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指輪について

全体公開 貿易船 1 3217文字
2015-12-21 03:04:08

貿さん✕かー子。婚約したようです。

Posted by @san_ph7

 いつからか、この寝台の上で眠る者はひとりからふたりになった。
 その分悲哀も歓喜も深く沁みこんで、シーツは複雑に感情の陰影を作った。ふたり分の体重を乗せて、それがもう何回目かは分からないが、ぎしりとベッドが軋む。感情のやり取りもすれば単に情交を結ぶ場でもあったので、可笑しな話だが彼女にとってここ以上に彼と一緒に居て落ち着く場所はなかった。
 大したお話じゃないです、と前置きをして、彼女は寝る前に彼に少しだけ時間を貰った。ベッドの上にふたりで座って、向き合う。いつもなら寝ながら他愛ない話をすることもある。こうして向かい合うのは大抵は彼とするときだった。今夜はそういう約束はしていない。無論、彼も手を出すことはない。
 ――もし良い返事が得られなくても、私は陛下の傍にいよう。
 一度自分の意志を確認して、それからちょっと緊張しながら後ろ手に持っていた、手のひらに乗るほどの黒い小箱を差し出した。それをゆっくり開ける。中身は黄緑色の石が嵌った指輪だ。
「陛下、に、贈り物をしたことがないなって……
 彼は一瞬思案したが、これを小箱ごと手にとった。大きな石ではない。美しいカットにより侵入した光は屈折し、内部から石を赤や緑、黄色に輝かせた。この石は硬度が低く、加工が難しい。しかし光の分散率が高いので、うまくいくと石の中で揺らめくような光を見ることができる。彼も宝石をよく扱うので、この指輪が優秀な職人と素晴らしい石が出会ってできたものだというのはよく分かった。
……それで?」
 微笑みながら、彼はそう言った。単にこれを渡しておしまいではないだろう、と言いたいらしい。指摘されるだろうと思っていたので、彼女も狼狽えるようなことはなかったが、少し困った顔をして、黙って彼の手を握っていた。
「あの、陛下、あの……!」
 しばらくして、俯きがちにしていた顔を上げて、彼女は目の前の面倒な悪徳を抱えた魔王を見据えた。最近涙もろくなってしまった彼女は、それが決まって彼の為であることを彼は知っている。そして無自覚にだが、彼はこれを喜んでいた。目の端に涙を浮かべて、彼女が訥々と話す。
「こんなお願い聞いてもらえるか分からないけど、あの、どうか……
 言っても何も変わらないかもしれないけれど。
「陛下、貴方に私の時間と、体と、心と、全部あげます。代わりに」
 こらえきれず、頬を涙が伝って落ちていく。
「代わりに、同じ分だけ貴方の時間を私にください……!」
 彼は何事かを言おうとして、言葉を飲み込んだ。
「ごめんなさい陛下、ごめんなさい……! 聞いてもらえないなら、何も言わないで、黙っていて……! わがままでごめんなさい、陛下、私、貴方のそばにいるために、他の男の人のところへ行くのはもう、やめたいの。でも私、他に貴方のそばにいるための方法も、分からないよ……! もう何も分からない! 陛下とずっと一緒にいたいのに、でも、もう……
 それならもう、陛下が私を、どこへも行かないようにして……
 ……陛下、許してください、ごめんなさい……、貴方を愛しています、ずっと。駄目なら何も言わないで……今のままでも、私、でも」
 そこから先は言葉にならなかった。
 彼は、少し何か考えた後、こう言った。
いいでしょう、対価としては十分ですし売りましょう、あなたの一生分。あなたが対価を払い続けてる間は、私が共に居てあげましょう。ただし、私は今の仕事を辞める気も、これまでの暮らしを変えるつもりもありませんので、くれぐれも仕事の邪魔はしないでくださいね」
……え?」
 彼は今何と言ったのか。
「さあ、そうと決まればいろいろと決めることとそのための準備をしなくてはいけませんね。貴女の希望を叶えるならそうですね、まずは帰る場所から決めましょうか。私は貴女がどこに住んでいるのか知りませんが、遠くに行くのでしたら荷造りも必要ですし……聞いてますか私の話?」
