女は俺の胸当てに押し付けるようにギュッと顔を埋め、すがるようにしがみついてくる。
甲冑越しでも伝わる、彼女の小さな鼓動と、愛おしい体温。
「……これからは、いつもの君でいい」
腕の中の宝物を壊さないように、それでも離さないように強く抱きしめながら、彼女の髪にヘルメットの口元を寄せる。
「たくさん笑って、たくさん話してくれ。……俺を見て、俺だけに」
「はい……! 毎日、たくさんお話しします。グローグーちゃんのお話も、いっぱい聞かせてくださいね」
「……ああ」
腕の中で愛おしげに顔を埋める彼女に、俺は不器用な自分を少しだけ誇らしく思い、ヘルメットの下で、幸せに歪んだ表情のまま、彼女の頭をそっと撫でた。