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中尉と少尉

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2016-05-21 23:02:11

※これはジョエルの先入観や偏見入り交じった視点であり、事実とは食い違っている可能性が高く、ブレット氏にとっては言いがかりというか風評被害だと思います



 兵卒たちが和気藹々と食事しているところへ加わるのは一応士官である身としては遠慮するべきだと思ったが、食堂でなにやらハイソな話をしている士官学校卒生たちとは話が合わないし、叩き上げの士官などもっとおそれ多い。結局ジョエルは食堂の隅の方でちびちびと豆のスープを啜っていた。
 ジョエルは生来影が薄く目立たない存在である。本人もそれを疎ましく思ったことはない。彼は情報伝達の重要性を証明できればそれで良く、そのためにはへたに自分の色が前面に出ていない方が好都合だった。可能なら上へ行って環境改善に努めたかったし、そのために色々と手を回してまで士官学校へ入ったのだ。
 ず、と啜ったスープは少し味が濃い。清貧を良しとする(と言えば聞こえはいいが、単に仕送りと貯金で給金の大半を使ってしまっているだけである)ジョエルは薄味を好む。
 ……ふと視界の端で揺れた金髪に目をやると、ある青年士官が食事をするところだった。年はジョエルとそう変わらない筈だが、階級はひとつ上。身長に至っては頭ひとつ上。
 ブレット中尉。ファミリーネームはなんだったか、上流階級に疎いジョエルは知らない。
 見かけるたび何か食べているのに、太る様子はない。ポトフのウインナーへ大きく口をあけてかぶりついた割に、下品さがないというか、育ちの良さを感じさせる仕草。
 ジョエルが努力だけでは越えられず矜持や良識を投げ捨ててよじのぼった崖を、容易く乗り越えられる(どころか意識すらしていないだろう!)人種。努力では手に入れることのできない「歴史」、つまりは家柄や血筋をその背に負っている側の人間。
 もやもやと胸に渦巻くものはつまるところ「お坊ちゃんはいいよなあ」というだけの単なる羨望(あるいは嫉妬)だというのはジョエルも自覚していて、余計な考えを追い出しがてら、本当によく食べるな、とどうでもいいことを考える。
 ……いつのまにかポトフは食べ終えたらしく、小ぶりのオレンジの皮をナイフで剥くブレットの手付きは危なげない。ひとふさ切り分けて口に入れると、少し頬が緩んだように見えた。
 少しして、ようやくジョエルは自分の食事を済ませようと手元へ視線を戻し、また豆スープを食べ始めた。ちぎったパンを浸しながら、この食べ方は庶民じみているのだろうな、士官学校卒生の中では浮くだろうな、と思う。
 がたがたと椅子の引かれる音が聞こえて顔を上げると食事を終えたらしいブレットが立ち去るところだった。ジョエルはそれをなんとなく目で追い、……ばちん、と目が合った。あおい目。
「……? なんだ、なにか用か」
 しまった、と思うも表情を変えないようにしながらジョエルは立ち上がり頭を下げる。
「失礼しました、中尉。その、ボタンが外れかけているのが見えまして」
 咄嗟に告げた言葉は嘘ではない。相手の袖口を示せば、糸が千切れかけて緩んでいるボタン。それを見て、ブレットは僅かに目を眇めた。
「ああ、確かに。新しいものを買わないと」
「えっ」
 まあそうですよねお坊っちゃんだものね直して着たりしないよねー! ……と思うだけで済ませようとしたのにジョエルの口からは思わず声が出ており、
「え……っと、……よろしければお直ししましょうか」
 誤魔化すために重ねた言葉は更に彼自身を追い込んだ。兵卒でもあるまいに、一応士官の端くれであるというのに、自ら雑用を申し出てどうするのだ。媚びるにしてはあからさますぎて、いっそ滑稽である。
 断ってくれ、というジョエルの祈りもむなしく目の前に上着が差し出され、退路は断たれた。
「二分とかかりません、少々お待ちを」
 椅子に座り直したブレットの前で自分は立ったまま、一度テーブルへ上着を広げて他のほつれや痛みが無いか確認し、改めて皺にならないよう持ち直す。……糸と鋏と針は普段から持ち歩いている。外れかけていたボタンをきれいに取り外し、袖口の毛羽立ちを確認してからまたつけ直せば、宣言通り一分そこそこで修繕は完了した。
「どうぞ」
 差し出した上着を受け取ったブレットは短く礼を言ってから、改めてジョエルを見て眉を上げる。
「おまえ、名前は?」
「はい、ジョエル・ランツ少尉です」
「そうか」
 覚えておく、とは言われたが単なる決まり文句のようなものだろうと聞き流し、その場を去るブレットへジョエルは頭を下げた。
 頭を下げたまま足音が遠ざかるのを待ち、ブレットがいなくなったのを確認してから顔を上げる。どっと疲労感を覚えながら腰を下ろしたジョエルは、ふとテーブルを見て、まだ皿に残っていた豆をスプーンですくったが、冷めたそれはちっとも美味しそうには見えなかった。

《幕》


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