「陛下が何を言ってるのか、よく分かりません……
 びっくりして泣き止んだ彼女を意に介さず、
「ですから、いろいろ準備があるんですよ。まぁそうですね、貴方にその他にもいくつか質問をしなければならないだろうし、サインの必要な書類も……後々。今日はこれで時間切れです。明日も仕事がありますし、おやすみなさい」
 そう言って横になる。持っていた小箱はさりげなく枕元に置かれた。
「え、あ、陛下」
「話ならまた明日」
「はい、あの、おやすみなさい……
 呆然とする彼女を尻目に彼の魔王は目をつむった。彼女もとりあえず彼の隣に横になってみる。一体全体、目の前の人に何を言われたのか全く理解できない。彼の手を握ってみた。薄目を開けてこちらをちらと見た魔王が、彼女の体を引き寄せる。黙ってされるがままになっている彼女の手をちょっとだけ強く握り返して、また目を閉じた。彼女も泣き疲れてしまったのか、彼に言われたことを心の中で反芻しながら眠りに落ちていった。
 結局、彼女が事の次第を理解できるようになったのは翌日の夜のことだった。その頃にはすっかり船中に彼女と彼が婚約したという話が伝わっていて、どうやら昨日の出来事は”婚約”という運びになったのだということを彼女はようやっと把握した。
 魔王の私室、ベッドの上で、やはり昨日と同じように座って彼を待っていると、やや乱暴に扉が開けられ貿の魔王が入ってくる。疲れた様子の彼は彼女を避けてベッドにそのままうつ伏せになってしまった。
「陛下おかえりなさい、あの、スーツ皺になってしまいますから、せめて脱いでください」
 しかしピクリとも動かない彼を見て、彼女はスーツを脱がしにかかる。ここの所彼がどうも忙しそうにしているのは、年の変わるのが迫っているせいらしかった。こんな状態じゃお話は無理かな、と思いながらジャケットをとりあえずベッドの足元にあるソファベンチに置いておく。
「これも」
 いつの間にか仰向けになってベッドに潜り込んでいる彼から赤い宝石のついたブローチをスカーフごと渡される。宝石に触らないように、同じ場所に置いておいた。
「何か、話があったんじゃないですか」
 眠たそうにしながら彼がそう言ったので、彼女も彼の隣で横になってから、
「昨日の、お話の……
 そう切り出す。とても確認しづらい。こんな馬鹿みたいな質問で大丈夫だろうか。
「あの、陛下誰と婚約したんですか?」
「貴方とですけど」
 何の躊躇いもなくきっぱりと淀みなく言われて、彼女は返答につまる。
「もしかして、私の勘違いでしたか? 指輪も貰ったし、『ずっとそばにいたい』とそう言ったじゃないですか。婚約してくださいという意味だと、私は思っていたのですが」
 まぁ勘違いというなら、周りには誤解のないように伝えておきますけど、と続けられ、彼女は慌ててそれを否定する。
「勘違いじゃないです! あの、びっくりして……本当に?」
「本当ですよ」
「私…………
 ほら、と左手を見せられる。昨日彼女が贈った指輪が、確かに薬指に納まっている。
「貴方が贈ったものでしょう?」
「そう、です……
 あまりの彼女の混乱ぶりに、面白くなってしまったのか彼は声を出して笑った。それから、最近は夜もすっかり寒くて困りますね、等と言いながらまた昨日と同じように彼女の体を引き寄せてやる。真っ赤な顔をした彼女を見つめる。
「陛下、私、貴方と結婚するの……?」
「そうですよ。……貴方は最近、本当によく泣きますね」
 自分の胸に顔を押し付けてきた彼女の髪を撫でてやる。
「陛下、愛しています」
「知ってます。昨日も聞きました」
「何回だって言います……
 愛しています、と震える声で何度も何度も誓うように彼女が呟く。
 そうして実に嬉しそうな顔で、魔王は烏を抱きしめた。





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