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それぞれの星

全体公開 10 5612文字
2026-07-26 20:18:34

私たち夜になれない 手を振ってそれぞれになるそれぞれの星

Posted by @aoumatn


8月5日 20:30
 
 花火の音に紛れて、君は言葉を失った。
 「もう君とは会わない」
 観客の歓声は止むことがない。眩しすぎるほどの夜空を、目で、スマホのカメラで眺めている。
 君は息を飲み込んでから、ゆっくり口を開いた。
「それって、どういう意味ですか」
 俺を見上げる目に、花火が映っていて綺麗だ。今日だけじゃない。この子の目はいつだって綺麗だった。
 見守ってやりたい奴らがいること、そして奴らには俺が必要なこと、君にはもう俺が必要じゃないことを、ひとつひとつ言葉にした。君にわかってもらおうというより、自分に言い聞かせているようだった。今までがおかしかったんだ。あんなにも、時間を共有して、こうして花火まで一緒に隣で見ているなんて。
 「だから、もう会えない、ごめんな」
 花火の音は俺らの沈黙の合間を縫うように鳴る。光を散らした後に。
 君は戸惑ったように目線をゆっくりと下へ向けて、言うべき言葉を探しているようだった。その間に何度も花火が上がっては散っていった。髪の毛が花火の色で染まっている。ゆっくりと顔をあげた君の頬が、今度は白く染まる。
 「わかりました。あの、今まで本当に」
 きっとこの会場で、空ではなく地面を見ているのなんて俺らだけだろうな。せっかく一緒に花火を観に来たのに。もし今日が思い出となったとしても、君にとって今日の花火は、音でしか記憶に残らないのかもしれない。
 「ありがとうございました」
 花火の音が、止んだ。
  
  
10月24日 17:55
 
 大成先生と会わなくなってから、嫌いなものが増えた気がする。チョコミント味のものだったり、辛いものだったり、チェーン店のコンビニだったり、国語の授業だったり。だけど、それぐらいしかなかった。私が知っている、大成先生のことは。誕生日だって、結局聞けないまま、この先ずっとわからないままかもしれない。大成先生を思い出すものは見ないようにして、泣かないようにした。子供っぽいとも思ったけど、そうでもしないとあのときの気持ちを思い出してしまいそうで、嫌だった。幸い、受験に向けて追い込みが始まっていたから、勉強のことだけを考えて、大成先生のことを考えないようにできた。模試の結果が返ってくるたび、自信がついて、友達も御影先生も喜んでくれる。
 だけど、それだけだった。
 私があんなに一生懸命勉強できたのも、勉強したかった理由もすべて大成先生に帰結してしまう。
 私の嬉しいことを、大成先生にも嬉しいと思ってほしくて。
 模試の結果はすぐに捨ててしまった。どうせ、見てもらえない。大成先生に見てもらえないものは、私にとって、なかったものと同じだ。
 たった一つの糸で繋がれた私たちは、たやすくそれが切られてしまった。それを決めたのは他の誰でもない大成先生だから、私は受け入れるしかない。縋りつける糸さえない。その一点だけで結ばれていることを思い知らされてしまった。私と先生の結び目は、もうとっくにほどかれていたのだ。
 
 いつもは賑やかな教室が、放課後になると水を打ったように静かになる。私はそんな教室も好きだった。
 ドアが勢いよく開いた。
「どうだ、調子は」
 御影先生が、私の前の椅子に座った。模試の復習ノートに目をやって、短く声を上げる。
「おまえ、今回もA判定だっただろ?さすが真面目ちゃん、がんばったな」
「英語の点数が少し落ちちゃったんですけど、現代文が初めて満点で嬉しかったです」
「がんばってたもんな。現代文の講習、おまえ皆勤賞だったって聞いたぞ」
「どうしても点数上げたかったので……
 半分は本当で、半分は嘘だ。大成先生のことを考えてしまう時間を少しでも減らしたくて、参加できる講習にはできるだけ多く参加していたのだ。
「教育実習生と勉強、ずっと頑張ってたんだって?大迫先生から聞いたぞ」
 久しぶりに大成先生の名前を聞いて、一緒に過ごした時間は本当にあったことなのだと、現実に戻された気がした。
「私から頼んで教えてもらってたんです、大成先生やさしくしてくれて」
 それ以上言葉が続かなかった。それ以上を人に伝えることは、二人の時間を、曝け出すみたいな気持ちになったからだ。
……で?最近何かあったって感じか?」
「いえ、あの……
「いいよ、無理に聞こうなんて気はないからな。俺だって?こう見えて大人だし?」
 御影先生は今、きっと私を見ている。私は目を伏せて机を見ることしかできない。私はなんで、こんなに罰せられているような気持ちになっているのか。
……」 
……なあ、おまえさ、自分が何を大切にしたいのか考えた方がいいよ」
「もし俺がおまえの立場になれるなら、俺は今度こそ大事なものを見失わないつもりだよ。失くしたものを数える人生を送りたくはないだろ?俺は、そう思うよ」
 御影先生の手を見た。日焼けしている、筋張った男の人の手。大成先生の手は白くて、爪先がきれいに整えられられていたことを思い出した。
「人生の先輩からの有難いお言葉だよ。なんて、かっこつけすぎたな」
 御影先生は椅子から腰を上げて、大きく伸びをした。
 「俺もさ、もう一回教育実習生なってみようかなー」
 急に素っ頓狂な声を出したから、思わず吹き出してしまった。
「先生なら、絶対に大人気ですよ」
 笑う私の頭を撫でながら、ありがとうと御影先生は言った。
「どんな結果であれ、おまえが笑ってられるように願ってるよ」
 
 
1月25日 13:10
 
 予鈴が鳴る。次の授業に向かう先生たちが席をゆっくりと立ち、準備をし始めた。
「大成先生、次の授業2-Aでしたよね?」
「え、ああ、はい」
「白のチョークなくなっていたんで、補充のチョークをついでに持っていってもらえませんか」
「わかりました」
「あ、そうだ。大成先生、知らないでしょう?こうやってチョークとか備品を教室に持って行ってもなくなったり、壊されたりしなくなったの、最近のことなんですよ。最近になってようやく、あいつら大人しく授業受けるようになったんです」
「はぁ」
「そりゃあ遅刻したり、無断欠席したりはあるんですが……椅子に座って黙って授業受けるようになったのもすごい成長ですよ」
「僕は大成先生の影響が大きいと思いますよ、ほらこの学校は年寄りのいかつい教師が多いでしょう」
 そう言って中年の社会科教員が大きく笑う。
「大成先生は生徒たちとも年が近いし、あいつら嬉しいんじゃないかな」
「そうだといいんですが
「あいつらああ見えて可愛いとこあるから、大成先生も見守ってやってください」
 白チョークの箱を渡され、出席簿の上に置く。今から訪れる教室のことを考えて、自然と足取りが軽くなった。雑然とした教室に、色とりどりの頭と学ラン。私服のやつもいる。俺が教室に入ればすぐ文句を言うくせに、授業が始まると教科書をだるそうに開く。
 いつもの風景は、気づかない速度で少しずつ変化していくのだろう。
 あいつら、変わったんだな。
 俺も大迫先生みたいに、誰かを救ってやれてるのかもしれない。
 俺は変わっていくことが怖かったんだ。良くなる方へと進めるなんて、思ってもいなかったから。
 もうすぐ入試だ。校内も受験組はピリピリとした空気をまとって、付箋だらけの参考書を眺めている。
 あの子もきっと今頃、机に向かってペンを走らせているだろう。俺が解説をしたところに、マーカーでラインを引いた参考書を、まだ使っているだろうか。
 俺がコーヒーをこぼして作ってしまった染みを、思い出の一つだと笑ってくれた日、俺は彼女に救われたと思った。あんなにも誰かと過ごす時間は初めてで、隣に座っていて居心地が良いと思うのも初めてだった。
 だからこそ、終わりの線引きは自分でしなければいけないと強く思ったのだ。
 いまさら、会いたいなんて言える立場じゃない。だけど、せめてお礼だけは言いたかった。教師への道を諦めないでいさせてくれたこと、正しい方向へいつも導いてくれたこと、こんな俺を信じて励ましてくれたこと。ひとつでも取りこぼしてしまえば、今、俺はここに立たせてもらえなかった。
 駅で君を見つけられないかもしれない。
 それでもいい。
 何かを変えるためには、一歩でも進まなければならない。
 
 
3月1日 8:40

 最後の朝のホームルームが終わると、ばらばらと席を立った。
 花のコサージュ。
 後輩からの一輪のバラ。
 保護者一同と書かれたお饅頭の箱。
 持って帰らなければいけないものを、今日ようやく持ち帰る、大きな袋を持った男子。
 何枚も何枚も写真を撮り直しては、SNSにのせる写真を選ぶ女子たち。
 何にも馴染めない私はいつもの窓から、最後の空を眺めていた。
 
 入試の日、大成先生に会った。
 帰る途中、駅で大成先生を見たときに、間違ってしまったと直感した。いつもはバスで行く距離なのに、早く帰りたくて電車で帰ることにしたのだ。
 もし、大成先生が誰かを待っていたら。
 それが私だなんて思えるほど自惚れられない。
 改札の側で立ちすくむ私を、怪訝そうな目で見る客に促されるようにして出口へと進む。
 出口へ向かうとき、思うように息ができなかった。
 私でありませんように、で合ってる?
 本当は私だけを待っていてほしいのに。
 「ちょっと待って」
 大成先生が私の前に立った。
 会わなくなってから数ヶ月しか経っていないのに、すごく久しぶりに会う気持ちだ。あの夏祭りの日から、本当にすごく遠くなってしまったから。
 「今、時間いい?」
 そう言って大成先生は私の返事を待っていた。
 大成先生の好きなものを、私嫌いなんです。嫌いになればなるほど忘れられなくて、苦しくなるんです。
 それなのに、断ることなんてできると思いますか。
 頷いたあと、ゆっくりと先生は私の手を引いた。
 夏祭りの日、私が覚えているのは、先生に手を繋いでもらえたことだけだったんです。
 
 
 
 「おーい、みんな並んでくれ、本番だぞ。一番良い顔作ってくれよ!」
 大きな声を出した御影先生に、みんなは文句をそれぞれ言いながら、先生の元へ集まった。
 教室を出るときに御影先生がひとりひとり、握手をしてくれた。抱き合う男子もいれば、ハイタッチする女子もいる。
 私の番だ。
 「三年間ずっと一緒だったな、卒業おめでとう」
 頭を撫でた手が、私の手を強く握る。
 「こちらこそ、ありがとうございました」
 
 私の三年間は、もうすぐ終わる。
 
 私の三年間は、ずっと大成先生が好きだった。一瞬の迷いもなく、まっすぐに好きだった。

 
 
 三年間通っていた母校でも、教会へ入ろうとするのは初めてだった。俺らの時代にも、伝説のようなものはあったと思うが、まったく興味がなかった。そもそも学校にだって興味がなかったし、かといって夢中になれる他のものがあるわけでもなかった。
 毎日喧嘩して、つまらなくて、おもしろいものを探す気力さえなかった。だけど、大迫先生と出会ってから生き直すことができたと思う。大袈裟な言い方だと大迫先生には笑われてしまうだろうが、俺には本気でそう思える。
 今、その役割は余多門高校でも必要となっている。渡されたものを、俺も誰かに渡さないといけない。

 駅で彼女に会ったとき、言葉がうまく出てこなかった。
 もう会わないと言い出したのに会いに来てしまった気まずさ、申し訳ないと思う後ろめたさ、どれもちがう気がする。それ以外の、なにか。
 彼女を連れて見た、スカイラウンジからの景色は美しかった。海がどこまでも広がっていて、無数の光を抱えている。
 二人で景色を見ながら、考えていた。もし君が、また隣からいなくなったら、俺は何を望むだろうか。もう一度手を離したときに、俺が再び掴もうとするものはなんだろうか。
 そこからいろんな感情が生まれてくることにも、気づかせてもらえた。
 怖いと思ったのは、失くしたくないと思ったから。
 それが愛なんて決めつけられるほど、俺は何も知らない。
 今まで知らなかった感情が生まれるのが怖い。そして、それを向けてしまった相手に知られるのはもっと怖い。
 もしこの感情を言葉にして伝えたとしても、それは独りよがりと、どう違うのだろうか。
 あの夏祭りで、初めて人の感情が揺れるのを感じた。
 彼女は、傷ついていた。表情も声も断片的にしか窺うことはできなかったが、彼女はそのことさえ、俺に気づかせまいとしていた。
 俺は多分、あの子の痛みの半分もわかってあげられてないんだろう。だからこそ、謝る言葉しか言えなかった。
 
 

 卒業式が終わったのだろう。校門から花束を持った生徒や保護者たちがぞろぞろ連れ立っている。泣きながら抱きしめ合う生徒たちを尻目に、教会へと急いだ。

 俺は怖いよ。今まで失くしたきたものは、もう二度と手に入らなくていいから、これ以上君を失いたくないと思う。
 どうして俺が本当に欲しいものは、いつだって手に入らないんだろう。眩しいものに手を伸ばして、その光は俺にしか見えないものだったりして。
 今までたくさんのものを失ってきた。だけどそんなものたちは、君に比べたら取るに足らない。
 そして、今。
 君を失いたくないと思った自分自身に、答えを出してやりたい。
 今伝えられることを、少しでも君に伝えなければならない。教会の伝説なんて一つも知らないが、もし君が信じて誰かを待っているのなら、それは俺であってほしい。
 
 教会の扉に手をかける。
 
 この光は、君にも見えているだろうか。


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